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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

チャオ

作者: 猫まるまり

この世界の全ての人類が死に絶えてしまえば良い、と私は常々思っている日々なのだ。

毎日の不快な通勤電車で私は高確立で痴漢に遭い、駅員とは既に顔見知りだ。

会社では入社2年目なのだが新卒が入ってこなかったせいで、未だ一番下っ端だ。つまりは茶だし係。

会社の規模もそう小さい訳ではないのだが、最近の景気の勢いに乗り遅れたらしい。こういう所が夏のボーナスに響く。

そういう訳で私は常日頃から世界を呪った表情で下っ端にふさわしい単調な仕事とだらしのない諸先輩方を見ていた。

斜め前の先輩がパソコンから顔を出して苦笑する。

「おいおい、正子ちゃん。そんな暗い表情してないでさ、こうぱぁっと華の24歳にふさわしい笑顔をふりまいてよ」

「それ、セクハラに相当しませんか?」

びくっと先輩は顔を固まらせ、パソコンの陰に隠れた。

私はため息をつく。私はこんな私も、こんな会社も先輩方も他人も大嫌いだ。


大学の飲み会で見慣れない顔を見つけた。隣の子に聞く。

「あの巻き髪のかわいい子、誰だっけ?」

「え〜っと、確か七海って子で、隣の学部だったけど今日着たんだって」

「ふ〜ん」

ジントニックを一口飲む。隣の子はどこかへと歩き出してしまった。

いつも私は愛想が無い。

七海は可愛らしい華やかな女の子だった。赤いドットのワンピースを着こなして、24歳より年下に見た。

ああいう子は世界を呪ったりはしないのだろうなぁと少しの妬みと羨望を持った。

七海がふと顔を向けた。ちんまりとまとまった人形のような顔。

「チャオ、貴方なんて名前だっけ?」

堂々と聞いてくるので驚いた。

「正子。鈴木正子よ」

「私は川端七海。初めて会うわよね?」

「ええ」

「でもカミジマ教授って知ってる?」

「剥げの?」

「今じゃウィッグ付きになったらしいわよ。あのおじちゃん」

思わず吹き出して2人で大笑いをした。

「ウィッグって」

「しかもチャップリンひげ」

「あははっははっははっっははっはっはは」

その日、私は七海と腹がよじれる程笑った。

顔見知りでもないのに、七海は話術がうまくとても面白いのだ。

アルコールも入っていたからかも知れない。普段はそんなに笑わないのに。

七海と居ると楽しいな。そんな風に思っていると幹事が会のお開きを伝えた。

七海が笑顔で振り向いた。

「ねえ、正子って一人暮らし?彼氏いる?」

「正真正銘の一人暮らしよ。彼氏はいない」

「じゃぁさ。泊まりにいっていい?」

「いいわよ。そんなに広くないけど」

七海は笑いながらありがとうと言った。その時何か警告音が頭の中でしたが、気のせいだろうとボストバックを抱えた七海と歩き出した。

一泊なのかな、と少しだけ思った。それ程七海と一緒に居る事は楽しかったから。


もちろん一泊なんかじゃなかった。七海は住み込んでしまったのである。

しかも無職。飲み会の日にクビになったらしい。

今は失業保険で好きな物を買っている。

生活費は全て私持ち。だが時たまセンスのいいプレゼントをくれるのでごまかされている感はあるが。

七海はいう。

「前はね〜事務さんだったんだよ〜。割に真面目にやってたんだけどね〜上司に喧嘩売っちゃってね〜。クビ。正しい事を正しいと言えないのはゆるさ〜んとか義憤に溢れちゃったんだよね〜」

そうはいってもちゃっかりもの。金はある程度あるようだし、2人で5千円するディナーを割り勘で行ったりしているのだ。

しばらくはごろごろするといった様子で夕食は食費を渡せば作ってくれる。

「正子さぁ、文句顔ばっかだけどこんな家政婦いないよ?」

七海はある日の夕食時、言った。

千円でほうれん草のごま和え、さんまを焼いた物に酢橘をそえたもの、出汁から取ったみそ汁を頂きながら。

「掃除も勝手にしているし、洗濯だってしてる。料理だって毎回美味しい美味しい言うじゃない。千円でやりくりするの大変なんだからね。こんな家政婦雇ってるって思えれば特した気分じゃん?」

「ん〜」

気の無い返事を返すと、七海はぷっくりと頬を膨らませた。

「何か不満なの?」

「いや、七海が無職のままで大丈夫かなって」

「だからここで家政婦やってるじゃん!!!」

怒鳴ってから、七海は黙々と食事を再開させた。

急に人が変わったような怒鳴り声にあっけにとられたが、私も箸を進める。

普通、友達の家政婦になるって名誉ではないよなぁ、なんでそんな事でこんなに怒るんだろうと思いながら。


家に帰ってくると七海がお帰りという習慣ができてしまっていた。

「ビール?チューハイ、あ、食前酒にもトライしてみたの。ご飯の前に飲んでみてね」

部屋着に着替える間に七海がドアの向こう側で嬉しそうに話しかけている。

これではまるで新婚家庭ではないか。

私には女性を愛する事はない。といっても今まで恋をしたことがないのだから確定ではないけれど。

七海の作ったサクランボの食前酒は絶品だった。

「これ、お店で売れるよ」

「口がうまいんだから。はい、今日はそういう訳で創作安価和風御膳です」

湯葉や豆腐を中心に作られたそれらは日本酒が進んだ。

「七海、フードコーディネーターのが向いてるかも」

「まさか。私が作ってるのは家庭料理ばかりだし」

「いやいや。これ、家庭料理じゃないって。何か仕事、、、、」

どん!!拳でテーブルを叩いて、七海は唇を震わせていた。

「あ、ごめんね。ごめんね。せっかく作ってもらったのに。気分悪くさせちゃったね」

七海はいつもなら笑みを浮かべている筈の唇をプルプル震わせて吐き捨てた。

「その通りね」


手首の場所に薄らと赤い煙が轢いてあった。七海の左手首だ。

何も聞けずにごくりとつばを飲んだ。

七海は明るい。

「じゃーん、今日はバンバンジー!!暑い日にうってつけだね」

「そうだね」

正直赤い線を見てから食べたくなかったが、料理を残すと七海の機嫌が悪くなる。

やんわり問いただすか、無視するか。

私は元々人とかかわり合いになるのが苦手な人間だ。

だからこういう時困ってしまう。

悩みがあるというのだろうか、、、、そこまでの。

そしてそれに関わらなければならなあいのだろうか、、、、私が。

考えていると目の前にビールがおかれ、思わず飲んでしまった。

時の流れに身を任せとテレビから聞こえてきて睡魔が襲ってきた。


七海の手首の傷はもう尋常ではないといった頃になってやっと私は重い腰をあげた。

七海のスペースへと七海が居ないときを見計らって侵入する。

化粧箱の下に何十本ものカッターがあった。血もついている。

「あの子、、、、」

その時、かっとなった。

人が心配する様に哀れまれる様に同情心を轢く様にこんな事をするなんて、と。

カッターを全て持ち出してゴミ箱に捨てた。

すっきりした。もうしないだろうと思って。


逆効果だった。

カッターの数は増えていき、キズの数は左腕にまで達した。

しかし料理はきちんと作る。ゴム手袋を使用しているらしい。

私は弱り切っていた。

これはもう医療の力を借りるべきなのか?

いや、違う。

七海は何かが欲しくてこんな事をしている気がする。

私がそれに気がつかなくては。

私は七海をひたすら褒める生活を始めた。


完全に立場が逆転した生活の中で私の身体は悲鳴を上げ始めていた。

まず寝付きが悪くなり少しの物音で目が覚める。

この頃よく悪夢を見ていた。

自分の周りを火の玉がずっとまわっているのだ。

口々に「お前は人から必要とされない。愛されない。いずれ嫌われる。死ねば良い。死ねば良い」とずっと囁き続かれるという物だった。

これは精神的にこたえた。

こんな事を人に言われたらかなり辛いだろう。それに近い思いをしているのだ。

そしてめまいをするようになった。

会社の医師からは自律神経失調症と言われた。


「え、自律神経失調症、、、、?」

「うん。なんかなっちゃったみたい」

私は、診断書を鞄にしまい直して、ため息をついた。

「おいしいご飯も食べてるのにね」

「でも確かに正子、最近食べる量減ってたよ」

「そう」

ぎくっとした。

また手首を切らせたくない。

怖々言ってみた。

「こらえ性が無いのかなぁ」

その間七海はじーっと私を見ていた。

その目が、私の恐怖を見透かしているようで恐ろしくてたまらなかった。


深夜の叫び声で目が覚めた。

「正子ー正子助けて」

風呂場から声がする。

風呂場を開けた。

七海が倒れていた。

白い腕は今は真っ赤に染まっている。

よほど深く切ったらしい。ドクドクと動脈から血が出ていた。

パニックになって寝室に戻ると、救急車を呼んだ。

それからタオルを持って左脇を絞める様に結んだ。

血の流れが少し止まってきたようだ。

その時初めて自分が泣いている事に気付いた。

救急車が着て、七海は運ばれていった。

当分入院する必要があると言う。

救急隊委員は、私に優しくそういったので七海が行った後また泣いた。


どうして死にたがっている人間を助けてしまうのだろう。

私は七海がいなくなった自宅でぼんやりと考えていた。

自律神経は七海がいなくなった途端まともになった。

よほどのストレスだったのかもしれない。

ゆっくりと考える。

何故死んで欲しくないのか。

あの赤のドットのワンピースが似合っていた七海を思い出す。

あの姿を失いたくないのだ。

あの時の笑顔を取り戻したいのだ。

私はどうすればよいのか、、、、、。

とにかく七海を失いたくなかった。

絶対に。


退院してから七海は上手く左腕を動かせなくなっていた。

私が料理当番になるのが大変不満そうで、爆発はやがてきた。

体育座りで七海が言う。

「私なんかいらないんでしょ」

私はその時火の玉に言われていた事を思い出していた。

七海が続ける。

「見捨ててよ」

「見捨てないよ」

「見捨てて欲しいいの」

この子の中には火の玉がいると確信した。

七海が立ち上がって鞄を掴む。

「出て行く」

私はあわててドアの前に立ち塞がった。

出ていってもどこかで七海は続けるのだろう、命を賭けた愛情と自己確認のゲームを。

思わず抱きしめた。友情を込めて。

「あのさ、分かってよ。心の底から生きていて欲しいって思っている友が居る事を」

ばっと身体を突き放された。

「見捨てなさいよ!見捨てなさいよ!じゃなきゃ逃げられないじゃない!!」

泣きわめく七海に静かに言った。

「逃げてばっかでいいの?」

すっと七海から表情がなくなった。

冷たい目で私を見て、押しのけた。

「じゃぁ私が見捨てるわ」

七海は小振りのバック1つで出て行った

私は玄関に崩れ落ちた。

無力感で涙がこぼれた。


私の行動は間違っていたのだろうか?

七海との生活が不安定になってしまったのはたしかだが、決して望んでいたわけでない。

七海は何故壊れていったのだろう。

多分に七海が主張していた家政婦であるという職業意識がある。

彼女はそれに誇りを持っていたのに私が認めなかったのが良くなかったのだろう。

だが、友人関係と私は信じていたのだ。どこに主従関係を持ち出す必要がある?

結局、七海と私では求める物が違ったという事か。

私は友人を望み、七海は主人を望んだ。

七海は千円という縛りを喜んだ。つまりは縛られていないようでいて、実は縛られている状態を好む性格なのだ。

そして、他人が嫌いと言っていた私はこんなにも七海にかまってしまっている。

友だから、といって。

私の人生の中でこんなにも私を振り回したのは七海しかいない。

まさに嵐のような子だった。

私から人間性を引き出すなんて。

私はまた他人嫌い自分嫌いの人間に戻れるだろうか。

とりあえず鍵を替えて、七海の荷物を捨ててしまおう。


あれから5年、特に恋をする事も無く予言通り他人嫌い自分嫌い人間として同じ会社に勤めている。

変わった事は飲み会に多少お金を出しておく事だろうか。私は勿論行かない。

酒は焼酎を1人で飲む事にしている。

と、道で方がぶつかった。慌てて謝ると、青いストンとしたワンピースの女が笑った。

「チャオ。泊まりにいっていい?」

あの頃とあまり変わらない七海の笑みに、私はごくんとつばを飲み込んだ

前回は自分の中に他人への好意と友情を見つけた。

今回は自分の中に何を見つけてしまうのだろうか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 捨てたカッターが増えてゾッとし、 風呂場の惨状で「ひぇっ」と呟いてしまいました。 七海が去って哀しがる主人公を見つつもホッとしたのに、 最後の再会で、これらをまた繰り返すのかと思うと……。…
[一言] 正子の夢の描写から一気に不安が加速していく様子がリアルで、七海という女性の恐ろしさと魅力が同時に感じられる作品だと思います!
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