喫茶”ろまん”
昼下がりの喫茶店、ここで二人の男女が言い争っていた。
「別に良いでしょ! 友達と二人で飲みに行くくらい」
女は男に向かって叫んだ。
「だめだ。君はただでさえ危なっかしいんだから。行く時は僕も付いていく」
男は腕を組んだまま、強硬な姿勢を見せている。
「この分からず屋! あたしは大丈夫よ!」
二人の男女はそれっきり黙って、お互いに睨みあった。
「またやっていますね」
言い争っている二人の男女の様子を見て、眼鏡をかけた青年がいった。
「そうだね。もう何度目だろう?」
カップを拭いていた男も、その手を止めて賛同した。
「二週間に一回はああなってますからね。さすがに覚えてられませんよ」
眼鏡の青年はあきれたように首を振った。そして顎に手を当て、何かを考えるそぶりを見せた後で続ける。
「でも、あんなに喧嘩しているのになぜか別れたりしないんですよね。なぜだと思います?」
「きっとなんだかんだで仲がいいんだろうね、幸弘君はそういう関係のひとはいないの?」
男がいうと、幸弘と呼ばれた青年は首を振った。
「いませんよ、今は学業のほうが楽しいですし。それよりも純一さんはどうなんですか? 結構アプローチを掛けてくる娘もいるじゃないですか。」
「いやぁ、さすがに高校生の娘とどうこうなるわけにはいかないよ。でも、今年で25になるからなぁ。いい人を見つけないとかな」
純一は苦笑いしながら答えた。すると、ちりんちりんと鈴の音が鳴り、店の入口の扉が開いた。
「噂をすれば、という奴ですね」
幸弘は、入口の扉を開けた少女達を見ていった。少女達はこの喫茶店のある通りの先にある石坂高校の制服に身を包んでいる。一人の少女が純一たちの姿を見ると、挨拶をする。
「純一さんこんにちは! 今日は幸弘さんも来てるんですね。」
髪を二つ結びにした活発そうな少女がいった。それに続けて、ほかの二人の少女も挨拶をする。それを受けた純一と幸弘は笑顔で挨拶を返した。そしてそのまま二人の近くに行き、幸弘と同じようにカウンター席に座った。
席に座ると少女達はメニューを見て話し始める。
「レモンティーとアイスカフェ、どっちにしようかな。恵、どっちがいいと思う?」
活発そうな少女は、恵という少女に訊ねた。恵は長い髪を右手で撫でると目を細めていった。
「あんた前来た時もその二つで悩んでなかった? 来る前に決めときなさいよ。あ、私はアールグレイをお願いします」
注文を受け純一は「アールグレイね」というと、前髪をピン留めで留めた少女に訊ねた。
「彩加ちゃんは決まった?」
彩加と呼ばれた少女は、メニューを閉じ、顔を上げる。
「マスター、ルビシア一丁」
「ルビシア一丁だね」
純一は注文を繰り返すと、二つ結びの少女のほうを見る。
「佳奈ちゃんは決まったかい?」
メニューを睨みつけるようにして見ていた佳奈という少女は、純一に訊かれるとメニューから顔を上げていった。
「アイスカフェでお願いします」
「了解」
純一が飲み物を淹れ始めると、恵は幸弘に訊ねる。
「幸弘さん、来週にある石坂大学の学園祭ってどんな感じですか? 今度3人で一緒に行こうって話してるんですよ」
「そうだねぇ、やっぱり高校と違って規模が大きいから、盛り上がってるよ。特に出店が凄いね。結構種類もあるし…… そうだ。今パンフレットもあるから見てみるかい?」
そういって幸弘はバッグの中を漁り始めた。
「あった、これだ。はい、どうぞ」
幸弘はパンフレットを恵に差し出した。それを見て恵は感嘆の声を出した。
「ありがとうございます。うわぁ凄いたくさん、一日で回りきれるかな?」
恵の後ろからパンフレットを覗いた佳奈も、同様に驚く。
「すごいね。こんなにたくさん食べられるかな」
恵は呆れたように笑った。
「こんなに食べられるわけないでしょ。彩加も何か言ってやってよ」
「さすがに全部は無理、8割なら何とか」
それを聞くと、恵は幸弘と顔を見合わせ、困ったように笑った。
「おまちどうさま。アールグレイとルビシア、アイスカフェです」
飲み物を淹れ終えた純一は、それぞれに飲み物を配っていく。そして恵の持っているパンフレットを見ると、懐かしそうに目を細めた。
「もうそんな季節か、幸弘君は何かするの?」
幸弘は頷いた。
「はい。文芸部で部誌を出すことになってるんです。今年は中々良いものができたんですよ」
「へぇ、僕も見に行ってみようかな」
純一の言葉に佳奈が喰い付く。
「ほんとですか! じゃあいっしょに行きませんか?」
「いいの?」
佳奈は首を何度も上下に動かしている
「大丈夫です。むしろ大歓迎」
恵と彩加も頷く。
「佳奈もこう言ってますし、純一さんさえよければ」
「マスターなら、安心」
幸弘がその様子を見て、純一に笑いかけた。
「よかったですね、花の女子高生3人と一緒に回れるなんて、羨ましいですよ。ぜひ、うちの文芸部も見ていってくださいね」
「わかった。ぜひ寄らせてもらうよ」
「それじゃあ、そろそろ帰りますね」
夕暮れ時になり、幸弘はカバンを肩にかけながらいった。
「あ、じゃあ私たちもここらへんで」
女子高生3人組も帰り支度を始める。その様子を見ていた純一が何気なくテレビのほうを見ると、最近このあたりで発生している通り魔事件の報道をしていた。死者は出ていないが、もう既に14人もの女性が被害にあっている
「3人とも、最近は何かと物騒だからね。気をつけて帰るんだよ」
純一の言葉に、3人は頷いた。同じようにニュースに目をやっていた幸弘が提案をする。
「よければ途中まで送らせていってください。この通り魔は男と一緒にいると襲ってこないらしいですから。最近ではこの通り魔を警戒して男女が常に一緒に出歩くのも珍しくないみたいですし」
幸弘に向かって3人ともが礼を言い、出口に向かって歩いていった。
4人の帰り支度を見て、女は申し分けなさそうに言った。
「そういうことだったのね、ごめんなさい。あなたは私を心配してくれていただけだったのに」
「いや、僕の方こそ説明が足りなかったよ。てっきり君は知っていると思っていたから。ごめんね」
男は照れ臭そうに頬を掻いた。
「とりあえず友達と飲みに行くのは止めにするわ。通り魔が捕まるまではね」
女がいうと、男は安心したように笑った。
「それはよかった。それじゃ、今日はもう帰ろうか。送らせてもらってもいいかな?」
「ええ、もちろん」
二人はそういうと、会計を済ませて仲良く喫茶店から出ていった。
男女が出ていったのを見ると純一は一人呟いた。
「さ、今日はもう店じまいだな。それにしても来週は学園祭か。たのしみだなぁ。そういえば、この喫茶店を譲り受けたのもこのぐらいの時期だったな」
純一はそれだけいうと店内の片付けを始めた。