◇2
タイミ王子は、まさかの兄様でした。
認めたく……ありませんが。
『ひこうき』と『めりーごうらんど』は兄様が私が五歳の時に思いっきり遊んでくれた思い出のものである。
どちらも、力技だった。
片方の力がある人物が、向かい合わせの前から(背後からでも良いのだけど)軽い人物の脇に手を入れて持ち上げる。そして自分より高い位置から急下降し、また振り上げるように高い位置で回るという荒業が『ひこうき』。
背後からやはり脇に手を入れ、そのまま横に振りそこから主軸の様に回り始め、遠心力で軽い人物の足が上がって行くのが『めりーごうらんど』。
兎に角、共に重力と遠心力がかかり、五歳児でも持ち上げ行えば確実に筋肉痛になるだろう遊技である。
勿論それらは、どこの家庭でも小さな子供が居るならば、親や兄弟、近所の育て役等が一度は遊ぶのではないかという所謂どこにでもある風景。
世間では『ひこうき』は『高い高い』と呼ばれても可笑しくなかったし、『めりーごうらんど』は『ぶんまわし』だの『人間こま』とか言っているのを何度も訪れている村や町の一角で見た事がある。
ただ、私が言ったそれら二つは、カラム兄様の命名だった。
『そーらひこうきだ!!!』とか『めりーごうらんどだぞー!』と小さな私を振り回し、私も楽しくて何度もせがんだのは今でも鮮やかな記憶に彩られている。
『ひこうき』も『めりーごーらんど』もどうしてそんな名前なのか未だに分からないけれど。
故に、幾ら記憶にあったとしても…………それを今現在体現するにはかなり無理があった。
―――――――何故なら私は行き遅れな女なのだから。
興味津々なお父様とサエス叔父様に、別室で先にお茶でもして待ってて貰おうとしたが却下された。
「カラウィーンがどうやってタイミ王子をカラムと確認するのか見たい」
お父様の声に、ひくり、と王子の頬がかすかに動いたのを見なかった事にする。
「では、私もお伺いしたいのですが、何故お父様達は王子をカラム兄様と断定されたのですか」
「それは………」
言い淀み口を開かないお父様に内心苦笑し、その表情を隠すようにホロ神殿とナカン神殿で身に付いた微笑みをにっこりと浮かべた。
「私も女ですから言えない理由の一つ位はございます。勿論、娘である私から『お父様って最低大っっっ嫌い』と言われるのがお好きなら良いですよ?」
ごめんなさいお父様、脅す様な真似をして。
本当はいくら私が寂しく感じようが、久し振りに会って離れたくなかろうが、それでも見られたくないものは一つや二つ、三つや四つ五つや六つ位はあるんです。
今回は、まさかお兄様が好きだったから、その大事な思い出の一つが言いたくなかったなんて、どうしても言いたくないし言えない。
まあ、王の権限なんて出されたものなら受け入れざるを得ないし、第一王に返答しないなんて反抗って取られたらそれまでなのだけど。これは私が甘やかされているのと、巫女という立場もあるのだろうと私はこっそり胸の内で溜息を吐いた。
私の内心はともかく、微笑みを浮かべたまま見詰めていれば、お父様と叔父様が真っ青になって行く。
結構町の人達が喜んでくれるから、自分の笑みは安心させることに自信があったのだが、こうも素直に家族の顔色が変わるとやはり自信を失ってしまったり。
うん、やっぱり家族の反応が一番正直な気がする。不細工は何をしても不細工で、私の笑顔は身に付いたといってもやっぱり見栄えが悪いのだろう。町の人は遠慮がちだし当たり前だろうけど私が姫だから喜んでくれるんだよね、とか。
埒も無い事が頭を過ぎり、これが巫女にとって毎度あんまり宜しくない事である事に気付いて気持ちを切り替える。
まずは先んじて、いついかなる時も神の御心に添える様、心が軽くなる様に勤めなければならない。
自分の所為とはいえ、家族の言動に正直に傷ついたとしてもだ。
「う、うむ執務室にでも行っておこうか……サエス」
そそくさと回廊で踵を返しお父様と叔父様の離れて行く背中を見て、自分の所為とはいえやはりとっても寂しくなった。
どうにも居心地悪い思いをしながら後ろを向くと、未だ引きつった顔のままのタイミ王子に流石に申し訳なく思えて、精霊達に体重を軽くして貰おうと思う。
断じて、自分の体重を恥ずかしく思った訳ではない。
彼の歳が私より年下だから申し訳なく思っただけ。
まあ、私の体重が重かったからといって、婿に来て早々に国に帰る事は無いはず……である。帰られたら最初から戦争目的じゃなかろうか等と大問題だけど。
しかし、体重が国政問題に発展するなんて聞いた事が無い。第一カラム兄様がいらっしゃったのなら、私が嫁に行く筈だったのだから。まさか体重が気に食わないからってこの国に舞い戻って来たら、その国から追い出されたと誤解どころか顰蹙を買うどころの話ではないだろう。
それでも、いくら婿になるとはいえ、そして兄様であるという証拠の為とはいえ、この国に来て初めて会う嫁になるであろう私を、結婚式ならともかくも重い人間を抱き上げる等というそんな重労働の様な酷い事をさせるのは気が引けた。
場所もそうだ。
お父様達さえ人払いをしたのだ。実際に兄様だと証明する為とはいえ、幾ら王宮の中庭に面した広い回廊とはいえ、振り回せば足が引っかかるかも知れない(何の為にあるか分からない飾られた花壷とかに)、そんな所を見られたら笑い話どころか怒られるに違いが無かった。
確かに、ここは人一人を振り回す様な場所じゃない。
どうせ振り回すなら遠慮なく振り回して欲しかった。
婿になるのだ。今から遠慮してどうなるというのだ。
私は内心あまりの羞恥に破れかぶれにはなっていたらしい。この考えが後になってまさか後悔するとはこの時点で気付いていなかった。
「ここでは狭いでしょうから、あちらでお願い致します」
指し示した先は、回廊に面する中庭の大きな円形の噴水。
暑い日差しは水飛沫に遠慮なく降り注ぎ、周りを囲む真っ白な美しい回廊に宝石の様な煌きを放っている。
いくら暑い地域とはいえ見事な曲線を描く噴水の傍に寄れば、空気は冷たく清々しくて少しは落ち着いた気持ちになった。
そうして、さあどうぞ、とばかりに私が腕を上げれば、タイミ王子も腹を決めたらしい。
「それでは…………」
と呟き、決心した様に深く息を吸い、そして吐いた。
詰まる所、結果として、タイミ王子はカラム兄様である事は確定していたのだが、身体的にも精神的にも気持ちが追いついていなかった。
ぐるぐると回されたその後の自分を、何故私は想像しなかったのだろうか。
そう、唯でさえ身体を軽くした為に起こる、それはそれは思いっきり振り回される事になる事態を本当に何故、私は想像出来なかったのか。
ぐるぐると振り回された直後、暫くはその噴水の縁に寄りかかる様に休む羽目になったのは仕方ない。
だけど、まさかその時に、謝って来るとも思ってもみなかった。
「すまない」
と目の前の王子は私を見詰めて硬い声で呟いたので、『何故?』と問いたくなる。
けれども身体はぐったりとして口を開けば吐きそうで、言葉も出ない状況。
更には『何故?』という問いこそが何の事を指せば良いのか言葉を選ぶ事さえ出来なかった。
だから、待った。
目の前の青年が何かを話すだろうと、じっと見上げた。
その時に王子の瞳が銀の髪を濃くした様な濃灰ではなく、まるで空の蒼であるとか額にあった風と水の紋を混ぜ込んだ複雑な青み掛かった瞳である事を初めて知る。
そうして、今まで何も無かった様に飄々と目の前で立っていた王子が、私の横へ座り込むと一言、今度は私の顔をその瞳に映す事無く呟く。
視線の先、王宮の象徴とも言うべき空高く聳える真っ白な尖塔を強く真っ直ぐに見詰めて。
「すまない」
故に言葉は、誰に聞かせる訳でもなく呟かれたのかも知れない。
私だけでなくお父様や叔父様、この王宮や国に向かって言っているのだろうか、と思う。
兄様である事に?
王子の責務を果たさずその命を散らした事に?
それならば最初の私自身に向けられた謝罪は何だったのだろう。
兄様だから?それならば私は今まで隠していた程に好きだったのだから問題は無かった。
それとも過去の事ではなく、ただ単に今現在の事で振り回したから?しかしそれは私が兄様であるかの確認の為だ。
どちらにせよ私には謝られる理由が他には考えられなくて首を横に振ったのだが、途端にますます気持ち悪くなって顔を顰めて呻いてしまった。
小さな笑みが漏れ聞こえて、思わず睨みつける。
「ああ、すまない。貴女には何度も謝らなければならないな。王にも申し上げたのだが、貴女にも私の口から先に伝えたい事がある。今、申し上げても宜しいか?」
何かが胸に突き刺さった気がした。
柔らかな笑みが瞳が、心底申し訳なさそうに歪められ、いっそう私の心が軋んだ様な気がした。
それを考えたくなくて振り切る様に頷く。
「良かった」
心底ほっとした笑みが、真剣な表情に変わる。
「ではカラウィーン姫、私はまず貴女に謝らねばなりません。第一に私はカラムの記憶はあるが、フォーリールフナーの第五王子で既にこの婚儀に否やを言える立場でもなく、婚儀は決定事項なのですが、その婚儀の前にどうしても行いたい事があるのです。それをお許し頂けませんか?」
何を、と問う前に目の前の青年は言った。
「カラム王子だった私の身体を取り返し、復讐をしたいのです」
と。
「頭痛がするわ…………」
そして、吐き気もしていた。
「…………そうだろうな。水でも飲むか?水なら直ぐに出せるぞ」
のほほんとした顔で言うタイミ王子に、私の言葉で起った事とはいえ逆恨みしたくなる。
私の頭は未だにぐるんぐるんと廻っている様で、更には痛みまで感じ始めていた。
それによって、同じ言葉を堂々巡りしている事にも自分で気付いていなかった。
お父様達は私達が既に応接室に付いているのに気付いていない様な振りして、片手で食べられる軽食と共にお茶を飲み、私の結婚式までの対策を立てていた。
それでも見守ってくれている様な、そんな雰囲気がほんの少しありがたい。
タイミ王子は掌の上でくるくると水を出している。
王子曰く、少ししか出来ない魔法は曲芸と呼んでいるらしい。
『少しでも気が紛れると良いが』と小さく付け足すように呟いたのが聞こえたのは、本人でさえ自覚していないのかも知れない。
どうしたって聞いてしまった復讐の文字が、気を紛らわせはしなかったけれど。
ああ、でもそういえば同じ言葉を昔、私が凄く小さかった時に兄様が『ひこうき』だの『めりーごーらんど』等と遊んでくれた時、あの時も同じ言葉を呟いていた気がする。
小さな私は大人しくお茶を飲むより身体を動かす方が好きだった。それをお転婆だのと今もそう思われているのかしらと、ほんの少し心配になってしまう。
まあ、今この場所にいる時点で何を言っても意味が無いのだけれども。
そういえば、元々ここへ戻って来た理由を思い出して吐息が漏れ出てしまった。
「グラスが無い…ってよりも、さっきのでそんな気分じゃないから遠慮致します………とにかく、私はホロに戻る前にタナの顔を見て………」
「お供しよう」
「お供は父上から頼まれたのでしょう?」
あっさりと言い切った王子に思わず目を見張る。
「まあ、確認に時間が掛かるだろうからな」
のんびり構えている王子に、呆れるよりも心配が勝るとは言えなかった。
王子はその確認である兄様の亡骸を捜し復讐したいと言っているのだ。
今までリューラランで確認が取れなかったその事実を。
「そうでしょうとも…あぁ頭痛がするわ」
「うむ、水でも飲むか?」
「薬を用意してもらうのが面倒だから良いわ、ああ……でもタナの家に行ってから移動の準備をしなくては……」
「お供しよう」
「……………………頭が痛いわ」
いつしか苦笑混じりで私達を見ていたお父様達の視線を感じて、私は内心吐息が落ちそうだった。
「分かったわ話を整理しましょう。父上、叔父上、そして婚約者殿」
余りの疲れに顔が歪み頭の痛みは引かない。
こめかみを揉みながら手を振れば、のんびりとしたタイミ王子の顔にむかむかと怒りさえ湧いてくる。
問題は王子が持って来たにも関わらずマイペースさを見せる本人に、お父様達が感慨深そうに見詰めていたから、私は兄様もこんな正確だったのかしらと更に首を傾げるしかなかった。
そう、私はとにかく気持ちの整理をしたかった。