退魔鑑ナルカミ 零
1.
それは、年の瀬も迫った寒い日の、日暮れのことだった。
おりしも寒気が北から入りこみ、首都東京の周辺でも雪が降りつづけている。それは大都会の街並みを白く染め抜き、肩をすぼめて家路を急ぐ人々の足を絡め取る。歩行者天国から空へ伸びる高層ビルに組み込まれた巨大なディスプレイでは、ニュースキャスターが十数年ぶりの大雪とまくし立てていた。
その中で、雪を拒むことなく空を見上げる少女の姿があった。まだ少し、あどけなさの残る顔はしかし、女としての美しさも兼ね備えており、子供と大人の雰囲気が混ざり合う、独特の艶をかもし出している。
だが彼女は、どこへ向かうということもなく、ただ雪が降りしきる空を眺めるだけ。時折、思い出したかのように一歩、二歩と小さく足を出すが、決して歩き出すということはない。荷物も持たず、手ぶらでぼんやりしているその姿は、途方に暮れるという言葉が相応しかった。
そして、そんな彼女に声をかけるものはいない。人に対する関心が希薄なこの街にあって、彼女のような存在は、むしろ関わりたくないと思われているのかもしれない。
事実、人の波は彼女を避けるように動きつづけている。行き交う人だけではない。周辺に軒を連ねる店にも、彼女を受け入れようとする動きは見られなかった。彼女は一人、この都会の中で孤立していた。
と。
透き通った冬の空気を切り裂いて、彼方からサイレンの音が響いてきた。そして、それはやがてタイヤの音を伴って、一気にこの界隈へ近づいてくる。
当初はどよめきの一つも上がらなかった人ごみにも、これにはさすがに動揺が広がり始める。そしてそれは、数台のパトカーと、それに追跡される黒塗りのセダンが見えた瞬間、頂点に達した。
だが、動揺の中にあっても人々はある種の冷静さを保っていた。高速でパトカーから逃走するセダンを避ける形で、一斉に道から引き上げたのである。それは迅速で、真上から見れば、さながら聖書の一節の再現だった。
しかしそんな中、一人だけその動きに同調しないものがいた。それは周りの様子など目に入っていないのか、ただ空だけを眺めている。あの少女だ。
その存在を、爆走するセダンが発見したときには既に遅かった。とても回避が間に合う距離ではなく、当然ブレーキが間に合うはずもない。あせりと共に切られたであろうハンドルではその速度を制御できず、しかしかろうじて少女のすぐわきをかすめると、黒塗りのセダンは激しくスピンをしながら路上をのた打ち回った。
タイヤがアスファルトをこする耳障りな音が周囲には響き渡り、同時にゴムが焦げる不快な匂いがたちこめる。やがてそれらを存分に撒き散らすと、ようやくセダンは動きを止めた。
だが少女は、生死に関わる事態に出くわしたのにも関わらず、そんなことはなかったとでも言いたげな様子のまま、今しがた大立ち回りを演じて見せたセダンのほうへ、のろのろと目を向けた。
すると、それを見計らったようなタイミングで、そこから二人の男――これまた全身黒尽くめだ――が飛び出してきた。そのまま、バラクラバで隠れた顔から鋭い眼光を少女に向けて怒鳴る。
「このガキ……! 何のつもりだコラア!」
「そこまでだ!」
「もう逃げられないぞ!」
しかし直後、セダンを囲む形でパトカーが追いついてきた。勢いよく開け放たれたドアからは何人もの警官が現れ、二人組を取り囲んで銃を向ける。
「……! ちィッ!」
追い詰められた。野次馬と化した人々の、誰もがそう思っただろう。
だが二人組のうち、細身の男は、警官たちの行動に対して、とっさに近場にいた少女を引き寄せると、そのこめかみに黒光りする銃口をつきつけた。
「動くな! 動いたら、こいつの命はないと思え!」
「…………!」
その瞬間、警官たちに緊張が走る。人質ができたことにより、全員が構えていた銃を下ろす。
「いいか、動くなよ! 絶対にだ……オイ!」
「おう!」
少女を盾にする男に言われ、もう片方――小太りの男がトランクからアタッシュケースを取り出した。その口からはわずかに札が数枚、顔を覗かせており、遠巻きに眺める野次馬たちでも、目のいいものなら、その中身が恐らくは札束であろうと、予想がつくだろう。
そしてそれと同時に、そういう人々は理解できたはずだ。男たちが、銀行かどこかを襲撃し、金を奪ってきたのだろう、ということを。
「おら道を開けろ。……開けろっつってんだよ! じゃないとこいつの頭をふっ飛ばすぞ!?」
「う……!」
決して順調ではない状態に、細身の男のほうは苛立ちを隠さない。銃を握る手にも力が入っているようで、わなわなと振るえている。いつ何時、その引き金が引かれるかわからない。そんな予断を許さない事態に、警官たちはじりじりと後退する。
だが一方で、人質にされているはずの少女は特に泣いたり叫んだりすることもなく、ただぼんやりと目の前に視線を投げつづけている。その焦点はどこかずれており、まるで自分は無関係だとでいった様子だ。
そして特に、人質にされていることを拒む様子も見られない。ただされるがまま、男たちにひきずられていく。
沈黙が辺りを満たしていた。誰もが固唾を飲んで見守っている。雪が、降りしきる。
男たちはなおも人質の少女をちらつかせながら、一台のパトカーへと近づいていく。やや距離を取っていた警官が彼らの意図に気づいたようだが、銃をつきつけた少女を盾にされては、近づくわけにもいかない。
「……へへ、あばよ!」
「あばよ!」
そして、男たちはまんまとパトカーを奪取すると、そのまま人ごみに向かってアクセルをふかす。
高鳴るエンジン音と、動き始めたパトカーを前にして、人ごみが一斉に動き始めた。先ほどと同じく、すべての人が右と左へ分かれて道を作っていく。
それを見るや、二人組の乗ったパトカーは一気に加速する。もはや正義を象徴する車でなくなったそれは、爆音を響かせてそこを立ち去っていく。警官たちが、悔しそうに地団太を踏んだ。
彼らを尻目に、運転席と助手席に陣取った二人の男は、勝ち誇った顔で何かを叫ぶ。後部座席には、人形のように、何の反応も示さない少女が一人。
だが、彼らのその余裕は、長くは続かなかった。
人ごみの最後列、まだ道を開ききっていなかったそこから、いきなり何かが飛び出てきた。そしてそのまま、フロントガラスを覆い尽くす。
それは、飾り気のない黒いコートだった。目立ったデザインはなく、ただ唯一、胸元にあてがわれたエンブレムだけが存在感を放っている。
突然の出来事に、ハンドルを握っていた細身の男は思わずハンドルを切った。ハンドルを切られた車は当然、その操作に従って向きを変える。
だが、しかるべき場所以外でその操作がなされれば、衝突や横転を起こすのは必然である。彼らが乗るパトカーもご多分に漏れず、ガードレールへと突っ込み、周囲に金属がひしゃげる音を披露することとなった。
「だっ……、つ、くっそ、いってえ……!」
「な、なんだちくしょう!?」
せっかく手に入れたばかりの逃走手段を早くも失い、また、それほど速度は出ていなかったとはいえぶつかった衝撃が効いたのか、男たちはややふらついた足取りで、なんとかパトカーからまろび出てきた。
その、瞬間だった。事態の把握に気を取られていた男たちの目を盗んで、小さな人影がパトカーの後部座席を開けた。そして、突然の事故を受けてようやく我に返ったのか、状況を飲み込めずきょろきょろしていた少女を引っ張り出したのだ。そのまま少女の手を引いて、この場から逃げようとする。
少女の手を引いた人影。それは、その少女と同じくらいの背格好の、少女だった。この季節にあってもなお日焼けのあとがわずかに残る彼女の顔は決意の表情で満ちており勇ましく、助けられた側の少女とは違い、決して見目麗しいわけではないものの、中性的な魅力があった。
人質を助け出す勇敢な少女を目撃して、周囲からどよめきと共に歓声が上がる。彼女は、セーラー服を翻して一気に人ごみの中に紛れ込もうとした。
「……あああ、待てコラァ!」
だが野次馬の声に、小太りの男が声を張り上げる。せっかく手に入れた人質を、逃すわけには行かないということなのだろう。
それにやや遅れて事態に気づいた細身の男が、逃げる人質に向けて銃を向けた。ざわめきが一層大きくなる。
混迷する事態に無意識で人差し指が引いたのか。それとも、もはや逃げられないと思って自暴自棄になったのか。あるいは、野次馬の声に後押しされでもしたのか。それは、周りを取り囲む人間にはわかるはずもない。わかる必要も、なかった。
ただ一つ確かなことは、その銃が、ある種の期待を裏切ることなく、加えられた力に忠実にしたがって、鉛玉を発射したということである。
そしてそれは、細身の男が銃を向けたことに気づき、人質だった少女の盾になろうと腕を広げて振り返ったセーラー服の、右肩に吸い込まれた。
降りしきる白の中に、小さく赤い花が咲いた。
周囲から、悲鳴が上がる。混乱が、一気に伝播していく。
一方の男二人組のほうも、飛び散った血潮に動転したのか、積もる雪に足を滑らせながら、大慌てでその場から立ち去ろうとする。もはや、人質を取ろうとか、身を隠そうとかいう、理性的なことを考える余裕はなさそうだ。
そしてそれは、彼らに追いついてきた警官たちにより、極まる。だが既に人質はなく、囲まれて銃を向けられたとあっては、観念するしかない。やがて二人の男は、その場に力なく座り込んだ。
――歓声と拍手が、二人の少女を包んでいた。それはもちろん、助けられた少女に向けられたものではない。命がけで人質を助けた、少女に向けられたものである。
その熱気の中で、ようやくあの少女の瞳に光らしい光が戻った。彼女は、警官たちに介抱される少女に目を向ける。その色は、困惑。
「……おう、だいじょぶか? ……あ、っててて、ちょ、お巡りさんそこ痛い!」
痛みをこらえながらも笑う彼女に向けて、少女はついに、言葉を発した。
「……貴女という、人は」
その声は、震えていた。
「ん?」
「馬鹿ですわね!」
それは、罵声であった。
月神ミナ、当時十五歳。これが後に、彼女が親友と呼ぶ人との、最初の出会いだった。
2.
数日後。彼女、月神ミナは執事を伴って、自らの家名を与えられた月神記念病院を訪ねていた。後ろに従える執事は手に花束と果物の詰め合わせを持っており、誰がどう見ても、見舞いに来たのだということがわかる。
その目は、あの日と違いしっかりと前に向けられており、廊下を進む足取りは決して重くない。儚げな雰囲気があったあの日とは異なり、今の彼女はその家名に違わぬ、毅然とした令嬢の姿をしていた。
「……っ」
そんな彼女の瞳が、物憂げに半分ほど、閉じられた。その先には、カメラやマイクをこれでもかと携えたマスメディアの団体。何人かごとにまとまり、そのまとまりがそれぞれ別の腕章をつけていることから、かなり多くの報道陣が来ていることが見て取れる。
ミナがそれに対してため息をつくのと、報道陣が彼女に気づくのは、ほぼ同時だった。
「あ、来た! 月神ミナさん、インタビューを!」
「ミナさん、返事を!」
「せめてこちらを向いて頂けませんか!?」
そしてミナは、あっという間に報道陣に囲まれてしまった。
当然と言えば、当然である。雪の都内で起きた突然の事件。彼女はその被害者なのだ。しかも、彼女はただの人間ではない。
月神といえば、日本だけでなく世界中にその名を知られる世界有数の大企業の総元締めである。巨大な財力を背景に世界各地でさまざまな事業を展開しており、各界にも非常に顔が利く。代々の方針として、政治にはほとんど関わらず、あくまで経済の発展にのみ力を注ぎつづけてきたことから、財界の神とまで呼ばれているほどだ。
ミナは、その月神宗家、唯一の女子である。最先端の英才教育を受けて育った彼女は、既に世間的にも認知された存在であり、優秀な兄たちに劣らぬ才覚を発揮している。その美貌と若さから、現在の月神家の人間の中でも、特にマスコミの注目を集めている一人だ。
「まさか犯人たちも、人質にしたのが月神の令嬢だとは思わなかったと供述しているそうですが、それについては何か思うところは!?」
「ミナさん、今回の事件で経済界にどのような影響が出ると思われますか!?」
「…………」
だが、彼女はどれだけマスコミにマイクを向けられようと、答えようとはしない。すべての質問を無視したまま、彼らをかきわけて前へ前へと突き進む。
とはいえ、これはいつものことだ。ミナのマスコミ嫌いは報道陣も承知しているので、この程度のことで引き下がる彼らではない。
「ミナさん、事件当日はなぜあの場所に!?」
「ミナさん!」
「SPを振り切ってまで一人でいたことに、何か理由が!?」
次々と浴びせられる質問と、カメラの強烈なフラッシュ。加熱する報道陣に、ついにミナが足を止めて振り返ることになる。長く美しい黒髪が翻り、鋭い眼光が報道陣へ突き刺さる。
「……いい加減になさってくださいまし」
ついに口を開いたミナに、機を得たりと報道陣が一様にマイクをつきつける。
「貴方がたは、ここをどこだと思っていらっしゃいますの?」
そのマイクに、ミナの言葉が静かに刺さる。声を張り上げているわけではない。にもかかわらず高く響き渡るその声は、まさしく彼女こそ、人の上に立つものだと思わせるだけの強い威厳に満ちたものだった。
朗々と廊下に響くその声に、報道陣が思わず沈黙する。
「礼儀をわきまえていらっしゃらない方々にお話することは、ありませんわ。どうぞお引取りを」
それだけを告げると、ミナは深々と一礼しきびすを返した。そのまま、再び執事を伴って廊下を歩いていく。
月神から下ったその宣告は、重い。月神家は別段、言論の封殺や金で楔を打つといった強硬手段は取らない。それにより得られるものより、失うもののほうが多いと知っているからだ。
だがその分、万が一月神の逆鱗に触れた場合どうなるか、誰にも想像がつかない。だから大抵の人間は、明確に言葉で拒否されると、自発的に引き下がる。
今回もそうだった。廊下を進むミナに追いすがる報道陣は、ただの一人もいない。この先は、踏み込んではならない神々の聖域なのだ。
なんとか報道陣を振り切ったミナは、やがて一つの病室にたどり着く。そこは個室で、壁にかけられたプレートには、「成神アキラ様」と記されていた。
彼女がノックをすれば、中から入室を促す気だるそうな声が返ってきた。部屋の主の意を得て、彼女はその部屋に足を踏み入れる。
「おっ、誰かと思えばお前かー」
彼女を迎え入れた部屋の主は、あの日、銃を持った男にひるむことなく挑みかかった、あの少女だった。だがあの日、肩に銃弾を受けた右からから右腕にかけては、包帯で包まれている。若干赤がにじんでおり、その傷の深さが伺えた。
この少女こそ、プレートに名前を記されていた成神アキラ、その人だ。
「わざわざ見舞いに来てくれたのか? ありがとなー」
しかしミナは、怪我に反して屈託のない笑みを見せるアキラに、思わずため息をついて見せた。
「……とても、銃で撃たれた人間には見えませんわね」
そしてため息と共に、感想をそのまま口にする。
「そう言うなよ、別に死にかかったわけじゃねーんだからよ」
「どれだけポジティブなんですの、貴女は……」
再度ため息をつきながら、ミナは執事から花束と篭を受け取る。
「それを言うなって。つか、あたしに言わせりゃお前だってあん時と同じ人間にゃ見えねーぞ? 車ぶっ飛ぶまでずっとぼーっとしてよ。こんなにしゃべるやつだなんて思わなかったぜ」
「……貴女は大体、見た目通りの方ですわね」
「うわ、きっついこと言うなあ」
「まあ」
肩をすくめて見せるアキラの傍らで、ミナは手際よく花束を空の花瓶に生けていた。
「命に別状がないようで、何よりでしたわ。あの時は、ありがとうございました」
そして彼女はアキラに面と向かうと、深々と頭を下げる。
「え、ちょ、おいおい、そんな頭下げられても困るっつーの。別にいいだろ、お互い無事だったんだからよ」
その行為に、アキラは慌てて無事な左手を振る。
「大体、月神様のお嬢様が、あたしみたいな一般人にそんな頭下げるなんてとんでもねー話じゃねーかよ」
「あら、命の恩人に頭を下げるくらいの礼儀はわきまえているつもりでしたけど」
「それを言われちゃ、あたしはもう何も言えねーけどよ……」
「私の勝手で事件を大きくしただけでなく、貴女に無用の怪我をさせてしまったのですから、これくらいはしなければ気が済みませんわ」
「……そゆもんかな……」
ふうん、と小首をかしげるアキラに対して、ミナはそういうものです、と頷いて見せる。
「……成神さん……でしたよね」
「ん? おう。アキラでいーぜ」
「……ではアキラさん。一つ伺いたいのですが、よろしいですか?」
「お、なんだ? あたしが答えられる範囲で頼むぜ」
質問を投げかけたミナに、アキラは笑顔で身を乗り出す。よほど退屈していたのだろう。
「なぜ、私を助けようと思いましたの?」
「……おっと」
しかしその質問は予想していなかったようだ。目を丸くしたアキラは、少しだけ上半身をのけぞらせて天井を仰ぎ見る。
「そんなこと聞かれるなんて、思ってなかったぜ……」
しばらく彼女はあー、とか、んー、とか、意味のない言葉を発して間を稼ぐ。彼女なりに考えはあるのだろうが、それが上手くまとまっていない様子だ。
「……誰かを助けるのに理由はいらない、とか、そういう物語でありがちは答えは望んでおりませんわ。明確な答えをお願いいたします」
「げ」
しびれを切らして言ったミナに、アキラは目をむいて言葉を失った。どうやら、言われたようなことを言おうと思っていたらしい。
「……それ封印されたらどうしようもねーじゃん……」
「言おうと思っていましたのね。あいにく、私はそんな奇麗ごとを信じるつもりなんてありませんので」
アキラに向けられたミナの眼光は鋭い。嘘は許さない、そう言っているようでもある。
「奇麗ごとなあ……。ん……じゃあ、お前助けたら金くれると思った。これでいーかよ?」
対して、アキラはその視線を真正面から受け止めると、首をかしげながら言い放つ。
その言葉に、一瞬目を見開いたミナだったが、しばらくアキラの目を凝視すると、目を閉じて首を振った。
「嘘ですわね」
「……なんでよ」
「なんでも何も、昨日の報道で答えていたじゃありませんか。私の正体は、あとで初めて知った、と。それに今、目、すごく泳いでますわよ。そこまで嘘が下手なくせに、目をそらさなかったところは誉めて差し上げますけど」
「うっへえ……さすが月神様のお嬢様だな……」
ずばり指摘されて、アキラはベッドに背中から倒れこむ。
「へいへい、降参。おっしゃるとーり、嘘でござい」
「不思議でなりませんのよ。貴女があんな行動に出た理由が、どうしてもわからない。それとも本当に、何の見返りも求めず、無謀な正義感だけで行動したんですの?」
「大体はな」
ミナの質問に、今度はアキラは即答した。それから、横たわったまま、ミナに視線を向ける。泳いで、いなかった。
「黙って見てらんなかった。助けなきゃって思った。で、自分なら助けられるって思った。だから、助けた。ダメかよ?」
「…………」
その言葉に、おちゃらけた雰囲気はなかった。あまりにも自分の価値観ではありえない言葉に、ミナは二の句を継げず口を閉ざす。
「お前の言ってることもわかるけどな。銃持ってるやつに丸腰って、頭おかしいって思うもん。セガールでもなかなかやらねーよ、んなこと」
「あ……貴女という人は……。本当に馬鹿ですのね……」
「悪かったな。まあ……ホントのところは、んー……」
「……?」
不意に歯切れが悪くなったアキラの口調に、ミナは首をかしげた。
しばらくそれが続いたが、やがて彼女は、アキラの視線がたびたび後ろにひかえる執事に向けられていることに気づく。そして、察する。
「松田、すいませんけれど、何か飲み物を買ってきていただけませんか?」
「え? あ、はい、かしこまりました。いつも通り、微糖コーヒーでよろしいですか?」
「ええ。アキラさんは、何か飲まれますか?」
「んあ? あ、あー……っと……そうだなあ……じゃあ、そうだな、おしるこ」
「わかりました。では行ってまいります」
二人の要望を聞き届けると、執事はいそいそと部屋を後にした。
彼が部屋から出たことを見届けると、ミナはアキラの注文に一言もの申したい気持ちを抑えながら、振り返る。
「これでよろしくて?」
「え?」
「彼がいては、話しづらいことがあったのでしょう?」
「……お前、よく気づくなそんなこと……」
「それほどでも。それで?」
「ん」
促されるままに、アキラは身体を起こす。それから改めてミナに向き直ると、口を開いた。
「笑うなよ?」
「はあ? ……まあ内容によりますわね。確約はできませんわ」
「……じゃあ、なるべく笑うなよ」
「善処いたしますわ」
なぜか笑うなと念を押すアキラに、ミナは頷いて続きを促す。そこまで念を押すということは、本当に笑ってしまうようなことを言うのだろうと、心の準備を整えながら。
「実はよ。お前……憑かれてたんだ。天狗に」
「……はい?」
「相方の話だと、天狗の中でも波旬ってやつらしいんだけど……亡くした身体を取り戻すために、生きてる人間をかどわかしたりすんだってさ」
「…………」
まったく予想だにしなかったアキラの回答に、ミナは唖然としてしまった。その荒唐無稽な言葉をなんとか理解しようと何度も脳裏で反芻させて、それでも言われていることがさっぱりわからなくて、言葉も出ない。
「で……えっとなんだっけ? ……そうそう、んで、落ち込んでたりする人間なんかがよくターゲットにされるんだとさ。そういう人間を妖術で操って、少しずつ身体を乗っ取ったり、殺して魂を食らったりするんだって」
ミナが何も言わないのをいいことに、アキラの、なんだかよくわからない話は続く。遂には術なる単語が出てきて、さらに輪をかけてとんでもない内容になってきた。
なんとか自分を取り戻したミナは、そこでようやく、まったく理解の及ばない領域に達してしまった話を遮る。
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし」
「ん?」
「何がなんだか、まったくわかりませんわ。天狗? 天狗って、あの妖怪の天狗ですの?」
「他になんかあったっけ?」
「…………」
ミナとしては、そんなはずはないだろうと思いながらの問いだった。だがその思いに反して、アキラの回答はシンプルでストレートだった。
「アキラさん……貴女、それを本気でおっしゃっているのでしたら、大したものですわ……。いっそのこと、ストーリーテラーになってみてはいかがです?」
「……そうだよなあ、信じてもらえるわけねーよな……」
そう言うと、アキラは少しさみしそうに首を振った。それからゆっくり仰向けになる。
「だとは思ってたよ。だからいいんだ。笑われなかっただけ、ましだもんな」
「…………」
その態度にミナは、アキラが本当に、大まじめに天狗を語っていたのだと悟った。しかしそれがわかったところで、アキラの話をあっさりと信じるようとは思わない。
天狗など、というより妖怪など、科学技術が発達していなかったころの迷信、俗信の具象化であり、そんなものは存在していない。ミナはそう思っている。
いや、ミナだけではないだろう。おおよそ現代に生きる人間の大半は、そう思っているはずだ。
「……けど、今度はあたしから聞くけどさ」
「え? あ、はい、なんでしょう」
「お前がこないだあそこにいたの、自分でもなんでかわかんないんじゃねーか? その前に凹むようなことがあって、なんか気づいたらふらふらっと街に出てて、そんで巻き込まれてたんじゃね?」
「……!?」
ミナは息を呑んだ。もちろんわけのわからないことを言われたからではなく、アキラの指摘が、まさにその通りだったからだ。
アキラの言うとおり、あの日はミナの気持ちを大きく落ち込ませることがあった。思わず家を飛び出して、そして、そこからの記憶が、はっきりしない。その辺りの記憶にうすぼんやりともやがかかり、あいまいなままなのだ。
報道陣のインタビューに答えないのも、マスコミ嫌いということだけではない。自分でも、一体己の身に何が起きたのか、正確に把握できていないからでもある。
顔だけをミナに向けるアキラの瞳は少しも揺らいでおらず、その言葉が決してあてずっぽうではないのだろうと、ミナには推測された。彼女を射抜く瞳が、一瞬燃え上がる火炎のように赤く輝いた気がした。
「…………」
「あは、当たりっぽいな」
硬直するミナを見て、アキラがいたずらっぽくにん、と笑った。それからもう一度身体を起こすと、無事な左手でミナの肩をたたく。
「神様の助言だよ。天狗のこととあわせてね」
「か、神様なんて……」
この世に存在しない。そんなものは、人間が生み出し、代々色を重ねてきただけの偶像にすぎない。
だがその言葉を、月神としての考えを、ミナは口にできなかった。常日頃そう思っているはずなのに、神仏の存在なんて、気にしたこともなかったのに。
「いるぜ。今だって、あたしの隣にいるんだけどな。……まあ、見えないよな」
「え、ええ……まあ……」
「……あたしさ。妖怪が見えるんだよね。ネタじゃなくってガチで。信じてもらえなくってもいいけどさ」
「…………」
「他の人にはなんでか見えないんだよね。だからあたし、妖怪がなんか悪さしてたら、なるたけとめてやろうって思ってんだ。見えるやつにしかできねーことだかんな。だから、あん時お前を助けた。それが、一番の理由だよ」
「…………」
「ごめんな、マンガとかゲームみてーなこと言ってさ。バカのするくだらない話って思ってくれりゃいいさ」
そうしてアキラは笑うと、もう一度ミナの肩をたたいた。
だがミナには、その笑顔がなんとなくむなしく見えた。わかる気も、した。自分が真剣に語ったことを、信じてくれない、取り合ってくれないというのはとても切なくて、だからこそあの日、ミナは――。
「お待たせいたしました、お嬢様」
出し抜けに扉が開き、執事が部屋に戻ってきた。左右の手には、注文通りの品がそれぞれ握られている。
「お、遅かったわね」
「申しわけありません、おしるこがなかなか見当たらなくて」
「……げ、そいつぁわりーことしちまったな。すいません、ヘンなの頼んじゃって」
「いえ、お気になさらず。……あ、右手使えませんよね。開けましょうか?」
「あ、お願いできます?」
執事から缶コーヒーを受け取りながら、ミナは二人のやりとりをただぼんやりと眺めていた。
おしるこを、心底美味しそうに飲むアキラの顔は邪気がなく、子供がそのまま大きくなったように見えた。いや、世間的には中学三年生というのは子供なのだが、その年齢は同時に、自分を子供だと見とめたくない年齢でもあるのだ。
「お嬢様、そろそろ参りましょう。少なくとも三時にはここを出ないと間に合いませんよ。自衛隊(株)の社長は、確か時間に細かい方でしたよね」
「……そうでしたわね」
腕時計にふと目を落とせば、なるほど確かに、そろそろ出発しないと間に合わない。缶コーヒーを開けずにそのままポケットにねじ込むと、ミナは静かに立ち上がった。
「なんだ、用事か?」
「ええ、仕事ですわ。私は月神グループの取締役の一人であり、グループの科学技術部門の統括でもありますから」
「マジかよ。よくわかんねーけど、大変そうだな……」
「そこそこに。……では、私はこれで。大事になさってくださいね」
「おう、今日はありがとな! 気ーつけて行ってこいよ!」
「……ありがとうございます」
最後に一礼をして、ミナはアキラの病室を後にした。
しばらくしてふと、後ろを振り返れば、部屋から出てきたアキラが手を振っていた。どうやら、静かに病室にいるのが心底性に合わないらしい。
苦笑をこらえながらも再度アキラにお辞儀をして、今度こそ、振り返ることなく元来た道を進んでいく。
途中で、アキラの言葉がふと脳裏をよぎった。
――天狗に憑かれていた。
まさか。
その言葉を心の中で振り払うと、ミナは歩みを速める。それに呼応するかのように、流れる雲が不気味なほどに早く、動いていた。
3.
それから年末年始は、あっという間に過ぎていった。街を真っ白に染め抜いた雪の姿は、もはや日陰にちらほらと見える程度で、あれだけ降ったことが嘘のようだ。
世間的には中学三年生とはいえこの時期は冬休みである。多少なりとも連休を楽しむものだろうが、ミナは違う。月神グループの取締役として、年末はぎりぎりまで仕事をこなし、年始もほぼ休むことなく海外と日本を行き来していた。
世の中学生が三学期を迎えても、その生活は変わらない。ミナは、いわゆる普通の生活とは切り離された環境に生きている。
一月も半ばに差しかかったある日、彼女の元に一報が入った。月神記念病院に入院していた、成神アキラが退院するという知らせだ。
スケジュールは詰まっていたが、彼女は多少仕事を削っても退院するアキラの元に顔を出すことにした。仮にも命を助けられた恩人である。快気祝もなしというのは彼女のプライドが許さなかった。
アキラが退院するという日。ミナはなじみの執事を伴い、月神記念病院を訪れた。
「あら、あれは……」
執事が運転するリムジンの座席から病院の入口を見れば、見たことのある顔がそこにあった。
「松田、悪いけれど入口前につけてくださいます?」
「わかりました」
ミナの命令どおりにリムジンは走り、正確に入口の前で停車する。
「お久しぶりですね、アキラさん」
「……おー!? なんだよ、誰かと思えばお前か。いきなりでかいのが来たから何かと思ったじゃねーか」
「驚かせてしまったようで、すいません」
執事が恭しく開けたドアから降り立ち、ミナはアキラと肩を並べる。こうして並んで立つと、二人の背格好は同じくらいだった。
それと同じくして、ミナはアキラの傍らに付き添っていた女性を目に留める。アキラとどことなく似た顔立ちの女性は、深く考えるまでもなく、彼女の母親だろう。
「お母様ですね。先日は、アキラさんにはお世話になりました」
そう思うや否や、ミナはそちらに向かって頭を下げる。
「えっ、いえっ、気になさらなくていいんですよ、そんな」
「うふふ、ほとんど同じ反応をされるんですね」
「……あやややや……」
ぱたぱたと両手を振りながら、ほんの少しだけあとずさった母親の反応は、確かに娘のアキラと似ている。それを見ながら、当のアキラはくすりと笑った。
「それにしても……」
一通り、挨拶を済ませたミナはアキラに振り返る。
「……貴女、本当に人間ですの? 報道は確か、全治二ヶ月と伝えていたと思いますけど」
そう言いながら、彼女はアキラの右腕に視線を注いだ。
そこには、先日見舞ったときのような痛々しい包帯の姿は一切なかった。それどころか、患部であるはずの肩にも、治療をうかがわせるような痕跡はない。
「あはははは、我ながらそう思うぜ。まさか二週間ちょいで完治するたぁなー」
そう言って笑うと、アキラは右腕を回して見せた。痛がるそぶりもなく、その行為に支障はまるで見受けられない。
「そう、完治しちゃったんですよ。お医者さんもそれにわたしもびっくりで」
誰よりも信じられないといった風なのは、やはり母親だった。当の本人はというと、ラッキーとでも言わんばかりの、満面の笑みだが。
「……まあ、無事に治ったのならそれは喜ぶべきなんでしょうけどね」
「確かにそうですわね……」
「おいおい、二人ともおかしなもん見るような目で見ないでくれよ」
頭をつきあわせて、ひそひそと言葉を交わす二人に、アキラが口を尖らせる。その仕草がどこかおかしくて、ミナは思わずくすりと笑った。
「とりあえず……ちょうど退院にめぐり合えたのです、よろしかったらお送りしましょうか?」
「えっ!? いえいえいえいえ、と、とんでもないです。月神のお嬢さんにそんなことさせるなんて……」
「マジで!? いいのか!?」
「いいんですよ、これくらいさせてくださいな」
「ちょ、ちょっとアキラ……!」
「いいじゃねーか、乗せてくれるってんだし。それに、リムジンなんてもうきっと乗れねーよ?」
「り、リムジンかあ……」
アキラの言葉に、母親はそわそわとミナの後ろに目を向ける。月神家の家紋が描かれた、黒いリムジン。
その視線を追いかけながら、ミナは確かに、と思っていた。それから、大丈夫ですよ、というつもりで微笑む。
「じゃ、じゃあ……お願いしようかしら……?」
「決まり!」
「わかりましたわ。……松田」
「はい」
ミナの言葉を受けて、執事はドアの一つを静かに開ける。中には、リビングの調度品にも劣らない、見事な装丁の座席があった。
「お邪魔しまーす」
「おおお、すげえなこれ……これがりむじんってやつか……!」
ミナが二人に続くと、執事がまた静かに扉を閉める。そうして、三人を乗せたリムジンはやはり、静かに走り始めた。
公道に出ると同時に、ミナは二人の住所を聞き出して、執事に伝える。それはさほど遠い場所ではなく、思っていたより時間はかからないだろう。
しばらく成神親子は、窓から見える街の景色を楽しんでいた。別に他の車、たとえばタクシーやバスから見る光景と何ら変わらないとミナには思えたが、普段乗ることのないものから見ると、違って見えるのかもしれない。
親子の邪魔になるかもしれないし、と思い、彼女は特に口を挟むことはしなかった。
「すげーなあ……毎日こんなんに乗ってんのか?」
「そうですわね……必ずしも毎日というわけではありませんが、必要に応じて」
「使い分けてるってかー。はー、何台車あるんだよ……」
「十台くらいかしら。細かくは把握しておりませんわ」
「格が違いすぎるわね……」
「んだな……」
ほう、と感動にも似たため息をもらす親子を見ながら、なんとなくミナは、住む世界が違うのだな、と思った。
別に、自分の財力に対して、彼女たちが著しく劣っているのだと見下しているわけではない。ただ純粋に、育った環境や、そこで身につけた常識、習慣が決定的に違うのだなと、思っただけだ。
やがてこの車が二人を送り届ければ、もはやミナと彼女たちの縁は切れる。既に社会人として働き、外国にも行くミナと、普通の中学生として、これからも学校で勉学に勤めていくであろうアキラが出会うことは、ないといってもいい。
一期一会と秀句はいう。だが、実ることのない繋がりももちろんある。そう考えると、どこかもの寂しさを感じるミナだった。
「……! 失礼」
不意に、ミナの持つ携帯電話が震えた。その長さから電話だと判断した彼女は、親子から少し距離を取って、懐から携帯電話を取り出す。最先端を行くスマートフォンだ。
そのディスプレイに表示されている名前を見て、彼女は一瞬動きを止めた。やや逡巡した後、ようやく彼女は画面を指でたたき、電話に出る。
「……はい」
「ミナか。今、何をしている?」
受話器から聞こえてきた壮年の男の声は、ミナにとってよく聞き慣れたものだった。
そして同時にそれは、今一番聞きたくない声でもあった。よりにもよって、こんな時にかけてこなくてもいいだろうにと思いながら、彼女は内心舌打ちする。
「……お見舞いに」
「見舞いだと?」
焦らすようにゆっくりと口を開いたミナに対し、声の主は間髪入れずに二つ目の問いを口にした。
「先日助けていただいた方が退院なされるということで、顔を出しに」
「そうか。……行くからには、調整はつけてあるんだろうな」
続く追求に、ミナは眉をひそめる。ガラスにかすかに映りこんだその美貌が、不快感に歪んでいる。
「言われるまでもありませんわ。当然のことでしょう」
「複数の会談が入っていたとはずだが、それはどうなった?」
「……お父様、言われるまでもないと申したではありませんか。そうした点もすべて含めて、調整はしてあります」
顔だけでなく、声にも聞いてわかるほどの不機嫌を込めながら、ミナは言う。その声に、成神親子が何事かと、ミナの後姿に目を向けた。
そう、電話の相手はミナの父親だった。月神グループの総帥であり、月神宗家の現当主であり、かつ経済界の頂点に君臨する男その人である。
だがその存在を父と呼ぶことは、ミナにとってこの上ない違和感があった。
腕は確かであり、何をしても完璧にやってのける様は、なるほど神という表現もあながち間違いではない。だが生まれてこの方、ミナは父親と直接顔を合わせたことがない。彼女を育てたのは長年月神家に仕えてきた執事とメイドたちであり、その間も、父親はひたすらどこかで仕事を続けていた。
顔だけなら、テレビ電話で何度も見ているし、声もことあるごとにかかってくる電話の指示で聞いている。だがそれはどうしてもバーチャルな経験でしかなく、ミナにとって彼は父というよりも、上司と言われたほうがしっくりくるのだった。
「……ならいい。それよりミナ……未来技研の件はどうなっている?」
相変わらず仕事の話しかない。それも、順調に行っていない案件ばかり話題に上げてくる。ため息を挟むと、ミナは重々しく口を開いた。
「……なんとか進んでいます。今夜の会食で話をしますので恐らくはそこで合意できるかと」
「そうか。ではその場で先方に伝えてくれ。協定金は十五億だ」
「……っ!?」
父の言葉に、ミナは言葉を失う。
まただ。また、勝手に話が進んでしまう。
「お待ち下さいお父様、十五億!? どういう理屈でそんなに増えますの!?」
思わずミナは、声を荒らげていた。
「当初は三億あれば十分と仰っていたではありませんか! 大体、技研の技術は兵器の側面が強すぎるではありませんか、世論だけでなく、諸外国が黙っていませんわよ!?」
そこまで言って、ミナは息をつく。わずかな沈黙の後に受話器から聞こえてきたのは、彼女の言葉をまるで無視したものだった。
「用意しろ。できないとは言わせない」
「お父様……っ! できないとは言いませんわ、言いませんけれど、あの技術への投資は会社としてのリスクに加えて、月神グループそのものへの信頼にも……、お、お父様? お父様!?」
しゃべっている最中に、乱雑な音を最後に受話器が声を届けなくなった。当然、こちらからの声が届くはずもない。
会話を遮断された電話をしばらく見つめていたミナだったが、やがてそれを持つ手を力なく下げた。
「……っ!」
やがて湧きあがってきた怒りに任せるまま、彼女は手にした携帯電話を大きく振りかぶる。
だが、それを床にたたきつけることはかなわなかった。後ろから伸びてきた手が、彼女の手首をつかんで押しとどめたのだ。
「…………」
振り返れば、アキラが身を乗り出して、ミナの手首をつかんでいた。
「……やめときなよ。壊れちまうぞ」
「…………」
アキラの声を聞いて、ミナは少しだけ怒りが静まるのを感じた。だが、完全に落ち着いたわけではなく、彼女はアキラの手を静かにほどくと、うっそりとした瞳をのろりと外へ向ける。
「……お恥ずかしいところを、お見せしましたわ……」
「……んにゃ、別に」
その様子を心配そうにアキラが見つめるが、彼女から顔をそらしたままのミナにはそれが見えない。アキラのほうも、ミナが何も言わないので、それから追求することなく押し黙った。
だから、ミナには見えなかった。口を閉じたアキラが一瞬、何もいないはずの場所に目配せしたことを。そして、静かに頷いたことも。
それから、重苦しい空気のままリムジンは、やがてミナが聞き出した、アキラたちの住所の元へたどり着く。
首都圏からはやや離れた場所に位置する住宅街。近年になって造成された真新しいマンションが立ち並ぶそのほぼ中央、居並ぶマンションに囲まれる形で造られてた公園に、リムジンは止まった。
「今日はありがとうございました。なんてお礼を言えばいいか」
降りた場所で振り返りながら、成神母が会釈する。
「……いえ、お気になさらず」
「あんがとなー!」
「いえいえ」
笑って見せるアキラの前で、ミナも微笑む。しかしその表情は固く、先ほどの一件を引きずっているだろうということは端から見てもよくわかる。
「あまり無茶はなさらないでくださいね。今回みたいに運良く助かるなんて、そうそうないんですから」
「んはははは、できるだけがんばるわ」
「……無理そうですわねえ」
「バレたか」
ミナには、悪びれずに笑うアキラが少しうらやましいと思えた。全力で今を生きている様が、まぶしかった。
「……では、私はこれで失礼いたしますわ」
「ああ、気をつけてな。松田さんも!」
突然声をかけられて、ミナの後ろに控えていた執事は目を丸くする。それから一瞬の間を置いて、ようやく自分だとわかった彼は慌てて頭を下げた。
「ありがとうございます、恐縮です」
「……では参りましょうか、松田」
「はい、お嬢様」
ミナが乗りこんだのを確認して、執事がドアを閉める。
「……それでは、ごきげんよう」
窓から顔を出して言うミナに、アキラが一歩前に出る。
「元気でな」
「ええ、貴女こそ」
やがて、静かにリムジンが動き始める。ミナはしばらく窓から成神親子に手を振っていたが、二人が小さくなったのを見とめると、窓を閉める。
「ミナー! なんかあったらー、助けに行くからなー!」
窓が閉まる直前に飛び込んできたアキラの声に、ミナは思わず咳き込んだ。それから慌てて後ろに振り返る。
既にアキラの姿は見えなかった。それでもなお届いた声に、ミナは彼女の声の大きさに驚くとともに、突然の言葉を頭の中で反芻して、少し恥ずかしくなった。
「……何もあんなこと、こんな街の中で叫ばなくても」
ため息混じりにもう一度、窓の外に目を向ける。流れる景色が、街から複雑に入り組んだ道路へと変わっていく。ガラスを隔てたその景色の中に、ミナは赤い鳥を見たような気がした。
しかしそんな感覚は一度しかなく、取引先との会談が近づきマイナスの感情が膨らむのに比例して、記憶から薄れていった。
4.
それから数日が経ち、あの事件からちょうど一ヶ月となった。あっという間に情報が過ぎ行く都会では、どんな事件もいずれ風化する。世間では既に事件の記憶は薄く、最近は近々始まる国会に関する話題が報道をにぎわせていた。
超高層ビルが立ち並ぶ都会の中でも、特に多くの都市機能が詰まった夜の都心。その中の、特に大きなビルの屋上に一つ、人影があった。
その人影は、強い風が吹く中でもそれを意に介すことなく、立ち尽くしている。風になびく髪は黒く、夜の闇に溶けて見える。眠ることのない街の明かりがなければ、視認することは難しいだろう。
下から湧きあがってくる、ネオンにかすかに照らされた人影。それは、月神宗家の長女、ミナだった。
彼女の瞳には普段の強い光はなく、焦点もずれている。ただ目の前にまっすぐ向けられた視線だけが、ぶれることなく遠いどこかを見つめていた。
ざり、と、彼女が一歩踏み出す。足が上げられたわけではなく、さながら相撲のすり足を彷彿とさせる動きはしかし、そのような力強さはかけらも見られない。
彼女はしばらくそうして立ち尽くしながら、時折思い出したかのように少しずつ前へ前へと進んでいる。その様子は、あの事件の日とほぼ同じだった。
やがてミナは、屋上の縁に到達する。遥か下から吹き上げてくる風は強く、髪だけでなく身体すらさらわれてしまいそうだ。
そんな場所にあってもなお、彼女の目はただまっすぐ、遠い闇に向けられている。普通の状態にないことは、誰の目にも明らかだった。
刹那、強烈な風が空に吹き荒れた。そしてそれは、容赦なくミナの身体を打ち据える。彼女の立っている場所は、屋上の縁。周囲に、つかまれるような場所もない。
すなわち、彼女の身体は、一切の抵抗なく、眼下の街明かりの中へと吸い込まれていった。
落下の最中にも関わらず、彼女は特に目立った反応をしなかった。日常の中にいるのと変わらないかのように、うろたえることなく自由落下を受け入れつづける。
うすぼんやりとしたミナの瞳が、ふと迫り来る点を捉えた。やがてそれは人の姿と認識可能な大きさとなる。そして、それが誰なのか、彼女の瞳が認識した瞬間。
「……っ!? きゃああああ!?」
ミナは、落下とは真逆、上へ持ち上げられる衝撃を感じて我に返った。そして、自分が今どこにいるのかを知り、思わず悲鳴が口をつく。
「お、気づいたな。だいじょぶだ、すぐ着くからよ」
「へ……え、え、何!? あ、ええ!?」
すぐ目の前で、に、と笑う顔を見て、ミナの混乱は加速する。そこには、まだうっすらと日焼けのあとが残る顔。飾り気のない黒いコートに身を包んだ、成神アキラの姿があった。
「おおお……ちょ、気持ちはわかるがもうちょっとじっとしてくんなよ。じゃないと、また落ちちゃうぞ」
「……っ!?」
その言葉に、思わずミナはアキラの身体にしがみつく。自分とほとんど変わらないその身体は、とても温かく感じた。その心地よい温かさに、少しずつミナの頭に普段の冷静さが戻ってくる。
景色が上へと流れていた。月神サイエンスインダストリーのロゴを通りすぎる頃、ミナは、自分が身を寄せているアキラの身体が、周りからの影響を何も受けることなく、空へ昇りつづけていることに気がついた。
手品のショーなどでは、空中浮遊は珍しい演目ではない。だがあれは、限定された空間で、設置されたしかけがあって初めてできる芸当だ。こんな都会のど真ん中、人が無数に行き交う場所で、そんなことをいきなりやってのけるのは、どう考えても不可能に感じた。
「こ……、これは、い、一体……!?」
「へへ、タネもしかけもございません……なんつってね!」
ほどなくして、二人は再び、屋上へとたどり着いた。ようやく地に足をつけて、ミナはぜいぜいと荒い息をつく。心臓が、猛烈な勢いで拍動していた。
「大丈夫か? かなり落ちてたトコから、結構な勢いで引っ張ったからな……ケガとかあったら、ごめん」
「……な、なんとか……動ける程度には、無事、みたいですわ。……ありがとう、ございます」
「無理すんなよ、かなり深く術がかかってたみたいだかんな」
言いながら、アキラは着ていたコートをミナの身体にかけた。
それにより安心したのか、恐怖と混乱で忘れかけていた寒さが一気にやってきくる。アキラの気遣いが、心底身にしみた。
「こ、これ、一体どういうことですの……!? わ、私、一体……貴女は……」
事態を完全に飲み込めず、ミナはすがりつく形でアキラに質問を投げかける。
だが、そのアキラはミナを制すと、ゆっくりと後ろに顔を向けた。
「……お前が波旬だな。やってくれるぜ、マジで」
それだけ言って、『何もない空間』をにらみつける。その行為の意味がわからず、ただ首を傾げるばかりのミナ。
「あたしはさ、別にお前に恨みがあるわけじゃない」
しかし当のアキラはというと、そんなことはおかまいなしで、何もない空間へ話し始める。
「けど、これ以上やるってんなら、見過ごすわけにゃいかねーんだ。そうなりゃ、あたしはお前と戦わなきゃなんねえ」
寒風が鳴る。その中で、アキラは静かに身構えた。
「……そうかよ。お前がそう言うなら、しゃあねーな。わかった。その代わり、手加減できるほどあたしは器用じゃねーから、気をつけろよ。……ホムラ!」
言うだけ言うと、アキラは大の人間文字よろしく、全身を大きく伸張させる。
その瞬間、ミナはアキラのほうから熱風が吹き始めたのを感じた。やがてそれはこの屋上全体を包み込み、風の音が色を変える。
「これでもう、お前はこっから逃げらんねえ。逃げたきゃあたしをぶっ飛ばしてからな!」
言うや否や、アキラは前方に向かって駆け出した。相変わらずその先には何もなく、ただ急に温かくなった風が吹くだけだ。
そしてアキラは、その何もない場所目掛けて、思いっきり拳を突き出した。しかしすぐに表情を変えると、先ほどとは逆に後退する。
「……っ、そーか、実体がほとんどないからぶん殴るだけじゃダメなんだな」
何やら舌打ちしながらつぶやいているが、その意図するところが相変わらずミナにはさっぱりわからない。ただ固唾を飲んで、アキラの様子を見守るだけだ。
「じゃあ……これならどーだっ!」
「え……!?」
ミナは、目を疑った。瞬きするのも忘れて、再度駆け出したアキラを凝視する。
そのアキラの両手が、炎に包まれていた。しかしそれは、決して彼女の身体を焼くことなく、彼女の服を焦がすことなく、拳を包み込んで留まっている。
炎に触れつづけるというパフォーマンスは、見たことがあった。難燃性の冷却ジェルを浴び、その上で着火するという、危険なパフォーマンス。しかし、アキラにそんなことをする時間的余裕があったようには見えないし、そもそも件のジェルは一般人には入手が困難と聞いている。
ではあれは、一体何のマネなのだ。ただのやせ我慢というなら、衣類も含めた彼女の身体が無事というのが説明できない。大体、焼かれる痛みなど、我慢できるようなレベルのものではないはずだ。
「くっそ、やっぱりまだ火力が足りないぜ……! 殴るダメージもありゃ、だいぶ違うのによ!」
ミナが、混乱する頭でぐるぐると思考を巡らせている間にも、アキラは何もない空間目掛けて殴りかかったり、蹴り飛ばしたり、あるいは身を翻したりと、立ちまわりを演じている。
その様子は明らかに何かと戦っている雰囲気だが、彼女以外誰もいないこともあり、端から見ると異様な光景だった。
だがしかし、そう、『誰もいない』のではなく、『誰かいる』のだと考えると、その行動はある程度の説明がつく。アキラは、見えない何者かと戦っている。そう考えれば、手の炎以外は説明がつく。
では、その相手は一体何者か。ミナには、心当たりがあった。
見舞いの日、アキラはミナが、天狗に憑かれていたと語った。そして、他の人は妖怪が見えない、とも。もし彼女が今、その妖怪と戦っているのだとすれば――。
「やっべ……ミナ、伏せろ!」
「えっ!?」
思考にふけっていたミナは、その声に気づくのが遅れた。そして気づきはしたものの、何を言われたのかをとっさに理解できず、動けない。
アキラが、こちらに向かって走っていた。
「くっそ……!」
ミナのその様子を見るや、アキラは強く地面を蹴る。その瞬間、彼女の身体は重力という大自然の法則から解脱した。空中に留まったまま、勢いよくまっすぐミナに向かって飛んでくる。
そして、どういうことだと考える暇もなく、ミナはアキラに抱きすくめられて、その場所から引きずり出された。瞬間、布が引きちぎれる音と、それよりも鈍い、何かが裂けるような音が、彼女の耳をつく。
かなりの速度で突っ込んできたため、二人は勢いもそのままに、コンクリートの上を転がる。冬の厚着で軽減されたとはいえ、その痛みはなかなかだった。
「い……た、な、一体何を……、っ!?」
一足先に痛みから立ち直って、ミナはアキラに声をかける。だが、普段なら返ってくるはずの声はなく、代わりに飛んできたのは、うめきだった。
見れば、アキラの肩甲骨周辺から背中にかけて、四本の筋が走っていた。それは彼女の服をたやすく切り裂いたのだろう。その下にある、やはりまだ日焼けがうっすらと残る肌をも穿っていた。そこから、赤い血がだくだくとあふれ出ている。
「ちょ……、っと! 大丈夫ですか!? 血が……!」
「……へへ、ちょっちマズった」
青ざめた顔で覗き込むミナに対して、アキラはゆっくりと、しかし確かに、にや、と笑った。そして、よろめきながらも立ちあがる。
「だいじょぶだ、こんくらい、なめときゃ治る」
「そんなバカな……!」
首を振りながら、ミナはアキラを押しとどめようとする。とても、唾液ごときで治るような軽傷ではない。それは誰が見ても同じ感想を持つだろう。
しかしアキラはそっとミナの手を払うと、再び拳に炎をたぎらせて、仁王立ちに身構える。
「……ミナは、あたしが守る。これは、そのための力、だかんな……!」
そして、強く歯を食いしばると、彼女はまた駆け出した。
何もない空間で、無と戦うアキラ。その動きはどう控えめに見ても先ほどより鈍く、吹き出る炎の勢いも弱い。彼女が弱っているのは、誰からも一目瞭然だった。
しかし、彼女は決して逃げようとしない。服が赤く染まっても、痛がるそぶりも見せずに拳を、脚を振るう。
どうして、そんなことをする。今、端から見るアキラの姿は、どう転んでも変人でしかない。事情のわからない人間に見られようものなら、場合によっては警察を呼ばれかねないだろう。そんなことを思わるリスクを冒しても、あんな怪我をしてもなお、なぜ、そんなことをする。
心の中で自分に問いかけながら、ミナはそれに自答する。
きっと、理由なんてないのだ。
見舞いに行ったあの日、アキラは、ミナを助けた理由を、助けなきゃと思ったから、と答えた。その時の彼女の瞳はまっすぐで、決して揺らがず、静かに燃え盛っていた。
わずか十五年の人生だが、早くから社会の荒波にもまれてきたミナは、同世代の人間より人を見る目は肥えていると思っている。そしてその目が、自分の勘が、あれは嘘ではないのだと告げていた。
だから今日も、きっと彼女は、ただ助けたいから、そんな理由で、無と戦っているのだろう。ミナは、そう結論付けた。
そんなはずはない。ミナの中の、現実に生きる冷め切った自分が、己の答えにノーと言う。
人間は、見返りを求めずにはいられない生き物だ。打算でしか動かず、自分の勝手に振る舞い、互いを傷つけ合う。そんな、自己犠牲な理由など、あるはずがない。そんな人間が、いるはずがない。
でも。
「あ……!」
思わず、ミナの口から悲鳴にも似た声が飛び出す。何らかの力を受けたらしいアキラが、弾き飛ばされる形で地面を転がった。傷口からあふれ続ける血は、もはや服が受け入れられる量を越え、灰色のコンクリートに赤黒い尾を描く。
「……っくしょ、ざけんなし……!」
それでも転がる勢いを活かして、アキラはそのまま起き上がった。転がった際に地面でこすったのか、そのほおには赤い擦り傷ができている。
「っらああああぁぁー!!」
だが、彼女の闘志は消えていなかった。むしろ、最初よりも勢いを増しているかもしれない。彼女の拳を覆っていた炎が全身に回り、火達磨とも言える状態となって、彼女は戦い続ける。その姿は、さながら阿修羅か不動明王か。
ミナの中の、理想を思う自分が、歳相応の、若く熱い自分が、違う、と、返す。
あんな人間も、いるのだ。ただひたすら、誰かのことを思い、誰かのために生きる人間が、こんな世知辛い世の中にも一人くらい、いてもいい。いや、いるはずだ。
願望にも似たその答えを抱くと同時に、ミナは、己のふがいなさに唇をかむ。
自分は、何をしているのだ。ただ見ているだけ……いや、見えてすらいない。何も、できない。
そんなことは、嫌だった。許せなかった。月神の人間として、それ以上に一人の人間として、何もしない、できない自分が、許せない。
できるようになりたい。守ると言ってくれた、彼女のためにも。
「……!?」
世界が、不意に明るくなったような気がした。真実を覆い隠していた重い幕が消え、視界が広がった、そんな心持がした。
刹那、風を切る音や、地面を蹴る音、掛け声、といったものとは、異なる音がミナの耳をついた。それは、今まで彼女が聞いたことのない音だった。ねっとりとまとわりつく、ひどく気味の悪い、甲高い音。その音の出所は――。
「――アキラ! 上ですわ!」
「! ……せいやああぁぁぁ!!」
ミナの声が届くと同時に、アキラは燃え盛る拳で勢いよく天を衝いた。
その先でにたにたと嫌味な笑みを浮かべていた、人に似た形の何かは、不意をついたつもりだったのだろう。しかし、アキラの拳と炎の直撃を受けて、悲鳴と思しき怪音を放って上空へ弾き飛ばされた。そして、落下する紙片のように、ゆるゆると地面に落ちる。ノックアウトということだろうか。
それを見て、アキラはすかさず『傍らに寄り添っていた』赤い鳥に振り返る。
「ホムラ、頼む!」
『うむ』
ホムラと呼ばれた赤い鳥がくるりと空中で円を描くと、その軌跡が輪となって現れた。そしてその輪は地に落ちた何かを包み込むと、そのままそれをがっしりとつかみ、固定してしまった。
一瞬遅れて固定されたことに気がついたそれだったが既に遅く、完全に動きを封じられてしまったようだ。決着がついたと見て、いいだろう。
「……ふー」
『主!』
「! アキラ!」
一段落ついて気が抜けたのか、ため息と共にアキラがくずおれる。それを見た瞬間、ミナは彼女の元へ駆けていた。
「大丈夫ですの? まったくもう、そんな身体で無茶をするから……!」
『まったくだ。毎度のことながら、呆れざるを得ない』
「……へへー、わっり、あんがとな」
ミナに抱きとめられて、アキラはにへ、と笑った。先ほどとは違って、緊張から開放された、いい笑顔だった。
だがすぐに表情を引き締めると、足元であがいている人型の何かに目を向ける。
「それより、こいつをなんとかしねーとな……」
「……これが、貴女の言っていた天狗ですの? 随分とイメージと違いますけど……」
一般的に天狗と言えば、赤ら顔で鼻の高い、山伏姿の大男という姿で描かれる。ミナも、それと同じ
イメージを持っていた。
だが目の前に横たわるそれは、人に近い姿形をしているものの、不定形の要素が強い。顔らしき場所には目や鼻、口と思われるものもあるが、それが本当に機能しているかは疑わしい。手に見える器官には鋭い爪がついており、これも天狗のイメージとはかけ離れている。
「……ミナ、お前、見えるのか?」
だがアキラは質問に答えるより先に、まずミナの顔を凝視した。
「え? え、ええ……なんと言いますか、その……急に、見えるようになりましたわ」
「マジかよ。そんなことってあるのか……?」
『ある』
アキラのつぶやきに、その傍らに浮かぶ赤い鳥、ホムラが答えた。
『我がまだ神として山奥にいた頃、同じように途中から見えるようになったものが何人かいた。原因はよくはわからぬが、ともあれそういう現象が起こることはある』
「そ、そーなのか……」
「……この方が、貴女の言っていた神様ですの?」
「ん? ああ、そうだ。ホムラってんだ。な」
『……我はそなたと顔を合わせるのは初めてではないが、そなたが我を見るのは初めてだな、月神ミナ。ホムラという』
「え、ええ……よろしくお願いいたしますわ」
「ホムラ、説明は任せた。……よう、怪我ねーか? 本気でぶん殴ったからなあ」
ミナとホムラを尻目に、アキラはしゃがみこんで、動きを封じられたその天狗に話し掛ける。
『……何のつもりだ』
「何もしねーよ、単純に心配してるだけだっつーに」
『……どうだかな。殺すならば殺せ』
「ちげーっつーに。ちったあ信じれや」
先ほどまで戦っていた相手と、臆面もなく話し込むアキラの姿に、ミナは目を白黒させる。つくづく、彼女はミナの価値観と違う生き方、考え方をしているらしい。
『主に代わり、先ほどの問いに答えよう』
そんなアキラを眺めながら、ホムラが口を開く。
『こやつは波旬。主の言うとおり天狗の一種だが、その性質は鬼や怨霊に近い』
「……はあ」
『強い妖力を持つ天狗が、何らかの理由で肉体を失い、その状態を保つことができるようになった存在を波旬という。その力を駆使し、肉体を奪ったり、魂を食らったりと、害を及ぼす。魂魄体のためにこちらは直接触れることができないが、奴らはその力を用いて肉体にもある程度影響を与えることができるため、一方的な展開も十分にあり得る。非常に厄介な妖怪だ』
「……なるほど、それでアキラの攻撃が効いていなかったんですのね。性質が悪いですわ」
『いかにも。そしてその「害」を、そなたは受けていたのだ。実生活での過度な精神的な打撃が、付け入る隙を与えたのだろう。天狗の長ほどの力でもなければ、生きていることに全力な人間をたぶらかすことなどできぬ』
「……はあ、なるほどよくわかりましたわ。仰るとおり、私は落ち込んでおりました」
一方的な物言いと、感情をほとんど表に出さない父の顔を思い浮かべながら、ミナはため息混じりに言う。
言いながら、これが妖怪の力かと、感心もしていた。まったく科学の力によらないその源泉は、その原理は、いかにして構築されているのか、気にもなった。
一方アキラはというと、その場にあぐらをかいて、依然波旬と会話を続けている。相手は会話を拒絶しているようにも見えるが、懲りずに話しかけているようだ。
「……で、この後はどうなさいますの?」
『通常ならば、かんなぎとの戦いに敗れた妖怪は消滅させられることがほとんどだ。かんなぎによっては稀に式として従えるものもいるようだが……ああ、かんなぎというのは主のように神を宿した人間のことだ。倒した妖怪をどうするかは、彼らの胸三寸ということになる』
「ご説明どうも。……まあ、もっともな話ですわね」
消滅というのは穏やかではないが、動物などでも人里で被害を出した熊や猪などは処分されることが多いことを考えると、ある意味で食物連鎖に近いものとも考えられる。そんなことを思いながら、ミナは成り行きを見守ることにした。
「はー、わかったよ。んじゃホムラ、いつも通りで頼むわ」
『うむ』
遂に、この波旬を退治するらしい。このホムラという神がどのようにことを成すのか、ミナは神妙な面持ちで彼を注視する。
波旬のほうも覚悟を決めたようで、もはやあがく気配は見られない。
その目の前に立ちはだかって、ホムラは何かを強く念じた。
すると、波旬を拘束していた赤い輪が静かに崩れ、粉となって虚空に消えた。それから枷を解かれた波旬は、ゆっくりと宙に浮かび上がる。
「え?」
『……何?』
それ以外は、特に何も起こらなかった。種族の垣根を超えて、ミナと波旬が同じようにホムラを見つめる。
『行け。二度と主の近くで悪さをせぬことだ』
そんな波旬に毅然とした態度で宣告すると、ホムラは再びアキラの傍らへと戻った。その動きを追う形で、波旬はアキラに目を向ける。ミナも、それに続いた。
「そういうこった。またあたしの近くでなんかやったら、とっちめてやるから覚悟しろよな」
『貴様……我輩を愚弄するのか!?』
アキラの言葉に、波旬の身体が大きく膨れ上がった。そのまま、三人を飲み込まんと迫ってくる。
「あ、アキラ、貴女……!?」
「愚弄なんてしてねーよ。あたしは本気だ」
だがアキラは、うろたえることなく、迫ってくる波旬に言い放った。その顔はまじめそのもので、まっすぐな燃える瞳はしっかりと、波旬を見つめて離さない。
その言葉に、波旬は大きくなったままで動きを止める。
「縛られて動けなくなったやつにとどめさすなんて、んなことできるか。誰だろーとなんだろーと、ズタボロになった相手をぶっ飛ばすげんこつなんざ、あたしは持ってねーよ」
『…………』
「それによ、お前、死にたくねーからそうやって、身体なくしてもこの世にいるんだろ。そんなやつを消せなんて、あたしにゃできねーな。あたしだって、まだ死にたくねーもん」
そしてアキラは、ゆっくりと微笑む。
「まだ未練、いっぱいあるかんな。幽霊でもいい、きっとお前みたいにこの世に残るぜ。だから、あたしにお前を殺す権利なんてないよ」
『…………』
「…………」
アキラの言葉に、波旬が黙り込む。ミナも、口を開くことができなかった。
『……愚か者め!』
しばらくの後、口を開いた波旬が、空気の抜ける風船のように小さくなる。元の大きさに戻ったそれは、アキラを見下す形で高く浮かび上がった。
それを見るや否や、ホムラが二人を守る形でずい、と前に出る。再び緊張が走った。
『だが……面白い愚か者だな』
「そうおろかおろか言わないでくれよ。ホントのことなんだからさ」
『我ら妖、まほろばに下って百余年……お前のような人間が、まだいたのだな。面白い』
波旬が、笑っていた。人、あるいは天狗としての姿を失い、それでもなお生きることにしがみつくそれに、表情らしい表情があった。
その様子に、ホムラが警戒を解く。ゆっくりとアキラの隣に戻ると、炎の瞳をそれに向ける。
『いいだろう、お前のその愚行に、乗せられてやろう。だが忘れるな。我輩は妖、お前は人間。決して相容れる事はできぬのだとな』
「そうか?」
すごんで見せる波旬に、アキラは即答した。またしても思っていなかった行動を取る彼女に、ミナは唖然とするしかなかった。
「お前も生き物、あたしも生き物。一緒じゃん」
「…………」
『…………』
「だからよ、もし『次』があるんだったら、殴り合うんじゃなくって語り合おうぜ! せっかく言葉通じるんだからさ!」
握り拳を開いて見せて、にか、とアキラが笑う。
呆れ顔を隠せないミナと波旬の視線を受け流しながら、ホムラが小さくため息をついた。
『ふん……面白い小娘だ』
人間ならば苦笑しているだろう雰囲気を隠そうともせず、波旬は肩をすくめるような仕草をする。
それから勢いよく暗闇の空に飛び上がると、一声強く、吼える。
『……我輩はゼガイ。覚えておくが良い!』
そして空気をはじかせて、波旬――ゼガイは、一気にミナたちの視界から消えうせる。高速で飛び去っていったらしい。
『妖気が消えた。この周辺にはもういまい』
「そっか。……あんにゃろ、こっちの名前聞かずに行っちまいやがって」
空を見上げながら、少し残念そうに口を尖らせるアキラ。その隣に歩み寄って、ミナは彼女の横顔に声をかける。
「多分、知れていますわよ。私が名前を呼んでいましたし」
「ん!? あ、そういやそーか。確かに確かに」
「それより貴女、病院に行きませんと。やせ我慢をしていらっしゃるでしょう?」
「あー、そんなのもあったな」
ぱっくりと引き裂かれたアキラの背中をちらりと見やるミナに対して、アキラはあははと笑って見せた。
その笑い顔に、ミナは思わず仏頂面を向ける。
「もう、忘れるわけがないでしょう! これは放っておいていい怪我ではありませんよ!」
『心配は無用だ』
語気強く言うミナの間に、ホムラが割って入った。
何が、とミナが言う前に、彼は拳大ほどの炎を創り上げると、それをアキラの傷口にそっとかざす。すると、炎に照らされた傷口が、静かにふさがっていくではないか。
「え……!?」
『これでも一応、神と呼ばれたものだ。自然治癒力を上げる程度でならば、治癒できる。我の力は治癒に向いていないために、これ以上はできないが』
「へへ、これがこないだ銃で撃たれてもすぐに治った秘密。二週間ちょいはかかっちまったけどな」
「な、なるほど……」
神にかかればなんでもありなのか。幻想の存在のすさまじさを目の当たりにして、ミナはため息をつかずにはいられなかった。
そんなことをしている間に、アキラの傷は少しずつ小さくなり、完全に傷口がふさがった。まだ完治には遠いが、ここまでくれば病院に行くまでもなさそうだ。
『……こんなところか。あとはこの間のように、毎日少しずつやっていくとしよう』
「さんきゅーホムラ、いつもすまねーなあ」
『そう思っているのならば、もう少し戦い方を見なおすべきだ。今回は仕方ないにしても、無謀が過ぎる』
「さーせん。それより」
いたずらっぽく笑うアキラの表情からいって察するに、彼女は悪いとは思ってはいても、自分の戦い方を変えるつもりはないのだろうと、ミナは思った。
そんな彼女の手を取ると、アキラは歩き出す。
「帰ろうぜ。じいやさんとか、松田さんとか、みんな超心配してたぞ」
「……そうですわね」
アキラの力は、決して強くない。しかし、緩やかにミナを引っ張る手には、間違いなく行こうと促す感情がこもっていた。
そして、その手のひらは、真冬の暖炉でゆらめくともし火を思わせる、暖かさにあふれていた。
「あの、アキラ……さん」
「…………」
アキラの顔色をうかがうように尋ねていたので、彼女はアキラが不満そうな顔をしたのは見逃さなかった。
「……さっきは呼び捨てにしてくれたじゃん」
何か気に障るようなことを言っただろうかと、少し身体を強張らせた彼女に、アキラはくすぐったそうに笑った。
「いいんだぜ、さんなんて、そんな風じゃなくってさ。そんなのあたしのガラじゃないし、それに」
「……それに?」
笑う顔はそのままに、今度はそれを照れくさそうにうっすら赤く染めて、彼女が続きを口にする。
「さっき、初めてさん抜きで呼ばれたとき、やっぱ嬉しかったからさ」
「……わかりました」
その顔に、ミナは負けた。アキラにはかないそうにない。それと同時に、全身の余計な力が抜けたのを感じた。
アキラは炎だ。時に厳しく魔を退け、時に優しく人を包み込む炎。それはとても情熱的で、そして不思議な魅力に満ちている。人の心を引きつけて離さない彼女は、炎だ。
その炎のぬくもりを、もう少しだけ近くで、感じたい。素直に、ミナはそう思った。
「では、改めて、……アキラ」
「おうっ、なんだ?」
に、と、今度は嬉しさを隠さない満面の笑みを浮かばせて、アキラが頷く。ミナは、そんな彼女の前に、携帯電話を掲げて見せた。
「よろしかったら、連絡先を教えていただけませんか?」
「もっちろん、喜んで!」
その申し出は、一も二もなく快諾された。ハイタッチをするように、掲げた携帯電話に携帯電話がこつり、と当てられる。
それから二人は、どちらからともなく笑い出した。静けさを取り戻し、夜空に吹きぬける風の中に、彼女たちの笑い声が溶け込んで、消えていく。
5.
春。年度が改まり、新しい時間が始まる季節。今年は久方ぶりの厳冬ではあったが、東京ではかろうじて、その始まりに桜が間に合い、あちこちで風に揺れるピンク色の美しい花が咲き誇っていた。
そんな美しい光景にあふれた高校の桜道を歩く学生たちの中に、彼女はいた。
春風に舞う長い髪は美しく、寒さを押しのける陽光に照らされて、緑の黒髪は輝いている。白い肌は太陽を見なれていないのか、見栄えすると同時に儚げだ。いかにも着慣れないといった風の制服ではあるが、それでもなお、人の目を引きつける気品と美しさが彼女にはあった。
彼女の名前は月神ミナ、世界に冠たる大財閥、月神グループの頂点に立つ宗家、唯一の女子である。
能力も頭脳も申し分ない彼女が、この、どこにでもありそうな公立の高校にいる姿をマスメディアが見れば、こぞってニュースにするだろう。
しかしそれは、彼女本人の手で事前に止められており、ここに彼女がいることは、気づかれたとしても世間をにぎわす話題にはなり得ない。
彼女は生まれて初めての学校の様子に若干戸惑っているようだが、そこはさすがに名家中の名家の令嬢と言うべきか、どこにどういうものがあり、どのように行動すればいいかは把握してあるようで、さほど迷うことなく人ごみの中を掻き分けて進んでいく。
ほどなくして彼女は、目的の場所にたどり着いた。「1-2」とプレートが掲げられた扉の目の前で、いったん立ち止まると、深呼吸をひとつ。それから意を決して扉に手をかけると、静かに開け放った。
決して広くはない教室の中には、既に何人もの生徒があふれていて、数人の視線が一斉に彼女に向けてきた。注目を浴びることは苦ではないどころか、常日頃していたことなので、彼女はそれを軽くいなすと教室の中に足を踏み入れる。
自分の席を探す道中、彼女は窓際の席で、人に囲まれている少女の姿を見つけた。
その少女は、背格好こそミナと同じくらいだが、髪は短く切りそろえられ、肌も少しだけ黒い。新しいはずの制服は早々に着崩され、長年愛用したかのような雰囲気すらあった。
その少女が、教室を歩くミナの姿に気がついた。彼女はミナを見とめるとすぐに、顔色を変えて立ち上がった。そして、信じられないものを見る顔のまま、あたふたと近寄ってくる。そのすぐ後ろに、燃え盛る羽毛を持つ赤い鳥が、静かにたたずんでいるのが見えた。
「ミナ!? ミナじゃんか、なんでお前がここに!?」
彼女――成神アキラはそう言いながら、ミナの眼前まで歩み寄る。久しぶりに見る彼女の顔は驚きと、それから歓喜の色であふれていて、思わず笑いがこみ上げてきた。
「ふふ、お久しぶりですね。相変わらず元気そうで、何よりですわ」
「いや、うん、お前も元気そうで……何よりだけど」
「うふふふ、そううろたえないでくださいまし。貴女のそういう顔を見るのも楽しいですけれど」
「おまっ、遊んでんな!? 許す!」
くすくすと笑うミナに言い、アキラも豪快に笑う。その様子を、新しいクラスメイトが不思議そうに眺めている。
「種明かしをしましょう。私、この高校に入学いたしましたの」
「お、おう……そうだよな、まさか先生で来るとかそういうこたねーもんな……。でも、なんでまた?」
「あら、それを聞きますの? それは、自分で察してくださいまし」
はぐらかすミナだったが、それも当たり前。まさかアキラと一緒に学校に行きたいから、などという理由を口するのは、恥ずかしくて仕方がない。そんなことを面と向かって言えるほど、彼女は純粋ではない。
「えー、なんだよそれ。あたしが頭悪いの知ってていじわるすんなよこいつぅ」
ひじでミナを小突き、それからヘッドロックにコンボを繋げて、アキラが笑う。それを全面的に受け入れながら、ミナも笑った。自分の決断は正しかったのだと、思いながら。
「けどよ、お前会社はどーすんだ? 確か、社長かなんかやってたんだろ?」
「それについてはご心配なく、すべて引き継いできましたわ。三月三十一日づけで、私は退職したことになっておりますわ」
「うわー、全部投げてきたのかよ。お前なかなやるじゃん」
「いいえ、それほどでも」
普段感情をあまり表に出さないあの父親が、珍しく怒りを前面に押し出して怒鳴りつけてきたことが思い出された。それでもミナは、一歩も譲らなかった。いや、引くわけには、いかなかった。
結局、ただの親子喧嘩になってしまったため、長年勤めてきたベテランスタッフたちの仲介が入り、およそ二週間の冷戦期間を経て、なんとかミナは父親に根を上げさせることに成功した。
今まで言いなりになるしかなかった父親を初めて打ち負かしたという勝利の余韻は大きかった。しかし、それ以上に、体験したことのない学校という空間に入ることができる、生まれて初めて得た友達と同じ時間をすごすことができる、その喜びが何より強かった。
その後、ミナはこっそりとアキラが受験する高校を調べて受験する。彼女にしてみれば、この学校の入試は難しいものではなく、無事に合格を勝ち取ることができた。
ただし、編入先のクラスに関しては、少しだけグループから手を回し、アキラと同じクラスになれるように仕組んだ。これは口が裂けても言えないなと、内心肩をすくめるミナであった。
「まあ、なんだな。せっかく同じクラスになれたんだ。よろしく頼むぜ、ミナ!」
そして当然ながら、アキラが彼女の心中を知る術はない。しかし、知らなくていいのだ。子供と同じくらい純粋なアキラには、こういうやり方は少しダーティがすぎる。
何も知らないアキラが、満面の笑みを浮かべて右手を差し出してきた。ミナが迷わずその手を取ると、二人はそのまま拳を数回つきあわせて友達の証を立てる。
「……こちらこそ、よろしくお願いしますわ。アキラ」
そう言って笑ったミナの顔は、若さにあふれるすがすがしいものだった。それは、使用人たちも、家族ですら見たことのない笑顔。遅まきながら、普通の少女として、ミナが歩き始めた瞬間だった。
人間と妖怪、そしてナルカミを巻きこみ、現世とまほろばを巡る幻想の物語。しかしそれはもう少し、まだ、もう少しだけ、先のお話――。
ひとまずはめでたしめでたし。
めちゃくちゃお久しぶりの登場です、ひさなぽぴーです。
この小説は、タイトルの通りある作品の前日談です。
その作品をこちらに投稿することがあるかどうかは微妙ですが・・・もしその時があれば、その時はよろしくお願いいたします。
ところで、これのジャンル、ファンタジーでよかったんですかね?
ジャンルの選択は毎度ながら迷います・・・。