~暗黒の魔女~ 一章・王国の危機 「6.傷のカラス」
イザベルの薬屋の地下にある『隠れ家』にチュンフェイとヨウフェイが来たため、中が少し手狭に感じられるようになりました。また、人通りも増えてきたため人がいない隙を見て外に出るのも一苦労です。
オリバーたちがシーガルンの調査から帰ってきてから数日、リバー王国はだんだんと落ち着いてきました。人々も街中を普通に歩くようになりました。
「うーん、人が増えるとやっぱり少し狭く感じるようになってしまったなぁ…。それに、いつまでもこの『隠れ家』にいると街の人から不審に思われるかもしれないな…。」
少し心配そうにオリバーがつぶやくと、ヴォルフが言いました。
「だったら昔の俺の宿を自由に使っていいぜ。」
「本当か?」
「ああ。あれ以来一度も行っていないから中は荒れている可能性もあるがな。大掃除が必要だぞ。」
「助かるよ。掃除なんてハンスとペーターにやらせるさ。」
「え、ええーっ!?」
「では緊急時にはここに集まるようにしましょうか。」
イザベルが提案します。
「うん、そうだな。毎日一回、誰かをここに来させて情報交換をすることにしよう。まあ、ハンスとペーターにやらせればいいか。」
「え、ええーっ!?」
「あたしはここに残るよ。もともと居候してたしね。」
ビアンカが言いました。
「胸を張って言うことではありませんね…。」
「張るほど無いよっ!むー、失礼だなー。」
「はいはい…。パトリックさんとレオンさんはまだ治療が残っていますので、終わるまでここにいてくださいね。二、三日で完治すると思いますから。
…それと、時々ローズさんとモニカさんをこちらによこしてください。魔術の訓練を続けなければなりませんので。」
ローズとモニカはビクッと体を震わせました。イザベルは優しいように見えますが、魔術の特訓の時はとても厳しいのです。
「あ、あの、私、たまにはオリバーさんに教えてもらってもいいかな、なんて…。」
「それはいけない…。先生は私のもの…。モニカには早い…。モニカがイザベルに…、」
「そ、そんなあ!」
「はいはい、お二人とも落ち着いてくださいね。ローズさんの問題発言は無視するとしましょう。
…そうですね、オリバーさんに習うのも悪くないかもしれません。オリバーさんは攻撃魔術のプロですからね。でも実用魔術だって必要なことには違いありません。そうですね、オリバーさん?」
「ああ、もちろん。イザベルの言うとおりだよ。」
「ではこうしましょう。オリバーさんと私が一人ずつ交代で担当するんです。明日はローズさんはオリバーさん、モニカさんは私。その次の日はローズさんは私、モニカさんはオリバーさんといった具合です。どうですか?」
「うん、いい考えだな。未熟な魔術師をいっぺんに二人も訓練するなんていうのはお互い骨が折れるからな。」
「決まりです。ではローズさんはこの後私のところに残ってくださいね。」
モニカは一瞬だけ表情を明るくしました。ローズは少し残念そうな顔をしました。
「…ヨウフェイとチュンフェイはどうするの?」
ハンスがヨウフェイたちにたずねました。
「そろそろ穴倉にも飽きたネ。外行くヨ。」
「ところでさ、チュンフェイは大きな刀を持っているけど、ヨウフェイは武器を持っていないね。まさか素手で戦うの?」
ペーターが言うと、ヨウフェイはニヤリと笑いました。
「チッチッ、わかってないネ。…いいネ、絶対にそこから動くなヨ。」
「あ、ああ…うわっ!」
ヨウフェイの袖口から針のようなものがペーター目掛けて飛んできました。針はペーターの頬をかすめ、後ろの壁に突き刺さりました。
「…暗器か。」
様子を見ていたオリバーがつぶやきました。
「そうネ。バネの力で飛ばすヨ。針の先には毒が仕込んであるネ。」
「すごいんだな。」
ハンスも感心したようです。
「でも欠点も多いヨ。まず攻撃威力が低いネ。それに獣相手にはあまり効かないヨ。かといって姉さんみたいに大きな武器はヨウフェイ、力ないから扱えないヨ。」
「じゃあローズちゃんみたいに短剣の扱いを覚えたらいいんじゃないのかなあ?それなら軽くて扱いやすいし、的確に急所を狙えば獣相手にも通用するし。」
ラルフが言うと、ヨウフェイは目を丸くしました。
「…オマエ、頭いいネ。考えたこともなかったヨ。」
「短剣ならあたいだって使えるぜー?」
マチルドが得意げに言いましたが、ヨウフェイはしらけた目で言いました。
「バカには教わりたくないネ。」
「な、何だってーっ!?」
暴れ出しそうなマチルドをエミリーが苦笑いしながら押しとどめました。ヨウフェイは改めてローズに向き直りました。
「…というわけネ。ラオシー、これからよろしくヨ。」
「ラオ、シー…?」
ローズは不思議そうな顔をして首をかしげました。
「老師ネ。先生ってことヨ。」
「ハハッ、ローズ。俺の弟子から卒業してないってのに弟子をとるなんて、生意気になったなぁ。」
オリバーがおかしそうに笑うと、ローズは緊張したような表情をしました。
「…頑張る。」
「それより、これまでイザベルに任せきりであった食物の確保もしばらくは吾れらの手でやらねばならぬな。…エミリー、久し振りに狩りにでも行くとするか。」
アリスが提案すると、エミリーもそれに賛成しました。
「わかりました、お姉さま。」
「というわけだ、オリバー。吾れらは宿に着いたらすぐに狩りに出かけるとする。」
「ああ、わかった。じゃあ俺たちはその間に街で野菜なんかの食料を買っておくよ。」
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宿の大掃除をハンスとペーターに任せたオリバーは、ラルフと二人で街の市に食材を買いに行きました。
「かなり活気が戻ってきたみたいですね。」
「ああ、そうだな。さて、何を買うか…。」
「あれ?そこを行くのは魔術師のオリバー・ローゼンハイン様では?」
不意に背後から聞こえた声に、オリバーは振り返りました。一人の青年がこちらに向かって走ってきます。
「君は?」
「僕はここの市に店を出しているロジェという者です。オーベルクを救ってくださった救世主のオリバー・ローゼンハイン様ですね?」
「そんな大業なものではないけど…確かに俺はオリバー・ローゼンハインだよ。」
「やっぱり!ここで何をしているんですか?」
「ああ、いい食材はないかと探しているんだが…。」
「あ!じゃあちょっと待っていてください!」
ロジェといった青年は走っていきました。オリバーとラルフは顔を見合わせました。
「…ハンスくんと同じくらいの年でしょうかね。」
「ああ、それくらいだろう。」
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やがてロジェは大きな赤カブを持ってきました。
「これを差しあげます!ずっと北の国から来た隊商が置いて行ったものです。持っていってください。」
「ええっ?いいのか?こんなに大きなカブを。」
「どうぞどうぞ!足りないようでしたらもっと持ってきますよ!」
「え?いや、そんなにはいらないよ。ありがとう。次からは君の店でものを買うことにするよ。」
「ありがとうございます!」
ロジェは何度も振り返りながら走って行きました。
「…思わぬものが手に入りましたね。」
「ああ、これがあればハンスがうまいスープを作ってくれそうだな。」
「…オリバーさん、ハンスくんとペーターくんに厳しいですね…。」
「弟子なんだからそれくらいはさせて当然さ。よし、帰ろうか。」
「そうですね。」
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オリバーとラルフが元のヴォルフの宿に帰ると、中はきれいに片づけられていました。
「おお、きれいになったな。ハンス、ペーター、ご苦労さん。」
「うおぅ!でっかいカブだなぁ!」
マチルドがびっくりして叫びました。
「ハンス、こいつでスープをつくってくれないか?」
「はい、わかりました。」
ハンスが奥に入って行くと、オリバーはモニカにたずねました。
「アリスとエミリーはまだ帰ってないのか?」
「ええ、まだですね。…いつもならこんなに時間もかからない気がするのですが…。」
「そうだな…。心配だな。」
その時、外から馬のいななきが聞こえました。
「お、帰ってきたみたいだな。」
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しかし宿の中に入って来たのは血相を変えて飛び込んできたアリス一人だけでした。アリスはオリバーにしがみついて言いました。
「オリバー!大変だ!エミリーが魔獣に襲われて大怪我をしてしまったのだ!」
アリスの言葉にオリバーはびっくりしました。
「な、何だって!?エミリーはどこだ!?」
「まだ森の中だ。来てくれぬか!?」
「ああ、もちろんだ。カトリーヌに乗せてくれ。」
「あたいも行くよっ!ペーター、馬を借りるぜ!」
マチルドが叫びました。
「だがそんな大人数で行っても…、」
「バーカ、イザベルを連れて行くんだよ!それともお前がエミリーの怪我を治せるって言うのか?」
マチルドは呆れたようにオリバーに言いました。
「そういうことか。よし、じゃあすぐに馬を連れてきてくれ。」
「あいよっ!」
マチルドは入り口を飛び出していきました。
「気をつけて行ってこいヨ!」
ヨウフェイはオリバーたちを見送ると、姉のチュンフェイの方を見ました。チュンフェイは何だか不安そうな顔をしています。モニカもそれに気づきました。
「チュンフェイさん、大丈夫ですか?」
チュンフェイは驚いた顔をしましたが、プイッと横を向いてしまいました。ヨウフェイが笑いました。
「…姉さんは意地を張ってるだけネ。本当はオマエたちと仲良くしたいネ。」
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薬屋でイザベルを乗せ、オリバーたちは森の中へ入っていきました。はたして、森の中の空き地にある大きな切り株の上でエミリーが脚から血を流して横たわっていました。エミリーの愛馬、アンヌが心配そうに主人を見ています。
「エミリー!オリバーたちを連れてきたぞ!」
アリスを先頭に、四人はエミリーに駆け寄りました。
「申し訳ありません、お姉さま…。ご迷惑をおかけしました。」
「何があったか教えてくれるか?」
オリバーがエミリーにたずねます。
「はい…。ここで大きな鹿を見つけ、それを仕留めたまではよかったのですが…。カトリーヌに乗せようとしたとき、突然魔獣が襲ってきたのです。あまりの速さにお姉さまの矢も外れ、こうして脚を噛まれてしまったわけなのです…。うっ…。」
その時です、エミリーは突然顔をゆがめると、奇声をあげました。
「ぐっ、ぐぎゃあああっ!」
まるで魔獣が倒されるときに出す断末魔のような声です。オリバーたちは驚いて思わず後ずさりしました。アリスが絶叫しました。
「どっ、どうしたのだエミリー!」
「ちょっと傷口を見せてください!」
イザベルが跪き、エミリーの脚の傷口を診ました。すると、一瞬だけイザベルの顔が凍りつきました。が、すぐにいつもの笑顔に戻り、回復魔術をかけました。
「リカバリー!」
エミリーは苦痛に顔をゆがめていましたが、少しだけ落ち着いたようです。
「うっ…、ふう…。何かが乗り移ってきたようでした…。」
「…危ない所でした、エミリーさん。もう少し遅れていたら、噛まれたところから魔力が流れ込んで魔獣に変性してしまうところでした。」
「うっ…。笑顔で恐ろしいことを言いますね、イザベルさん。」
「…イザベル、それは本当の話か?」
オリバーが信じられない、と言ったような顔でイザベルに聞きました。
「ええ、本当です。実はビアンカさんが実家の書庫にあったという東方世界のことを書いている本を何冊か持って来てくれたんです。その中に古代の魔女についての記述があったんです。」
「魔女の?」
「名前はヤオミン(妖冥)というらしいのですが…、いわゆる私たちでいうところの『闇の魔術師』です。
その魔女と戦った者はカラスの形をした傷がつく。そしてその傷口のカラスが口を開いたらその戦った相手は虎や狼の魔獣に変えられてしまったそうです。」
「じゃあ、エミリーの傷は…、」
「ええ、カラスの形をしていました。そして口も開きかけていました。間一髪でしたね。しかし、しっかりとした処置が必要なことには変わりありません。ここでは応急手当しか出来ませんからね。」
オリバーは額の汗を拭きました。
「ふう…。もう少しで大切な仲間を失ってしまうところだったな。それどころか…最悪の場合、殺めてしまう可能性もあった…。ともかく街に帰ろう。」
エミリーがアンヌに乗ろうとしました。が、まだフラフラしているようです。
「無理するなよっ、エミリー!」
「ごめんね…。」
マチルドに力を貸してもらい、ようやくエミリーはアンヌの背中に乗ることができました。
「では…行くとするか。」
アリスがゆっくりとカトリーヌを歩かせ、後ろの二頭もゆっくりとそれに続きました。エミリーは手綱を握ってはいますが、時々アンヌの背で体をよろめかせます。
「…オリバー、すまぬがカトリーヌをよろしく頼む。」
エミリーの様子を見るに見かねたアリスはそう言うと地面に飛び降り、アンヌに乗りました。
「大丈夫か、エミリー。ほら、手綱を貸すのだ。」
「申し訳ありません、お姉さま…。宿に帰ったらゆっくりと休むこととしましょう…。お姉さまにも心配をかけてしまいました…。」
「そのようなことはない。安心するのだ。」
いたわりあう二人を見て、オリバーは思わず笑みをこぼしたのでした。
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*ロジェについては後のお話で紹介します。
ヴォルフの宿に戻り、息をついたのもつかの間、エミリーが魔獣に変性しかけるという大事件が起こりました。その背後には闇の魔術の気配も見え隠れしています。
次話ではオリバーたちが何とか宿に帰ってきます。エミリーは体が回復するまでの間、ものすごい苦痛を味わい続けることになります。そして、ほんの少しずつですがチュンフェイの心にも変化があらわれてくるようです。どうぞお楽しみに!
ちなみにオリバーとラルフが訪れたオーベルクの市は、シャロンのキンフィールド襲撃から中止されていましたが、ちょうどこの日に再開したのです。おかげでカブの他にもオリバーたちは特売でかなり安く物を買うことができました。
では次話をお楽しみに!