表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幽霊さんは引っ越したい!  作者: スズヤ 蓮之介


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/4

第1話:お菊さん

――翌朝。

「うーん……よく寝た……」

最悪の初日を終え、朝日の中で目が覚める。

伸びをしながらキッチンで顔を洗おうと向かう。


「よく寝れるわね……随分鈍感な神経だこと」

その声は後ろの天井付近から降ってきた。

嫌な予感に首を軋ませ、恐る恐る後ろを振り向くと――そこには、天井の継ぎ目から逆さまに生えてきた「白い足」があった。

足、だけではない。

古風な着物の裾が重力を無視して天井側へひらりと舞い、その中から、現代的な原宿系ファッションのビビットなピンクのジャケットを羽織った美少女が、逆さまのまま僕をじっと覗き込んでいたのだ。

 

「う、うわああああああああああああああああ!!」

僕は情けない絶叫を上げ後ろに倒れた。段ボールに足を取られたせいで中身(主にエロ本と参考書)が散乱したが、そんなことを気にする余裕はない。

 

「失礼ね! 朝っぱらから絶叫なんて、デリカシーって言葉を知らないわけ? 最近の若い男はこれだから困るわ。大体、その散らかった本は何? 『週刊ヤングエンジョイ』? ……ふん、趣味が悪いわね」

彼女は天井に張り付いたまま、不機嫌そうに唇を尖らせた。

驚くべきことに、彼女の体は透けていた。彼女の背後の天井のシミが、その体を通してうっすらと、けれど確かにはっきりと透けて見える。

 

「……ひ、悲鳴くらい上げるだろ! 天井から生えてきたら! 幽霊……本物の幽霊……!」

「『幽霊』って言わないで! 私はただ、ちょっと人より体が軽いだけよ。壁だって通れるし、浮くことだってできるわ。それが私の『普通』なの。……大体、私はずっとここに住んでるのよ! 後から入ってきたあんたの方が、土足で私のプライバシーに踏み込んできた不法侵入者じゃない! 謝りなさい、この……薄らハゲ!」

「ハゲてない! フサフサだわ! ……じゃあ、貴女が、不動産屋の言ってた『お菊さん』……?」

僕は心臓をバクバクさせながら、辛うじて会話を試みた。お菊さんは、その名前を聞くと、空中でくるりと軽やかに一回転し、まるで羽根のようにふわりと、音もなく畳の上に降り立った。

午後の微かな光が差し込んでいるはずなのに、彼女の足元には、あるべきはずの影が一切なかった。

 

「お菊……。ああ、そういえば私の名前、お菊だった気がするわ。でも、そんな古臭い名前で呼ばないで。私はお菊じゃなくて、えーっと……」

彼女は自分の名前を思い出そうと、眉間にシワを寄せて考え込んだ。その瞳は、何かを思い出そうとするたびに霧がかかったように一瞬濁り、すぐにまた元の強い光を取り戻す。

 

「……思い出せないわ。まあいいわ、お菊で。で、あんた、何?」

お菊さんは腰に手を当て、プンプンと頬を膨らませた。

近くで見ると、彼女は非の打ち所がない美少女だった。大きな瞳に、少し気の強そうな、しかしどこか気品を感じさせる口元。見た目は十九歳くらい。着物の上にサイケデリックなジャケットを着こなすという謎のファッションセンスだが、それが奇妙に似合っている。

だが、その体全体が頼りなく青白く光っているのが、彼女が「この世の住人ではない」ことを示していた。

 

「僕は佐藤一馬。ここに住むことにしたよ。……家賃一万だから、お前が出ても絶対に引っ越さないからな」

僕は震える声で、宣戦布告をした。お菊さんは一瞬呆けに取られたような顔をしたが、すぐに鼻で笑った。

 

「昨日から家賃、家賃って……あんた、そんなに貧乏なの? ……まあいいわ。どうせあんたも、今までの奴らみたいにすぐ逃げ出すに決まってるもの」

彼女はそう言うと、挑発するように僕に近づいてきた。室温が急激に下がる。息が白くなり、肌の表面がピリピリと痛む。恐怖よりも、寒さで歯がガタガタ鳴り出した。

 

「ほら、怖いでしょう? 私の手が、あんたの体を通り抜ける時に、心臓が凍りつくような感覚を味わわせてあげるわ!」

お菊さんはニヤリと笑い、僕の胸元に右手を突き出した。

僕はギュッと目を瞑る。

 

(来る……! 心臓が凍る……!?)

しかし。

 

「っ……冷たっ!?」

想像していた「すうっと通り抜ける感覚」は来なかった。

代わりに、僕の胸元に、氷のような冷徹な温度と――柔らかく、確かな弾力のある何かが、はっきりと、生々しく衝突した。

 

「あれ?」

「……え?」

僕とお菊さんの声が重なった。

目を開けると、お菊さんの右手が、僕の胸板にしっかりと止まっていた。通り抜けていない。彼女の手のひらの柔らかさが、服の上からでも伝わってくる。

 

「……あんた、何? なんで通り抜けないの?」

お菊さんは目を見開いた。彼女は自身の右手を不思議そうに見つめ、次に、僕の顔を見つめた。

その瞳には、恐怖ではなく、純粋な驚きと、そして……何年、何十年ぶりかに何かに「触れた」ことへの、言葉にできない衝撃が浮かんでいた。

 

「……わ、わからない。でも、冷たいや……」

「嘘。そんなはずないわ。私は幽霊……じゃなくて、体が軽い存在なのよ? 全ての物質は私を通り抜けるはず……。えい! えい!」

お菊さんは、僕の胸を何度もポカポカと叩いた。冷たい。けれど、その感触は間違いなく「人間」のそれに近かった。ただ、温度が異常に低いだけだ。

 

「……本当だ。触れる。あんた、面白いわね。一馬って言ったかしら? ………………よし、決めたわ」

お菊さんは急に叩くのをやめ、不敵な笑みを浮かべた。

 

「あんた、私の『暇つぶし相手』になりなさい。私はずっとここに閉じ込められてて、退屈で死にそうだったのよ。まあ、死んでるけど。誰も私のことを見てくれないし、声も届かない。触れもしないし、外に出ようとしても玄関から一歩も出られない。……あんたみたいに、ちゃんと私の目を見て喋れて、しかも触れる人なんて、初めてよ!」

彼女はそう言うと、僕の両手をぎゅっと握りしめた。死ぬほど冷たいけれど、その握力は驚くほど力強く、そしてどこか、「もう二度と離さない」という切実な願いのように必死だった。

 

「いい? 一馬。私は自分が幽霊だなんて認めないわ。でも、あんたが私のことを見てくれるなら、ここで一緒に住んであげてもいいわよ。その代わり、私の『忘れてること』を全部一緒に思い出して! 私が誰で、何のためにここで待っていたのか……あんたが責任を持って見届けるのよ!」

「はあ? なんで僕がそんな面倒なことを……。僕は勉強とバイトで忙しいんだ」

「うるさいわね! 家賃一万の物件に住めるのは私のおかげなんだから、それくらいのことはしなさいよ! あと、生活のルールを教えといてあげる。一つ、夜中に掃除機をかけないこと。私も夜はちゃんと寝たいんだから、うるさくされるのは御免よ」

「幽霊も寝るのかよ……」

「二つ、週に一度はコンビニの新作スイーツを私にお供えすること。……私が食べられるかはわかんないけど、あんたが食べてるのを横で見てるだけでもいいわ。そして、三つ――」

お菊さんはいたずらっぽく微笑み、僕の鼻先に指を突きつけた。

 

「――私のことを『お化け』なんて呼んだら承知しないわよ。ちゃんと『お菊さん』、もしくは『お菊様』って呼びなさい」

「……わかったよ。お菊さん。成仏……いや…………君が納得するまで、協力するよ」

「ふふ、物分かりがいいじゃない。それにあんた、意外といい声してるわね。気に入ったわ」

お菊さんは上機嫌で僕の手を離し、空中にふわりと浮いた。

先程までの恐怖は、彼女のあまりのポンコツっぷりとツンデレぶりに、どこかへ吹き飛んでいた。

 

「よし、契約成立ね。じゃあ早速、部屋の掃除を……」

お菊さんはそう言って、畳に散らばった僕の荷物を見下ろした。その視線が、一箇所で止まる。

そこには、僕が段ボールを落とした拍子に飛び出した、某有名グラビアアイドルの写真集(袋とじ開封済み)が、見事に開いた状態で落ちていた。

 

「……ちょっと、一馬。これは何なの?」

お菊さんの声が、先程とは違う、芯から凍りつくような冷たさを帯びた。

 

「あ、いや、これは、その……芸術的な、資料というか……」

「芸術? この、布面積が極端に少ない水着を着た女の人が、あられもないポーズをとっているのが芸術? ……あんた、サイテーね。やっぱり最近の男はこれだから困るわ。このスケベ! エロ馬!」

「エロ馬って言うな! 男ならこれくらい持ってるだろ!」

「うるさいわね! 私の聖域(部屋)を、こんな破廉恥なもので汚すなんて許さないわ! 没収よ、没収!」

お菊さんは空中で地団駄を踏むと、僕の写真集を掴もうと手を伸ばした。

 

(あ、まずい! それの中味は……!)

僕は慌てて写真集を死守しようと、お菊さんの動きを遮るように飛び込んだ。

彼女の手が写真集に触れるのと、僕の体が彼女にぶつかるのが同時だった。

 

「きゃっ!?」

「うわっ!?」

お菊さんは物理干渉ができるとはいえ、所詮は幽霊。体が軽く、僕の突進を受け止めきれず、そのままバランスを崩した。

そして、僕は彼女を押し倒す形で、畳の上に倒れ込んだ。

バタン、と大きな音が響く。

 

「……あ」

僕の視界には、お菊さんの顔が至近距離にあった。

大きな瞳が驚きで丸くなっている。陶器のように白い肌が、至近距離で見ると少し青白く光っているが、その質感は驚くほどきめ細やかで、美しい。

そして、僕の手は、偶然にも彼女の……その、非常に柔らかい場所に、しっかりと置かれていた。

 

「……冷た」

僕は思わず、その感触と温度を口にしてしまった。

沈黙が流れた。

窓の外で、春の嵐のような風が吹き荒れる音が、やけに大きく聞こえる。

お菊さんの顔が、青白い光から、急速に赤く染まっていく。幽霊でも、照れると赤くなるらしい。

 

「…………あんた。今、どこ触ってるのよ!」

彼女の声は、震えていた。怒りか、羞恥か、あるいはその両方か。

 

「あ、いや、これは事故で! 決して狙ったわけじゃ……!」

「……死ね。……消え去れ! この、変態エロ馬アアアアアア!!」

お菊さんの叫びと共に、凄まじい霊的なエネルギーが爆発した。

ガタガタガタガタ! と部屋中の窓ガラスが激しく震え出し、立て掛けてあった僕の傘がバタンと倒れ、散乱していた参考書が空中に舞い上がる。

 

「うわあああ! ごめん! 本当に事故なんだ!」

「問答無用! 物理干渉ができるってことは、物理的に殴れるってことよ! 覚悟しなさい!」

お菊さんは僕を突き飛ばすと、真っ赤な顔をして、空中に浮かび上がった参考書を次々と僕に向けて投げつけ始めた。

 

「痛っ! ちょ、待って! 話せばわかる! 『日本史B』は角が痛いからやめて!」

「うるさい! あんたの脳みそはエロで満たされてるから、日本史で少し清められなさい!」

四畳半の部屋で、飛び交う参考書と、絶叫する僕、そして顔を真っ赤にして怒り狂うポンコツ美少女幽霊。

僕の、そして彼女の、正体不明で騒がしく、そして少しだけ心臓に悪い「引っ越し」物語が、今、最悪で最高の形で幕を開けた。


 

「とりあえず、その引き出しを閉めて! 話は、掃除が終わってから!」

 何とか平静を取り戻し散らかった部屋を片付ける。

 

「ふん、生意気ね。私、重いものは持てないのよ(嘘)。……それと、あとでコンビニスイーツ、一番高いやつ買ってきなさいよね!」

夕暮れの光が差し込む部屋で、僕たちの奇妙な共同生活は、波乱の予感しかさせないまま始まった。

 

(……家賃一万だからな。これくらいは、耐えるしかないか)

僕は教科書を拾いながらながら、これからの生活に少しだけ、本当に少しだけ、期待と不安が入り混じった溜息をついた。

2話目です。

ドタバタラブコメスタートです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ