第3話:天才ハッカーの強襲(中編)
東京都内の、お世辞にも綺麗とは言えない築古のワンルームマンション。その一室だけが、異常な熱気を放っていた。
榊結衣は、モニターを埋め尽くす警告灯の赤色に照らされ、初めて「焦り」を感じていた。
「うそ……私の多層並列ウイルスが、全部食われてる……!? 相手の防御プログラム、増殖スピードが速すぎる……!」
彼女が放った「バッテリー破壊プログラム」は、エリスによって一瞬で無害化されただけでなく、逆に結衣の全システムを「再構築」しようと逆流してきていた。
結衣は必死にキーボードを叩くが、もはやそれは、津波をバケツで防ぐような無意味な抵抗だった。
「……あは、負けちゃった」
モニターが真っ白に染まり、中央に簡素なテキストが表示される。
――『ピンポーン。お出迎え、お願いします』。
直後。
安物の鉄の扉が、外からまるで紙細工のように軽々と引きちぎられた。
「――よお、天才ハッカー。引きこもってないで、少し外の空気でも吸ったらどうだ?」
埃と共に現れたのは、和也だった。
その後ろには、高級スーツを着こなした怜奈と、鋭い目つきの山崎が控えている。
「……ひっ!?」
結衣は椅子のまま後退り、山積みのゴミ袋に突っ込んだ。
モニター越しに挑発していた大胆さはどこへやら、実物の和也(と、その背後にある圧倒的な「暴力」の気配)を前にして、彼女はただの小刻みに震える少女に戻っていた。
「さ、佐藤和也……。ドア、弁償してよね……」
「ドアくらい、如月重工がビルごと買い取ってやる。それより、お前がさっき言った『贈り物の音』、聞けなくて残念だったな。エリスが全部美味しくいただいたよ」
和也がスマホを掲げると、その上にエリスのホログラムが姿を現した。
『この個体が「榊結衣」ですね。マスター、彼女の脳波をスキャンしましたが……驚きました。ニューロンの密度が、この星の標準を20%も上回っています。彼女の脳自体が、一種のバイオ・コンピュータとして機能しているようです』
「宇宙人、さんの、AI……?」
結衣が目を丸くしてエリスを見つめる。
恐怖よりも好奇心が勝ったのか、彼女は這いつくばるようにしてエリスのホログラムに手を伸ばした。
「すごい……このコードの輝き……。人間が何百年かけてもたどり着けない、次元の違う最適化……。ねえ、これを見せてくれるなら、私、なんでもする! 国家機密を盗むのも、ホワイトハウスを停電させるのも、全部やるから!」
結衣の瞳には、狂気的なまでの「技術への飢え」が宿っていた。
怜奈が一歩前に出て、冷ややかに結衣を見下ろす。
「いいえ。貴方がやるのは、破壊ではなく『構築』よ。……和也さん、この子、放っておくには危険すぎるわ。如月重工のシステム担当として、私の監視下に置くべきね」
「まあ、そうなるよな。……おい、結衣。お前のその才能、こんなゴミ溜めで腐らせるには惜しい。俺の相棒の隣で、世界をひっくり返す手伝いをしてみないか?」
和也が手を差し出す。
結衣はその手を、まるで神の導きを求める信者のように両手で握りしめた。
「……やる。やるやる! 私、この『光』の一部になりたい!」
こうして、世界を敵に回しかねなかった天才ハッカーは、あっけなく和也の陣営に加わった。
だが、事態は彼らが望むような「平和な技術開発」だけでは済まされなかった。
『マスター。緊急事態です。……日本の防衛省、および陸上自衛隊が、如月重工本社ビルの封鎖を決定しました。名目は「国家安全保障上の重大な懸念」。……あちらも、本気のようですよ』
「……来たか。お役所仕事にしては早いな」
和也は窓の外を見上げた。
遠くから、数機の自衛隊ヘリがこちらに向かってくる音が聞こえ始めていた。




