第1話:星を拾った夜(前編)
「……クソっ、またか」
札幌市郊外、手稲山の深い木々に囲まれた登山道。深夜の静寂を切り裂いたのは、佐藤和也の吐き捨てた悪態だった。
手に持ったスマートフォンの画面には、無情にも「圏外」の文字と、フリーズしたメールアプリが映し出されている。
和也が勤めるのは、札幌市内にある中堅の電子機器メーカーだ。かつては独自の特許で鳴らした時代もあったが、今や大手の下請けとして、無理難題な納期とコストカットに追われる日々。
今日も今日とて、現場の状況を無視した上層部からの無理な修正指示が飛び、和也はその尻拭いのために休日を返上して、この夜山へと逃げ込んできていた。
「技術の日本、なんていつの話だよ。……中を開ければ海外製の汎用パーツを組み合わせて、ガワだけ整えただけのハリボテじゃないか」
和也はエンジニアだ。それも、かつては「天才」と持て囃されたこともある。だが、組織という歯車に組み込まれた今の彼に、創造的な仕事など残されていなかった。
夜の山を登るのは、誰にも邪魔されずに考え事をするため。そして、この場所から見下ろす札幌の夜景が、自分の悩みなどちっぽけに思わせてくれるからだ。
しかし、その夜の空は、いつもと違っていた。
ふと見上げた夜空。満天の星々の中を、一つだけ異質な光が横切った。
飛行機にしては速すぎ、流星にしては輝きが強すぎる。
その蒼白い光は、不自然な放物線を描きながら、和也が立っている展望台のさらに先、山頂付近へと吸い込まれていった。
「――っ!?」
数秒後、地響きのような重低音が足元を揺らした。
爆発音はない。ただ、空気が震えるような不思議な振動。
好奇心が、疲弊した脳を突き動かした。和也は登山用のヘッドライトを点灯させ、道なき道へと踏み出した。
藪を漕ぎ、急斜面を登ること三十分。
そこに広がっていたのは、異様な光景だった。
周囲の木々が、熱に焼かれたのではなく「何かに押し潰された」ように等間隔でなぎ倒されている。その中心に、それは鎮座していた。
直径二メートルほどの、幾何学的な模様が刻まれた漆黒の球体。
表面には一切の繋ぎ目がなく、まるで闇そのものを削り出したかのような質感を湛えている。
「隕石……じゃない。これは、人工物か?」
和也は息を呑んだ。
最先端の工作機械でも不可能な、分子レベルで均一な表面。そこから漏れ出しているのは、淡い燐光だ。
恐怖よりも、エンジニアとしての本能が勝った。和也は吸い寄せられるように、その球体に手を伸ばした。
指先が触れた瞬間――。
『――生態反応を確認。個体識別を開始します』
頭の中に、直接声が響いた。
驚きで手を引こうとしたが、動かない。掌と球体の間が、磁石のように吸い付いている。
『言語プロトコルの最適化……。完了。現惑星の支配的言語、日本語(JP)を標準に設定。バイタルサインの読み取り。炭素基生命体、遺伝子情報に致命的な欠損なし。……マスター登録プロセスを開始しますか?』
「な、なんだ!? 誰だ、どこにいる!」
和也は周囲を見渡すが、人影はない。
球体の表面が波打ち、そこから小さな「立方体」が分離して、和也の目の前で浮遊した。
『私は、銀河帝国第七探査艦隊所属、自律型アドミニストレーター。識別名はエリス。……貴方の問いに答えるならば、私は「貴方の手に負えない奇跡」そのものです、マスター』
立方体からホログラムが投影され、そこには透き通るような銀髪と、冷徹なまでに整った美貌を持つ少女の姿が浮かび上がった。
彼女は、ゴミを見るような、あるいは興味深い標本を見るような視線で、和也を凝視していた。
『推定文明レベル:カテゴリー1以下。……絶望的ですね。この星の住人は、いまだに化学燃焼で大気を汚し、電子を細い銅線で運んでいるのですか?』
「……化学燃焼って、ガソリン車のことか? 銅線は……まあ、送電線のことだろうけど」
和也は呆然としながら答えた。
エリスと呼ばれたAIは、深く、これ見よがしに溜息をついた。
『理解しました。私はとんだ未開の地に不時着したようです。ですが、このまま休眠していては自己崩壊を待つのみ。……妥協しましょう。そこの、冴えないエンジニア。貴方に、この星を「文明」と呼べるレベルまで引き上げる権利を授与します』
「権利だと?」
『左様です。私の持つ銀河標準技術があれば、この停滞した島国を、銀河のハブへと作り変えることなど造作もありません。……どうしますか? 今のまま、安い給料と過酷な労働に、その短い寿命を費やし続けますか?』
和也の胸の奥で、何かが熱くなった。
毎日、会社のデスクで感じていた閉塞感。
海外製に押され、かつての栄光を失った日本の産業界。
そして、自分という人間の価値。
「……面白い。その技術、見せてもらえるんだな?」
『ふふん。よろしい。契約成立です。まずはその……「ガラパゴス的進化を遂げた化石」を貸し出しなさい』
エリスが指差したのは、和也が持っていた旧型のスマートフォンだった。




