第1.5話 異世界ノートと、十七年分の独り言
ラウル・アルトリアは、自分が少し変わっている自覚があった。
朝、目を覚まして最初にやることが「相談」だからだ。
「……今日の天気は?」
『快晴。降水確率は限りなくゼロです』
「よし、洗濯だな」
彼は満足そうに頷いた。
権能《異世界ノート》。
それは転生と同時にラウルに与えられた、世界の理から外れた“相談相手”だ。
質問すれば答える。
状況を見れば分析する。
そして、時々――余計なことを言う。
『洗濯の判断に私を使うのは非効率です』
「うるさい。人生は効率だけじゃない」
そんなやり取りを、ラウルは十七年間続けてきた。
ラウルは魔法が使えない。
正確に言えば、魔力が一切ない。
この世界では珍しいが、致命的というほどでもない。
農具を振るうのも、荷を運ぶのも、体が動けば問題ない。
だからラウルは、身体を鍛えた。
剣を振り、走り、殴り、転び、また立ち上がる。
魔力に頼れないからこそ、動きは自然と無駄が削ぎ落とされていった。
『現在の身体操作精度は、同年代の平均を大きく上回っています』
「そうか? まあ、体は動く方だとは思うけど」
『過小評価です。あなたは自覚が足りません』
「はいはい」
ラウルは笑って受け流す。
彼にとってノートは、神でも師匠でもない。
少し口の悪い相棒だ。
時折、ラウルは思う。
もしこのノートがなかったら――
自分は、もっと不安だっただろうか。
「なあ、ノート」
『何でしょう』
「俺、ちゃんとこの世界で生きてるよな?」
一瞬の沈黙。
『……質問の意図が曖昧です』
「だよな。でもさ、こうして飯食って、働いて、笑って」
ラウルは空を見上げる。
「悪くない人生だと思ってる」
『……肯定します』
ほんの少し、言葉が柔らかかった気がした。
ラウルは気づかないふりをする。
この日、彼はまだ知らない。
自分の力が、
この国の裏側で渦巻く厄介事と交わることを。
そして、
異世界ノートが“相談相手”でいられなくなる瞬間が、
いつか訪れることを。
『警告。今後、あなたの平穏は保証されません』
「……まあ、そうだよな」
ラウルは肩をすくめ、歩き出した。
「でもさ」
少しだけ、楽しそうに。
「それでも、やっていくしかないだろ?」
『――同意します』
こうして、
異世界ノートとラウルの“当たり前の日常”は、
静かに終わりを迎えつつあった。




