第13話 彼女は、名を伏せたまま
朝の空気は、少し冷たかった。
ラウルは今、街外れにあるリオの家を拠点にしている。
空き部屋という名の物置だが、雨風は防げる。十分だ。
「ほんとに泊まるとは思わなかったな」
戸口で、リオが欠伸混じりに言った。
「文句あるか」
「ねえよ。
ただ……厄介ごと持ち込むなよ?」
「それは俺の台詞だ」
二人は同時に、苦笑した。
――その時。
戸口の影が、わずかに揺れた。
「お邪魔する」
昨日と同じ声。
だが今度は、距離が近い。
外套姿の女が、そこに立っていた。
フードは被ったまま。だが、逃げる気配はない。
「朝っぱらからかよ……」
リオが呟く。
「噂より早かったな」
ラウルは静かに言った。
『敵意、なし』
『接触を選択したと判断します』
(だろうな)
女は一歩、踏み込んだ。
「昨日は、時間がなかった」
「今日は?」
「作った」
短いが、はっきりした答えだった。
「依頼の話だな」
「ええ」
女は頷く。
「あなたが倉庫街で倒した“影”。
あれは、試作品」
リオの表情が一変する。
「……知ってたのか」
「作らせたのは、私じゃない」
女は即座 predominated 否定した。
「だが、回収役ではある」
「回収?」
「失敗例を、ね」
ラウルは腕を組んだ。
「で、本題は」
「――あなたを、雇いたい」
迷いのない声。
「理由は?」
「強いから」
それだけだった。
だが、続く言葉が核心だった。
「そして、“使われない”人間だから」
一瞬、空気が張りつめる。
『発言の意図、分析中』
(どうだ?)
『高度です。
こちらの立場を理解した上での言語選択』
ラウルは、少しだけ笑った。
「評価が高いな」
「事実を言っているだけ」
「名前は?」
女は、ほんの一瞬だけ沈黙した。
「……今は、名乗れない」
「じゃあ」
ラウルは、玄関脇の壁に背を預ける。
「俺も、即答はしない」
女は意外そうに目を細めた。
「断る?」
「保留だ」
「理由は?」
「信用は、会話じゃ買えない」
しばしの沈黙。
やがて、女は小さく息を吐いた。
「……分かった」
そう言って、踵を返す。
「三日後。
街の外れ、旧監視塔」
「条件は?」
「一つだけ」
女は振り返らずに言った。
「――そのノートを、隠して」
一瞬、時が止まった。
『……』
(ノート)
『彼女は、こちらを認識しています』
女の姿は、もう路地の向こうに消えていた。
「……なあラウル」
リオが、ゆっくりと言う。
「今の、相当ヤバいぞ」
「ああ」
ラウルは静かに息を吐いた。
「だからこそ――
面白くなってきた」
名を伏せた依頼人。
ノートを知る女。
噂は、もう制御を離れている。
そしてラウルは、
その中心に立ち始めていた




