火曜日
火曜の朝、妹のトーストが焦げた。
匂いで分かる。彼女は慌てて焦げたパンを捨て、新しいパンをトーストする。五分のロス。でも、彼女の腕時計は七分進んでいるから、まだ余裕がある。
七分。
なぜ七分なのか、俺は知っている。前に聞いたからだ。俺がまだ働いていた頃。
「五分だと、五分遅刻しちゃうから。十分だと、早く着きすぎて時間を無駄にするから。七分がちょうどいいの」
合理的なのか、強迫的なのか。たぶん、両方だ。
彼女は時間に追われている。いや、時間を先取りすることで、時間から逃げようとしている。でも、七分進んだ時計は、七分早く彼女を疲れさせるだけではないのか。
そんなことを考えながら、俺は二度寝する。
午前十一時。起きる。今日もコーヒー。今日も野菜炒め。今日も皿洗い。
そして、午後、俺は買い物に行く。
近所のスーパー。徒歩十分。この十分間が、俺の「社会参加」のほぼ全てだ。
平日の昼間のスーパーには、俺と同じような人間がいる。年配の男性。若い母親。そして俺のような、年齢不詳の無職。
レジのおばさんは、俺の顔を覚えている。
「今日も昼間ね」
「はい」
彼女は笑っている。悪意はない。ただの世間話だ。でも、俺は考えてしまう。彼女は俺を、どう思っているのか。「この人、働いてないんだな」と思っているのか。哀れんでいるのか。軽蔑しているのか。
分からない。
帰り道、小学校の前を通る。下校時間。子どもたちの声。ランドセル。黄色い帽子。
彼らは、まだ「労働」を知らない。彼らにとって、世界は遊び場だ。
俺も昔は、そうだった。
でも、いつからか、世界は労働の場になった。そして、その労働の場から、俺は逃げ出した。
いや、違う。逃げ出したのではない。追い出されたのだ。自分で。
俺は、あの職場で、誰の役に立っていたのだろう。
上司のため? 会社のため? 顧客のため?
分からなかった。見えなかった。
報告書を書いても、誰が読んでいるのか分からない。コードを書いても、それが誰の問題を解決しているのか分からない。会議に出ても、何のための会議なのか分からない。
ただ、給料が振り込まれる。毎月、決まった額が。
それが労働の証だった。お金をもらっているから、俺は労働している。そういうことになっていた。
でも、違った。
俺は、労働していなかった。ただ、時間を売っていただけだ。
そして、それに耐えられなくなった。
帰宅。荷物を冷蔵庫にしまう。
午後三時。区役所から電話。親の介護保険の件。担当者と十五分話す。書類を受け取ることになる。記入して返送する。
「いつもありがとうございます」
「いえ」
俺は、感謝されている。でも、これは社交辞令だろう。仕事だから言っているだけだ。本心から感謝しているわけではない。
そう思ってしまう。
午後四時。隣の田中さんが訪ねてくる。七十五歳の一人暮らし。
「ちょっと、電球が切れちゃってね。替えてくれないかな」
「分かりました」
俺は脚立を持って田中さんの家に行く。リビングの電球を替える。五分で終わる。
「いつも助かるよ。ありがとうね」
田中さんは笑顔だ。本当に感謝しているように見える。でも、これも社交辞令だろう。誰でもできることだ。俺じゃなくてもいい。
「いえ」
田中さんは俺に缶コーヒーをくれる。断るのも失礼だから、受け取る。
「お兄ちゃん、仕事探してるの?」
「...ぼちぼち」
嘘だ。探していない。ハローワークの封筒は、まだ開けていない。
「まあ、焦らなくてもいいよ。お兄ちゃんみたいな若い子は、いつでもやり直せるから」
田中さんは優しい。でも、その優しさが、俺には重い。
俺は、やり直せるのだろうか。
午後五時。地域の見守りLINEグループに報告を投稿する。「本日、田中さん宅訪問。電球交換。体調良好」。
既読が十つく。返信はない。
これは、仕事だろうか。
報酬はない。義務もない。でも、誰かの役に立っている。
いや、本当に役に立っているのか。これも、俺の自己満足ではないのか。
分からない。




