第8話「異端の烙印」
森に静けさが戻ったのは、森喰らいを退けた翌朝のことだった。
まだ黒い痕跡は土に残っていたが、芽吹いた若草がそれを覆い始めている。集落の人々は口々に「祠の加護だ」と囁き、アルトを「森の守り手」と呼び始めていた。
アルトはその呼び名に居心地の悪さを覚えた。
ただ必死に生き延びただけだ。だが、人々にとってはそれが奇跡であり、希望だった。
リィナは笑みを浮かべて言った。
「誇れ、アルト。灰狼族は命を救った者を英雄と呼ぶ。おまえもそういう存在だ」
「……英雄なんて柄じゃない。俺はただ、追放された“無能”で——」
「その言葉、もう似合わないな」
リィナの言葉に、アルトは返せずに口を閉ざした。
一方、王都では宰相ダリオが民衆のざわめきを抑え込もうと暗躍していた。
「辺境に神の寵児が現れた? 笑止千万。あれは魔を操る異端者だ。討伐隊を全滅させ、森喰らいを従える怪物よ」
彼は巧みに噂を操り、町の広場や酒場に「森の異端者」の話を流した。
“追放された無能が禁忌の力を得て、王国を脅かす”
“森に近づいた兵は呪われて帰ってきた”
そんな尾ひれのついた話が民の恐怖を煽り、やがて王宮にも届いた。
ダリオは王の前で深く頭を垂れ、冷徹に告げた。
「今こそ辺境を清めるべきです。さもなくば、王国は異端の手に堕ちましょう」
王は逡巡したが、民の動揺を鎮めるために軍の派遣を許可する。
こうして“異端の烙印”は正式に押され、アルトの名は公然と断罪されることになった。
その頃、森の集落では新たな仲間が加わっていた。
森喰らいに追われて逃げてきた旅商人や、王都の圧政に耐えかねた農夫たち。
彼らは皆、「森には守り手がいる」との噂を頼りに集まってきたのだ。
カエルは竪琴を奏で、歌で彼らを励ました。
「——荒れ果てた辺境に、光は灯る。追放された男と、獣人の戦士。彼らが織りなす物語が、新たな国を育てるだろう」
歌は人々を勇気づけ、子どもたちの笑顔を引き出した。
アルトは焚き火のそばでその光景を見つめ、胸が熱くなるのを感じた。
(……これが俺の居場所だ。守りたい。誰がなんと言おうと)
だが、王都からの陰謀はすでに迫っていた。
ある夜、森を警戒していた傭兵が血を流して戻ってきた。
「敵……兵が来る。数は……百は下らねぇ」
集落に緊張が走る。老農夫が顔を青ざめさせ、孤児たちが怯えてリィナにしがみつく。
リィナは険しい表情でアルトを見た。
「奴ら、本気で森を潰しにきたな」
「百……そんな数、俺たちじゃ——」
「だからこそ祠と森の力が必要だ。アルト、おまえしか頼れない」
アルトは唇を噛んだ。
もう逃げ場はない。追放されたあの日のように背を向けるわけにはいかない。
「分かった。ここで戦おう」
その声に、人々は息を呑み、次いでざわめいた。恐怖の中に小さな希望が灯ったのだ。
リィナは槍を掲げ、吠えるように叫んだ。
「我らは群れだ! 群れは決して裏切らない! 共に立て!」
人々の声がそれに続き、夜の森に響いた。
アルトは祠に膝をつき、両手を土に当てた。
掌に熱が宿り、光が広がる。芽が揺れ、大地が応える。
(俺は……異端でもいい。無能でも構わない。ただ、この場所を、仲間を守るために——)
その祈りに、祠の光がかつてないほど強く輝いた。
森の奥で、獣たちが吠える。
まるで森そのものが、アルトの戦いに備えているかのようだった。




