第17話「取引か孤立か」
森の朝は清らかだった。
小鳥の囀りが響き、昨夜の焚き火の残り香がかすかに漂う。
だがアルトの胸中は、澄んだ空気とは裏腹に重苦しかった。
商人たちは森の国に「交易」を持ちかけ、領主の使者は「同盟」を求めてきた。
いずれも甘い誘い。しかしその背後には必ず「利用」と「支配」の意図が潜んでいる。
(俺が選んだ一歩が、みんなの未来を変える……戦場よりも恐ろしい)
祠に掌を当てると、柔らかな光がじんわりと広がった。
けれど光は答えをくれない。ただ「選べ」と迫るように脈打つだけだった。
昼、会合が開かれた。
焚き火の周りに集まったのは、老農夫、傭兵、学者、商人代表、そして領主の使者。
集落の仲間たちも取り巻き、誰もが固唾を飲んでアルトの言葉を待った。
「まずは交易から決めるべきだ」老農夫が言った。
「塩も布も足りていない。子どもたちが冬を越すには、外の品が要る」
傭兵は剣を膝に置き、低く言った。
「だが商人は王都に繋がっている。奴らに麦を渡せば、すぐに宰相の手に届く」
学者が地図を広げた。
「交易を結べば道は開く。森の国は孤立を脱し、存在を知らしめられる。だが同時に、王都の目にも晒される」
議論は熱を帯び、声がぶつかり合う。
商人代表は笑みを浮かべながら、静かに言葉を差し込んだ。
「森の国はまだ小さい。だが、我らが流通を使えば“国”として広まる。
王都が何を言おうと、市場が力を証明してくれましょう」
次に、領主の使者が前に出た。
「交易よりも同盟こそ重要だ。王家に対抗できる後ろ盾を得られるのは、我が主のみ。
森の国が真に国を名乗るなら、王の敵として立ち上がる覚悟が必要だ」
広場に重苦しい沈黙が落ちた。
リィナが槍を突き立てて言った。
「選べ、アルト。群れは長の決断に従う。孤立か、取引か、それとも同盟か」
人々の視線が一斉に集まる。
孤児の小さな声まで混じっていた。
「アルト……僕らは、どうすればいいの?」
その問いは、どんな剣よりも重かった。
アルトは深く息を吸い、胸の奥の迷いを押し殺す。
祠の光を背に受け、声を張った。
「俺は……どんな取引にも同盟にも、すぐには飛びつかない。
俺たちが欲しいのは、外の力に縛られた繁栄じゃない。
この森が与えてくれる、確かな暮らしだ」
人々がざわめく。商人が顔を曇らせ、領主の使者は舌打ちを噛み殺した。
「だが孤立もしない。俺たちは“拒絶”ではなく、“条件”を出す。
森の国は取引も同盟も受け入れる。ただし——俺たちの国を国として認めること、それが第一の条件だ」
老農夫が目を見開き、傭兵が笑みを漏らす。
リィナは金の瞳を細め、誇らしげに頷いた。
会合は解散となったが、商人と領主の使者は互いに睨み合い、背を向けて去っていった。
嵐の前の静けさのような不気味さが残る。
夜、焚き火の影でリィナが言った。
「覚悟を決めたな、長。だがその選択は、敵を増やす」
「分かってる。けど俺たちはもう、ただ逃げるだけの群れじゃない」
空を見上げると、星々が祠の光に呼応するように瞬いていた。
その輝きは、森の国の未来を映すかのように強く、確かだった。