第16話「森の国と王都の狭間」
呪獣を退けて数日、森の国には久しぶりに穏やかな朝が訪れていた。
祠の周りでは子どもたちが走り回り、畑には青々とした作物が実りをつけ始める。
追放者アルトが祈りを通じて蘇らせた土は、今や肥沃な大地として人々を支えていた。
人々は口々に「森の加護だ」と囁き合い、アルトを「長」と呼ぶようになっていた。
だが、その呼び声にアルト自身はまだ戸惑いを覚えていた。
「俺は長なんかじゃない。ただみんなと生きたいだけだ」
そう呟くと、リィナが槍を肩に担ぎながら笑った。
「それが長の証だ。自らを誇らず、群れを思う者こそ導き手となる」
アルトは苦笑しつつも、胸の奥で少しずつ覚悟が芽生えていることを感じていた。
その日の昼過ぎ、森の外から隊商が現れた。
豪奢な馬車に護衛を連れた商人たちが、笑顔を浮かべて集落を訪れたのだ。
「お噂はかねがね! “森の国”とやらが辺境に興ったと聞きましてな」
商人の一人が声高に言い、背後の従者が荷を開いた。
中には塩、鉄器、布など、辺境では貴重な品々が並んでいた。
「これを交易しませんか? 王都を通さずとも、我らが道を繋ぎましょう」
人々はざわめき、目を輝かせた。
だがアルトは即答せず、静かに問う。
「その代わりに、俺たちに何を望む?」
商人はにやりと笑った。
「祠の加護から生まれる作物。あれを王都では“奇跡の麦”と呼び始めています。我らはそれを欲するのです」
夜。焚き火を囲んで仲間たちと話し合った。
老農夫は手を組み、「余った分を売れば冬を越せる」と言った。
傭兵は剣を膝に置き、「商人の裏に領主の影がある」と警告した。
学者は地図を広げ、「ここを通じて森の国は交易路になる」と指摘する。
リィナは沈黙を破った。
「商人も領主も、牙を隠した獣だ。利用するか、利用されるか……長、おまえが決めろ」
アルトは拳を握り、深く息を吐いた。
「俺たちはまだ小さな国だ。だが孤立すれば潰される。……選ばなきゃならないんだな」
その翌日、さらに驚くべき使者が訪れた。
別の領主の旗を掲げた騎士が、数人の兵を伴って現れたのだ。
「王都は異端と呼んでいるが……我らはそうは思わぬ。
むしろ、そなたが敵となれば王家を脅かすほどの力を持つ。
——同盟を結ばぬか?」
差し出されたのは、羊皮紙に刻まれた誓約書。
それは王都を敵に回す危うさを孕む一方、森の国に強大な後ろ盾をもたらす誘惑でもあった。
夜、祠の光を前にしてアルトは独り悩んでいた。
(俺は無能と呼ばれて追放された。ここまで来られたのは仲間のおかげだ。……でも、次は俺が選ばなきゃならない)
光は彼の掌を包み、脈打つように答えを迫っていた。
「異端でも構わない。この森を守るためなら……」
その呟きを、背後で聞いていたリィナが静かに受け止める。
「なら、覚悟を決めろ。森の国はもう夢じゃない。現実の国として、敵と向き合うときだ」
その頃、王都の宰相ダリオは新たな密命を下していた。
「森の国は交易を始めたか……放置すれば民心は奪われる。
ならば次は、金と欲で滅ぼしてやろう」
陰謀の網はさらに広がり、森の国を狭間へと追い込んでいった。