第10話「森の国のはじまり」
討伐隊を退けてから三日。
森は静けさを取り戻し、戦いの痕跡は少しずつ緑に覆われ始めていた。
だが、集落の人々の胸には熱が残っていた。恐怖に怯えていた彼らは、自らの手で戦い抜き、生き延びたのだ。
焚き火を囲み、老農夫が深く頭を下げる。
「アルト様……いや、我らの長よ。あなたのおかげで命が繋がりました。どうか、これからも我らを導いてください」
その言葉に、周りの人々も次々と声を上げた。
「アルト殿がいなければ、森喰らいに食われていた!」
「兵を退けられたのは、祠とあなたのおかげだ!」
「もう無能なんて呼ばせない!」
歓声に囲まれ、アルトは言葉を失った。
無能と呼ばれ、追放され、居場所を失った自分。だが今、ここには自分を信じる人々がいる。
「……俺は導けるほどの者じゃない。ただ、守りたいだけだ。この森を、ここで暮らすみんなを」
それでも人々は頷き、笑顔を向けた。
リィナが立ち上がり、槍を掲げて叫ぶ。
「聞け! この日をもって、我らは群れではなく“国”になる! 森に生きる者、祠を守る者、皆が群れの家族だ! アルトを長とし、ここに新たな国を築く!」
人々の声が森に響いた。
「森の国だ!」
「アルト様を長に!」
熱気が夜空に昇り、星々が応えるように瞬いた。
翌朝、アルトは祠の前に立ち、土に手を触れた。
掌から光が溢れ、芽が一斉に伸びる。畑に麦が育ち、果実の実る木が根を張る。
人々は歓声を上げ、涙を流して大地を抱きしめた。
「……これが俺の役目なんだな」
アルトは胸の奥で静かに呟いた。
無能と呼ばれた追放者は、今や“森を豊かにする者”として仲間たちに認められていた。
リィナが隣に歩み寄り、尾を揺らして笑う。
「どうだ、長の気分は?」
「まだ慣れないよ。けど……悪くない」
二人は笑い合い、集落を見渡した。
小さな焚き火の群れだった場所が、少しずつ畑と家を備えた村へと変わりつつある。
だが、王都では再び陰謀が渦巻いていた。
宰相ダリオは討伐隊の敗北報告を前に、不気味な笑みを浮かべた。
「討伐隊が二度も敗れたとなれば、民はますます“森の守り手”を信じるだろう。……ならば、王権を揺るがす前に、必ず葬らねばならん」
彼は密かに手を打った。辺境の他領主たちを焚きつけ、「森の国」を敵視させる。商人を操って食糧を断ち、間者を送り込む。
さらに、古の封印を解こうと魔導師たちを動かしていた。
「異端には異端をぶつける。森の寵児には、森を呪う怪物を」
その瞳には、憎悪と恐怖が入り混じっていた。
その夜、森の国の焚き火のそばで、カエルが歌を奏でた。
「——追放されし男、森を耕し国を築く。
異端の烙印を押されても、彼は歩む。
やがて王国を揺るがす大河の流れとなるだろう」
歌に人々は耳を傾け、胸を震わせた。
アルトはその歌声を聞きながら、心に誓う。
(俺はもう逃げない。たとえ異端と呼ばれ、国を敵に回そうとも、この森と仲間を守る。ここが俺の……新しい国なんだ)
夜空の星が、祠の光と共に輝いていた。