捩れ捻くれ
市の郊外に建つ、かつて賑わっていたレジャープール施設「ウォータービレッジ」。十数年前に閉業し、今では誰も寄り付かない廃墟と化している。地元では“波紋の底には何かがいる”と囁かれ、肝試しの名所にもなっていた。
大学三年の夏、都市伝説研究サークルに所属する千尋は、後輩の拓人と共に、この廃プールの取材に向かっていた。
「こんなところ、マジで入るの?」
拓人はゴクリと唾を飲む。雑草に覆われたコンクリートの道の先に、青くくすんだプールの影が見えた。
「大丈夫。昼間だし、幽霊なんて出ないって」
千尋はカメラを構えながら笑う。
錆びたフェンスを越え、二人はプールサイドに立った。長年の放置で水は抜けきっておらず、底には濁った水が残っている。風もないのに、水面に小さな波紋が広がっているのが不気味だった。
「なんか……変な音しない?」
拓人がささやいた。耳を澄ませると、微かに“グジュッ……グジュッ……”という水をかき回すような音が聞こえる。
「録音しとこ。音響分析にも使えるかも」
千尋はスマホのボイスレコーダーを起動した。
そのときだった。プールの底、水面に――“何か”がいた。
人間のようで、人間でない。白く細長い腕。節くれだった関節。腰の辺りからねじれるようにくねり、また元に戻るような動き。顔は見えない。いや、“顔”らしきものはあるのだが、見るたびに向きや位置が変わっているようだった。
「千尋……アレ、なに?」
「わからない。でも……動きが……」
千尋は視線を逸らせなかった。その奇妙な生物は、まるで水に浮かぶ“折れた人形”のように、プールの底をうねりながら回遊していた。
「これって、都市伝説の“くねくね”ってやつに似てない?」
拓人が怯えた声を出す。
「そうかも……でも、ほんとに存在したなんて……」
千尋は半ば興奮して、シャッターを切った。
だが次の瞬間、その“もの”がピタリと動きを止めた。
まるで――「見られている」と気づいたかのように。
「ヤバい……動いた!」
“それ”は急に水面を駆け上がり、信じられない速度でコンクリートの壁を這い上がった。ぬるり、と音を立て、白い体が直立する。
「逃げろ!」
二人は走り出した。フェンスまでの距離はたった十数メートル。しかし足音が一つ、二つと増え、背後にぴったりと張り付いてくる。
フェンスを越えた瞬間、拓人が悲鳴を上げて倒れ込んだ。
「どうした!?」
拓人の足首に、濡れた白い手が絡みついていた。くねる腕は、関節を逆に折り曲げながらも、まるで意志を持っているように拓人の脚を締め上げる。
千尋は咄嗟に足元の鉄パイプを拾い、腕を叩いた。
“グシャ”
不気味な音を立てて腕がちぎれる。その瞬間、白い“それ”は、声も出さずに崩れ落ち、液体のように水たまりへと消えていった。
呼吸を整えながら、二人は車へと逃げ帰った。
⸻
一週間後
大学の資料室で音声データを確認していた千尋は、録音ファイルの異変に気づいた。
水音の合間に、微かに混じる“人間のような声”。
「……みないで…………しらないふりをして……」
何度も繰り返されるその囁きは、明らかに現場で誰も発していないものだった。
千尋は背筋を凍らせながら、ディスプレイを閉じた。
だがその反射に、一瞬――背後に“白い腕”が見えたような気がした。