らぶさいこ学園
安威西湖学園入学式。その入学式で学園長が声高に叫ぶ。
「皆さんにはこの三年間、卒業まで共に歩む人生の疑似パートナーを決めて頂きます!」
家から距離が近いという理由で高校を選んだ罰が下ったのか、相澤紬の初期パートナーは、隣の席のヤンキー藍田知だった! パートナー変更可能とはいえ初期パートナーとは一週間過ごさねばならない。
(ぱ、ぱしりにされる…!)
ヤンキーに怯える紬と、そんな彼女で楽しむヤンキー知の三年間。
「――新入生諸君。入学おめでとう。安威西湖学園、学園長の西庵幸土が皆さんの入学を心より歓迎しよう」
壇上の男の声がマイクにのって広い講堂に響く。
真新しい制服に身を包み、パイプ椅子の感触を心許なく感じながらも、新入生の相沢紬は精一杯背筋を伸ばして偉い人の挨拶に耳を傾けていた。
入学式とあって、周囲には知らない人ばかり。新しい環境で失敗しないように、せめて一日目だけでも背筋を伸ばしていたい。真新しい人間関係を構築する前に悪印象はもたれたくない。そんなドキドキもあって、紬は意識して背筋を伸ばしていた。
気を抜くとストレートの黒髪を弄りそうになるが、なんとか堪えて前を向く。鳶色の目を見開いて、ちょっと怪しい学園長を見上げた。
ぱっと見、三十代半ばに見える。茶髪、茶色いスーツ、焦げ茶のサングラスと、とっても怪しい格好をした、学園長を。
「我が校は築十年と歴史の浅い、比較的新しい学校です。しかしだからこそ可能性の塊! 我が校は常に最先端を走行中です!」
なんだか流れが変わったぞ。
真剣に話を聞いていた紬は、両手を掲げながら叫ぶように演説をはじめた学園長に嫌な予感を覚えた。
「最先端を行く我が校で、手始めに必ず守らなくてはならない校則より大事な決まり事を説明致しましょう!」
初耳である。
そう言うのって入試前の学校説明会などで説明すべきでは?
「昨今、少子化により学生が減少の一途を辿り、廃校に追い込まれる学校が急増しています。そもそも何故少子化が進むのか? 不十分な生活福祉や物資の高騰。問題は数々ですがその中でも我々にできることは何か…そう模索した結果気付きました。現在、我々には、愛が足りないと!」
ばっと両手を広げ、声高に宣言する学園長。
呆然と見上げる新入生。
悟り顔の在校生。したり顔の教員達。
入学式、保護者の同席はないため、生徒だけが壇上の男を見上げている。
「そもそも出会いがなければ付き合えない。付き合いがあっても納得できなければ結婚はできない! 自己を優先するこの時代、その自己を尊重し会える人間に出会えなければ独り身は増え続けるでしょう。それでいいのか日本!? いいわけがない! ならばどうすればいいか…時間をかけて、尊重できる相手を見付ける訓練が必要だと!」
何を言っているのかよくわからない。
紬はだんだん壇上にいるのが未知の生命体に見えてきた。
「そのために、皆さんにはこの三年間、卒業まで共に歩む人生の疑似パートナーを決めて頂きます!」
何を言っているんだこの人は。
新入生の口がぱかんっと開いた。
「情報社会に慣れた我々は画面の向こう側ばかりで、対面の人間関係を忘れてしまっています。人と関わる上での想像力! それを養うために、三年間の疑似パートナーを作って人付き合いを思い出すのです!」
新入生達は揃って宇宙に打ち上げられていた。
「あ、ちなみに初期のパートナーは初回サービスとして、お隣さんで決めておきました」
なんか大事なことをさらっと言われた気がする。
「勿論初回サービスなので変更しても構いません。相性は必ずありますからね。お互い尊重せねばなりません。しかし一度パートナーを決めたら、一週間は変更禁止です。パートナー申請は必ず行うこと。大丈夫、アプリでポチッとするだけです。そして何より大事なのは、パートナーと一言で言っても恋人関係に限定していないことです!」
なんか大事なことを言っている気がするが、全く頭に入ってこない。
隣の人がなんだって? なんて言った?
「人生のパートナーは何も伴侶だけではありません。何よりこれはトレーニング! 友人。師弟。バディ。なんだっていいのです!」
なんだっていいと言われても勝手に決められた相手とどう交流しろというのか。
変に意識して変な汗が溢れてきた。
紬は身体が震えないように、ぎゅうっと拳を握りしめる。心臓が早鐘のように鳴っていた。
「ただし、名前だけの関係でお互いに不干渉では元も子もない。一年に三回、相性確認と親密度試験を行い、結果を単位として反映させます!」
えっマジで?
イヤどういうこと?
仲の良さが単位に直結しちゃうの?
「単位が関わるなら利益だけの関係になる? それもいいでしょう。利益だけの関係を貫くか、いずれ最大のパートナーになり得るか。それは君たちの付き合い次第。人付き合いに正解はない。人との付き合い方は色々あります。この学園で最愛に出会えなくても、いずれで会える最愛のため、ぶつかり合ってください…結局、学園は何を言いたいのかって?」
後半は静かに語りかけた学園長が、すっと大きく息を吸い、大きく口を開いた。
「愛さ! 人と繋がってこそ愛がある! この三年間、愛について討論を繰り返してくれたまえ!」
以上! 学園長からのありがたいお言葉でした!
自分でそう締めくくり、学園長は演説台から飛び出して拳を掲げた。
「愛、サイコー!!」
「「愛、サイコー!」」
二三年生から上がる合いの手。振りかざされる握りこぶし。
熱狂的な雄叫びに、新入生達は再び宇宙を背負った。
本日顔を合わせた他人ばかりだが、きっと皆同じことを考えていただろう。
ヤベえ学校に来ちまった。
紬は新入生の一人としてしっかり宇宙を背負ったあと、恐る恐る右隣を見上げた。
男女二列。男女混合の出席番号順、奇数偶数で並んだ一年生は、紬と同じように隣を確認している。
変更可能な初期パートナー。
逆に言えば変更しなければ卒業までずっと一緒な疑似パートナーが、現在隣に座っている生徒だ。
出席番号は男女混合なので、隣に居るのが必ずしも異性とは限らない。
パートナーの関係は自由だと言ってはいたが入学式だというのにとても騒がしい空気になっていた。
在学生達が大声で合いの手を入れているので、新入生達の動揺などとても小さいものだったけれど。
…実は紬は、入学式が始まってからずっと、なるべく隣を見ないようにしていた。なんなら教室に戻るまで、隣は一切見ないでいたかった。
だって隣に居るのは、紬が今まで関わったことのないタイプ…バリバリヤンキーだったから。
髪は入学初日からブルーに染めたツーブロック。綺麗に染められた青の下から覗く耳朶には少なくともピアスが六つ。学ランは前が全開で、下に着ているボーダーのパーカーが丸見えだ。
見るからにガラの悪い男子生徒は、一応学園長の話を聞いていたらしい。意外にも起きていて、隣に座る紬をじっと見下ろしていた。
つまり、隣を見た紬と、視線が合う。
「ひょぇ…」
青いつり目と目が合って、紬は蛇に睨まれたカエルのように萎縮した。
「ひょ…ひょろしくおねがいしましゅ…っ」
怯えが露骨に滑舌に出た。
小さく震える紬は、どこからどう見ても獅子に怯える小ウサギだった。
震える紬を見下ろして、男子生徒はゆっくり瞬きを一つ。
「ふーん」
ゆったり伸びた手が、紬の染められたことのない黒髪を掬う。直毛過ぎてヘアアレンジがしにくいことが悩みの黒髪を、紬より大きな異性の手がつんっと引っ張った。
とても小さな力加減。痛みはない。
痛みはないが、引っ張られて、逃げることも目を逸らすこともできない。
感触で毛先がくるくる弄ばれているのを感じ、どうすればいいのかわからず血の気が引いていく。
血の気の引いた顔で震える紬に、彼はにやりと笑った。
強者が弱者を甚振るような、そんな嗜虐的な笑みだ。
「俺、藍田知」
「ひょわ…あ、相沢紬でひゅ」
名乗られたからには名乗り返さねばならぬと、そんな真面目で律儀な部分が顔を出す。怯えながらも名乗った紬に、彼…知はより笑みを深めた。
「三年間、よろしくぅ」
「ひょっ」
仕上げにつんっと軽く引っ張られた髪。指先に巻き付いた髪が、限界まで引っ張られてさらりとほどける。
(い、今…三年間って、言った?)
お試し期間の一週間でもなく、一年でもなく、三年と。
隣人との相性を悩む新入生達の中で、彼はあっさり最大年数を口にした。
戻って来た髪が頬に当たる感触を覚えながら、紬は心の中で悲鳴を上げる。
紬はこの三年間、自分たちがどんな形のパートナーになるのか見えた気がした。
小動物を弄ぶ獅子と、必死に逃げ回る小ウサギ。
傍若無人なご主人様と、意志薄弱な奴隷。
そう、主従である。
(だ、誰か、誰か助けてぇ…!)
紬は獅子に甚振られる兎の気持ちで震えた。
――そんな恐怖の入学式から、一ヶ月。
紬は相変わらず、恐怖に震えながら座っていた。
パイプ椅子ではない。教室の椅子でもない。なんなら床ですらない。
やけに豪華な椅子に王者の風格で腰掛けるパートナー藍田知の膝の上に、横向きで座っていた。
(なんでぇえええ…!)