1-5
夕暮れ前の柔らかな陽光が、三人の影を長く伸ばしていた。春人、真希、楓の三人は、寄り道もせず村の小道を並んで歩いていた。
「でさ、先生の言い方、やっぱりイヤミだよな?」
「春人君がずっと窓の外を見てたからでしょ」
「見てねぇよ。風が気になっただけだって」
「……ほら、そういうとこ」
真希はわかりやすく不機嫌そうに顔を背ける。春人も意地になって言い返すが、心のどこかでは、こうした口論すらも習慣のように感じていた。
そのやりとりを横で見ていた楓は、小さくため息をつくと、ふたりの間に視線を落とした。
「また……。ねえ、ふたりとも、仲がいいのか悪いのか、ほんとわからないよ」
「楓はどう思う?」と春人が聞くと、楓は少し考えてから微笑んだ。
「ちょうど真ん中、かな。どっちも半分ずつ、って感じ」
春人が苦笑し、真希は気まずそうに前を見たまま何も言わなかった。
やがて杜宮家の門の前に差しかかると、楓が足を止めて春人の方を向く。
「ねえ、春人君。朝も聞いたけど、今日の夕ご飯、うちで食べて行くでしょ?」
「……あ、うん。でも、そう何度もいいの? 」
「父はいつだって春人君を大歓迎だよ。それに、椿姉さんも、ね」
その言葉に、真希がふと目を伏せ、かすかに口元を引き結んだ。
「……私は、帰る」
「えっ?」
楓が驚いたように声をあげるが、真希は背を向けたまま振り返らずに続けた。
「椿さん、ちょっと苦手だし。私はいいや」
その言葉を残し、真希は小道の角をくるりと曲がって姿を消した。
春人は彼女の背を見送りながら、複雑な気持ちを胸に残していたが、何も言わず、楓と一緒に門をくぐった。
杜宮家は、木の香りが残る立派な門構え、石畳の奥に構える大きな母屋。春人にとっては馴染みのある場所だったが、その立派な出立に来るたびに背筋が伸びる。
「ただいまー」
楓の声が玄関に響いた直後、奥から軽やかな足音が近づいてきた。
「おかえり、楓……あ、春人君! 来てくれたんだ」
そう言って顔を出したのは、楓の姉・椿だった。
長い髪を後ろで緩くまとめた姿に、エプロン姿がよく似合っている。だがその物腰には、母親のような包容力よりも、どこかいたずらっぽい余裕と大人の軽やかさがあった。
「久しぶりだねぇ。また背、伸びた?」
椿はにこりと笑い、春人の頭に手を置いて軽くなでる。撫でるというより、じゃれつく猫をくしゃっと可愛がるような、そんな距離感だった。
「かわいい弟分が来てくれて、今日は嬉しいな。さ、上がって上がって」
「……お邪魔します」
椿の声には照れも遠慮もなく、春人は自然と顔を赤らめた。言葉のひとつひとつがくすぐったく、それでいて心地よかった。
居間に入ると、食卓にはすでに夕食の支度が整っていた。炊き立ての白いごはん、香ばしい焼き魚、湯気の立つ味噌汁。どれも素朴で家庭的だが、どこか丁寧で温かい。
ほどなくして、楓の父が座敷から現れた。凛とした顔立ちに、静かな威厳をまとった男性。彼がこの村の長――村長であり、杜宮家の家長だ。
「春人君、来てくれてありがとう。ゆっくりしていってね」
「こちらこそ、ありがとうございます」
春人は背筋を正して挨拶をした。
村長の柔らかな物腰の奥に、時折見せる鋭さ――それが彼の印象だった。
「君がこうして遊びに来てくれると……家も少し明るくなるよ。……息子がいた頃は、こんなふうに……」
村長はふと懐かしむように言葉を漏らしたが、それ以上は何も言わなかった。春人もまた、その続きを聞こうとは思わなかった。
春人は気づいていた。この家には、触れない方がいい“空白”があることを――。
けれど、この食卓はあたたかかった。
楓が笑えば椿が微笑み、椿が軽口を叩けば、村長も小さく笑みをこぼす。
春人はこの瞬間だけは、自分がよその子ではないような、不思議な感覚に包まれていた。