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村の学校は、小学校と中学校が同じ敷地に建っていた。
村内に子どもは少なく、春人たちの学年はたったの六人。中学に上がれば、全校生徒を合わせても三十人ほどしかいない。教室の数も限られていて、春人たちの学年は旧校舎の二階、南向きの教室を使っていた。
窓からは畑と山林しか見えない。遠くに小さな神社の屋根が、森の中に沈むようにして見えた。
春人はその屋根を、ふと目で追っていた。
朝の授業は国語だった。先生の声が淡々と教科書を読み上げている。季節の詩を扱った単元で、春が訪れる田舎の情景を描いた文章だったが、春人の耳にはどこか現実離れして聞こえた。
(春は、こんなにのどかなもんじゃない)
少なくともこの村において、春は“儀式”の季節だった。
毎年、三月三十一日になると、村中の大人たちが神社へ向かう。
神社の境内は普段は立入禁止で、しめ縄が張られている。
その禁が破られるのは、たった一日――3月31日の成人の儀が行われる夜にだけだ。
儀式に参加できるのは、その年に成人を迎えた者のみ。
それ以外の者が神社に入ることは、固く禁じられている。
小さい頃から何度もそう言われて育った。
両親もそうだった。村の大人たちも、学校の先生も。
とにかく“あの場所”には近づくな。
神に祟られる、と。
でも、なぜなのかを誰も教えてはくれなかった。
「和泉、聞いてるか?」
「……はい!」
突然呼ばれて、春人はびくりと体を起こした。
教壇からは、国語の教師である中年の男性――奥村先生が、じっと春人を見ていた。
「じゃあ、この詩の“山笑う”という表現について、お前の感じたことを言ってみろ」
「えっと……えーと……」
慌てて答えを探す春人の横で、真希が小さくため息をついた。
その仕草に少しムキになりかけたが、言葉は出てこない。
すると、春人の斜め前の席から、やわらかな声が助け舟を出した。
「“山笑う”は春の季語で、山の木々が芽吹きはじめる様子を、笑顔に喩えているんです。冬の静けさから目覚めて、生きものたちが動き出す、その一瞬を捉えた表現だと思います」
声の主は、杜宮楓だった。
先生は満足げに頷いた。
「うむ。さすが杜宮。よく読めている」
春人はその横顔を見ながら、小さく息をついた。
楓は昔からこうだった。真面目で、誰よりも空気を読むのが上手くて、誰にも嫌われない。
村の誰もが、「杜宮家の娘は立派だ」と口にする。
父親は村の実質的な長であり、春の儀式を取り仕切る人物。
楓自身も、そんな役割を受け入れて育ってきたように見えた。
(本当に、それでいいのかよ……)
春人は自分のなかの苛立ちを、誰にもぶつけることができなかった。
窓の外では、風に吹かれて一本の白い花が揺れていた。
神社のあたりにしか咲かない、あの透き通るような花。
美しいけれど、どこかおぞましい。
それは、春が運んでくるものの正体のように見えた。