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朝、学校へ向かう道は一つしかなかった。
山の尾根沿いに細く続く獣道のような小道を、春人は毎朝歩いていた。通学路と呼ぶにはあまりに心もとないが、村の子どもたちはみんな、この道を使って学校へ通っている。
登り坂を越え、視界が開けたところで、春人は見慣れた背中を見つけた。
「おーい、真希!」
声をかけると、少女はぴくりと肩を揺らしたが、振り返りもせず、そのまま歩き続ける。
やがて追いついた春人は、笑いながら隣に並んだ。
「なんだよ、無視か? 冷たいな」
「……朝からうるさいの」
短くそう返したのは、高橋真希。春人とは同い年で、物心ついた頃からの幼馴染であり腐れ縁だ。口調は常に刺々しく、喧嘩を売るような目つきをしているが、なぜか毎朝こうして一緒に登校してくれている。
「してくれている」などと言えば、本人はきっと怒るだろうが。
春人は肩をすくめ、言葉を探す。
「別にさ、喧嘩したいわけじゃないんだけど」
「じゃあ黙って歩けば?」
「……はいはい」
そんなやりとりをしていると、今度は前方にもう一人の少女が見えてきた。村でも一際大きい家。その前で待つのは、透き通るような黒髪に、整った後ろ姿。彼女の名前は、杜宮楓。村長の娘であり、春人や真希とは小さい頃からの幼馴染だった。
頭が良くて、面倒見もよくて、村の大人たちからも信頼されている。村で最も“優等生”らしい少女だ。
「おはよう、楓」
春人が声をかけると、楓はやわらかく振り返り、微笑んだ。
「おはよう、春人くん。真希ちゃんも」
「……おはよ」
真希は視線を逸らしながら、少しだけ声を絞り出すように言った。
三人は、長いあいだずっと一緒にいた。
でも最近になって、少しずつ距離が変わってきたように春人は思う。
真希はなぜか春人に対して刺々しく、気に食わないような態度ばかり取る。けれど、そのくせ春人のすることが気になって仕方がないらしい。
楓はその二人の間に挟まれて、いつも穏やかに笑っている。けれど春人には、その笑顔の奥に、何かを押し殺しているような影を感じることがあった。
春人自身も、自分の気持ちがよく分からなくなっていた。
気づけば目で追っているのは、楓の姉――椿の姿だった。
昔から優しくしてくれていた椿は、まるで春人にとって姉のような存在だった。けれど成長するにつれて、春人の中でその感情は少しずつ変わっていった。
椿に認められたい。子どもじゃないって思われたい。
そう思えば思うほど、春人は「この村の掟」のことが気になっていった。
(あの神社には、何があるんだろう)
(大人になれば自然と分かるって……それって、今じゃ駄目なのか?)
そんなことを考えながら歩いていると、楓がふと足を止めた。
「ねえ、春人くん」
「ん?」
「今夜、うちでご飯食べていかない? お父さんが、久しぶりに魚を釣ってきたって」
「いいのか? じゃあ、お言葉に甘えて」
そのやりとりを聞いた真希が、わざとらしく咳払いをした。
「あんたさ、いつも楓の家に入り浸ってんじゃん。ちょっとは遠慮しなよ」
「なんだよ、また始まった」
「始まったって、あんたが……」
「……もう、また?」
楓が困ったように微笑んで、二人の間に入る。そうして三人での通学路は、いつもの調子で終わっていくのだった。