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『村ノ掟』  作者: 雨徒然
1/27

1-1


 春が来た。


 そう言っても、この山あいの村に届く春は、町よりもずっと遅く、ずっと静かだった。


 雪はすっかり溶け、ぬかるんだ道端に野花が顔を出しはじめたころ、小川では水かさが増し、岩のあいだからせせらぎが音を立てる。空気はまだ冷たかったが、風の匂いに、確かに季節の変わり目の気配があった。


 ただ、この村に咲く春の花は、どこか異様だった。


 白く、透き通った薄い花弁。人の骨を思わせるような形。風に揺れるたび、まるで何かの鼓動のように、花が脈打っているようにも見えた。


 誰もその花の名前を教えてはくれない。


 けれど村人たちは口を揃えて言う。

 ――春の花が咲く頃、神が目覚める。


 そして、成人を迎えた者は、神のもとへと進み、村の真の一員となるのだと。


 その意味を、子どもたちは知らない。ただ、「大人になったら神社に行く」と教えられるだけだ。

 けれど、和泉春人は思っていた。


(どうして、“子ども”じゃ駄目なんだろう)


 村の外れにある神社は、いつも静かだった。木々に囲まれたその場所には、季節の色彩も届かない。鳥居は黒ずんだ古木で、年月の重みに耐えているように軋んでいる。


 その鳥居の中央、肩の高さにも満たない位置に、異様に低い注連縄が張られていた。まるで人が通ることを拒んでいるかのように、わざとそう設計されているようにしか思えない。


 春人はそこに立ち、しばらくじっと鳥居を見上げていた。


 山あいの空気は冷たく、耳の奥まで静けさが染みてくる。木々のざわめきもなく、まるでそこだけ時間が止まっているようだった。


 春人はこの村で生まれ育ったが、閉じた空気がずっと苦手だった。何もかもが決まりきっていて、みんながそれを当たり前のように受け入れていた。


 この春、彼は村の小学校を卒業した。


 本当は、隣町の中学校に進学したかった。


 新しい景色を見てみたかった。知らない人と出会いたかった。この村の外には、自分の知らない何かがあると信じていた。


 けれど、両親は反対した。


「村の掟を知らない場所で育つのは、よくない」


 そう母が言った。父は無言で頷いていた。


 和泉家は代々、この村に根を張って生きてきた家だった。といっても特別な血筋ではない。ただ、春人の両親はともにこの村の出身であり、村のしきたりを守ることが当たり前のように身に染みついていた。


 母は口うるさい人だったが、悪い人ではない。むしろ春人にとっては、誰よりも村のことを考えてくれる存在だった。父は寡黙で、滅多に口を出すことはないが、母と同じ考えの持ち主だった。


 そうして春人は、結局この村の中学校に通うことになった。


 それが、仕方のない選択だったことは分かっている。


 でも、胸の奥にはずっと、言葉にならないしこりが残っていた。


(ずっとここにいて、俺は“何”になるんだろう)


 同じ春を繰り返し、同じ道を歩いて、大人になっていく。

 そして、春の祭りを迎えたとき、自分もまた、神社へと向かうのだろうか。


 けれどそのとき、自分が“何に”なるのかは、誰も教えてくれなかった。

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