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  作者: 志賀将治
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第六部

 夕食時、テレビでやっているバラエティ番組に平野が釘付けになっている間、美鈴は箸をくわえたまま虚空を見つめ、今日あったことを考えていた。

 平野の思い通り、津山が以前の無礼を詫びに現れてくれたところまではなんともなかった。むしろ、彼が素直に謝罪の意を示してくれたことにホッと安堵した。その時点では…。

 突然、リビングの鏡に話題が向けられ、津山はそれを譲ってほしいと美鈴に頼み込んだ。いくらで購入したか知らないにも関わらず、津山はその倍を支払ってでも鏡を手に入れようとした。

(趣味が高じたせいなのかしら?)

 美鈴は一瞬そう考えたが、津山のあの異変ぶりを顧みた結果、それはないだろうと自分の考えを否定した。日頃から西洋趣味に凝っている津山がマニアばりの執着心を発揮したとしても、昼間の奇行はいくらなんでも異常性に満ちていたからだ。

 美鈴は、虚空から鏡に目を移した。

 津山が有り金をはたいたり、膝を突いたりしてまで手中に収めたいと思うほど、実は意外な拾い物だったのかもしれない、という想像が彼女の脳裏をかすめた。

 アンティーク用品の価値についてまったく無知の美鈴は、骨董品店で一目惚れした鏡の本来の価値を知らなかった。が、西洋マニアの津山は一目でその価値を見いだし、我が物にするために譲ってほしいと美鈴に直談判した。

 平野から誕生日プレゼントとして買ってもらった思い入れのある鏡ゆえに美鈴は断ったが、津山は是が非でも手に入れようと金をはたき、そして膝まで突いた。

(それだけこの鏡には価値があるということなの?)

 と、美鈴は誰に問うわけでもなく頭の中でつぶやいた。

 しかし、その場合疑問も出て来る。

 荷物運びを手伝ってくれた津山を、お礼を兼ねて部屋に招じ入れたときのことだ。

 あのとき、津山は鏡に向かってなにかをつぶやいていた。一人しゃべりをしているようにも見えたし、鏡に映る自分に向かって話しかけているようにも見えたが、どちらにせよ異様な光景だったのは間違いなかった。

 その疑問を解く一つの説として、平野の自論がある。平野は、西洋趣味へのこだわりが強い津山がリビングの鏡に目を奪われ、無意識に一人しゃべりをしていたのではないか、と想像した。

 しかし、相変わらず美鈴はその説に懐疑的だった。

 確かに、小説やドラマの世界では登場人物の個性を印象付ける要素としてあるかもしれない。

 しかし、美鈴は活字で彩られた小説やテレビ画面に映るドラマではなく、実際に津山が鏡に向かって一人でしゃべっているのを目の当たりにしているのだ。美鈴にはどうしても、その光景が正常な現実の一片として捉えることができなかった。

(もうわけが分からない)

 美鈴は箸をくわえたまま頬杖を突いた。

「なにか考え事?」

 いつの間にか平野がテレビから美鈴に目を移していた。

「ちょっとね。大丈夫、なんでもないから」

 と、美鈴は作り笑いを浮かべてごまかしたが、

「隠すなよ。多分、津山さんのことだろう? なにかあったんなら話してごらんよ」

 と、平野は心配そうに顔を寄せた。

 心配性の平野に余計な心配事を増やさせたくないと思って美鈴はあえて今日のことを黙っていたが、結局胸の中に抑えていたモヤモヤを晴らす意味も含めて正直にすべて話した。

 聞き終えた平野はテレビを消すと、お茶を一口飲んで小さく息を吐いた。

「実はさっき、マンションに帰る途中で木下さんに偶然会ってね。ちょっとばかり話をしたときに今日のことも聞いたよ」

「なによ。それじゃあ最初から知ってたの?」

「知ってた。美鈴が隠さず教えてくれると思ってたからね」

「…ごめん」

「もういいよ。それで、そのとき木下さんから津山さんのことで妙なことを聞いたんだ」

「なにを聞いたの?」

 と、興味をそそられた美鈴が顔を寄せた。

「とある夏の深夜に木下さんが部屋の窓を少し開けて寝ていると、外から隣の会話が丸聞こえだったらしい。声の主は津山さんで、木下さんはてっきり津山さんが夜遅くに誰かを招いて話し込んでいると思ったらしいんだけど、翌々聞いていると津山さんの声しか聞こえなかったんだって。不審に思った木下さんが窓を全開にして聞き取りやすいよう顔を外に出したら、隣の窓から津山さんが睨んでたんだって」

「怖い…」

 美鈴は背筋に悪寒を感じブルッと震えた。

「盗み聞きをされた腹立たしさがあったからかもしれない、と木下さんは言っていたけど、結局それをきっかけに津山さんとは距離を置くようにしたんだって。木下さんいわく、距離を置きたくなるぐらい津山さんの睨み顔が怖かったんだとさ」

「結局、津山さんって一人でしゃべってたのかしら?」

「そうかもね。美鈴が見たときと同じだったのかもしれない。しかも、これはボクたちがこのマンションに越すより前のことらしいから、ひょっとすると以前から一人しゃべりの癖があったのかもしれない。となると、美鈴が見た津山さんも特別珍しいわけじゃなかったのかもよ?」

「なるほどねえ…」

「それともう一つ。話を盗み聞きしていた木下さんは、津山さんが『チエコ』って名前を何度も言っていたのに気付いたらしい」

「女の人の名前ね。誰かしら?」

「さあね。少なくとも津山さんのほかに誰かがいる様子は、会話を聞く限りまったくなかったと木下さんは言っていたから、ひょっとすると津山さんは『チエコ』って名前の存在しない女性と会話をしていたのかもしれない」

「イマジナリーフレンドっていうんだっけ?」

「それかどうかは判断し兼ねるかな。イマジナリーフレンドは通常幼少期に訪れる現象らしいけど、津山さんはボクより年上のいい大人だからね。ともかく、美鈴に見せた態度や今の話を聞いた限り、津山さんにはまともじゃない一面があることが分かったから、今後は木下さん同様に距離を置くのが無難だとボクは思うけど、美鈴はどう?」

 と、平野は人付き合いを大切にする美鈴に一応尋ねた。

 今の話を聞いた美鈴は、津山に対して確かに得体の知れない恐怖を抱いた。日常的に笑顔を絶やさない津山が人を睨み付けたという事実が中々信じられないだけに、ショックの度合いは大きかった。

 美鈴はコクッと頷いた。

 しかし、実際は踏ん切りがつけられなかった。

(私は津山さんがおかしいとはとても思えない。むしろ…)

 美鈴の視線が、壁に掛けられた鏡に向けられた。

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