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  作者: 志賀将治
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第三部

 午前の家事を終えた美鈴は、軽い昼食を摂ってから夕飯の買い出しに出かける準備を整えた。

 エコバッグ二つ、財布、自転車のカギを手にし、最後にリビングの壁に掛けられた鏡の前に立ち、乱れがないかと確かめる。

 さて行こう、となった際に美鈴はジッと鏡を見つめ、

「鏡よ鏡、世界で最も美しいのは誰だ?」

「もちろん、それはあなただ」

 と、清楚な声と野太い声を使い分けて一人芝居を始めた。

 小さい頃に読んだ童話の「白雪姫」に出てくる魔女と魔法の鏡のやりとりを思い出し何気なしに披露したつもりだったが、舞台監督も唖然とする大根演技な上に、肩に引っかけたエコバッグが滑稽でとても様になっているとは言えなかった。

 開いた窓の外から車の走行音やクラクション、鳥のさえずりやカーテンを揺らす風の音がするだけの爽やかな室内で、美鈴はジッと鏡を凝視し続けていた。

「バッカみたい」

 美鈴は苦笑いを浮かべてから、そそくさと部屋を出て行った。

 距離的に近くもなく遠くもないスーパーへ行き、美鈴は今晩の夕飯のおかずと一緒に、平野の好きなメーカーのビールとつまみを買った。

 買った品々を詰め込むと、あっという間に二つのエコバッグはパンパンに膨らんでしまった。

 今にも取っ手が千切れてしまいそうなほど重いエコバッグ二つを、美鈴は踏ん張りながら自転車のカゴに入れた。もう一つはカゴに入らなかったので、片方の手すりに引っかけた。

 片側だけに重心がかかっているのでバランスが安定しないが、同棲を始めた半年前から続けている習慣なので美鈴は難なく自転車を漕いでいた。

 マンションに到着し美鈴は両手にエコバッグを持ちながらエレベーターへと向かった。

 ボタンを押そうとしたとき、エレベーターが開いて中から津山が現れた。

「お買い物ですか?」

「はい。今帰ってきたところです」

「お手伝いしましょうか?」

「でも津山さん、用事があって下りてきたんじゃ…」

「たいした用じゃありませんから、お気になさらずに」

 津山が言うので美鈴は遠慮なく甘えることにした。

 津山は特に重そうと思われる方のエコバッグを受け取り、エレベーターが閉まらないよう「開」のボタンを押して美鈴を中へ入れた。こういう細部まで行き届いた彼の気配りを見るたびに、美鈴は改めて津山に惹かれる女性が現れないのを不思議に思った。

 玄関に到着し美鈴がカギを開けると、津山は「どうぞ」とエコバッグを差し出した。

 会釈しその場を去ろうとした津山を美鈴は呼び止めた。

「もしよかったらお茶でもいかがです?」

「いえいえ、お気遣いなく」

「そんなことおっしゃらないで。お手伝いしてもらったお礼もしたいですし。洋菓子も残っていたはずですからぜひ」

 と、遠慮する津山を美鈴は懸命に誘った。手伝ってもらったとき、美鈴はなにかしらの形で恩返しをしなければ気が済まない性分だった。

「それじゃあ、お言葉に甘えようかな」

 と、津山はペコッと頭を下げてから上がり込んだ。

 美鈴に促され、津山はリビングのソファにゆっくり腰を落とした。

 津山がくつろいでいる間、美鈴は買ったばかりの紅茶と、保存しておいた洋菓子の用意にかかった。以前、津山と世間話をしたとき、彼がオクシデンタリズムの趣向に傾倒していると聞いていたのを覚えていたので、日本茶よりも紅茶の方が喜んでくれるのを美鈴は知っていた。幸い、つまみも和菓子ではなく洋菓子という津山にとっては嬉しい組み合わせが揃っていたので、美鈴は招いて正解だったと思った。

 湯気を立てる紅茶の入ったティーカップと洋菓子をトレーに乗せた美鈴がリビングへ行くと、ソファに座っていたはずの津山が壁に向かって立っているのが目に入った。

 鏡をジッと見つめていたのだ。

「津山さんなら関心を持つと思っていました」

 西洋趣味の津山が見惚れるのも当然だと思い美鈴は笑ったが、近寄ってすぐその笑みが引っ込んだ。

 いつになく真剣な顔で、津山が鏡に映った自分に向かってなにやらブツブツと語りかけていたからだ。

 かすかに泳ぐ目は瞬きもせず、その視線は鏡にしか向けられていない。鏡以外のものが一切視界に入っていないように見えた。

 直立不動で鏡を凝視しながら口だけを動かしている津山の異様な姿を目の当たりにした美鈴は、しばらくその様子を呆然と眺めてから恐る恐る声をかけた。

「どうかなさいましたか?」

 津山はハッと我に返った。

「あっ、いや…。すみません、もうお邪魔します」

「えっ。どうしたんですか、いきなり?」

「いえ、なんでもありません。失礼します」

 困惑する美鈴に頭を下げてから、津山はまるで逃げるように部屋を飛び出した。

 取り残された美鈴はわけが分からない様子で、トレーを持ったまま立ち尽くした。

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