第一部
これはきっと運命的な出会いに違いない、と下崎美鈴は確信した。
彼女は今日、同棲している彼氏の平野進と一緒に、住んでいるマンションからそんなに遠くない場所に建っているとある骨董品店に足を運んでいた。半年前にこの町へ引っ越してきた美鈴と平野にとって、初めて訪れる店だった。
来店の目的は、先日誕生日を迎えた美鈴へのプレゼントだった。
行ったことのある店へ行くのは平凡ということで、美鈴が興味本位で骨董品店を提案したため訪れたが、美鈴自身ここで惹かれるプレゼントに遭遇するとは期待していなかった。
しかし、美鈴は店内の壁に掛けられたある物を見た途端、運命的な出会いを果たしたんだと信じた。
それは、アンティークなウォールミラーだった。
花と小鳥の彫刻が施されたフレーム(一見すると木製のようだがどうやら樹脂製らしい)が優美で、いかにも富裕層が好みそうなヨーロピアンを意識した装飾が芸術性を一層際立たせている。
店内には鏡のほかにも目を惹きそうな興味深い調度品などの品々が所狭しに置かれているが、美鈴はなぜかその鏡に魅了された。
いかにも中古品を思わせるわずかなキズと汚れが目立つが、そういうのを取り扱っている店というのも承知の上だったので買うならぜゼイタクは言えないな、と美鈴は自分を納得させた。
美鈴は値札に目を落とした。
途端に彼女は眉を寄せた。
(高い…。それも中古なのに)
金額はほぼ十万近い数値を示していた。
美鈴は顔をしかめると、ハーッとため息を吐いた。安くはないだろうと思ってはいたが、中古品の壁掛け鏡一つに目の前の額は想定外だった。
「なにか見付かった?」
と、背後から平野が声をかけた。
「この鏡、素敵だと思わない?」
美鈴は、目の前の鏡を指差した。
平野はじっくりと鏡を見て、それから値札を見下ろした。
案の定、平野の表情が曇った。
「高いな」
「だよね」
「しかも中古でこの金額?」
「そうなのよ」
「…欲しいの?」
「もしよかったらね」
「でも、鏡なんて洗面台のがあるだろう? 別に二つもいらないんじゃないか」
「殺風景な室内に必要な雰囲気を足すインテリアの意味で、私はどうかと思ってるんだけど」
「インテリア?」
「室内装飾よ」
「それは知ってるよ。けど、いくらインテリアとは言っても、ボクたちが暮らしている部屋にこの豪華そうな鏡、少しばかり不釣り合いな気がするんだけど」
平野の言葉に美鈴は反論を試みようと思ったが、彼のいう言葉も一理あると思い口をつぐんだ。実際、二人が住んでいる部屋の様式に対し、この鏡は場違いもはなはだしいほど絢爛たるものだった。
「そうかもしれないけど…」
と、鏡を諦め切れない美鈴は食い下がった。
「いや、やめておこう。鏡なら安くて部屋の様式に相応しいのがほかの店にあるだろうから、それを選んで買おう」
「私はこれがいいの」
「どうして?」
「それはーー」
と、美鈴は言いかけて口を閉ざした。
美鈴と平野は交際してまだ一年未満だった。ほぼ一目惚れ同然に惹かれ合って、今では結婚を前提にした付き合いを続けている。
そんな関係上、鏡との遭遇に「運命的な出会い」というワードはとても言えなかった。
「私たちみたいな庶民的な生活が当たり前の人って、ときどきお金持ちのような生活に憧れるでしょう? 豪勢な食事に召使いに囲まれた優雅な生活、そして高価な調度品に囲まれた空間に」
「まあ、あるにはあるかな」
「でも、私たちにはとうていそんな生活を送る経済的余裕なんてないでしょう。だったら、少しでも身の回りの一つや二つゼイタクな調度品を揃えて、富裕層の気分に浸ってみてもいいんじゃない?」
「なるほどねえ。でもそれなら、鏡にこだわる必要はないだろう。ここには鏡のほかにも、豪華そうな装飾の調度品は揃っているんだから」
と、平野はお世辞にも広くない店内を見回しながら言った。
「前にテレビで見たんだけど、ヨーロッパでは部屋の空間を明るく見せたり広く見せたりする意味も含めて、鏡をインテリアとして飾っているんですって。今住んでいるマンションってすぐ隣にビルが建ってて、光が遮られることがあるじゃない。部屋のライトが反射して多少室内に明かりがいくなら、鏡はベストなチョイスと思わない?」
実際、テレビでそれを知ったとき美鈴は真っ先に自分たちの部屋のことを思い浮かべていたので、これに関しては本音も含まれていた。
平野は苦悩した様子でジッと鏡を見つめた。
鏡の中の平野と現実の平野が、互いに悩ましそうな表情を見合わせていた。
「…美鈴がどうしてもって言うなら」
「えっ、いいの?」
「経済的な余裕がない状態でこの値段は正直痛いけど、美鈴のいう通り少しでもゼイタクな気持ちに浸れる効果を生み出してくれるなら、こういうのもいいかなって思えてきたよ。それに、部屋の薄暗さにはボクもちょっぴりうんざりしていたしね」
と、平野は苦笑を浮かべた。