2日目
昨日布団に入った時間の記憶はない
テレビもつけないし
スマホの時間も見た記憶がない
眠気のピークで布団に入った記憶はある
入眠に完璧なタイミングだった
ところがなぜか早く目覚めてしまった
寝た気がしない
自分の身体はこの世で1番思うようにいかない
ぼんやりと布団の中で過ごす
低血圧だからか起きてすぐ身体が動かない生活は何十年も続けている
こういう時にスマホの画面を見ると目が覚めるらしいが操作するのも面倒なくらい身体が動かない
微睡むこと一時間
仕事の日は半時で済ますが
今日は休みだし早く起きすぎたし自分に良しとする
やっと身体を起こして朝風呂に行く
今朝は天気が良い
露天でみる空は青々と抜けていた
遠くの北アルプスにはまだ残る雪が
青い空に照らされて白く輝く
開放感で満たされる
さて今日も頑張ろう
ここ数年のインバウンド客は朝の大浴場にも押し寄せる
30年前、雪の北海道で夜の露天風呂に入る勇気のないインバウンド客が風呂場の前で揉めていた
ようやく入ってきたが言い訳しながらも公衆浴場初体験に興奮して話しかけられた事を思い出す
しかし公衆浴場のルールも覚えて日本を楽しむインバウンド客の頼もしいこと
つい手助けしたくなるわけだ
田舎の一人旅は交通手段との戦いだ
寝る前に今日の準備をした
が、時間にルーズな私はいつも適当だ
再度検索してベストを探す
9時10分のバスに乗ろう
行き先は1/16の目的地
母の出生時の戸籍地
何があるのか
何もなくても良い
ただ空気を吸って
景色を見たかった
曽祖父の育った場所
たぶん曽祖父が捨てた場所
もしかしたら戻りたかったかもしれない
でも戻らなかった
彼は麻布に墓を建てていた
大好きな祖母が眠る墓
昔から不思議だった
母は祖父が岐阜の生まれだと言っていた
なのに祖父の墓は六本木に近い西麻布にある
墓碑には曽祖父の名前もある
祖父はどこから来たのか
幼い頃、祖父が怖かった
怒られたことはない
祖父は私が生まれる前に病で言葉を失っていた
祖母は優しかった
男ばかりの孫が私の前に3人
4人目にして初めての女の子の初孫だったため
祖母が私を可愛がった事は
私以上に私以外の親族が記憶している
そんな祖母でも会話のできない祖父には冷たかった
コミュニケーションができない祖父を
時々罵倒していた
その姿を怖いと思ったことはなかった
逆に必要な時に叫ぶことしかできない祖父が怖かった
大人の野太い叫び声が怖かっただけなのに
私はそれに気付けるほどの年齢には達していなかった
今は色んなことが理解できる
祖父のやるせなさも
祖母の苦しみも
だから私は本当の祖父を知りたい
祖父を語れる人はこの世を去った
大人になった子供や孫に語れなかった
自分の生い立ちを
記憶はなくても記録に残る祖父の生い立ちを
後悔しないよう探してみることにした
叔父が持っていた古い戸籍謄本は曽祖父の兄の時代から始まる
曽祖父の父、高祖父の名前は二兵衛
二兵衛の父は清吉
清吉は早々に家督を二兵衛に譲っている
二兵衛の生年月日は天保4年
二兵衛の祖父の名前も二兵衛
家系図で言うと
二兵衛→清吉→二兵衛jrとなる
ややこしいが世襲制だったら手掛かりになる
二兵衛jrには4人の子供がいた
その4番目が民之助 曽祖父だ
家系図だと
二兵衛→清吉→二兵衛jr→民之助となる
民之助の戸籍謄本を読む
戸籍は岐阜県吉城郡国府町
だが出生地は出ていない
民之助は明治14年に生まれ昭和4年代々木でにこの世を去っている 享年49歳
民之助は代々木にいたことを初めて知る
では民之助の子供である祖父は岐阜県生まれではないのか?
読み進めて数分後に祖父の出生地がわかる
赤坂区高樹町
東京生まれであった
母は誰になんと教えられていたのだろう
祖父は現在のお墓に程近い高樹町で生まれていた
生粋の東京人だった
祖父の生きた時代、関東大震災や第二次世界大戦があった
もしかしたら岐阜に疎開していた可能性もある
だが生まれも育ちも戸籍上は東京だった
お墓が西麻布にあるのも納得だ
ひとつだけ問題がある
岐阜に行こうとしていた私の旅の理由が無くなった
祖父のルーツは麻布なのだから
数日考えた
それでも岐阜県に行ってみよう
1/8が1/16になっただけだ
私の血の中に流れる可能性を見に行くことにした
驚いたことがもう一つあった
祖父の母、曽祖母の実家は現在の我が家から車で20分くらいのところにある
噂では聞いていたが文字にするとリアルだ
記録とは記憶よりも信憑性が高い分にわかに知っていたとしても証明されると驚いてしまう
話は戻るが
曽祖父の情報は祖父の情報以上に少ない
母や叔父からの情報は期待できなかった
なぜなら母も叔父たちも岐阜県には行ったことがない
祖父は長男だった
たまたま戦争などもあり
祖父の兄弟姉妹のうち男兄弟は全て祖父と同じ麻布の墓に眠る
祖父は兄弟の面倒を見た
蒲田で職人だった祖父は大戦で焼け出され
埼玉県大宮市に移り住んだ
弟たちも一緒だったという
三間と台所と五右衛門風呂しかない家が大宮駅から徒歩3分のところにあった事は今では想像もつかない
祖母は戦後間も無く捻挫を拗らせ片足が不自由だった
病院に行く暇もお金も無かったからだと聞いた
祖父は言語障害、祖母は足の機能障害を持ち
祖母は5人の子供と若い職人を育てた
子供の頃は何とも思わなかったが
とんでもない偉業だ
想像を絶する苦労だ
トイレは浄化槽もなくバキュームカーが来るのを
たまに遊びに行くと楽しみにしていた
悪臭と吸引口に突っ込む蛍光色のテニスボールのギャップが嗅覚と視覚を刺激し今でも脳裏に焼き付いている
祖父は歳を追うごとに脳の機能が低下し徘徊するようになる
警察に保護されたこともある
それでも最後は工場を閉めて引越し
2人で生活した
祖父は享年73歳
祖母は祖父の没後、初めて自由になった
友達の多い祖母は70過ぎて初めてハワイに行った
車椅子でもない、足に古いギプスをつけただけで
オシャレな人だった
ブランドの色付き老眼鏡をかけ
いつも香水をつけていた
手先が器用で折り紙細工や書道、絵手紙もやった
90過ぎてデイサービスに行きたがらず
理由を聞くとみんな年寄りばかりだからだという
自分が一番年上のくせに
祖母は長生きしてくれたので
思い出という情報がたくさんある
祖父にはない
祖父が話せなかったから曽祖父の情報もない
やっぱり行ってみよう
戸籍謄本の住所は平成の市町村大合併で無くなっているだろうと容易に想像はできた
では今の何市なのだろう
ネットで検索すればすぐわかる
岐阜県高山市国府町三日町だった
基本的に無計画な旅を楽しむ私としては
まずは国府町三日町というところに行く事から始めた
バスでも電車でも行けるとわかり
ちょうど良い時間に出発するバスを選んだ
時間もお金もかかるが時間に無駄がなかった
バスで飛騨国府駅に行く
昨日は雨でよく見なかったが
高山の町にはまだ至る所に高く積まれた雪かき跡が残る
朝晩は寒いわけだ
濃飛高山バスターミナルには
小柄で毛糸の帽子を被ったお婆さんがいたので
飛騨国府に行くバスはここで良いか尋ねた
笑顔でそうよと答えてくれた
バスは高山盆地を北に走った
谷を抜ける川沿いの道は晴れて心地よい
山の稜線の木の枝も平筆で描いたようにハッキリと見える
うっすらと新芽の気配なのか枝先は明るい
ここにももうすぐパステルカラーの春が来る
30分はあっという間だった
空気を感じたいと思ってここに来たが
来てみると行き先に困った
無計画とは常にこういうものだ
簡単な下調べはしていた
近くの神社、三日町の街並み
それ以上見るところはない
遠縁の家が郵便局であったことは聞いていたが
三日町に郵便局はない
不審者に思われたくもないので
この辺りの産土神である阿多由来神社まで歩くこと
にした
ただ調査がうまくいく祈願と
親族もいないのに分け入る許しを得るため
町の中心地から5分も歩けば
まだ雪もまばらに残る田んぼが広がる
北アルプスから吹き下ろす冷たい風が顔を冷やす
晴天に歩いて暖まる体温調節にはちょうど良い
まるで今朝の露天風呂のようだ
田舎の田んぼの真ん中を歩く人は誰もいない
みな車で通り過ぎる
怪しまれていないかちょっと気になる
田舎は誰も見ていないようで
誰かが見ている
田舎には防犯カメラはないので
人の目が防犯カメラになると
仕事で知り合った鳥取県のおばちゃんが言っていた
そんな事を思い出しながら県道を渡った
グルテンフリーのバームクーヘン屋が県道にあったが閉まっていた
ちょっと気になったが仕方ない
田舎のグルメは運だということも理解している
阿多由来神社は山の裾野にあった
社が見えたわけではないが
山の裾野を見ていれば木の流れが切れているところがあるのでなんとなく目星はつく
県道を逸れここかなと思われる道を山に向かって歩くと石の鳥居が見えてきた
山に隠れてうっすら見える山門は古く黒っぽいが
参道の灯籠は真新しく
ちゃんと管理されていることがなぜか嬉しかった
阿多由来神社は権禰宜が常駐している様子はない
おそらく近隣の方が管理しているのだろう
それにしても立派な参道だ
氏子の生活がある程度潤っているようにも見える
旅の無事を支えていただけるよう祈願しようと
賽銭を用意したが箱が無かった
禰宜がいないからだ
それでも祈願だけはして社を降りた
完全に行き場を失った
更に先の神社へ歩くか迷った
そうだ!図書館に行こう
ここでしか見れない資料を読もう
町に図書館があるのは予習していた
来た道を歩きながらそっと家の表札を見ていた
母の旧姓の家はないかと
全ての家の表札を見る事はできなかったが
それらしき家はなかった
駅前のコミュニティセンターの中に図書館はあった
中に入りそこにいたネックストラップを付けている人に声をかけた
町の歴史書を見たいと言うとすぐに教えてくれた
彼女はこの図書館の司書らしい
人物を調べるなら岐阜県人物辞典、町の歴史なら町史、その前の村史もあると教えてくれた
人物辞典を見る
江戸時代の郡代、柴正盛と書いてある
母の旧姓は芝
漢字が違う
柴正盛についても予習は出来ていた
江戸時代中期から高山は幕府の直轄地だった
高山藩は藩主金森家が家康公の時から政をしていた
江戸中期、金森家は国替をさせられている
当時の幕府に嫌われたとか、飛騨高山は良質な材木や硝煙、鉱物資源に恵まれていたため幕府が取り上げたとも言われている
以後郡代と呼ばれる代官が管理する
初代代官は武蔵国伊奈氏から任命された
伊奈氏とは埼玉県北足立郡伊奈町を拠点とした名家だ
そう言えば曽祖母は伊奈町と大宮の間、宮原の出身だ
これも何かの縁と勝手に解釈した
郡代も続くこと18代目が芝与市右衛門正盛だった
私が予習した資料の漢字は芝の字が使われていた
だが人物辞典には柴の字が使われている
昔は識字率が低く読みが同じならば漢字は適当なこともある
さほど気にしなかった
人物辞典はそれ以上の情報は無く
町史を見る事にした
図書館内には中学生か高校生くらいの男子が一人で勉強していた
私も図書館で勉強するのが好きだ
内容は違えど勉強すると言う意味では同じベクトルを持つ人達が集まると集中できる
直列電流みたいな感じがするのは私だけだろうか
町史や村史を見るも予習を超える情報はなかなか得られなかった
一つ収穫だったのは
叔父が知っていた唯一の情報
誰か親族が郵便局をやっていたと言う話が事実とわかった事
曽祖父の長兄には子供がいなかった
そこで養子を迎えた
養子の実父は仙之助と言う
町史には芝仙之助が広瀬郵便局を明治初期から務め、おそらく息子と思われる清七にその座を譲った記録が残っていた
広瀬郵便局というのが現在の国府郵便局だ
郵便局長と言うのは警察官と同じで長く務めると褒賞がいただける
その褒賞の記録が残っていた
また、町史戦死者名簿にも
芝公八郎という名が残っている
公八郎は祖父の弟で
第二次世界大戦で沖縄摩文仁で戦死し
祖父母と同じ墓に収められている
また、沖縄にある戦死者の碑にも名は刻まれ
母は沖縄に行った時に見つけている
ただそれ以上の情報は見つからなかった
午後は高山に戻り資料館を巡ろうと思っていた
図書館には1時間半ほどいた
もう少し読みたかったが諦めて駅に向かう
無人駅である飛騨国府駅
券売機もない
ワンマン運転と察する事はできたが
ワンマン運転のルールは地方により異なるのが難しい
高山線飛騨国府駅は整理券方式だったが整理券がある事に気付いた時には電車が発車していた
失敗したが駅で駅員さんに説明すれば何とかなるとも思っていたし、案の定何とかなった
高山駅に戻ったのは正午だった
例によって無計画で、観光を優先する気も無かったためとりあえず腹ごしらえをする事にした
駅の近くのラーメン屋が気になった
と、思ったら若いサラリーマンが先に一人で入って行った
地元の客が入るラーメンなら間違いないと
その後に続いた
若者は4月で東京に転勤らしい
数年前に東京から戻ってきたのにまた行く事になったと
県庁の職員かもなと勝手な想像を頭の中で楽しむ
ラーメンはちぢれ麺、醤油に煮干し系のスープ
煮卵をトッピング
これならタンパク質も取れる
年齢のせいかコッテリ系は食後しんどい
これもちょうどよかった
サラリーマンよりさっさと食べ終えた
隣のサラリーマンはそのスピード感にこっちを見てキョトンとしている
私はすでにどこに向かうか考え始めていた
まずは高山陣屋に行ってみよう
高山陣屋は郡代所
現存する陣屋は全国でもここにしかないと言う事はここに来て初めて知った
飛騨は基地などの重要施設が無く空襲の被害が無かったため昔ながらの街並みが現存する
藩主もいないので城はないが
林業が盛んで良質の木材を使用し
水も豊富で火事も少なかったのではと
あくまでも想像の範囲だが
ある程度当たっている気がする
陣屋内でも執務をするところや、郡代の居住スペースなどリアルに残っているのは面白い
町方の出入り口、役方の執務室の前までは土足で入れる縁側があり、茶所と言う休憩室など時代劇の設定の間取りに似ている
裏には郡代の居住スペースがあり土間は広く蔵も大きい
蔵には俵が積み上げられ当時の様子がわかる
残念ながら芝郡代時代の展示物はほとんどなかった
芝郡代は地役人だったのか?江戸から派遣されてきたのか?
生没年不詳で調べ詰める事はできなかった
単なる観光として楽しんだ後、本題の調査をしたくなった
資料館は観光向けなので、図書館に行くことにした
国府町の支局図書館よりは蔵書が多いかもしれない
と期待してみた
高山市立図書館は期待以上の建築物と期待以下の成果で±0となった
高山市立図書館はさほど古い建物ではないらしいが西洋建築風のオシャレな建物で高度経済成長期に建てられたとしても、こんな田舎にそんなにお金があったのかと飛騨高山の経済の厚みに驚かされる
観光、林業、鉱業、農業が揃えば街は潤う
地方都市の優等生だ
建物内に入ると総合案内があったので町史の場所を聞き2階へ上がった
国府町に関する資料は国府図書館より少なかった
それでも午前中見足りなかった町史村史を再度読み始める
すると中学生の歴史で学ぶ五人組制度のところで
国府町の五人組一覧を見つけた
苗字はないが、二兵衛と清吉の名前を見つけた
確かにいた
もう一つ、宗門人別改帳にも苗字はないが
三日町ニ兵衛の名前を見つけた
ニ兵衛の属する寺は真宗寺と書いてある
宗門人別改帳とは江戸時代キリシタン排除のため寺に所属する事を民に求め、所属する寺へ家ごとに登録させたもので戸籍の代わりになる
もしかしたら芝家の墓があるかもしれない
そこまで明日行けるか?
どこにあるのか検証してみないといけない
ここまで調べたので満足した
旅の目的とは言え、図書館のハシゴは意外と疲れた
慣れた図書館でもないので余計だ
時計を見るとすでに4時を回っていた
そろそろお土産買いながらホテルに帰ろう
明日は家に帰る
大した収穫では無かったがいくつかの想像が確信に変わったことや、ヒントがまた出てきた事は大きかった
いや、まだ終わりじゃない
明日の午前中もある
ここで調査を終わらせるか?
真宗寺を探すか?
ホテルへの帰り道
足を止めた
大好きな上村松園の展示物が高山にある
しかも今まで見たことがない作品だ
平安女性を描いたものだ
明日はこれを見に行こうか?
ホテルで昨日と同じように一風呂浴びて
夕飯処を探す
昨日より30分遅いせいか観光客に対して件数も席数も少ない高山の飲食店はどこも人で溢れていた
こりゃ夕飯ありつけないかもと悲観していたら
焼き鳥屋を見つけた
日本人で一人だったせいか何とか入れてくれた
これはもう少し何とかしないといけない気がする
カウンターには4人組の女性客が先に入っていた
地元の客のようだ
大きな声で愚痴を言う若い女子
この手の人達は酒も長く面倒くさい
耳を傾けるのも嫌なのでエアーで耳を塞いだ
焼き鳥は美味しかった2階席を含め3オペはキツい
かわいそう過ぎて早々に退散した
さて明日はどうするか?
温泉で考えるか明日の朝の気分なのか
この時もまだわからなかった