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9話 去り行く宰相

「恋愛結婚だったのよ、お父さまとお母さまは。なんて素敵なんでしょう」


 ベロニカが勢いよくセベリノに捲し立てる。

 先ほどサルセド公爵から聞いた話に、いまだ興奮が冷めやらない。

 自分も恋愛結婚をしてみたい、とベロニカが強く思ってしまっても、仕方のないことだった。

 そんな浮ついたベロニカを、セベリノが年上らしくたしなめる。


「あいつは弱い。恋愛結婚について否定はしませんが、あいつはベロニカさまに相応しくありません」

「剣の腕で私の婚約者を決めていたら、国内でセベリノ以上の強者は見つからないわ」

「それでも、ベロニカさまを護る気概のある男かどうかは、重要です」

「ティトにはそれが無いの?」

「あいつは全体的に薄っぺらい」


 断定するセベリノの言葉に、ベロニカはうーんと悩み始める。

 まだ数回しか会っていないティトを、切り捨てるのは早計に思えた。

 ここはティトとの交流の機会を増やし、もっとティトという人物を把握するべきだろう。

 そうしてエンリケにも、ティトやサルセド公爵の言葉の裏を、探ってもらおう。

 なんにせよ、今の段階でベロニカの婚約者候補になり得るのは、ティトしかいないのだ。

 ティトとの相性を見定めて駄目だと判断しないと、次の候補者を選ぶのは難しい。


「もう少しだけ様子を見てみましょう。駄目だったら、今度はエンリケに候補者を選んでもらおうかしら?」


 ◇◆◇


 エンリケがまだ領地から戻らない。

 不測の事態が起きて、その収拾に時間がかかっているという。

 この数か月、現況を知らせる短い手紙だけが、王城へと届けられていた。

 

 政務に追われ、泣き言も許されなかった即位当初から、ベロニカは悲しみや苦しみを押し殺し、ずっと邁進していた。

 しかし、右腕となるラミロも加わり、ベロニカ自身も仕事を覚えて、治世への道筋も立った今、張りつめていた心が緩み、父親の死による哀傷を感じ始める。

 それに伴い、もう思い出の中にしかいない両親への寂寥が、両親のような恋愛結婚をしたいという形で、ベロニカの気持ちに現れてきた。

 じわりじわりとにじみ出た思いは、ベロニカを無意識に扇動する。

 ずっと側にいたセベリノですら、ベロニカの恋愛結婚への憧れの強まりを、正確に読めていなかった。

 そうして、軽い気持ちで始まったはずのベロニカとティトの交流は、長引くエンリケの不在中に深まっていったのだった。


 我が儘なクララの相手を難なくこなしていたティトは、当たり前のようにベロニカを甘やかした。

 そうして、時間差で空いたベロニカの心の穴を、ここぞとばかりに埋めていったのだ。

 ティトはどんなベロニカも否定しなかった。

 弱音を吐くベロニカも、目標を達成できないベロニカも、尻込みするベロニカも。


「一人で何でもする必要はないのです。そろそろ休憩しませんか?」

 

 生まれたときから、王族としてこうあるべきと教育されてきたベロニカにとって、駄目な部分を許容される経験は初めてだった。

 過保護で世話焼きのティトによって、ここまで走り続けてきたベロニカは歩くようになり、立ち止まるようになり、座り込むようになる。

 エンリケが居なくとも、ラミロによって書類は滞りなく捌かれ、ベロニカが考えあぐねた案件は、叔父のサルセド公爵が決裁をした。

 その間、ティトのぬるま湯のような言葉に包まれ、ベロニカは女王ではない自分を味わっていた。


「本来、女性というのは男性に護られ、苦痛や困難からは、遠ざけられるべき存在なのです。『ロニ』は女王になったばかりに、人よりも厳しい目に合って、つらかったですね」


 いつしか、ティトはベロニカを愛称で呼ぶようになっていた。

 ベロニカもティトに寄り掛かり、安息を得るようになっていた。

 ティトが会いに来ている間、苦い顔をするセベリノをベロニカは遠ざけるようになる。

 それは、ようやくエンリケが領地から戻ってきても、変わらなかった。


 ◇◆◇


「私がいない間に、何があったんです。セベリノやラミロが付いていながら、どうして陛下は腑抜けになってしまったのですか」


 ベロニカがティトと奥庭でお茶を楽しんでいる間、執務室では、頭を抱えたエンリケによる、セベリノとラミロへの詰問が行われていた。

 

「言葉巧みに、あいつがベロニカさまの懐に入り込んだ」


 こういうときに、セベリノは言い訳をしない。

 剣には自信があっても、言葉を操られたら、寡黙なセベリノに勝ち目はない。

 

「お疲れ気味だったベロニカさまに、ティトさまが休息を勧められて、一緒にお茶を飲んでいるうちに仲良くなってました」


 ラミロはこれまでに見てきた事実を伝える。

 平民のラミロが、貴族のティトに逆らうなど不可能だ。

 物申したい事態があったとしても、止められるはずがないのだ。


 エンリケは眉間にシワを寄せ、大きく溜め息をつく。

 政務を覚えたベロニカは、ずいぶんと上手く仕事を回すようになっていた。

 だから安心して側を離れていたというのに。

 エンリケは自分の判断の誤りを悔いた。

 女王として一人前になりかけていたベロニカを、ティトがただの女にしてしまった。

 この失態は、国として手痛い。

 

「手遅れになる前に、陛下には、女王であると思い出してもらわなくては」


 そう決心して動き始めたエンリケだったが、ことごとくベロニカと衝突してしまう。

 すっかりティトによって、易きに流れる性格へ変えられてしまったベロニカは、うるさいエンリケを煙たがった。

 エンリケに小言を言われては、ティトに慰められるベロニカ。

 エンリケの行動は、悪循環を生んだ。


 そしてまた、エンリケの帰省の時期が来た。

 さすがに前回の長期にわたる帰省のせいで、ベロニカがこうなってしまった自覚があったエンリケは、今回の帰省を取りやめる。

 そして少しでもベロニカの側にいて、ティトとの関係性を見直させるべく、説得を続けるつもりだった。

 だが早朝、登城する前のエンリケに、ベロニカからの通達が届く。

 

『領地で起きた問題を解決するまで、休職を許す』


 文面はエンリケを気遣うものだったが、要は宰相の職を馘首されたのだ。

 初めはお互いが慣れておらず、行き違う場面もあったが、エンリケはベロニカが即位してから三年以上、艱難辛苦を一緒に乗り越えてきた腹心だった。

 サルセド公爵の横やりに苦労しつつ、古参貴族からの協力を得て、国を治める方針を決定し、今日まで二人三脚でやってきたベロニカに最も近い味方。

 そんなエンリケの立ち位置が、半年足らずの間に、ティトに取って代わられた。

 エンリケは己の不甲斐なさに肩を落とし、その日のうちに領地へ発った。


 ◇◆◇

 

 現在、エンリケが治めるシルベストレ公爵家の領地で、マドリガル王国から逃げてきた、エンリケの妹デルフィナと甥ホセを匿っている。

 マドリガル王国では、一年前から王太子の座を巡って、第一王子と第二王子の間で火花が散り始めた。

 これまで帰省のたびに、マドリガル王国の情勢をうかがい、第二王子に嫁いだデルフィナの安全を確かめてきたエンリケ。

 しかし、デルフィナたちにいよいよ火の粉が架かると分かり、長期帰省中に、エンリケは二人をマドリガル王国から脱出させたのだ。

 妹と甥を助けたことを後悔してはいないが、そのせいで女王との仲に亀裂が入ったことは無念だった。

 今はまだ、平和に見える青空を仰ぎ、エンリケは独りごとを零す。


「これから、ロサ王国がどうなるのか、先行きが不透明になりましたね。陛下があのままであれば、やがて治世は揺らぎ、廃れゆくでしょう。セベリノとラミロの力で、陛下の眼を覚ますことが出来ればいいのですが――。デルフィナとホセの身の安全を確保するため、念には念を入れて、海の向こうの大国ハーランへの繋ぎを作っておきましょうかね」


 ティトの腕の中に囲われたベロニカに、エンリケの声はもう届かない。

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