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1話 国王の崩御

 新暦867年――広大で肥沃な国土を統治する大国、ロサ王国に激震が走る。

 数か月前から体調を崩していた国王の容態が、急変したのだ。


 始まりは喉の違和感だった。

 季節外れの風邪だろうと、このときは誰も深刻に考えてはいなかった。

 それが数日前から突然、就寝中の激しい咳込みで何度も侍医が呼ばれ、ゼーゼーという喘鳴ばかりで、ついには呼吸困難で話すことも儘ならなくなってきた。

 

「王女さま! お急ぎください!」


 国王の代理として、ロサ王国と双璧を生す大国マドリガル王国から来た賓客をもてなしていたベロニカのもとへ、伝令が飛ぶ。

 病床の国王が、枕元へベロニカを呼んだのだ。

 いよいよ危篤状態になったのかと、周囲にも緊張が走った。


 国王の弟であるサルセド公爵は、ちょうど地方への視察に出ている。

 すぐに駆け付けられる血族はベロニカだけだ。

 賓客へ礼を失することを詫びて、ベロニカは美しい黒髪をドレスの裾と共に翻し、国王の寝室へ向かった。

 早足のベロニカの後ろを、ベロニカの専属騎士のセベリノが追う。

 

「どうしよう、お父さまが亡くなってしまわれたら……」


 セベリノにだけ聞こえるように、ベロニカが小声で弱音を吐く。

 ベロニカの幼馴染であるセベリノには、王女ではないベロニカの心中を打ち明けられる。

 息も乱さずついていきているセベリノは、無表情のまま答える。


「ベロニカさまが、次の国王陛下になるだけです」

「無理よ。私はまだ22歳、きっと叔父さまが即位されるわ」

「相応しくありません」


 ベロニカ至上主義のセベリノにとって、ベロニカ以外は有象無象だ。

 短く切られた赤髪と冷たく見える灰色の瞳のセベリノは、ベロニカの専属騎士になって10年が経つ。

 その剣の腕前は、父親の騎士団長をとうの昔に追い越し、すでに国内最強と言われていた。

 忠犬のようなセベリノに、困ったふうに溜め息をつくと、まわりに人気のないのを確かめて、ベロニカは走り出す。

 

「とにかく急ぎましょう。お父さまが、持ち直してくれるといいのだけれど……」


 しかし、ベロニカの淡い希望は、脆く打ち砕かれる。

 ベッドに横たわる国王の顔は赤黒く、苦しそうに胸を掻きむしって、少しでも酸素を取り込もうと、口を大きく開いていた。

 まるで陸に打ち上げられた魚のように無惨で、ベロニカは「お父さま!」と叫んで駆け寄った。


「しっかりしてください!」

「ベロ……ニカ」

「ここにおります! お父さま!」

「これを、お前に……」


 ゼーゼーという荒い呼吸の合間に、なんとか声を絞り出して、国王は胸元にある丸い銀製のロケットを握りしめる。

 それをベロニカに渡そうとするが、鎖が引っかかって取り外せない。

 国王の意志を理解した侍医が、手助けしようとするが、国王がそれを跳ね除けた。


「これは……王になる者、にしか……触らせない。ベロ、ニカ……お前が、次の王、だ」

「嫌です、お父さま! 死なないで!」

「いいか……ベロニカ、よく……聞くん、だ。これを……必ず、肌身離さず……ゴッホゴッホ!」

 

 そこからは早かった。

 ヒューヒューと笛の鳴るような息を数度したあと、国王は喉をそらせて天を仰ぐ。

 そして目を見開いたまま、無念そうに顔をしかめて、50歳という若さでこの世を去ったのだった。


「……お父さま? 嘘でしょう?」

 

 ベロニカは、手渡されたロケットを胸にあて、床にへたり込む。

 目の前で起きた現実を、まだ脳が受け入れられない。

 ベロニカの前で、侍医が国王の瞼を閉じ、顔の上に白い布をかけた。

 顔が見えなくなるだけで、途端にそれが亡骸なのだと伝わる。

 先ほど手が触れた国王は、まだ温かかったが、これから次第に、冷たくなっていくのか。

 すでに母を亡くしていたベロニカにとって、唯一の家族が父の国王だった。

 独りぼっちになってしまった寂しさに、ベロニカの頬が涙に濡れる。


「王女さま、手を尽くしましたが、力及びませんでした。せめてもう少し早く、サルセド公爵がお戻りであれば……」


 ベロニカの隣では、侍医が平身低頭して詫びていた。

 兄の死に目に会えなかったサルセド公爵を、憂慮しているような物言いだったので、ベロニカは侍医をかばった。

 

「叔父さまは、視察へ行っているのよ。お父さまの最期に間に合わなくても、仕方がないわ。これは誰のせいでも――」

「いいえ、違うのです。サルセド公爵は、国王陛下のための薬を極秘に入手するべく、地方へ向かわれたのです」

「薬を、叔父さま自ら? どうしてそんなことを?」

「……国王陛下の症状は、病気のせいではなく、毒のせいだったのです。暗殺の疑いがあったので、サルセド公爵が秘密裏に動かれました。解毒薬となる薬草が、地方にしかなかったので、急いで取り寄せようとしたのですが――サルセド公爵が」


 そこで、侍医は口を噤んだ。

 国王の寝室に、ドカドカと足音高く、入ってきた不届き者がいたからだ。

 しかし、『毒』『暗殺』と続く恐ろしい言葉に、ベロニカの思考は停止しかけていて、気づくのが遅れる。

 

「兄上! なんということだ! 私は、間に合わなかったのか!」


 大声で叫びながら現れたのは、たった今、話題になっていたサルセド公爵とその侍従だった。

 国王と同じ黒髪のベロニカと違って、サルセド公爵の髪は派手派手しいピンクゴールドだ。

 それを大袈裟に振り乱し、全身で悲しみを表現しているが、どこか演技がかっていた。

 一通り嘆き終わると、侍従に持たせていた紙袋を、ポンと侍医に投げて寄こす。


「もう役には立たんが、一応、それが言われていた薬草だ。確かに渡したぞ」

「っ……、ありがとう、ございます」


 侍医は紙袋を受け取り、中身を確認する。

 それが国王を助けるはずだった薬草であると分かって、くしゃりと顔を歪めた。

 僅差で救えなかった命を、悔やんでいるのだろう。

 ベロニカは立ち上がり涙を拭うと、叔父であるサルセド公爵に礼を言う。


「叔父さま、お父さまのために、遠方まで薬を取りに行っていただき、ありがとうございました」

「構わん。国の一大事だからな。こういうときこそ、身分のある者が動かねばならぬのだ」

「お父さまは、つい先ほど旅立たれました。私に、これを遺して……」


 ベロニカが、手のひらの中のロケットを見せる。

 サルセド公爵はチラリとロケットへ視線を投げたが、それが何の価値もなさそうだったので、安心した顔をした。


「今後のことは、私に任せなさい。兄の葬儀が終わったら、私が王に即位しよう。戴冠式は、喪が明けてから大々的に――」

 

 サルセド公爵が意気揚々と語り出したが、侍医がそれに待ったをかけた。


「お待ちください。国王陛下は遺言にて、王女さまを後継者に指名されました。私が証人です」

「何ィ!!」


 機嫌が良さそうだったサルセド公爵の顔色が赤らみ、髪色に近づいた。

 気色ばんだ様子を察したのか、それまで壁際にひっそりと立っていたセベリノが、素早くベロニカの前に出る。

 相手は王弟だというのに、すでにセベリノは、利き手を剣にかけている。

 それに気がついたサルセド公爵は、ハッと慌てて数歩下がって、両手を前に出した。


「待て。お前は誰を相手にしているのか、分かっているのか? その物騒な物から、手を離せ」


 セベリノの実力を正しく知っているらしいサルセド公爵の顔色は、すっかり青ざめている。

 護られているベロニカは、セベリノの背後から、サルセド公爵へ届くように声を上げた。


「侍医の言うことは本当です。若輩者ではありますが、私がお父さまから国を任されました。これから叔父さまに、ご指導ご鞭撻を賜ると思います。よろしくお願いします」


 殊勝なベロニカの言葉を聞き、少し気分を持ち直したサルセド公爵は、にやりと口を曲げた。


「そうか、私の意見を尊重するというのなら、話は別だ。しっかり支えてやるから、頑張ってみなさい」


 そうして、来たときと同じく、サルセド公爵は侍従を連れて、ズカズカと無遠慮に立ち去った。

 引継ぎも何もなく、いきなり女王になると決まったベロニカの、数奇な運命はこの日から回り始めた。

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