表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

「白馬」

作者: 由羽

絵画に関しては無知の人間だが、暇を見つけて美術館に訪れたりすると、時を忘れるような体験に出くわすことがある。


多くは風景画であり、ロランの「日の出」やモネの「睡蓮(1916-1919)」、チャーチの「アメリカ側から見たナイアガラの滝」などは、芸術家の持ち得る天眼通(てんげんつう)を、作品を通して垣間見ることが出来たような心地で、しかし持ってしまった人間に付きまとうであろう桎梏を思えば、胸に迫るものも一入(ひとしお)である。

特にモネの睡蓮は晩年の作であり、色の識別も出来ないほどに、視力の低下が顕著であったと聞くから、私にとっては印象派の巨匠と言う肩書よりも、人間的魅力の方に随分と惹かれるわけである。


人物画(宗教画)は素人目で、どれも同じように捉えてしまう。

バロック画に見られる乳白色の、脂肪をたわわに拵え、微笑を携えた女体画などには倦厭を覚えてしまった節があるが、引き込まれるものは確かにあった。

一つはエル・グレコの「祝福するキリスト」で、一つはベラスケスの「卵を料理する老婆」である。

「あぁ、なんて美しいんだ」と、嘆息を漏らすような部類の絵画ではない。そんな、月並みな感銘を撥ねつける力を具備している。言葉は介入を断絶され、鑑賞者は沈黙を強いられるのである。


沈黙もまた表現である。木々や花々は喋りはせずとも、自身の役割を十全に全うしている。誰からの評価も受けることはなく、今もなお。


「この土地の男たちや女たちも、木に似て、無愛想で、きびしいしわがあり、ことば数が少ない。最もすぐれた人たちは、一ばんことば数が少ない。それゆえ私は、人々を木や岩と同じようにながめ、彼らについて考え、動かぬアカマツと同じくらいに彼らを敬愛することを学んだ」(新潮社「ペーター・カーメンチント」ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳 )


白馬が、(みぎわ)を歩いている。

青々と繁る樹々は月明りをまとい、汀を境として、線対象に湖面へ映ずる。


東山魁夷作、「緑響く」だ。


東山さんの作品は、唐招提寺上段の間、宸殿の間の障壁画に見られる「山雲濤声」をはじめとして、壮大幽玄な風景画を多くが占めている。


「私の描くのは人間の心の象徴としての風景であり、風景自体が人間の心を語っているからである」 (講談社学術文庫「日本の美を求めて」 東山魁夷)


氏の画家としての功名は言を俟たないが、生前は川端康成さんとも懇意の間柄で、古典にも通じている。大変な名文家である。

そんな氏が描く風景画は、人跡未踏の景観を取り扱ったものではなく、「人間の心の象徴としての風景」であるのだ。


前述したロランの「日の出」は、遠景に広大無辺な自然を抱えているが、近景につれて屹立する塔、牛らを誘導する人々の牧歌的情景が展開されており、モネの睡蓮に至っては、自宅からそう遠くない場所に水を引いてきて、睡蓮の咲く池を自作。作品の題材に据えている。

「人間の心の象徴としての風景」とは、その土地に根差した人々の心の移ろいが自然に波及し、見事に調和した姿を言っているのかもしれない。


画家はこの一瞬の出来事を見逃すまいと作品に昇華させ、我々は有難くも、不可逆的情景へのロマンに、心を委ねるのである。


「緑響く」は、東山さんの作品には珍しく、白馬という点景が用いられている。


「ただ一度、珍しく私の風景の中に点景が現れたことがある。それは人間ではなく、一頭の白い馬が風景の中に見える連作である。この場合は、遠くに小さく姿を見せてはいるが、白い馬が主題なのである。風景は全て背景としての役目であり、白い馬の象徴する世界を風景が反映しているわけである」(同じ)


静謐な夜、深々と繁茂する樹々に、しんとして佇む湖面の表情。それら景色は「白い馬の象徴する世界」、ただそれだけである。

白馬は(うつむ)いており、どこか悲しげであるが、白馬を象徴する世界として描かれた自然を紐解けば、白馬の悲しみは観賞者の不要な心配に帰してしまう。


白馬は穏やかな情感に満ち満ちている。一点の陰りもない、実に穏やかな心の状態である。


そんな白馬の姿を見ていると、喜怒哀楽を伴う心の機微は、果たして必要なものなのかどうか、疑いが生まれる。

喜びは喪失感を伴い、怒りは喪失感を伴い、哀しみは喪失感を伴い、楽しさはやがて、喪失感を伴う。


不要に心を動かされることが多くなった現代の人々に、白馬は寄り添ってくれるだろうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ