2 結月 未莉
…私、結月 未莉はごく普通のOLだった。
少し田舎のごく普通の家庭に生まれ、特筆するようなこともなく平和に青春時代を過ごし、大学卒業後は念願だった東京暮しを叶えるため1人上京した。
憧れの都会人として、かっこいいキャリアウーマンになることを夢見たのだ。
しかし、就職した会社は理想とはかけ離れたブラック企業だった。
PCワークの事務的な作業からだと思い志望したはずが、まさかの営業課に配属されてしまった。
都会の生活にも慣れていない中で、日々終電で帰宅しては早朝から出勤する毎日。
家に帰るのはいつも日付が変わる直前だった。
基本的に営業課は男性社会だ。
つまりは縦社会がとても厳しく、私が女といえど、いや、むしろ女だからなのか、上司は常に厳しかった。
社会人1年目で営業経験など皆無な私へも全く容赦なく
「それくらいは自分で考えろ!!」
「なんでこれが出来ないんだ!!」
「これくらいのことも知らずに良く働こうと思えたな!!」
と怒鳴られてばかりだ。
少しでも弱った姿を見せれば、
「これだからゆとりは。」「これだから女は。」
と言われ蔑まれる。
努力がたりない。根性がたりない。気遣いが足りない。やる気が足りない。
全てを否定された。
そして歩合制であるために、月間成績は常に張り出され更新されるため、常に皆がライバルとして競い合っている。
数人いる同期も、女は私1人だけだからか何も手助けしてくれない。
そんな日々が数年続いた。
数年経って実績で見返せば、この苦しみも緩和されるだろうと思い耐えてきたが、数年たった今もただただ地獄の日々でしか無かった。
仮に、私が、とても可愛い容姿で世渡り上手な女の子だったら待遇はもっと違ったのかもしれない。
現に、私には睨んだ顔しか見せたことの無い上司たちも、受付の可愛らしい女の子たちには朗らかに笑ってみせ、明るい口調で話しかけるのだ。
しかし残念ながら私はそんな可憐な見た目も、人を和ませる笑顔も、それを補える話術も持ち合わせていなかった。
毎朝オシャレにヘアセットをし、キラキラのメイクで彩った笑顔で社員を迎える受付嬢。
それに対して私は髪は染めたりアレンジしたりする余裕もなく黒髪のままただ後ろで縛るだけ。
メイクだって必要最低限で済ませるため、彩りなんて気にしていられない。
トイレの手洗い場で受付嬢と隣合う度、鏡に映った受付嬢と自分との差に、ただ顔を背けることしか出来なかった。
そんな居場所のない生活の中で、心はどんどん疲弊していった。
ただ、それでも救いはあった。
ペットの“大福”と、乙女ゲームだ。
一人暮らしをする時、一緒に上京した友達もいない中で、寂しくないようにとアパートでも飼えるようなハムスターを買った。
真っ白な毛並みに一目惚れして即日連れ帰ったその子は見た目から大福と名付け、今では私のかけがえのない家族だ。
そして高校生の頃からやっていた乙女ゲーム。
始めた当初は面白いなーくらいの気持ちで楽しんでいたが、
就職してからは、その世界の中でなら唯一自分が主役になれるうえに、自分を愛し、守ってくれるイケメンたちが心の拠り所になり、完全に離れられなくなってしまった。
慌ただしい日々の中の、ちょっとした隙間を見つけてはゲームの世界に浸って癒しを貰うことで、なんとか生き延びてきたようなものだった。
"その日”もいつも通りにゲームを開いた。
ただ、いつもとは少し違う特別な日だった。
"その日”は入社してから初の何も予定のない完全なる休日だった。
基本的にプライベートのない営業課で、休日返上で働かされて続けていた中での、ようやく現れたオアシスのような日だった。
そして、この日のために私はこの数日あえてゲームを開かなかった。
今までで1番の局面を集中して、全力で楽しむためにずっと楽しみにしていたのだ。
しかし、やらかした。
大本命の最終分岐の選択を間違えたのだ。
楽しみは最後に取っておくタイプの私はいつも大本命は最後に攻略する。
その大本命が今作では最大の難関、または、このゲーム唯一のクソゲー要素と言われ、少しでも選択を誤ればまた最初からやり直しになるのだ。
そのため、絶対に間違えないように慎重に慎重に選択を繰り返し乗り越えてきたのに
最後の最後、これさえ間違えなければ最終スチルまでたどり着けるはずだった。
なのに。間違えてしまったのだ。
頑張って進めたデータが最初に戻される。
本命の彼だけではない。
全てのキャラが。
心の拠り所だった世界がたった一つの誤りで白紙に戻ったのだ。
その日はもうこの世の終わりかのような絶望にただただ涙を流すことしか出来なかった。
それでも次の日の朝には仕事に行く時間になってしまう。
絶望に心を押し潰されそうになりながらなんとか涙をこらえ、出勤する。
そしてまた心を抉られる。
ただでさえ日々怒られる私、今日は集中力もなくミスを連発。
ことごとく怒鳴られ蔑まれ「お前みたいなやつは営業課の面汚しだ」「お前ほど使えないやつなんてこの会社に必要ない」と罵られた。
もう既にほぼ折れている心を最後の最後のギリギリのことろで繋ぎ止めてようやく勤務時間を終えた。
会社を出た途端堪えられず溢れる涙を拭ぐうこともせずなんとか帰宅した。
雨が降っていたおかげで誰も気に止めることは無かった。
玄関に入ってそのまま泣き崩れた私はそれでも癒しを求めて大福の元へと歩み寄る。
そして気付いた。おかしい。
「大福!?だいふく!?いきてる!!???ねぇ!
うごいて!!、、おきて!、、、ねぇ、、、」
そう声をかけ優しく揺するも動かない。
寝ているのだと信じたかったが、明らかに、それは違った。
なにより、、、温もりが、なかった。
信じられなかった。今日の朝まで元気にしていたはずだ。
ハムスターが短命なのは飼う時に調べてわかっていた事だし、覚悟もしているつもりだった。しかし、なんの予兆もなく死んでしまうなんて。
ーーーーー心が完全に折れた。
次の日気がつけばビルの屋上にいた。
1歩先、遥か下には地面だ。
眼下の道は裏通りで人は歩いていない。
その何本か奥の大通りには今日も忙しく人と車が行き交っている。
最近1週間以上雨続きだったのに、今日はとてもいい天気だ。
風も気温も丁度いい。
今日、初めて無断欠勤をした。
荷物は持ってきていない。
ベッドに置いてきたスマホは、きっと今頃会社からの電話で忙しく震えているのだろう。
、、、、いや、面汚しの私なんていなくても気にしないか、、、
そっと、両手で包んだハンカチを開く。
大福が眠っている。目覚めることの無い眠りで。
「大福、、、ありがとうね。長く生きさせてあげられなくてごめんね。せめて最期まで一緒にいさせてね。」
そう優しく語りかける。
またそっとハンカチを直し、優しく胸に当てて包み込む
そして後ろへ振り向いてから空を見上げた私は、そのまま背中へたおれた。
一気に遠くなる空を見ながら、落ちていく感覚にスっと意識を手放したーーーーーーーー