ライラの説得
「それは無理だ」
迷うこと無くそう告げるのは父だ。
昨日の夜、今後の方針を決めた私は、こういう大事なことを話すなら早いに越したことはないと、目覚めて身支度を整えてすぐ、既に仕事に取り掛かっている父の書斎を訪れた。
朝の挨拶と、私の体調を気遣ってくれた言葉にもそつなく返し、すぐさま、前置きもなしに婚約をしたくないと父に願い出たのだ。
その返事がこれだ。
「なんでですか??」
あまりにも即答で断られてしまったのは正直想定外だったけれど、それであっさり引き下がる訳にも行かない。
「それはこちらの質問だな。どうして唐突にそう思ったのだ。つい数日前までは皇太子との婚約に喜んでいたじゃないか?」
父がそう思うのも当然だ。
湖で溺れる前までは、皇太子との結婚に大喜びして胸を躍らせていた子供が、たった数日で心変わりしたのだから。
とはいえ、
中身の人が変わって考えも変わったからです。
とは言えないし
将来皇太子は別の人に心を奪われるからです。
とも言えない。
ここは未莉として得た営業スキルで乗り切るしかない。
「湖でとても恥ずかしい姿をお見せしてしまいました。いつか王様となる方なのに、そんな恥ずかしいところを見られた私じゃ婚約者にはなれません。もっとしっかりした方の方が良いと思うのです。」
とりあえず、子供っぽくないと思われない程度での説得を試みる。
「そんなことはないよ。皇太子様はそんなことでライラを不適切とは思っていないだろうし、第一無事でよかったと安心しておられた。元気な顔を見せて差し上げればきっと喜んで下さるはずだ。」
そんなことを気にしていたのか、というような、初心な娘への微笑ましさを含んだ柔らかい声で否定されてしまった。
うぅ、、、今使える切り札はそれくらいしかないのに、、、
仕方がない。かくなる上は、今このときだから使える最強の営業技を披露するしかない。
覚悟を決めた私は、少し頬を膨らませて涙目になりつつ父を見上げる。
「、、、でも、でも、やっぱり嫌なの。
私は皇太子様とは結婚できないもん。」
そう。駄々っ子作戦だ。
正直めちゃくちゃ恥ずかしいしめちゃくちゃイタイ。
6歳の子供とはいえ中身の意識があるのは20後半のアラサーなのだ。
恥ずかしさで顔も熱いし、余計に涙目になるけど、今はそれすらも武器にするしかない。
現に愛娘のそんな姿に父親としての擁護心が疼き始めているのか、困った顔で見つめられている。
あとは、最終兵器のあのセリフしかない。
「私、お父様と結婚するんだもん」
そのセリフを聞くやいなや、手で顔を覆って天を仰いでいる父。
ーーーー効いた。
父親になって言われたいセリフランキング堂々の1位。
妻も娘も溺愛しているこの父に効かないわけがないとは思っていたけれど、効果はバツグンみたいだ。
数秒そのまま固まって、少し俯いて小さく唸った父は、深呼吸をしてまた私へと目を合わせた。
「こっちへおいで。ライラ」
そう言って少し椅子を引いて、両手を広げた。
これは、幼いライラが父に甘えたがった時に、膝の上に抱っこしてくれる時の仕草だ。
少しゆっくり歩み寄って父の前に行くとそっと抱えあげて膝の上に横座りにしてくれた。
「ライラ。父様はライラのことがとてもとても大切だ。父様と結婚すると言ってくれるのもとても嬉しいしとても幸せだ。
だけどね、それは出来ないんだよ。
皇太子様と婚約を結ぶという話があがった時点で、うちからはお断りすることはできない。
皇太子様からお断りをされない限り、1度結ばれた婚約の話を解くことは出来ないんだ。
それが、我々貴族の責任でもあるからね。
難しい話だと思うけれど、わかってくれるね??」
目を合わせて6歳児にも伝わるようにゆっくり話してくれた父は、どこか寂しそうだった。
これ以上父の悲しい顔は見たくない。ふとそう思った。
この思いは父を慕うライラの思いからなのか、父としての愛情を向けられている自分の意識が実の娘でないことへの未莉としての罪悪感なのかはわからない。
でも、これ以上わがままを言うことは出来なかった。
「お父様、困らせてしまってごめんなさい。
私やっぱり皇太子様と婚約する。」
そう告げると少しほっとしたような、それでもまだどこか寂しそうな顔で父は「そうか、」と頷いてくれた。
「それに、父様は母様と結婚しているからね。
いくら大切なライラとはいえ、父様の奥さんの座は母様以外には譲ってあげられないよ。」
そう言って笑う父に、なんだか心が暖かくなった。
皇太子との婚約は阻止できなかったけれど、なんだかそれももうどうでもいいと思うくらいに。
「うん!私もお母様大好きだから、お父様の奥さんはお母様がいい!」
そう言って笑い返すと、父もとても嬉しそうだった。
「そうだね。だけど、もしなにか嫌なこととか辛いことがあったらまたいつでも言っていいからね。父様も母様もライラの味方なのは変わらないのだから。」
そう優しく言ってくれた父はそっと私を包み込んでくれた。
お父様の愛情に包まれながら、この時本当にライラの人生を良き道に進めようと決意した。
こんなにも娘を想っている家族がいるのだから、私もライラとして家族を大切にしようと、みんなで幸せになろうと、そう思いながらお父様へぎゅっと抱きついた。




