おじいちゃんと
田舎でおじいちゃんと暮らしていた日を回想する物語。
おじいちゃんと二人で見た不思議な光景を、思い出という形でぼんやりと描きます。
ノスタルジーに浸る感覚を2000字ぴったりで、どうぞお楽しみください。
梅雨が終わり、夏が始まろうとしていた。
この時期が近づくといつも思い出す。
あの日見た月は今でも忘れられない。
おじいちゃんと二人で一緒に見た満月。
私は小学校に入る直前まで、片田舎に住むおじいちゃんの家に住んでいた。
6歳になったばかりの頃だったと思う。
私はその頃から空を見上げるのが好きだった。
その日もぼぉっとしながら、おじいちゃんの部屋のすぐ隣の縁側で空を見上げていた。
「あ、ほら。今日は満月だよ」
思い出はいつもここからはじまる。
私のその言葉を聞いて、おじいちゃんはよっこいしょと言いながら体をおこすのだった。
この頃のおじいちゃんはほとんど寝たきりで、私はおじいちゃんが起き上がる事をよく喜んだものだった。
「そうか、満月か。ほら、そこの戸を開けてみぃ」
おじいちゃんに言われたとおり、縁側の大きなガラス窓を力を入れて開ける。
窓はレールも枠も木でできた古いもので、開け閉めするたびにガタガタと音をたてるものだった。
おじいちゃんの家は相当時代遅れだった。
昭和が終わり平成になったというのに、窓には網戸が無いしトイレもぼっとん便所。
洗濯機は二槽式だし、お風呂は五右衛門風呂で入るのが大変だった。
おじいちゃんに言われたとおり窓を開けると、外からは初夏の夕方の涼しい風が入ってきた。
今でもあの風の心地よさを覚えている。
「あ、涼しい」
夏の暑さを切り裂くように、山を吹き下ろし薫る風。
いつまでも縁側に座っていたい気持ちになる。
縁側の外には庭があり、そこには盆栽がいくつか置いてあった。
おじいちゃんがまだ元気だった頃に育てていた盆栽だ。
おじいちゃんが寝たきりになってからは誰も手入れをしなくなり、あの頃には枝先がほうぼうに乱れていただろう。
この盆栽たちはおじいちゃんの家を取り壊す時に捨ててしまい、今ではもう残っていない。
縁側から垂らした足を揺らしながら、東の空に浮かぶ丸い満月を見つめる。
西の空を見ると、赤くなった夕焼けが徐々に山の向こうへと沈み始めていた。
「あ、おじいちゃん、夕焼けも綺麗だよ。ほら、こっちに来て一緒に見ようよ」
おじいちゃんがゆっくりと布団から出る。
縁側まで歩いてくるのを私は今か今かと待っていた。
「おじいちゃん遅い~」
よっこいしょと言って、おじいちゃんも縁側に座った。
「満月は、綺麗かの」
「そうだよ、でも夕焼けも綺麗だよ」
「夕焼けが綺麗じゃと明日は晴れるそうじゃ」
「へぇ~」
「でも、不思議じゃの」
「どうして?」
「満月とおてんとさんが一緒に見えるのは、不思議なんじゃ」
「え〜? でも私、朝にお月さん見たことあるよ」
「満月だけは特別じゃ」
「ふぅ~ん」
当時小さかった私には難しい話だった。
話をしているとまた涼しい風がふんわりと吹いた。
ぶら下げっぱなしの風鈴が、チリンと音を立てる。
「もう夏じゃけど、風は涼しいなぁ」
「でしょでしょ。だからねぇ、窓を開けて寝たいの。だから蚊帳を出して~」
おじいちゃんの家には大きな蚊帳があった。
私はその蚊帳を張る時に上に乗るのが好きだった。
前の年はおじいちゃんが蚊帳を張ってくれた。
その時はまだ元気だった。
「そうじゃなぁ。お前も大きぃなったんじゃから、自分で蚊帳を出せるようならななぁ」
「え~無理。手が届かないもん」
「はっはっは。そうじゃな、蚊取り線香も出さんとな」
おじいちゃんは顔のシワを集めるかのように、にっこりと微笑んだ。
「おまえももう5歳になったんじゃ、いろいろ出来るようにならんとな」
「私5歳じゃないもん、6歳だもん」
「そうか、もう6歳か」
おじいちゃんは少しほほえんだ後、空を見上げた。
空を見るおじいちゃんは、そのまま空に吸い込まれそうに見えた。
私はふと、おじいちゃんがどこかへ行ってしまうのではと思った。
どこか遠く、知らないところへ行こうとしているのではないかと感じた。
「おじいちゃん、どこか行くの?」
おじいちゃんは私を見て、一瞬きょとんとした顔をした。
そしてゆるやかに微笑みながら、返事をせず、私の頭をなでた。
おじいちゃんがどこかに行かないように、おじいちゃんの腰を強く抱きしめた。
その後、おじいちゃんと二人で満月と夕日を見てゆったりと過ごした。
そのうちだんだんと眠りについたんだと思う。
目覚めたら縁側に一人で横になっていた。
誰かがかけた毛布。
閉められたガラス戸。
うっすらと差し込む朝の光。
「あれ、もう朝……?」
私は伸びをした後、おじいちゃんを呼んだ。
返事がない。
「おじいちゃん?」
縁側にも居ない。
おじいちゃんの部屋にも居ない。
「おじいちゃん」
昨日とほとんど変わらない縁側。
ただ、おじいちゃんはどこにも居ない。
「おじいちゃん!」
昨日と変わっていたことは二つ。
おじいちゃんが居ないこと。
そして蚊帳が出してあったこと。
おじいちゃんと過ごしたあの日々を忘れはしない。
あの日には帰れないけれど、寂しいとは思わない。
だって、おじいちゃんは満月になって、私を見ているのだから。