Act.20 いま
テルルの言葉は少々刺激が過ぎた。勝てない? 一体どういうことだというのだ。テルルはそんな心情に応えた。
「敵方の皇太子についている選帝侯、クラディウスの家元がその原因さ」テルルは自嘲気味に言った。「奴は賢かった──私と違ってな。奴は、皇帝の権力が伸びきる前にことを成した。他家の領地が、有名無実化している今、奴の領地だけが独立を維持している」元から経済基盤があったからかもな、とテルルが付け加え、対して、と続けた。
「こちらはなんの経済的基盤も持たない、お飾りの選帝侯家にまで成り下がってしまっている」テルルに焦りが見えた。これが初めてだったかもしれない。ふわりと風がなびいた。
「まずは、そこに対抗するところから始めないといけない。それには、君らの力が必要だ。再三になるが、協力してくれるか?」ヒナカも同じ思いを抱いたらしい。二人で最後の確認をして。「──私たちにできることであれば、何でも」ヒナカは言った。
「そうか。嬉しい。嬉しいな。それじゃあ──」むつかしい顔から一転して、「まずは君の治療からだ! 頼めるかい?」それはいたずらに成功した子供の表情だった。俺たちは、揃って目を丸くした。そしてヒナカも肩を揺らして応えた。
「──はい!」
それから話はすこし別の方向に転がっていった。もちろんテルルとて無策ではなく、そのことについて俺たちとすり合わせをしておきたかったらしい。要は実務的な話だった。
「では、始めよう」テルルが言った。テルルは俺の知っていたものと大差ない品質の紙を取り出す。まず彼女は大きくゴールという言葉を書き出した。
「まず私たちエディントン一派の最終目的について、誤解のないよう共通認識を確立しておきたい」ヒナカは身を乗り出して頷く。
「ゴールは単純、我々が擁立した皇太子を玉座に就かせその宰相となり、国内外の混乱を安定させること。その問題解決の方法として、エディントン家は皇帝祭に挑む」真剣な、上に立つ者の顔だった。俺の知る時代に通ずるものすらある。人というのは、どこの世界でもそう変わりはないらしい。
「相手はクラディウス家。そして擁立されるであろう皇太子。信条上、まだ詳しいことは言えないが、もう一つデカいところとも、やり合う可能性が高い。だが、それ以外の連中は、私が相手取るから気にしないでいい」特に気取るでもなく、ぽろりと出た風なテルルの言葉だった。そういう人というのは実に頼もしい──と思う。ヒナカも安心しているようだった。テルルはさくさく進める。
「しかし、目的達成をする上で敗北条件となりうるものが二つある。一つは民からの支持。もう一つは──ヒナ、なんだと思う?」机をカツリと叩く。紙から視線を上げ、ヒナカの答えを求めた。試されているような目線だ。ヒナカも少し考え込んでいる。
ヒナカが慎重に、言葉を選んで答える。「……有力地主、あるいはそれ相当の富裕層との関係性、ですか?」そうヒナカが答えると、にやりとテルルの口が吊りあがった。「その通り。仮に実権を握れたとしても、金づるに裏切られたら全ておじゃんだ」そう笑いながら言ったテルルだったが、目の奥は冷たかった。まるで視てきたからだ、と言わんばかりに。
「これからの計画は、それを理解した上で臨んでほしいものになる。いいな?」
ヒナカは頷いた。否応なしに。それほどにテルルの圧は強かった。
「──さて、今日はもう遅い。動くのは明日以降にしてくれ。じゃなきゃ私が眠れず倒れてしまう」
くすり、とヒナカが笑い席を立った。テルルも後に続く。
夜はそう長くなかった。ぐっすり眠れたヒナカと違い、俺は少々思考に苛まれていた。今回は人の二面性についてだった。
聖人が悪を成すのは矛盾なのか? 悪人が善を成すのは矛盾なのか? 俺が覚えている限りでは俺は悪人に近い存在だったはず。それが、人助け?
間違いではないのだろう。人道的には。しかし一貫性がないというのもどうなのだろう? 結局辿り着いたのは人などそんなもんだというありきたりな帰結だった。
実に腹が立つのがこの思考が暇な時間をつぶすのに最適だということ。気付けば部屋の窓から見える地平線が紫に染まり始めていた。
〔そろそろ起きろ。人との約束は早めに済ましておいたほうがいい〕
寝息。悪くはない。無垢な横顔は、遠回しな自己否定に陥っていた頭を冷やすには十分な可愛さだった。視界を閉じ、尊ばれるべき理性で思考を支配する。
「……うぇ。まぶしい」
〔時間。早いのに越したことはないと思うけど〕
「うぅ……」
なおも眠気には抗えないようだ。今は夏場だ。したがって日が昇る時間は早いはず。……たぶん。
まぁヒナカの抵抗はその後十分ほど続いた。しかし最後は観念し、半眼ながらもはっきりした目で着替え、ミーティングもとい朝食をごちそうに下に降りた。
「おはよう。うちの寝具は体に合ったかな?」
「おはようございます。宿屋のベッドも全部あれだとありがたいんですけどね」
「はっは。あんなものをいくつも用意しようなんて経営者はよほどのもの好きか狂人だけだろうなぁ」
談笑。何気なく見えて実は高度なコミュニケーション能力、つまりは社交性の求められる高等テクニックだ。と思う。正直そう思うぐらいにはアレなので、そんなヒナカが可愛くも羨ましかった。
朝飯は割と豪華でシンプルだった。いや矛盾ではあるが、実際そうなのだからそう形容するしかあるまい。機嫌よさそうに食事をする二人を見るに、相当においしいのだろう。
テルルの卓には皿が多い。少し違うものの、いわゆるコース形式という奴だろうか。机に乗っている朝飯も、手は込んでいないものの調理者の経験の高さが伺える。食材も同様。大それて主観的ゲテモノがあるかと言われれば否だった。
皿が多いと洗うのがめんどくさそうだなぁ。
〔多分私たちがいる間だけだと思いますよ〕
〔つまり見栄と?〕
加工技術の高いフォークとナイフを綺麗に動かしながら、小さくうなずいた。
〔使う食器の数が多いことが富の象徴だったり言われますからねえ。兄者の所はそうじゃなかったんですか?〕
〔うーん……覚えがない〕
皿が多い料理文化といえば、大陸のほうがそうだったような。流石にその意味までは知らなかったが、見栄を重んじる文化性ならそうであっても何らおかしくはない。
机には少々汚れた皿が並ぶだけになった。テルルもコップを手に取ってリラックスしており、ヒナカも窓の外を見て呆けていた。少々手持無沙汰だった。戸を叩く音がした。
「そろそろご用意を」と執事は言った。テルルは短くため息をつき、「今日は大きい仕事をしてくる。そうだな──」とそう言って、ヒナカに金色に光るペンダントを放り投げた。
テルルは扉に向かいながら、器用にもこちらに顔だけを向けた。「それがあれば街の大概の場所で支払いができる。小遣いだと思って好きに使ってくれ」テルルは孫に小遣いをあげる老人のように伝えた。ヒナカがペンダントを大事に抱えながら、テルルにお礼を言った。
文体がかなりしっちゃかめっちゃかですがご容赦を……