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Act.19 次の指針

「兄者……?」


 ヒナカは、繰り返しこの言葉を呟いている。何度も、なんども。終わりのないマラソンのようだった。早く終わってくれと心の底から願った。


「兄者、いますか?」


 俺は喝采を上げた。少しヒナカを驚かせてしまったようだった。テルルは水を手渡し、ミツパは最終確認のため、簡単な質問をしていた。結果は良好だったようだ。


 認識に異常はなく、記憶の混濁などもない。俺を押しつぶしかけていた自責の念は、とりあえず忘れることができる容体だった。


 水を手渡したテルルが、ぐっとヒナカに顔を寄せた。


「さて。起きてもらって突然だが、君が完治するまでうちで預かることになるかもしれない。ヤコブにはあとで伝えるが、それで構わないか?」

「……? は、はい……わかりました」


 まぁ、突然だったし、返事がおぼつかなくなるのも致し方あるまい。駒になるかもしれない人物に勝手に死なれても困るだろうし、妥当と言えば妥当だ。


 が、ヒナカはその経緯(いきさつ)を知らない。ある程度説明してやらねば鬼というものだろう。


 〔ヒナカ、ちょっと話が〕

 〔何かあったんですか?〕

 〔そういうこと。それと、俺たちの次の手について、経緯も含めて相談したいと思う〕


 わかりました、と一言返してくれ、そのまま楽な位置に体をよじらせた。


 〔──さてヒナカ。いい知らせと悪い知らせ、どっちから聞きたい?〕


 唐突ですね、と少々どやされる。少し考えて、


 〔悪いほうから、聞きたいです〕


 と言われた。


 まず、鐘の件を話した。その次に、鐘を手に入れるためには、面倒ごとに巻き込まれるかもしれないということも。面倒ごとについては、ヒナカは想定内だと言ってくれた。むしろ、もっとひどい条件も覚悟していたそうだった。


 〔それで、いい知らせ。今なら、テルルさんが訓練も面倒を見てくれるみたいだ。()()()()()らしいけどな〕


 ヒナカは何かを察したようだった。


 恐らくその予想は正解だ──と思う。少なくとも大きく逸れてはいないだろう。テルルは、俺たちが遊探家になることに対しては歓迎なのだろう。でなければ、まずこんなことは誰だってしない。


 つまり。今が遊探家になり、ヒナカの目的を叶えるには最適のタイミングだということだ。それについてくるデメリットも、メリットに比べれば大したことはないだろう。


「こちらにつけば、いかなる援助も惜しまない」──そういうことを暗に示してくれているのだと思う。テルルの思惑が全て読める訳では無いが、少なくとも今は悪いようにされることはないだろう──という予想はある。後はヒナカ次第だった。


 〔……信じてみましょう〕

 〔分かった。腹が決まったら言いに来てくれって言われてる。立てるか?〕


 なんとか、と強がりの笑いを作りヒナカが立ち上がった。その足取りは少々おぼつかなかった。


 薄暗い通路に出た。入れ替わった空気が何故か気持ちよく感じた。テルルは上に居るらしかった。用意があるから、と俺たちに言付けを残して行っていたはいい。


 しかし……その。ヒナカが歩く音だけが聞こえると言うのは、少々気まずい。何か喋るべきだろうか。ひとしきり悩んだ後、とりあえず腹を決めることにした。


 〔そういや、お医者さんは数日もあれば治るって言ってたが……ホントなのかね?〕

 〔多分ホントだと思いますよ。獣人は傷の治りが早いですから〕


 ほう。いいこと……なのか?細胞分裂が早いだけという可能性もある。そうであれば傷を負うリスクは人と変わらないはずだが……


 そういえば、この世界の文化はどうなっているのだろうか。移動距離の割には、あまり知らないような気がしてきた。機会があれば、ヒナカに案内してもらうのも悪くないかもしれない。


 文化史なんかもいい。どれだけの歴史の蓄積があるのかは知らないけど、意志ある生物が闊歩しているなら期待はできる……かも?


「何考えてるんですか?」

〔いや、この国とかこの世界の歴史が知りたいな、って〕


 歴史ですか、と少々興味ありげに返答が返ってきた。しかし、ヒナカはそこまで歴史について詳しくはないようだった。知っているのは皇帝はそこまで絶対的ではなく、それを選ぶ七人の諸侯がいるということぐらいだそうだ。


 はて。どこかで聞いた覚えもあるが、なんのことだったろうか。まぁ思い出したところで何の足しにもならないのもまた事実だろうが。


「ヤコブさんなら詳しいかもですね」

〔今度戻った時にでも聞いてみるか〕


 気付けばテルルがいるという扉の前だった。二人でふわっと苦笑した。


「テルルさん、ヒナカです。入ります」

「やあ。気分はどうだい?」


 とん、としたシンプルな部屋だった。過度に装飾されているわけでもないが、殺風景というわけでもない。気持ちのいい部屋だった。


 テルルが目で着席を促す。大方ヒナカがそこまで動けるわけでもないと見抜いたのだろう。厚意に甘える形で、ヒナカがソファに座った。


「気分は……ご覧の通りです」

「そうか。何か要るか?」


 ヒナカは首を横に振った。開け切った両開きの窓から、夜の海風が凪いだ。遠くに六本マストの帆船らしき影が見える。下で明かりを焚いて何かしているようであった。


「気持ちいいだろう? 気に入ってるんだ」

「私もこの風は好きです。穏やかになれます」


 テルルはグラスに手を伸ばす。赤ワインのようなにおいがした。


「──飲め。理由は聞くな。君のためだ」


 分水嶺だろう。だけど、断る理由はもうない。ヒナカは赤ワインに口をつけた。得意ではないらしいので、ちょびっとだけだったが。


 ここに契約は成った。テルルは本格的に動き出すだろう。次の動きは俺も、ヒナカもテルルの口から直接聞いておきたかった。


「テルルさん」

「何だ?」


 ワインが机に置かれた。月がグラスに反射して、赤い海のように波立っていた。


「私たちは、どんな役割を果たせばいいんですか?」

「性急だな。だが、その姿勢は好感が持てる。 ──分かった。兄者君からはどこまで聞いた?」

「皇位継承祭での駒になる。要約したら、そんな感じです」

「そう。普段は七人で集まって大したこともない奴を選ぶだけの茶番だが、今回は訳が違う」


 テルルは、ため息交じりにぼやく。彼女の髪色も相まって、頭を垂れた百合が頭をよぎった。


「今の皇帝が、幾分力をつけすぎた。今の私たち──要は、選帝侯たちでは彼の権力に太刀打ちできなくなってしまった」

「だから、皇帝が実子に継がせようとして問題が起きている、ということですか?」

「その通り」

 

 今の俺には正直ヒナカとテルルの話はほとんど聞けていなかった。ある心当たりが俺の思考に割り込んできたからだ。


〔選帝侯……選帝侯……?〕


 脳裏に稲妻が走る。


〔神聖ローマ帝国……?〕


 いつの記憶だっただろうか。世界史に造詣の深かった友達に影響されて、手ずから調べたものだった。選帝侯という単語も、おそらくその時のものなのだろう。


 ヒナカは、意志ある生物だ。テルルも、ヤコブも。それならば辿る歴史も必然的に同じになる、というのもあながち否定はできない。もしそうだとしたら。……俺は、二重の意味で危険な存在となってしまう。


〔兄者?〕


 ヒナカの手が少し浮いてしまった。テルルは面白そうに俺に注視している。


〔……お二方とも、失礼した〕

「あ、いや、そんな意味で言ったんじゃなくて、その」

「はっはっはっ。真面目だな、君らは」


 ひとしきりテルルは笑った。そして、顔を冷やした。


「──さて、ここからが肝要な話だ」


「皇帝の権力が強くなってしまった──これに関しては、もはやどうしようもない」


「だが、チャンスが回ってきた。君らも知っている通り、近々次の皇帝を決めるための戦いが行われる。私は、これに一枚噛もうと思っている。しかし──」


「今の私の力では、どうあがいても対立皇太子の勢力には、勝てない」


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