Act.18 切願
「かつて何者にも成しえなかった『遺都』の最奥を覗く…… 自分で何を言っているのかわかってるのかい?」
「もちろんさ。だけど、この子にはその才能がある。──それに、この腕輪もその一つさ。これ……いや、君、喋れるかどうかまでは分らないが、意思はあるだろう?」
驚愕が思考を支配する。あの様子からそんなことはないはずだ、と本能は叫ぶ。
だが、今この瞬間にこの女性はそう言ったのだ。お前には意思があるのだろう? と。
「……とうとう狂ったかい?」
「まさか。というより、元来狂っている。それに少し拍車が掛かっただけさ。それで? 秘密主義ならこの男は外に出させるが?」
なにが最もベターなのだろうか。
どうするのが最もヒナカにとっての得になるのだろうか。
「──ッ! ふ。おい、外に出ておけ。口外は許さん。命令だ」
「御意」
少しだけ念動を使った。それだけで彼女には十分だろうと信じたからだ。
予想は当たった。彼女は気付いた。そして、俺は後戻りのできない選択をした。
彼女の信じた人をその──なんだ。友達である俺が信じないのは道理ではないから。
「それで? 君はどこの誰だい? 何故彼女に使われている? いや、こんなことは滅多にない! 是非君の話が聞きたい! ──すまん、年甲斐もなくはしゃぎ過ぎだな」
〔……いえ、そういうモノが目の前に現れた時は誰でもそうなると思いますよ〕
期待と嬉しさと未知への渇望と──テルルのいろいろな感情がミキサーみたいにかき混ざっていた。
聞かれることにできるだけ真摯に答える。そうすることが最善と信じて。
「まずは自己紹介からだな。とは言っても君、聞いてたんだろう? それはフェアじゃない。君の良識を信じるよ」
〔俺は兄者です。これはヒナカにもらった名で、それ以前の名は忘れました〕
「そうか。それで兄者、君何か非常に困ってることがあるだろう?」
まただ。だがもう何を言われても驚くまい。
無言の首肯をし、できる限り誠実に。
〔その通りです。そのせいで、彼女……ヒナカを守れなかった〕
「なるほど。それは、私の力が必要なことかい?」
〔いえ。多分、顔も知らない悪趣味な奴の仕業なので〕
ふふっと笑い、君も中々言うねという評価が下った。
彼女は、俺についてそれ以上詮索はしなかった。代わりにヒナカについてできる限り教えてくれと請われた。
もっとも、ヒナカについて聞かれたのは彼女が今困っていることだったり、何か必要なものが無いかといった類の質問だった。
〔……なんで、そんなにヒナカに優しくしてくれるんですか?〕
「唐突だね。君ら、裏口から入って来たんだろう?それなら、玄関のうるさい奴らを見たはずだ」
〔ええ〕
「そういうことさ。私はね、ここの奴隷制には反対なのさ。今のままだと政治的に面倒になるというのもある。けど、それ以前に胸糞悪くて見てられないからさ。生まれと育ちの国がこんななんて、私だって嫌だからね」
この国の奴隷制は酷い。確かにそうだ。あの武器屋で見た光景は、今まで見てきた現代国家においては信じられないものだった。むしろ、南北戦争以前における、アメリカ黒人奴隷のソレと比べても酷いかもしれない、という意見が俺の中にはあった。
〔あなたは、いい人だと俺は信じます〕
「──そうか。往々にして、自ら見える自分と他人から見える自分は一致しないものだ。そう映ってくれて何よりと言っておこう。さて、君の友達もそろそろ目を覚ましそうだ。ミツパ、もう入ってもいいぞ」
あの医者の男性はミツパという名前らしい。
「どこまで聞いていた?」
「耳が長いのも考え物ですな」
はぁ、とテルルがため息をついた。
よく見れば、ミツパという男性もテルル同様耳が長かった。
まぁ、そういうことなのだろう。
「一応、保険は掛けておいて欲しい。兄者君には悪いが、君は大火の火種だ。知る人間は少ないほうがいい」
「分かりました。後で処理しておきます」
「それと、この子とあの大男を完璧に治療してやってくれ。どちらが欠けても私が困る」
目論見……があるのだろうか。仮にヒナカを傷つける目論見であれば、その前の言葉は相反する。
治してもらう対価、とでも思っておくのが最善か。
だが、不安は拭えない。思い切って聞いてみることにした。
「代理戦争、と言えば理解できるかい?」
〔要点が掴めない〕
誰と、誰の?
「皇帝祭。それに、『駒』たるヤコブが謀られたという事実。これでどうだい?」
〔……ダメだな。残念だけどあなたに対する評価を変えないといけなさそうです〕
人の知識不足を笑われるのは俺の趣味じゃない。
「些か衒学趣味が過ぎたかもしれない。反省する」
テルルは続ける。些かの嘆息も混じっていた。
「まぁ、単純に言えば権力闘争だ。皇位継承権問題と、それに付随する次期宰相問題。それの駒として、君らを使いたいのさ。もちろん、正当な報酬は用意するさ」
……駒、か。言い換えれば木偶、あるいは狗。
あそこまでヒナカにしてくれるテルルが、わざわざ駒と言うのは、何か己に課したルールでもあったのだろうか。
報酬と言えば、だ。
〔鐘の件は、どうするんです?〕
「そうだな。とりあえず、先程の約束は無効ということにしておこう」
まあ、仕方ないといえば仕方がない。
「それで、こういうのはどうだ。君らに、私の駒になってもらいたい。私としても負い目があるし、そうしてくれるのであれば、私は鐘をそれ以上の条件なしで引き渡す。どうだ?」
と言われても。
利害は一致しているし、予想外の収穫でもある。
……だが、その条件であれば、俺だけでは決められない。
独断で決めて人を振り回してしまうのは御免だからだ。
同時に、交渉には機というものがある。
それを逃せば、また巡ってくるとも限らない。
俺が選ぶべきは──
〔……手前勝手で悪いですが、その条件ならヒナカが起きるのを待ちます。独断で人を振り回したくはないので〕
「そうか。殊勝な心掛けだ。それならば、待とう。他に話したいこともあるしな。それと──」
結果として、とりあえずはこの対応で良かったらしい。
テルルからしたら、友を想う義理人情の厚い人物、とでも思われただろうか。あるいは、保身に走る卑怯な男?
まぁ、どちらでも今はいい。
まずはヒナカの治療が最優先なのだから。
「さて、難しい話はこれで終いだ。楽にしてくれ、兄者君。──そういえば」
少し身構えた。リラックスさせてから、本音を引き出す手法かと勘繰ったが──
そうでもなかったらしい。
「なんで君はそう言う風に名付けられたんだい?」
目をぱちくりさせる。少し突飛な方向からの質問だったから。
何故かと問われれば、なぜだろう。心当たりはない。
正直にその旨を伝える。
「そうか。詮ないことを聞いて悪かった」
素直に引き下がってくれた。はて、何だったのだろうか。
しかし、聞かれると気になるといえば気になる。
喉に小骨が刺さった。
「ん……」
同時。意識を失っていたヒナカが目を覚ましたらしかった。
テルルがミツパという男性を呼びに行った。俺はただ待った。
「兄者……?」
〔ここにいるぞ〕
「兄者……」
〔ここに、いる〕
兄者、とまた繰り返した。うわごとのようだった。
まだ、会話のできる状態ではないらしい。
「がんばって、よかった……」
一条の涙が、彼女の頬を伝った。