『私の眼から逃げてたのね』
《過去 ヒロユキ宅》
「おかえりなさい、ヒロユキさん」
「……ユキ」
ユキ__ヒロユキが勇者として最初の町に現れた頃から共に戦ってきた仲間であり、相棒。
だが、彼女は少し前にパーティーを去っていた。
「どうしました? 感動の再会ですよ? 抱きしめてもいいんですよ! ほら!」
ソファから立ち上がり、冗談めかして両腕を広げるユキ。
今までなら笑って流せたその言葉も……
「……ユキ」
「っ……」
ヒロユキは迷わず抱きしめた。
「……」
「……」
無言でユキも抱き返す。
彼の体温、心臓の鼓動、匂い――すべてを確かめるように、強く。
「……ヒロユキさん……ヒロユキさん、ヒロユキさん」
「……」
甘えるように名を呼びながら、ユキは潤んだ瞳で顔を見上げる。
「ヒロユキさん……」
頬が赤らみ、唇が近づいて――
「……本題に移れ」
「むっ……」
キスのお預け。
「どうしてそこで拒否するんですか! 流れ的に完全にキスでしたよ!」
「…………」
ヒロユキは目を逸らし、照れ隠しのように頬をかいた。
「何ですか? 言いたいことでもあるんですか?」
「……その……こういうのは慣れなくて……恥ずかしいんだ」
「ふぁーーーーーーっ!? ヒロユキさーーん!」
「っ!? おわっ……!」
ユキはたまらず勢いよく飛びつき、ヒロユキを押し倒した。
「あーもぅ! ヒロユキさん! ヒロユキさん!」
「んぐっ!?」
半ば強引に、ふざけた調子を装って何度もキスをする。
真剣すぎる雰囲気のキスが恥ずかしいと言ったヒロユキへの、ユキなりの配慮だろう。
「フフッ……これなら恥ずかしくないですよね?」
「…………気が済んだら、本題に入れ」
「あ、あれ!? なんか怒ってません?」
「……怒ってない。ただ、感情が複雑なんだ」
ヒロユキをよく知らない者には分からないかもしれない。
だがユキには、彼のわずかな表情の変化が見えていた。
「ははは……ちょっと、いじめすぎちゃいましたね」
そう言って彼の上から退いたユキは、すっと立ち上がり台所へ。
「ヒロユキさん、何飲みます?」
「……《春夏秋冬ブラックジュース》」
「はーい」
「…………」
「……」
再び沈黙が訪れる。
部屋に響くのは、ユキがフルーツを切る包丁の音だけ。
「……」
「……」
やがて、ユキがふいに口を開いた。
「ヒロユキさんは……“未来”って、どんなものだと思いますか?」
手を止めることなく、淡々と。
「……未来?」
「そうです」
「……どう思うか、とは?」
「何でもいいんです。その言葉を聞いて、どう感じますか?」
「……未来、か……」
ヒロユキは考える。
未来――確定していないもの。
決められた運命。
今よりも発達する世界。
自分の職業。
自分の結婚相手。
自分の死。
他人の死。
人によって同じ答えであり、同時に違う答えでもある。
その中で、ヒロユキが出した答えは__
「……考えないようにしてる」
「それは、どうしてですか?」
「……兄さんが言ってた。“未来なんて考えても来るんだから――」
「――『今を全力で生きる』、ですよね?」
「……そうだ。お母さんか?」
「はい」
「……」
「……」
ヒロユキの胸に引っかかり続けていた疑問が、ついに口から出る。
「……お母さんの名前は?」
「…………」
ユキは完成したジュースを机に置き、しばし沈黙。
やがて、ぽつりと答えた。
「――アオイ」
その名は、ヒロユキの中で渦巻いていた予想と疑念を決定的なものに変えた。
「……あぁ…………」
声に出すと、ヒロユキは天井を仰ぎ、無言で息を吐いた。





