人間をやめた日
《数年前》
「くそが! くそくそくそくそ!!」
クリスタルドラゴン討伐の後。
クロエは一人、自分の家の中をめちゃくちゃに荒らしながら、悔し涙を流していた。
「なんなんだよ! アイツは!」
脳裏に焼き付いて離れない。
――クリスタルドラゴンを一撃で葬った、あの少年の姿。
「クリスタルドラゴンを……たった一人で……一瞬で!
俺たちが束になっても勝てなかった化け物を……!」
床に散らばるのは、彼が積み重ねてきたオリジナルの魔皮紙。
もっと強く、もっと効率良く――その一心で積み上げてきた努力の証。
「こんなもん……何の意味もねぇ!」
握り潰すように叫ぶ。
勇者の“ただの一撃”が、自分の全てを嘲笑うかのようだった。
「はぁ……はぁ……」
一通り暴れ尽くした後、気がつけば夜になっていた。
「……くそ」
散らかった部屋を片付ける気にもなれず、ボロボロになったベッドへと身を投げ出す。
「俺は……何のために……今まで……」
クロエは怠けていたわけじゃない。
事実、エメラルド級冒険者になった今でも、己を鍛え続けることだけを考えて生きてきた。
「…………」
だが――心の奥底では信じていたのだ。
“俺が一番強い”と。
その自負が、たった一瞬で打ち砕かれた。
「ちくしょぅ……」
悔しさに涙が滲んだ、その時――
ピンポーン、とチャイムの音が響いた。
「……あ?」
「……」
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン……ピポピポピポピポ、ピンポーン!
「うるせぇな! くそ!」
クロエは舌打ちしながら、片付けようの魔法を発動し乱暴に玄関へ向かった。
ドアを開けたその先にいたのは――
「うおっ!? ルコさんじゃねーか!」
クリスタルドラゴン討伐時に姿を消していたルコサだった。
「よっ」
「よっ、じゃねーよ! どこ行ってたんだよ!」
「ははは〜。でも心配はしてなかったんでしょ?」
「たりめーだ! あんな事件があったとは言え、逃げ足だけは天下一品のルコさんが死ぬわけねぇからな!」
ルコサは彼の背後へちらりと視線を送る。
そこには、魔法で元の位置に戻された家具たちが並んでいたのだが……ルコサも同じランクの冒険者なので目は誤魔化せなかった。
クロエは一瞬でそれに気づき、眉をひそめる。
「……レディの家をジロジロ見んなよ」
「随分荒れてるね。何か嫌なことでもあった?」
「うっせぇ、お前には関係ねーだろ。殺すぞ」
「どころがぎっちょん、あるんだなぁ。これが」
「んだよ」
「クロ達が見た少年――あれは【勇者】だよ」
「……は?」
「知ってるでしょ?」
「まさか……!」
クロエの背筋に冷たいものが走る。
エメラルド級冒険者の権限で知っていた。勇者はただの御伽噺じゃない――現実に存在する。
だが、召喚の条件は常識外れだ。
生け贄一千人。
大陸規模の魔法陣。
さらに、どこにあるかすら分からない伝説の鉱石――【神の石】。
到底、個人や小団体に用意できる代物ではない。
「……国が召喚したってのか!?」
「ご名答。しかも――三人」
「なっ!? あんな化物が……三人もだと!?」
「そうそう」
「ま、待て! そんな召喚、他国が黙ってるはずが……っ!?」
クロエの脳裏に電流が走る。
(……そうだ。キーさんが“仕事の客”って言ってやがった……!
つまり、これは他国に隠して行われた召喚……!)
「ふざけやがって……!」
「ね、クロ。――俺と一緒に【神の使徒】にならない?」
「は?」
「いや〜、お告げがあってね」
「またそうやって……」
「でもさ、あの勇者の力を見て、まだ“神なんていない”って言える?」
「……っ」
「彼らはこっちに来て、まだ時間は経ってない。それなのにあれほど強い――神の加護を受けてるからだよ」
「…………それを受けりゃ、俺もあれくらい強くなれるってのか?」
「さぁ。正直、分からない」
「は?」
「根本的に違うんだよ、俺達とあいつらは。
俺達は最初からこの世界に居た人間。けど勇者は神に“改造”されてから送り込まれてきてる」
「……押しかけ宗教勧誘にしては、全然パンチねーな、ルコさん」
「ははっ、だと思う? でもさ、細かい理屈を説明して『ならない』って返されたら面倒じゃん?
俺は嫌なんだよ、そういうの。だからざっくりまとめて言うよ」
次の瞬間、ルコサの口元から笑みが消えた。
「――人間をやめて、化物になるか。選べ、クロエ」





