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「コロコロの祝詞を唱えてから寝ると、良い夢が見られる」
「コロコロちゃんと呼ぶようにしてから、お金を拾う率があがった」
あちこちで不可思議な喜びの声があがっている。
コロコロちゃん呼びが始まってから一週間がたつ頃、コロンブス子をブスブス子と呼ぶ人はほぼいなくなった。
例外はいたけれど。
「っかー、ブスブス子が今日もいるっ」
「あー、まともに見ちゃった目がくさるー」
今日も飽きずにいじめる連中だ。
連中も、いいかげん気づき始めている。自分たちが浮き始めているのを感じて、焦り始めているのだ。
だから余計に、コロンブス子への攻撃が加速した。
コロンブス子の上履きがトイレの中に浸されているのを見つけた子が、一生懸命に洗って、日向に干してあげた。
そうしたら、どんよりした曇天から唐突に一条の光が落ちてきて、その子の頭に差し込んだのである。
教室の窓から不思議な光を透かして浴びたその子は、一瞬、「はう」と叫んで硬直した。
何が起きたのか分からないというように、その子はみんなの方を振り向いた。
「えっ」
「ほげっ」
「いいっ」
みんな、目の玉が飛び出るほど驚いたのである。
ちょっと太めを気にしていたその子のスタイルが、いきなりほっそりとして、草食動物の様なスラリ感漂う姿に変身していたのだった。
脂肪にうもれていた目鼻はくっきりとし、明らかに可愛らしくなっている。
「スカートゆるいよ」
首をかしげながらその子は席に戻り、隣の子からポケットミラーを見せられて悲鳴をあげていた。
間違いなく、これは良い事、奇跡だ。
(コロンブス子に親切にしたら、凄く良いことが起こる……)
あいかわらず、もっさりとした姿のコロンブス子は口を閉ざし、うつむいたままだ。
何を考えているのか読めやしない。
確かなのは、コロンブス子には、ブスブス言わない方がいいということ。
親切にすればなお良し、ということ。
「計算外だったなあ」
コロンブス子は昔話の地蔵のようだ、良いことをしてやれば恩返ししてくれるらしい。
この事態は、愛ちゃんの予想をはるかに上回っている。
だけど、愛ちゃんにとってはうれしい誤算だ。
(あたしは、ただ、あの偉そうぶってる奴らに反抗してやりたかっただけだもんねえ)
愛ちゃんの目的は、期待以上の効果で果たされている。
ブスブス子、という呼び名はもうほとんど聞かれない。
一部の人が「ブスブス子」と言ったら、「え、誰の事」と、みんな一瞬けげんな顔をするほど、「コロコロちゃん」呼びが定着した。
そして、喜びの声は大きくなる一方だ。
「逆上がりがいきなりできるようになった」
というささやかなものから、
「病気で入院していたママが突然全快して、退院してきた」
という、まさに神のご加護のような話まで。
コロコロー、ハードシタドシタ、コロコロちゃんー、アソレ、コロンブス子はあー、アヨイヨイ、コロコロちゃんー。
今や、「コロコロちゃん音頭」すなわちコロコロの祝詞は、日課のようにクラスで唱和されるようになった。
お昼休み、先生が席を外した僅かな時間を狙い、みんな、誰が言いだすともなく、合唱を始めているのだった。
「ブスブス子」
「おいっ、ブス」
「キモいんだよー」
コロコロちゃんのジンクスが学年中に浸透し、いよいよ奇跡の度合いがただ事ではなくなってきた頃――いきなり小銭が天井から降ってきたり、一瞬のうちに顔中真っ赤になっていたニキビが消えてツルツルになっていたり――いじめっ子たちの反撃が始まったのである。
昼休み、みんなで唱和している最中、ついに彼らは立ち上がり、コロンブス子のまわりを囲んだのだった。
背が高く、すらっとした面々が腕組みをしてコロンブス子を見下ろしている様は、本当に威圧的だった。
「なにがコロコロよ、こいつはブスブス子よ」
一番えらそうにしている一人が、クラス中を見回して怒鳴った。そして、俯ているコロンブス子の前髪を掴んで、今まで誰も見たことのなかった顔を上向けて睨んだのである。
沈黙が落ちる。
暴挙に出たいじめっ子は、優越感に満ちた顔でコロンブス子の素顔を見下ろしていたが、徐々に顔色が変わり始め、真顔になった。ぶるぶるしながらコロンブス子の髪の毛を離し、よろめきながら席に戻った。
囲んでいた数名の中で、まともにコロンブス子の顔を見たのは、彼女だけらしい。
デロデロデロデロ……。
このタイミングで、いきなり怖い音楽が放送でかかりはじめた。
ぎゃっと叫ぶと彼女は机に突っ伏して、ごめんなさいごめんなさいと叫んだのである。
ごろごろごろごろ。
ごろごろ。
どこからともなく、あの澄んで心地よい「ころころ」ではなく、もっと重くて不気味な「ごろごろ」という音が聞こえてきて、みんなは顔を見合わせた。
そして、わたしは見た。
ぬうっと何もない空気の中から、巨大な玉ころがしの玉が現れて、ごろごろごろごろ重たそうにそこいらを転がりまわるのを。
巨大な虫さんが逆立ちをして、足で蹴りながら巧みに転がしている。
虫さんは艶のある体をしていて、なかなか綺麗だった。わたしと愛ちゃんの側を通り過ぎる時、その巨大なフンコロガシさんは、愛嬌たっぷりにウインクをしていったのである。
フンコロガシに操られた巨大な玉は、いじめっ子を一人ずつ、正確に、ごろごろと下敷きにして通り過ぎて行き、やがてまた宙に消えた。
「うわあんごめんなさい」
たった今、フンコロガシ玉の下敷きになった子たちが、これまで見たことのないようなしおらしさで泣き叫んでいる。床にひれふし、ぶるぶる震えてわんわん泣いていた。
「ごめんなさいごめんなさい」
多分、何に対してどう悪かったのか、理解しないままの謝罪だと思う。
あまりにも理解不能な事態に陥って、混乱しているだけなのかもしれないが――確かに彼らは、何かに対して、心の底から「ごめんなさい」とお詫びしたのだった。
「ごめんなさい、ああーん、あんあん」
「うわあん、フンコロガシ怖いごめんなさい」
口々に謝罪の意を涙の中で唱えているではないか。
いつの間にか、怖い音楽の放送は止んでいた。
いつかのように、焦った声で、放送委員さんが「今のは間違いです」とアナウンスを入れ、お昼の楽しい放送が流れ始める。
何事もなかったかのように配膳車が教室に運ばれてきて、給食の匂いが漂った。
ころころころ、ころ。
ころころころん。ころ。
「あー、今日カレーだね」
匂いをかいだ子たちがはしゃいだ声をあげる。
「おかしいなあ、今日はカレーじゃなかったと思うんだけど……」
愛ちゃんが首をかしげた。
わたしも驚いている。
確かに今日の献立はカレーじゃなくて、もっと、わたしの苦手なメニューだったような気がしていたのだが。
ころころころ。ころころころ。
とにかく、今日の給食はカレー。
しかも、デザートにケーキまで付いているのだった。
(こ、これは……)