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敵に回してはいけない子って、ひっそりと潜んでいます。
本当に怖い子は表立って怖さをアピールしません。その様はまるで、地雷です。
一見地味で、一歩引いた立ち位置だけど、その実、コミュニケーション能力に長けていて、短時間で自分の意思を全体に行き渡らせることができる人は、いる。
そういう人を怒らせるのは破滅に繋がる――わたしは、愛ちゃんを見ていてそう思う。
愛ちゃんは、学年のヒエラルキー上位者たちのような、分かりやすい威圧感は持たない。クラスの中になんとなく溶け込んでいて、可もなく不可もない子だ。
だけど、愛ちゃんが全学年――ばかりではなく、他の学校の子や中学生たちにまで――と、SNSで繋がっていることは、知られざる事実である。愛ちゃんは恐ろしい程の情報通だ。
よく、こういう情報網を自慢してしまう子がいるけれど、それは自分の秘密兵器を晒しているのと同じだ。
愛ちゃんは絶対に自分の情報網について、表立って口にしない。特に、ヒエラルキー上位者たちには絶対に知られないように隠しているみたいだ。
(愛ちゃんは、あの連中が実は嫌いなんだよな)
うちに帰って宿題をして、ごはんを食べて風呂に入る。
お湯につかりながら、今日、こっそりと屋上で愛ちゃんと話した内容を思い出した。
「要は、コロンブスさんを、ブスブス子ではなく、コロコロちゃんとみんなで呼べばばよいわけだ」
愛ちゃんは腕を組み、フェンスにもたれて、まるで疲れた中間管理職のおっさんみたいなポーズで語った。
策士、愛ちゃん。
(その怖さを、わたしはよく知っている)
三年生の時だったか。
愛ちゃんに意地悪をした男の子がいた。
愛ちゃんは哭いたりわめいたり、オトナに言い付けたりするのではなく、標的をじっくりと観察した。そして、復讐に及んだ。
体育の授業の時、みんな体操服に着替えてグラウンドに出たけれど、愛ちゃんはトイレに行くと偽って、教室に戻ったのだ。そして、件の男の子のズボンのお尻に、給食のチョコレートクリームを塗りつけたのだった。
「……なんか、うんちの匂いがしない」
次の授業中、周囲の子たちが男の子のお尻に気づいてひそひそやりはじめた。
実は、一番最初に「うんち臭い」と呟いたのが、愛ちゃんだったのである。
(恐るべき群衆操作術)
愛ちゃんを敵に回してはいけない。
その愛ちゃんが、ヒエラルキー上位者に対して、なにかカチンときているらしい。
(愛ちゃんも、実はコロンブス子苛めにストレスを感じていたんだろうなあ)
口元を片方だけ笑いの形にして、愛ちゃんは言った。
「今夜中に、学年の中でも影響力のある子に話してみる。明日から面白いよ」
じわじわと、みんな、ブスブス子じゃなくて、コロコロちゃんって呼ぶようになってきて、ブスブス言ってるのは、あいつらだけになっちゃうんだから。
ああいう連中は、でかい面をしているように見えるけれど、実は小心者。自分たちが周囲から浮いていると判ったら、とたんに心細くなるはずだ。
愛ちゃんはニタアと笑う。
(勝利を確信している笑いだよ)
わたしはつられて笑ったが、多分、ひきつった顔をしていたんだと思う。
屋上から見上げた空は陰気に曇っていて、なんだか雲行きが怪しかった。
ちゃぷん。
お湯に漬かりながら、わたしはぼうっと思う。
愛ちゃんの不穏な笑い。
コロンブス子が声を発した瞬間に起きた、かずかずの怪奇現象。
嘲笑うヒエラルキー上位者たち――ブスブス子、キモーイ――ずぶっと口元まで浸かった。今頃は愛ちゃん、最終兵器の情報網を使って、ブスブス子をコロコロちゃんに改名する策を全学年に浸透させている最中か。
(いくら愛ちゃんでも、あのコロンブス子をコロコロちゃんにすることは難しいだろうな)
わたしは思っていた。
コロンブス子があんまりにも陰気で不気味で、いかにもブスブス子だから。
低学年の時からずうっとブスブス子で定着しており、しかも別の学校の子にまで「ねー、あんたのところにさあ、ブスブス子って凄いキモいのがいるんだって」と、帰宅中の通学路で話しかけられたりするくらいだ。
それくらい、コロンブス子=ブスブス子なのだった。
翌日、わたしは自分が完全に愛ちゃんを見くびっていたことを知る。
クラス中の子たちが、ものすごく言いづらそうではあるが、意識してコロンブス子のことを「コロコロちゃん」と呼ぶようにしていた。
プリントを列ごとに回すと、最前列の子が後ろの子に回しながら、無理やりに「えーと、コロコロちゃんにもこれ、わたして」と言い、それを受けて、次の子も「あー、うー、コロコロちゃんにもわたしてね」と言う。ぎこちない伝言ゲームのように、わざわざ「コロコロちゃん」と名前を出してプリントを回し続け、最後にコロンブス子本人に渡す段になって、「はい、コロコロちゃん、どうぞ」と、宣言するように言い放つ。
コロコロちゃん誰それ。
例のヒエラルキー上位者たちが、変な顔をしている。
クラスじゅうが強張った顔をして、コロコロちゃん、コロコロちゃんと言っている様は、妙な儀式のようだ。
「コロコロ教か」
ヒエラルキー上位者のが、気に喰わないと言いたげに吐き捨てる。
クラスのみんなはいっせいにビクウ、ギクウとするが、目くばせをしあって一瞬沈黙した後、一斉に、コロコロー、ハードシタドシタ、コロコロちゃんー、アソレ、コロンブス子はあー、アヨイヨイ、コロコロちゃんー、と唱和したのだった。
妙な節に乗った「コロコロちゃん」音頭だ。
キャッチーかつどこか悲し気で切ない感じがして、心震わせるような旋律。
愛ちゃん、作曲もしたらしい。
今まさに国語の授業を始めようとしていた先生は、コロコロの唱和を聞いて、笑い出していた。
「なあにい、それ、今流行ってるの」
と、おっとりおばさん先生はそう言ってから、真面目な顔をして、授業中だから静かにしてください、と言った。
それでやっとみんなは、訳の分からないコロコロ音頭を止めたのである。
(コロンブス子をコロコロちゃんと呼べば、一週間以内に良いことがあるっていうジンクスをでっちあげて、学校中にばらまいた。祝詞を教室中で唱和するよう、クラス中に伝播させたんだ)
愛ちゃんが後ろの席からノートの切れ端のメモを渡してくれる。
(発信源がわたしってことは、誰も知らないんだ~)
愛ちゃんの囲い込み作戦の恐ろしさよ。
ヒエラルキー上位のいじめっ子たちは、ふてぶてしい様子だ。
だけど実は既に彼らは、輪の中から弾かれていて、たぶん近いうちにそれに気づいて青ざめるのだ。
愛ちゃん、怖い子。
わたしはゴクンと唾を飲んで、教室中を見回した。
みんな変な雰囲気で押し黙っていて目くばせをしあい、頷き合う子たちもいた。
コロコロちゃんという呼び名を、本人が気に入っているかはいまいちわからない。
コロンブス子は、相変わらず前髪をたらし、貞子のような陰気さで、押し黙って俯いているのだった。
ブスブス子よりコロコロちゃんのほうが可愛いし、本人が気に入るのは間違いがないのでした。