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第七話:雨を降らさぬ暗い雲

 昼を迎えて日差しが強くなるはずなのに、景色は先程よりも一段暗くなっている。桃太郎は上目に空を見て眉を寄せた。

 「降りだしたらひどそうだな」

 雲はどうなっているだろうかと呟くと、雉が羽を鳴らした。

 「(わたくし)が様子を見てまいりましょう! 雉は犬より飛べますので!」

 雉は嬉しそうに言って木の枝に飛び上がり、それから空へ飛び去った。


 枝葉の屋根の隙間を抜ける後ろ姿を、犬の目が追っていた。

 「おれより小さいくせに偉そうなやつだ。おれだって桃太郎さんの役に立っている」

 尻尾の揺れがゆっくりになったので、桃太郎は機嫌を治してやろうと考えた。

 「確かにお前の方が体が大きいな」

 「大きいぞ。雉より猿より大きいのだ。だが羽はない」

 「お前は羽を持たないが、立派な牙を持っているだろう」

 「うむ。立派な牙だ! 強く頼もしい牙だぞ!」

 犬は後ろ脚で地面を蹴りつけ、土の散る音に満足そうな顔を見せた。自信は取り戻せたようだ。思っていたよりも時間はかからなかった。


 「しかし犬よ、知っているか? 雉の踵にはな、こおんな鋭い爪があるのだ」

 「ふむ、それはなかなか強そうだな」

 「鋭い嘴も持っている。鳥にしては体が大きなほうだし、その上で空を飛べる羽まで持っているのだ」

 はっとした様子になって立ち止まる犬。

 「もしや、あの雉はおれの思うよりも強いのでは? 桃太郎さん、あれをあなどってはいけないぞ」

 「そうだ、そうだ。体の大きさが全てではないのだぞ」

 「ううむ。もしおれが空を飛べたら、桃太郎さんのために雲の様子を見に行ったのに」

 桃太郎はにこりと笑った。

 「お前は体も大きく、疲れ知らずで、立派な牙と強い顎があるたくましい犬だ」

 「雲を見てこられないのだ」

 「お前にはよく利く鼻があるだろう。匂いを辿って道を案内することができるのはお前だけだ」

 犬の尻尾がぴたりと止まった。桃太郎を見ている。


 次に犬はゆっくりゆっくり三回まわって、唐突に大きく吠えて駆け出した。

 「甘い匂いはこちらだ、もう近いぞう!」

 尻尾が飛んでいきそうだった。桃太郎は小さく笑って、少し遅れて駆け出した。

 ここまでの道のりを迷わずに進んでこられたのは犬の鼻のおかげだ。犬は爺ちゃん猿の匂いを辿って寝床を見つけた。そして、そこで嗅ぎ取った甘い匂いを辿ってここまで来た。犬にとっては匂いで道を選ぶことはあたりまえなのだろうが、桃太郎にとっては、空を飛べることと同じほど頼もしいものだ。


 前を行く犬へ桃太郎は言った。

 「忘れるな、お前はほんにこよなき犬ぞ!」

 犬は嬉しそうに吠え、桃太郎を置いていくほどに速く走った。

 「桃太郎さん、こちらだ、あの上だ!」

 先の方に見えたのは壁だ。桃太郎の背よりもずっと高い、傾きの無い崖だった。

 一足先に行き着いた犬は崖の面に飛びつき、凹凸に足をかけてひょこひょことよじ登った。手ぬぐいを揺らしながら登りきると振り返り、気持ち良さそうに長吠えする。

 桃太郎は足を速めて崖の前へ迫り、左手で刀を押さえて飛び上がった。


 崖の上端(うわは)へ右手を伸ばし、指をかければあと一歩。出張った岩を踏みつけて、身体はふわりと浮き上がる。

 頭が崖の高さを超えて、新たな景色が目に飛び込んでくる。淡い色合いと(かぐわ)しい香りに心を奪われながら、桃太郎は片膝をついて地に下りた。


 低い木だった。幹は短く、うねりのある枝が横へ横へ伸びて、柔らかそうな葉がさらさら揺らいでいる。枝は幹から離れるほど下がっていって、枝先となると、立ち上がった桃太郎の目の高さにまできていた。枝をここまでしだれさせているのは、葉の屋根に守られながら成っている実の重さだ。丸くて大きな、薄赤い実だった。

 一つの太い枝から細い枝が分かれ、それぞれの先で実が成っている。ひとつひとつが自分だけの空間と自分のための屋根を持っていて、他の実と押し合いになっているところはない。枝をよく見ると、間引きをした跡がいくつも見つけられた。

 目前の桃に鼻を寄せる。上の方はまだ青いが、それでもしっかりと甘い匂いがした。


 桃太郎はきょろきょろと周りを見て熟れた実を探す。低いところに成っているものを目当てにして桃畑をいくらか歩いた。木と木の間は広く、空が近くに見える。木漏れ日は弱い。

 実の多くは虫食いの跡があったり、傷が付いたところから腐ってしまったりしていた。一見して丈夫そうな実はあったが、なぜだか選ぶべきものではない気がして決めきれなかった。

 あれはどうだろう。桃太郎は高いところの実に目を留めた。手が届くかどうか。

 他を探そうか迷っていると、うう、うう、と唸り声が聞こえてきた。振り返ると目を輝かせた犬がいる。桃太郎の決断を待ちかねて唸っていたのだ。


 「ようし、よし。あれにするぞ」

 桃太郎は背伸びをして腕を伸ばし、ようやく桃の実の下側に触れた。赤く熟れた桃は思っていたよりも柔らかく、強く掴むのはよくなさそうに思えた。五本の指先で支えるようにして、なんとか捻ってもごうとする。そのとき、枝の上に飛んできた小鳥が枝をつついて桃を外してくれた。

 取れた桃を受け止めると、ずしりとくる重みに頬が綻ぶ。これほどに香りの良い果物は初めてだ。犬が舌を垂らしてじりじりと迫ってくる。

 桃太郎は手伝ってくれた小鳥を呼び止め、巾着袋を右手で探った。中のきび団子をちぎって手のひらに乗せ、小鳥の方へ掲げる。

 食べてよいぞと微笑むと、小鳥はひよと鳴いて桃太郎の右手に下りてきた。犬はわんと吠えて左手にとびかかった。


 「あ、お前ではない!」

 左手を逃がすと、犬は驚いた顔で桃太郎を見たが、音を立てて咀嚼する顎は止めなかった。小鳥は団子のかけらを咥えて飛び去る。

 桃は大きくかじられてしまった。そこから溢れた汁が左手に垂れ落ちる。甘い香りが強くなって鼻に届き、桃太郎は思わず喉を鳴らした。

 桃の中身は白かった。染み出してくる汁が身をきらめかせている。犬が荒く食いちぎったにしては切り口が滑らかで、なんの抵抗もなく切り離されるくらいの柔らかさであることが想像できた。

 犬は申し訳なさそうな顔をしながら、口の周りをぐるぐると舐めている。

 桃太郎は桃と犬の口を見比べた。桃の実を噛んだ犬の牙は鬼に傷を負わせられるのだろうか。それとも、父の刀でなければならないのだろうか。

 桃太郎は考える。

 この実の持つ清らかな力は、生き物に――人に及ぼされることはないのだろうか。


 そっと、敬うように桃を両手で包んだ。

 ゆるりと口元まで持ち上げる。犬の噛み跡の端に唇をつけると、くぼみに溜まっていた汁がつうと下りてくる。

 甘い。わずかな渋さもないそれは、岩を撫でる湧き水のように舌の上を滑って、口の中に甘みを染ませていく。こくりと喉を潤し、桃太郎は少し冷たい桃の実に歯を立てた。

 犬が羨ましそうに見上げている。

 さわやかな甘さが喉を越していく。心を澄ます美しい味だった。


 桃太郎はこの味を知っていた。いつ口にしたのかは分からないが、覚えていないくらいの昔に食べさせてもらったことがあるのだろう。

 桃の実の力が桃太郎の邪気をすすいでくれるのではないかという思いつきは、既に試みられていたようだ。

 「消えてくれてはいないだろうな」

 体にも心にも、感じられる変化は無い。桃太郎は気持ちを切り替え、木の根元に桃を置いた。足元の犬を離れさせ、静かに刀を抜く。

 手入れをしたばかりの刀身に汚れは無い。それをもう一度確かめているとき、涼やかな風が桃の畑を過ぎていった。

 その風が運んできた香りに桃太郎は思わず目を上げる。桃の香りだ。特に香りが強かったわけでも、変わった香りがあったわけでもないのに、なぜだか心を惹かれた。


 言葉もなく、風のやってきた方向へ足を出す。

 この桃はいらないのかという犬の問いに、振り返らず「鳥のために置いておけ」と返す。

 桃太郎はもう、足を向けた先にある一本の桃の木だけを見ていた。

 傷も汚れも無い、ふっくらとした実。これまで見たものよりもひときわ大きく赤い、神聖な趣を感じられるような美しい桃の実だった。一つだけではない。その木に成っている実は、ほとんどが豊かな見た目をしている。


 風に揺れる葉を目の前にして立ち止まる。桃太郎が目をつけた実は、自身を求める者を待っていたかのようによく熟れていた。そっと左手を伸ばし、手のひらで包むように持ち上げる。まだ引っ張っても捻ってもいないのに、赤い実はふつりと枝から外れる。

 桃の実に促されているような心地で、打刀の刃を実に触れさせた。桃の実の半ばまで刃を埋め、切先までするすると滑らせる。

 「不思議だ」

 桃を支える左手にはこぼれた汁が伝っていたが、清らかな実を通り抜けて現れた刃には汁の跡すらも付いていなかった。光りだしそうな艶めきが、刀の厳かな気配を際立てた。


 犬が鼻をひくひくとさせながら桃太郎の周りを回っていた。

 桃太郎は刀身を切先まで眺めて、息をつく。いつまでも見とれていられない。

 桃の存在は確かめた。次は桃をあと二つほど持って、山を下りてあの男のいる村を探す。できればその前にふもとの村へ桃を届けたい。きっと、邪気によって悪くなった体に良い効きめがあるはずだ。


 片手のみで刀を鞘へ納めると、犬はすぐに足元まで戻ってきて、桃太郎のつま先の上に尻を下ろして落ち着いた。

 「雉も猿も、遅いな」

 犬の呟き。桃太郎は犬の乱れた手ぬぐいを結び直してやりながら、「遅いな」と同意する。

 雉はどこまで雲を見に行ったのだろう。体が大きい雉は、遠くへ行くには休み休み飛ばなければならず、時間がかかる。あの雉のことだから、頑張って遠くまで見てくれば桃太郎に喜ばれると思っているのかもしれない。

 猿も遅い。もちろん、いくら待っても追ってこないかもしれないことは覚悟している。覚悟している上だが、雉を待っている間くらいは、猿が桃太郎を追ってきてくれると思い込んでいてもよいだろう。

 猿を待つ理由ができるのなら、雉の戻りが遅いのも構わない。


 桃太郎は手の上の桃を見つめた。実の半ばまで入っている切れ目に隙間が出来て、なめらかな白の中身が見えている。両側を持って切れ目を広げると、犬がぐいと顔を振り向けた。よく感づくものだなと桃太郎は感心する。

 犬は、桃太郎が桃を割ったのは犬に食べさせてやろうと思ってのことだと気付いている。桃太郎は半分に割った桃の片割れを犬に見せ、「このあたりまでは食って良し」と指で示した。水気が多いので腹の具合に障らないくらいの量だ。

 桃が地面に置かれた途端に犬は牙を剥いて桃の実に覆い被さった。

 「……食わんのか?」

 犬は動きを止めていた。実を濡らす汁を舐めることすらせず、ゆっくりと振り返る。


 「種が良い。種をもいでくれないか」

 犬は自分の思いつきを気に入ったようで、尻尾を嬉しそうに振っていた。

 「飲み込むと喉に詰まるぞ」

 首を傾げる桃太郎に、犬はぐうぐう唸りはじめた。

 「美味い匂いがするのだ! 噛みたい、舐めたい!」

 こうなってはもう引き下がってくれない。

 「分かった、分かったが、砕いてからでなければ食わせられぬ。食うのは道具のあるときでよいな?」

 桃太郎は桃の実の前に腰を下ろし、真ん中の種をほじくり出した。くっついてきた実の部分をちぎって食べ、犬の口にも入れてやる。種は固く、大きくて艶があり、甘い匂いは実と変わらなかった。犬は口の周りを舐めながら「あとで食うのだ」と鼻息を荒くした。


 食い意地の張った良い呑気だ。桃太郎は種を巾着袋に仕舞い、膝の上に前脚を乗せてきた犬の頭を撫でる。

 「俺は、鬼に立ち向かえるだろうか」

 犬はなんの心配もしていない顔で尻尾を振った。

 「立ち向かえるぞ、桃太郎さん。おれががぶりと噛みついて、あなたがばっさり斬るだけだ」

 「お前は、俺についてくることをお前の心で決めたのだな?」

 犬は勇ましく吠えて答える。

 「論無し! 他にどうする道があろう?」鼻先を上げて桃太郎の顎を舐める。「桃太郎さんのため、きび団子のためであるぞ」

 思ったとおりの答えだった。犬が桃太郎を選ばないはずがないことは、猿達だって知っている。


 犬はいつも、思ったとおりに前向きだ。桃太郎を後ろから押すのが猿ならば、前に出て引っ張るのが犬だ。すると雉は、上から道を示す役目だろうか。

 「桃太郎さんのため、きび団子のためであるぞ」

 繰り返されて桃太郎は笑った。

 「戦ってくれると言うのだから、好きなだけ食わしてやらねばな。さあ、これは、共に戦う仲間への団子だ」

 出てきた団子に、犬は小さく跳ねて、尻尾を振ってがっついた。

 桃太郎は自分の分のきび団子も取り出す。桃の種の汁と匂いが移っていて美味そうだ。

 鼻に寄せて嗅いでから口を開いたとき、手の中の団子が消えた。

 桃太郎は喜びの声を呑み込んだ。いつのまにやら隣に座っていたのは。


 「うきき。こいつはおれの分ってわけだな」

 「……猿よ、猿。そうだ、それはお前の分だ、遅かったではないか」

 「よう、桃太郎。一番良い木を見つけたじゃねえか、この木は森のやつらみんなのお気に入りだ」

 猿は団子を食べながら桃の木の下へ行って、幹をぺたぺたと叩いた。猿は前から桃畑のことを知っていたようだと桃太郎は察した。

 「やはり良い木だったのか。俺は香りに誘われてこの木を見つけた」

 そう答えると、猿は「見る目があるな」と言いつつ振り返った。その脇に突進してきたのは犬だった。

 「猿め、遅いぞ!」

 犬は嬉しそうに吠えた。猿は枝の上から怒鳴る。

 「うるせえ! 賢いお猿にゃ考えることが多くあるんでい、お前と違って!」

 「そうだろうか。桃太郎さんが初めて山を下りようとしたときも、猿は来るのが遅かったな」


 「犬や、意地悪を言うな」

 桃太郎は立ち上がって木の下へ行き、猿を見上げた。

 「俺はお前が来ないことも覚悟していた。いま、安心している」

 「おれはお前を見守ってやらなきゃならねえ、お前を正してやらなきゃならねえんだ……と、思ってた」

 猿は一つ下の枝に下り、桃太郎に近付いた。「だが、お前は自分で決められる男になってた。そして、おれのことをおれに決めさせる正しさを持ってた」

 「正しいかは分からぬ。お前に自分で決めるように言ったのは、俺がそうしてほしいと思ったからだ」

 猿はするりと下りてきて、桃太郎を見上げて立った。

 「おれも、自分で決めた! おれはお前と一緒にたたか、うう?」

 猿と桃太郎は空を見上げた。雉の鳴く声が聞こえた気がした。


 呼ぶような声、桃太郎を探している声だ。犬が遠吠えをして応えると、間もなく雉が空から落ちてきた。

 「桃太郎殿! 桃太郎殿!」

 慌ただしく起き上がり、ばたばたきょろきょろと桃太郎を探している。桃太郎は早足で近寄った。

 「落ち着け、こちらだ」

 「桃太郎殿、雲が! 雨は降りませぬ、降りませぬ!」

 「落ち着けと言っている!」

 桃太郎は雉の混乱を見て取って、視界を塞ぐように膝をついた。「しばし黙ってみろ。よしと言うまで喋るな」


 雉は首を縮めて、口を開かないように堪えていた。まばたきを何度もするうち羽の膨らみが引いてくる。

 犬が鼻先を雉に寄せた。

 「お前、臭いぞ。どこまで行ったのだ?」

 雉は弱った雛のように、悲しげにきゅうと鳴く。桃太郎は犬を離れさせて尋ねた。

 「よし、教えてくれ。何があった?」


 「雨を降らさぬ暗い雲でございます。村が、村の空が、邪悪なる気配に覆われているのです! 畑には農具を放り出して逃げたあとがございました! 私は恐ろしゅうございます、桃太郎殿!」


 桃太郎は目元を歪め、深く息を吐き出した。落ち着け、と、自分に呟く。

 「……分かった。いますぐ山を下りる」

 「も、桃太郎。あれは持っていくか?」

 猿が地面に置かれたままの、二つに割られた桃を指した。

 これを手に掴んだままでは急げない。桃太郎は少し考えて、犬の首に手を伸ばす。

 「手ぬぐいを貸してくれるか。あれを包んで持っていく」

 微笑んで頼むと、犬は素直に首を差し出した。

 桃太郎は震える指で結び目を解いた。



 誰もいない畑の間を桃太郎達は駆けていた。道の脇に残された鍬、あれが雉の言っていたものか。見える限りでは畑の中が荒らされた様子はないが、何か急のことがあったのは明らかだ。

 村が日差しを奪われてどれくらいだろうか、桃太郎の足の裏は地面からの熱を感じない。灰を溶かしたような雲は雨の雲よりずっと陰気で、日がどこにあるかも見えなくしていた。桃太郎の好いていた鮮やかな景色は色褪せ、衰えてさびしく見えている。

 まだ日は低くないはずだ。桃太郎は山を下りるのに道を選ばず、川も崖も飛び越えて、ひたすらまっすぐに駆け下りてきたのだ。腰に固く結びつけた桃の実はいくらかひしげてしまっているだろう。

 犬の「臭い、臭い」という泣き言を聞きながら走るうち、村の家々が近付いてくる。人の気配は無かった。


 誰かいないかと呼びかけながら歩いていくと、寄合所の前に背の高い男が出ているのを見つけた。川魚を釣ってきてくれたことのある若い男だ。男は桃太郎と目が合うと、黙って振り返り寄合所の中へ入っていく。桃太郎は急いで後に続き、雉は「どうか見張りをお任せください」と言って屋根へ飛んだ。

 男は中に入ってすぐ、入り口の脇に腰を下ろした。

 中には村の男達だけが集まっていた。桃太郎は注がれる視線をあらかた見返し、奥に座している長老の前へ進んだ。


 「鬼が来たのか」

 焦りを払って静かに尋ねる。問いを受けて話しはじめたのは、長老の隣、村娘の父だった。

 「突如に暗雲が現れたんです。それが村を覆い尽くしたと同時に、鬼の声が」身震いで声が途切れる。「……娘が先んじて鬼の気配に気付いたおかげで、私らは畑から引き上げて女子供を隠す暇を持てました」

 「みな、無事なのだな? どこに隠れているのだ?」

 「私の家の近くです。あの辺りは海から最も離れていますから。それに……うちの者が歩いていけるところでないと」


 桃太郎はすぐに腰の手ぬぐいを外し、包みを解いて桃を見せた。桃の合わせ目はわずかに歪んで汁を滴らせていたが、二つに分けて中を晒すと、中身はほとんど崩れていないことが分かった。艶めきも変わらない。

 「具合が悪いのなら、これを与えてみてほしい」

 「美しい桃ですが、これは?」

 「この実は清らかな力を持っているようなのだ。邪気にあてられた者を癒せるのではないかと思っている」

 「そ、そんなことが……」

 村娘の父はそれきり言葉を失って、深々と三度も頭を下げ、桃の片割れを受け取って外へ出ていった。


 桃太郎は周りの男達の疲れ果てた顔を見回す。残りの桃はここにいる者達が口にした方がよいかもしれない。

 気力を失っていないのは、村の長老ひとりだけだ。桃太郎は長老に向く。

 「鬼は物を奪っていっただけか?」

 長老は頷かず、答えた。

 「私達は食べ物や飾り物を用意する暇がありましたが、鬼の目当ては物ではなかったのです。鬼は……あなたを探しておったのです」

 周りの目が桃太郎に集まる。桃太郎は思わず視線を惑わせた。

 「なぜ俺を」

 「おそらく、鬼の親玉は五十年前の恨みをあなたへぶつけようとしているのです」


 長老は大きな恐ろしい鬼に対して、村には誰も来ていないと言い張った。すると鬼は長老に詰め寄り、こう脅した。

 あの男によく似た者がこの村にいることは分かっている。いまは待ってやるが、次に来たときにも白を切るようだったら――。

 長老は続きを言うのをやめ、「あなたが山へ戻っていたのは幸運でした」と微笑んだ。

 「俺にとってはそうかもしれないが……」

 桃太郎は眉を寄せて顎に手をやった。

 父と母のことにも気付かないでいた鬼が、なぜ桃太郎の存在に気付いたのだろう。

 「あの賊だろうよ」

 後ろからの声。入り口近くに居た若い男が、苛立ちを声色に表わしていた。


 「あの賊が鬼へ、あんたに邪魔されたせいで貢ぎ物を用意できなかったとでも話したんだろうよ。そしてあんたの存在に気付いた鬼に命じられて、村に邪気を引き入れる手助けをしたってことだ」

 「待て、待て。それはたしかと言えるのか? あの男はわざわざ村を訪れてまで詫びに来たのだぞ」

 男は村を襲ったことを詫びに来て、頭を下げたのだ。鬼に手を貸すために村にやってきたというのなら、そのようなことをする意味があるのか。

 「あんたの気持ちは分かるが、奴が村に何をしに来たのかははっきりしてるんだ。詫びてみせたのはあんたや俺達に怪しまれたくないからで、もしあんたに会わなかったらそのまま逃げるつもりだったんじゃないか」

 「それは……」

 桃太郎はこぶしを強く握った。「それでも……全てが偽りではなかったはずだ」


 あの男は去り際にも言った。許してくれ、と。

 この呟きが桃太郎を欺くためのものだったとは思えない。これは桃太郎が耳を澄ましていなければ聞き取れなかったであろうほどに小さな、本心からの言葉だった。

 ――俺を許すな、桃太郎。

 桃太郎は、そこに隠された意味を聞き取ることはできなかった。


 「……何をしに来たのかは分かっているそうだな」

 桃太郎が訊くと、長老は残念そうに頷いた。

 「鬼はあの若者に、鬼の匂いの付いた物を村に埋めるよう言ったのです。その匂いと邪気が目印となって、隠されていた村が鬼に見えるようになってしまったようなのです」

 そして、村に邪気が入り込み、空はたちまち暗い雲に覆い尽くされて、村は鬼が自由に行き来できる領分に戻ってしまった。

 鬼の親玉は言った。

 あの目印は役目を終えた。もう見逃してやりはしない。もしまた不思議な力で村の姿を隠したとしても、何度でも同じ方法で取り戻してやる。何度でもだ。


 桃太郎がここまでの話を犬と猿に聞かせてやると、犬が「埋められた物なら知っているぞ」と唸った。

 「畑の土に埋まっていた、くっせえくっせえ(きん)の輪っかだ! そう。今のこの村に漂っているのと同じように臭かった」

 桃太郎はすぐに思い出した。村を出る少し前、未練らしく畑道に居座っていたときのことだ。確かに犬は何かを見つけていた。

 後悔に歯を噛み締める。邪気に入り込まれる前に気付けていれば、間に合ったのかもしれない。

 「気付けたはずだったのに」

 あの男が村に近付いたとき、村娘は邪気を感じ取っていた。あれが金の輪の邪気だったのだろう。しかし桃太郎は、男の体の内に残っていた邪気を感じ取ったのだろうと考え、娘に確かめもせずに納得してしまった。


 「桃太郎。何も見落とさないなんて、誰にもできっこねえことだ」

 猿が桃太郎を慰めるように言う。「それに、あの娘だって気付かなかったんだろう?」

 「それは大切な母が具合を悪くしてしまって、不安がたくさんあったからだ」

 「だろうな。お前だって不安がたくさんあったんだ」

 「……お前は俺に甘い」

 桃太郎をいたわってくれる猿の気持ちは嬉しかったが、考えるほどにいろいろな後悔が生まれる。


 村娘と最後に言葉を交わしたときのこともだ。桃太郎達が畑道で話をしている間、そばの畑の地中には邪気を帯びた金の輪が潜んでいた。

 なぜ娘はすぐ近くの邪気に気付くことができなかったのか。それは、邪気を宿した者が同じところに居たからだ。

 娘の心が疲れきっていたことや、金の輪が土の下に隠されていたこともかかわっているかもしれない。だが、自分があの道で立ち止まらずに山へ帰っていれば、娘が通りがかったときに地中の気配に気付けただろう。

 そもそも、詫びに来たと言った男をもっと怪しむべきだったのではないか。

 もっとしつこく引き止めていれば。隠していることがないかと問い詰めていれば。

 桃太郎は、自分を不甲斐なく思う気持ちでいっぱいになってしまった。


 「あの男……」

 あの男は桃太郎を、この村を鬼に差し出した。鬼に従って金の輪を埋め、そのすぐあとに、桃太郎を前に詫びを口にした。何を思っていればそのようなことができたのだろう。

 許してくれ、だと。俺を許すな、だと。

 桃太郎は下唇に痛みを覚え、いつの間にか力のこもっていた顎を緩めた。

 あの男は何を思って、どれだけの思いを堪えて詫びたのだろう。

 鬼に従ったのは家族や仲間を守るためだったはずだ。近い人を守るため、遠い人を犠牲にした。そうしなければならなかった男の心はどれだけ痛かったろう。

 みな、痛いのだ。鬼に傷つけられているのだ。

 そしていま、鬼は桃太郎を傷つけんとして狙っている。


 「……受けて立つ」

 桃太郎は静かに、強く呟いた。

 長老が目を瞬かせる。

 「い、いま何をおっしゃいましたか」

 桃太郎はすっくと立ち上がって振り返り、村人達の目を集めて言った。


 「俺はこれより、鬼ヶ島へ、鬼の征伐に行く」

 村人達はどよめいた。目を丸くして桃太郎を見上げる。

 「妙な考えを起こしてはだめだ、命を捨てるようなものですよ」

 一人が声を上げると、長老も桃太郎の考えを改めさせようとして続いた。

 「鬼に人の力は通じないと話したでしょう。あなたは山に隠れるか、もっと遠くに逃げるかの他にはないのです。私達は決して口を割りませんから」

 桃太郎は首を横に振った。

 「知らないふりを通しても鬼は信じないだろう。それと、俺は命を捨てるつもりはない」


 言い切って、帯に差した刀を鞘ごと掴んで引き抜いた。みなに見せつけるように前へ突き出すと、男達はびたりと声を止ませた。

 「これは父から継いだ刀である。五十年前、鬼を倒してみせた刀だ」

 顔の高さに持ち上げて、柄に手をかけ、半ばまで抜く。

 刀身の艶めきはいまだ変わらず――いや、増している。

 「島を封印する手立ては見つからなかったが、鬼を斬る力は得た。この力で鬼をのこらず攻め伏せ、やつらの親玉を討ち倒す。俺にはそれができる」

 音を立てず刀を納め、ぐいと帯に差し直す。

 押し黙る男達を見渡したところ、入り口のところで揺れる雉が目に入った。右へ、左へ、気付いてほしそうに首を伸ばしている。

 声をかけてやろうとしたとき、雉の後ろに村娘と男の子が現れた。雉は二人に道を譲る。

 「お前達、なぜここに」

 桃太郎の視線を追って、村人達も二人に気付いた。


 男の子は小さなこぶしを握って言った。

 「桃太郎が戻って来たって聞いたから、きっと鬼と戦うつもりだと思ったんだ。だからおいらも――」

 「ならぬ。お前が来ても何もできん」

 「それは分かってる!」

 怒っているような目で桃太郎を見て、一歩踏み入る。

 「おいらも、村を守る。ここに残って、みんなを励まして、みんながこわくならないように守ってやるんだ」

 男の子は言って、ぎこちない笑みを浮かべた。


 「……そうか、村を守ってくれるか」

 桃太郎は笑みを返して、男の子のもとへ歩み寄った。

 腰を折って目の高さを合わせ、きび団子を一つ取り出して渡す。

 「これはな、共に戦ってくれる仲間へやっているものだ。桃の味付きは貴重だぞ」

 男の子は受け取った団子をすぐに口へ放り込んだ。美味いと言って味わう子供を、雉が羨ましそうに見上げていた。

 猿がひょいと男の子の背に登り、「仲間だな!」と頭を撫でた。男の子は嬉しそうに目を細めた。


 桃太郎は微笑んだままで村娘へ顔を向ける。

 「おっかあの具合はどうだ」

 「まだ辛そうですが、楽になった気がすると言っていました」

 「それはよかった。……ところでお前は、俺が山を下りてきたことには気付いたか」

 村娘は申し訳なさそうに「はい」と答えた。桃太郎はそうかと微笑む。やはり、自分は村に長居できる体ではないようだ。

 娘はそっと、男の子の頭に手を添えた。

 「子供達が……鬼に怯えて泣いています。お願いですから無事に戻って、子供達と遊んであげてください」


 桃太郎の手足にぐっと力がこもった。

 「……必ずだ。必ず戻る!」


 そのとき、桃太郎の前に犬の体がぬっと割り込んだ。子供が驚いた声を出す。

 犬は手ぬぐいを咥えて村娘を見上げた。

 手ぬぐいは桃を置くために敷物にしていたはずだ。桃太郎が寄合所の中を振り返ると、手ぬぐいの上に置いてあった桃は村人の手の上にあった。

 犬が手ぬぐいを渡したがるように鼻先をぐいぐいと上げる。村娘はにこりと笑って受け取った。

 「返してくれてありがとう」

 娘が手ぬぐいをたたみだすと、犬は驚いた顔になって「そんなあ」と鳴いた。桃太郎はすぐに娘の手を止めさせた。

 「すまぬ、返すつもりではなかったようだ。きっとまた首に巻いてほしかったのだ」

 「そ、そうだったんですね」

 そして手ぬぐいが首に巻かれると、犬は明るく吠えて尻尾を大きく振りはじめた。

 寄合所の重苦しい空気はわずかに薄れていた。



 生まれて初めて、海の岸辺を歩いた。前を歩いて桃太郎を導いているのは背の高い若い男だ。

 「俺は海で魚を釣って生きていくはずだったんだ。とっくの昔に諦めたがな」

 暗い空の下、海は黒の水面(みのも)を敷き詰めて揺らいでいる。遠くは暗い霧が立ち込めていて見通せない。広さも深さも果てがない。これは底無しの水の溜まりだ。そのほとりで足を滑らそうとしている小さな蟻が、桃太郎だった。

 桃太郎はこのような恐ろしいものを見たことがなかった。空の青かった頃は、まったく違う顔を見せていたのだろうか。

 「あんたも、釣りをやってみれば楽しさが分かるはずだ。舟で海に揺られながら、ちらちら光る水面を眺めて、たまに魚の跳ねる音を聞いて、深いところにいる魚を針一つでひっかけて、ぐぐっと釣り上げる重さを感じて」

 川の釣りもいいが、深さがな。楽しかった頃の話を、男はつまらなそうな顔でする。


 ここだ、と男は草陰に入った。

 そこには丈夫そうな木の乗り物が隠されていた。先が尖っている細長い箱だ。後ろの方に一本の木の棒が付けられ、箱の外まで長く伸びている。

 男は箱の中に踏み込み、後ろの方に立って棒を指差した。

 「ここに立って、この()を漕いで舟を進める。漕ぐのは難しくないし、大して疲れるもんでもない。俺が八つだか九つだかの頃には一人で漕いでた舟だからな。慣れるまでは進むのに苦労するかもしれないが……あんたならすぐ覚えるか」

 桃太郎達は舟を岸へ下ろしはじめた。猿と犬に手伝われながら、男に舟の進め方を教わる。陸から押し出された舟は危なげなく水に浮いた。

 沈む心配などしていなそうな男の顔を見て、桃太郎はやはりと思う。男は海で魚を釣って暮らすことを諦めたと言っていたが、いつでも舟を出せるよう、手入れを続けていたのだ。


 揺れる無人の舟を引き寄せて、猿達を先に乗り込ませる。

 桃太郎は振り向いて言った。

 「鬼は必ず大人しくさせる。海を元に戻す手立ても、いつか探し出す」

 男は目を逸らし、眉を険しくした。もどかしそうに頭を掻く。

 「俺も行く、と言うべきなんだ。他の男共も立ち上がらせて。数を集めれば、あんたの行く道を作るくらいはできるかもしれないのに」

 「信じて待っていてほしい。俺を信じられないとすれば、それは邪気のせいだ」

 のぞみのないような気分は桃の実を口にすれば和らぐかもしれない。

 その勧めを男は受け入れつつ、施しを受けてばかりだと言って、また頭を掻いた。

 「子供に助けてもらっておいて、大人達が揃って怯えてるんじゃあ、情けないな……」

 桃太郎は思わず首を傾げてしまったが、すぐ、男が勘違いをしていることに気が付いた。


 妙なことを言うものだな、と口脇を上げる。

 「まだ、この桃太郎が子供に見えるのか?」


 男は頼もしそうな笑みを返した。



 舟の後ろに立って艪を漕ぎ、舟の先を左右に振りながら、黒の水の上を滑っていく。進むほどに空は黒くなり、辺りは夜のように暗くなる。風も波も無い鬼の領分で、舟はより深い暗がりを目指している。


 「猿よ、疲れたら休むのだぞ」

 猿は艪の下の方を手で押して、力を貸してくれていた。桃太郎の腕にかかる重さに変わりはない。猿もそれを分かっているはずだが、休むことなく押し引きを続けていた。

 「おれはお前の手伝いをしに来たわけでも、世話を焼きに来たわけでもねえ」

 猿は目の前の艪を睨みながら続ける。

 「戦いに来たんだ。おれは共に戦う仲間としてお前の団子をもらったんだぞ、忘れるない」

 桃太郎は何も言わず頷いた。猿の言葉の心強さに、邪気に晒されて弱る心が支えられる。

 黒の水面ばかりを見つめていると、こわい想像をしてしまう。水の中にいる何かが突然に艪を引っ張って、桃太郎達を引きずり込んでしまうのではないかと。艪の動きの起こす水面の乱れに、いるはずもない何者かの気配を感じてしまう。

 雉は、猿は、犬は無事に乗っているか。目を離した隙に引きずり込まれてはいないか。桃太郎は何度もみなの様子を確かめるのだった。


 「くっせえ」

 不機嫌な犬の声。桃太郎は犬の鼻を気遣った。

 「耐えられそうか?」

 「耐えるとも! おれだって、団子をもらった仲間なのだ」

 犬はいつになくこわい声で唸った。

 「おれはこの臭さに怒っているが、鬼が子供達をこわがらせたことにはもっと怒っている。子供達は、泣いているのだ」

 犬がこれほどまで怒っているのは初めてだ。

 犬はたくさん遊んでくれる子供達を気に入っていた。子供達を喜ばせるためなら、疲れていても走り回れた。子供達の心が傷つけられたことは、犬のおおらかさを失わせるに十分な出来事なのだ。


 子供や村人への情の深さで言えば、誰にも劣らないのは雉だった。人を敬う強い気持ちを持っている雉の顔付きには、静かな怒りだけでなく、鬼をつまらないものとして見下す思いがはっきりと表れている。

 「桃太郎殿。お父上の大勲(たいくん)を継ぎ鬼を討ち倒した暁には、貴方様はまことの英雄となりましょう。最後までお供しますぞ。なに、すぐ近くの将来でございます」

 雉の桃太郎に対する信用の確かさは、桃太郎の自信も高めてくれた。

 「お前も、間違いなく雉の一族の誇りとなろう。俺の認めた雉なのだからな」

 笑みを向けられた雉は、目を見開いて体を膨らませた。桃太郎は雉が喜びに叫びだすかと思いながら見ていたが、ふっくらとした羽はややあってしぼんでしまった。


 桃太郎殿、と哀れに鳴くので、桃太郎は驚いて艪を寝かし、雉のそばに寄って膝をついた。

 「どうした、お前らしくないな」

 「私めを、お供と認めてくださるのですか……」

 「認めているとも。そうでないと思わせるようなことを言っただろうか?」

 雉は桃太郎を上目で見た。

 「であれば、私めにも、共に戦う仲間の団子をやってほしゅうございます……」

 桃太郎は少し考えて、思い出した。雉には改まって団子をやっていなかった。

 「おお、もちろん、もちろんだ」

 「まことでございますな!」

 雉はがばりと頭を上げて、桃太郎の取り出したきび団子をつつき散らした。

 桃太郎も団子を自分の口に入れ、慣れた舌触りに心を安らがせた。団子に付いた桃の味のおかげか、暗闇に感じていた恐れも薄れた気がする。


 雉が団子をつつき終わると、桃太郎は再び艪を取った。舟の先を向けるのは、唸る犬が睨んでいる方だ。

 猿が桃太郎の背後から言った。

 「これで、おれ達の備えは十分だ。こわいものなんて、ひとつもない。そうだろう?」

 桃太郎は毅然として前を見据えた。

 母の遺したきび団子と、父の遺した打刀。そして、二人の遺した桃の力が、桃太郎を強く立たせている。


 暗い霧にかすむ、黒く大きな島の影。

 邪悪に揺らめく、いくつもの篝火が見えてくる。


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