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第四話:奪われる者

 竹林の静寂を押し割る太い音。

 木刀を何度も、滞りなく振るう音だ。軽い木をそれらしく切り出しただけの木刀でも、筋良く振り抜けば風切り音が勇ましく鳴る。

 しばらく腕を慣らしたあと、木刀をそっと地に寝かす。二歩、前へ歩き、腰に帯びた刀を危なげなく抜いた。

 地に根付いたような足元の確かさにより姿勢は楽で、刀は真正面を見据えて落ち着いていた。

 息の吸って吐いてを五つ繰り返すと、視界の真ん中に傾いた直線が薄らと浮かび上がった。まばたきひとつで線を消す。

 手の内に力を込める。

 踏み出した足が土を押し込める感触。景色を別つ太刀筋。

 葉を鳴かせて倒れ込む青竹を見やり、桃太郎は呟いた。


 「覚えた」


 速やかに刀を納める。こぶしほどの太さの(かん)が、刃を受けた高さで断面を晒していた。

 離れたところから熱い眼差しを向けていた雉が身震いをした。

 「流石は桃太郎殿。めざましい、見事でございます。もう一度やってみてはいかがです」

 「思ったとおりにできたのでもう斬らぬ。竹の使い道も無いし」

 村に来た次の日から修練に励んで三日。村の長老からも許しを得て、昨日までに三本の竹を斬った。はじめの日には若そうな細い竹を一本、昨日はそれより太いものを二本。

 そして、今日の一本で四本目だ。今日は、わざと軽い木刀に腕を慣らしたあとで刀に持ち替え、素振りを挟まずに竹を斬るという試みだった。


 桃太郎は満足していたが、雉は首を捻る。

 「体に覚えさせるべく動きを繰り返してこそ鍛錬ではございませぬか」

 「体も覚えたからよい。それに、斬りすぎると始末が大変だろう」

 桃太郎は竹の根っこを切るための小さな(くわ)を取り出す。すると雉が桃太郎の足元へ駆けてきた。

 「この雉、回りくどい物言いはやめましょう。(わたくし)はただ、ばこーん! と竹を断つ桃太郎殿の勇姿を見たいのです。せつに、せつに……」

 雉はため息のように鳴いて桃太郎を願いの目で見上げた。桃太郎は頬を掻く。


 この熱心さは雉の先祖から受け継がれてきたものと聞いている。この雉の一族は人を好いていて、陰ながら人の生活を見守ってきたらしい。

 正義を守り、見回りをしたり虫を食べたりして人の役に立とうとする一方、食べられるかもしれないのでなかなか人の前には出られない。それだけに人と関われれば至上の喜びで、人に仕えたともなれば一族の誇りとなるそうだ。

 正義と人を重んずる気持ちはひしひしと伝わってきている。これほどに慕われては、ささやかな願いくらい叶えてやりたくもなる。

 「では代わりに、斬った竹の根っこを掘るのを手伝ってくれるか。今日は猿も犬もいないから、俺達だけで二つ掘るのだぞ」

 「必ずや!」

 雉はひときわ高い声で鳴いて、足早に桃太郎から離れた。


 桃太郎は細くて背の低い竹に目をつけ、向き合った。しかし雉が、もっと強そうな竹に挑むべきだと口を挟んだ。しかたなく一回り太くて背が高いものの前に立つも、今度は色が悪くて軽そうだと言われてしまう。

 根っこを掘るときを思って弱そうな竹を選びたかったのだが、羽をふくふくとさせている雉の無邪気な様子に絆されて、雉の思うままに動いてやろうという気分になった。

 雉の納得する竹を見つけられるまでには、だいぶの距離を歩くこととなった。


 桃太郎は青く太い、背丈も立派な竹の前に立った。これを斬る姿を思い浮かべる。どのように力を使えば鋭い刃がよくはたらくかは、しかと覚えている。あとはその動きを正しく行うだけだ。

 雉が離れていることを確かめて、抜刀する。

 村の集いにて共に修練をした者からは「思ったとおりに動くのは難しい」と言われたが、その気持ちは桃太郎には分からなかった。桃太郎に相撲で負けて悔しがる相手には、木登りでもしてみればどうだろうと案を出しておいた。体が出来ていないのだと思ったからだ。

 この身は力持ちで健やかだ。山では斜面も水辺も構わず駆け回っていたし、猿達と遊べるくらいに木登りもできた。動かしたいように体は動く。


 何かを斬るための正しい動き方さえ頭に浮かべられれば、このような固い竹であろうと。

 「ふ!」

 地面と水平に振るわれた刃は、あっさりと竹の稈を通り過ぎた。雉の歓声。桃太郎は刀を納めるまで気を緩めなかった。


 背の高い竹は周りの竹に身をこすらせ、枝をひっかけながらずるずると倒れていく。

 「見事でございます!」

 「うむ、良い手応え――あ!」

 桃太郎は竹の倒れる先の方に人の姿があるのに気付き、慌てて竹に飛びついた。すぐさま人影が横にのいたのを見て、ゆっくりと竹を寝かせる。

 「……お前達だったか。驚かせてすまぬ、俺の注意が足らなかった」

 「いえ、私の方こそ……そんな風に竹を倒しているとは思わなくて」

 歩いてきたのは村娘と、細長い木の棒を手にした男の子だった。


 十にもならないその子供は、木の棒の先を桃太郎に向けて怒鳴った。

 「おいらが木登りをがんばってる間に、隠れてこんなことをしてたんだな!」

 「隠れていたわけではないのだ。ただ、お前や他の子供がついてきたがると困るから、自分からは言わないでおいた」

 「ついてきたって困らないだろ!」

 「いいや、近くにいられると危ないし集中できない。それに、ほとんど木刀を振っているだけだから見ていてもおもしろくないぞ」

 「おもしろくないわけはない!」

 「このように駄々をこねると思ったから、黙っていたのだ」

 そう断じて、桃太郎は子供の口元が固くなるのを眺めた。拗ねている口だ。きっと、じきに頬が膨らんできて、桃のほっぺが出来るだろう。


 人の子供は声が大きく、身振り手振りは激しくなりがちで表情が豊かだ。気持ちの移り変わりが早くて、忘れっぽいところもある。

 桃太郎は子供の性格だけでなく、下がってしまった口脇を上げずにはいられなくなるような丁度良い言葉を知っていた。

 「たしか、今日は刀での素振りを見せる約束だったな」

 それを聞いて、子供は目を輝かせた。

 「そうだ! そうだった!」

 「だから俺をわざわざ呼びに来てくれたわけか」

 「うん。家にいっても居なかったから、二人で探しに行くことにしたんだ」

 「それは苦労をかけた」

 桃太郎が軽く頭を下げると、子供は胸を張って頷いた。


 二人で探したと言われたけれども、実際は村娘についてきただけだろう、と桃太郎は思っている。

 村娘は景色の違いや人の動きによく気付くし、桃太郎が刀を持って林へ通っているのを知っていた。今日の桃太郎は調子に乗った雉のために林の奥の方にまで進んでいた。それでも、この娘とこの子供には、桃太郎を見つけるまでに苦労した様子はない。

 この考えが正しければ、この男の子が自分の手柄のように威張るのは正直とは言えない。しかし子供の見栄は愛らしいものだ。桃太郎は自然に笑顔になっていた。


 「桃太郎、早く行くぞ! みんな待ってる!」

 待て、と桃太郎は足元の竹の根元を指した。この根は大物だ。

 「集いへ行く前に、竹の根っこを掘り出さねばならん。雉に手伝わせるつもりだったが、お前の力も貸してくれ。さて、雉よ」

 雉の姿は数歩離れた竹の陰にあった。隠れているつもりのようだったが、隠れられているのは頭だけである。「雉もいるの?」と喜ぶ子供の声に、丸見えの雉の体はきゅっと縮こまった。


 この雉は人の子供だけは苦手だった。桃太郎が村へ来るずっと前、子供達の遊び相手をしてやろうと近付いたところ容赦なくもみくちゃにされてしまい、その加減の無さを忘れられなくなってしまったらしい。

 子供の方はそうとも知らず、雉の尾を見つけて歩み寄る。雉は徐々に近くなってくる足音への恐怖に耐えきれなくなったか、やにわに悲鳴を上げて走り去った。それは人にはとても追いつけない速さだ。

 遠ざかっていく雉の悲鳴はしばらく聞こえ続けて、桃太郎と村娘は一緒になって笑った。不満そうな顔だった男の子も、二人につられて笑いはじめた。



 空を切り裂く、高く冷たい音。

 余念ない桃太郎の目つきと、妖しくも見える刀身の動静に、子供達は魅入っていた。畏れを得た者も多かったかもしれない。通りがかった村人は己の足音を無粋に思い、立ち止まらざるをえなかった。

 最も熱を持った目線は草陰に潜む雉のもの。最も退屈そうなのは、雉の隣に寝そべる犬のものだった。


 「お相撲はまだか」

 あくび混じりに犬が言う。雉がきょえっと声を裏返した。

 「だまらっしゃい! ……桃太郎殿、続けるのです! ああ、やめないで!」

 桃太郎はしばし動きを止めていて、最後にもう一度だけ綺麗な素振りをした。そして刀を鞘へ納める。その顔に微かな笑みが浮かんだ。

 雉は続きを乞うべきか終わりを受け入れて褒めそやしにかかるべきか迷っているかのような、なんとも不審な挙動をして、果てに犬の頭を強くつついた。犬は慌てて草むらを飛び出した。

 「桃太郎さん、あの雉、おれの頭を!」

 「桃太郎殿! その犬、貴方様の集中を!」

 「うむ、どちらの言い分も聞き入れた。そして犬の頭も俺の集中も問題ない」

 桃太郎は額に浮いた汗を拭った。「子供達が満足であればそれでよかろう」


 離れて見るよう言いつけられていた五人の子供は、桃太郎と目が合うと一斉に走り寄ってきた。その内の一人の女の子は一直線に雉へ向かい、雉が飛んで逃げるのを見るや犬へ抱きついた。犬は愛想良く女の子へ顔を擦り寄せる。

 他の子らは桃太郎を取り囲み、順番も考えず喋りだした。

 「刀は汗をかくくらい重たいの?」

 「あんなに速く振るの、どうしたらできるんだ?」

 「そりゃあ、木登りだ。からだを作るんだ!」

 「木登りは相撲に強くなるためじゃなかった?」

 「桃太郎殿の技を見て学ぶがよい!」

 「桃太郎! 木登りだっておいらに言っただろ!」

 「お相撲はいつなのだあ」

 「待て、お前達。俺は一人しかおらぬ。問うならばひとつずつにしてくれ。さて、はじめは誰だ?」

 賑やかな人の輪の真ん中で、桃太郎は子供達の問いにひとつずつ答えていった。


 だんだんと、頭上から注がれる日差しの熱を感じだす。刀を扱っている間は、暑ささえも忘れてしまう。

 刀の素振りは、木刀のそれとは要する集中に差があった。

 木刀を刀に持ち替えるやいなや、気持ちや動きには小さな動揺も許されなくなる。片時も気を緩めてはならないと、誰に言われたわけでもないのに強く思えて逆らえない。

 ひとたび間抜けな素振りをしてしまったら最後、これまで身につけた動きが溶け出していって、二度と取り戻せなくなるのではないか。そう感じさせるものものしさが、この刀には備わっていた。


 「勝負だ、桃太郎!」

 二人の子供が桃太郎の前と後ろに立ち合った。桃太郎に尋ねたいことが無くなって、子供達は相撲の気分になっていた。

 「よし、来い。まとめてひっくり返してやろう!」

 桃太郎は足幅を広げて子供達を待ち構えた。

 着物を掴み合う子供、追いかけられて喜ぶ犬、逃げ回る雉。この光景を雉に言わせると、英雄を志す若者共の集いとなるのであった。そう思っているのは雉だけである。

 桃太郎はこの集いが遊び場に過ぎないことにすぐ気付いたが、相撲や木の棒のぶつけ合いからは多くを学び取ることができた。


 畑仕事や子供の相手をすることは、人の体がどのように使われるのかをつぶさに知るのにふさわしく、人の役に立つ喜びも与えてくれた。子供達からよく懐かれれば大人達の目も親しげになって、赤子の子守さえ任された。

 年長の者として振る舞うことに、戸惑いや不安は無い。桃太郎には自負がある。たくましく育った一人前の男が、子供の面倒を見られないはずはないのだ。

 子供の相手は楽しくて、子供達のことも好きだ。けれど、犬の子供好きには負けるかもしれない。犬は人の子供を気に入ったようで、押し潰されたって引っ張られたって、いたずらをされたって許してしまう。山の幼い猿達は犬と遊ぼうとしてくれないので、いくらでも遊び続けてくれるこの子供達はひとしお愛らしく思えるのだろう。


 「犬や。足がのろくなっているぞ」

 「ううむ、長く遊んでいるからな。だが、構いは無し!」

 休むつもりのない犬は、飽きず子供が投げる棒に飛びかかった。首の手ぬぐいは昨日洗ってやったばかりなのに、もう土の色になっている。

 犬が疲れを見せるのは珍しいことだ。今日は世話焼きの上手な猿が来ていないので、休む暇が少なかったのだろう。桃太郎が竹林で木刀を振っているときにもここで走り回っていたはずである。疲れていても遊び続けてしまうのは、遊びが楽しいのと同じくらい、喜ぶ子供を見られるのが嬉しいからだ。


 猿は黍の畑につまみ食いをしに行っている。猿がつまみ食いを好んでいると知った村人が、ちょうど黍が収穫の最中にあるからと言って、つまみ食いを許してくれたのだ。

 いくらか食ったら戻ってくると聞いていたのに、まだ猿は戻ってきていない。

 食べ過ぎては腹を壊してしまうのに。それとも、気分が良くなって畑仕事の手伝いでもしているのだろうか。畑の人を困らせていないか、確かめに行くべきかもしれない。


 桃太郎は隙を見て子供達から離れ、何やらしゃがみこんでいる村娘へ近寄った。娘の足元に重ねられていたのは、竹林で拾ったのであろう竹の皮だ。村娘は竹皮(ちくひ)を一枚ずつ平らに伸ばして、大きな汚れを払って束ねなおしていた。

 これを水で洗いながらよく磨くと、乾いたあとには丈夫で使いやすい包みとなる。竹皮で包んだおにぎりは畑仕事の供であり、ひと休みに食べるおにぎりは目を見張るほど美味い。

 桃太郎は村娘の前に回った。しかし娘は手を止めない。このような地道な作業をしているときはよく集中していて、近くに誰かが立っても気が付かないのだ。

 唇を薄く引き締め、眉間を狭く。そうして手元を見つめるひたむきな表情が、桃太郎には好ましい。だからいつも、すぐには声をかけない。


 常ならば村娘は子供達の様子を気にかけなければならないので、ここまで集中してしまうことはないそうだ。それが今このようになっているのは、桃太郎の面倒見の良さを疑っていないからだ。信じてくれるのは喜ばしいが、もう一つ、この娘にしてほしいことがある。

 桃太郎は一歩前へ出て、村娘の手元に影を落とした。

 「ひと走りして、猿の様子を見てこようと思う」

 村娘ははっとしたように顔を上げ、声の出どころである桃太郎を見上げた。桃太郎は顔を俯けて目を合わし、微笑んで言う。

 「俺が戻ったら、川へ行くか。竹皮を洗うのを手伝うぞ」

 「でも、子供達は桃太郎さんと遊びたいはずなので、邪魔をするのは……」

 邪魔なものか。言いながら桃太郎は腰を下ろした。


 「みな連れて行こう。みなで竹皮を磨けば早く終わる。それからみなで川に入ろう」

 村娘は目を丸くして、私もですかと問うてきた。

 桃太郎は深く頷き、お前もだ、とまた頷いた。

 「お前が心置きなく遊んでいるところを見たことがない。たまには子供らしく遊べ」

 この娘はいつもなんらかの仕事をしている。体の弱い母のため、家のことをできるかぎり自分だけでやってしまおうとしているのだ。ゆうべは母の具合が良くなくて、娘ひとりで食事の用意と片付けをしていた。

 「仕事があるなら俺に分けてくれ。そして遊ぼう、遊ぶのが嫌いなのでなければだが」

 村娘は茫然と、桃太郎の目を見つめ続けていた。

 桃太郎は笑顔のまま返事を待っていた。頭の中に浮かんでいるのは、子供達と村娘が川に入って水面(みのも)を踊らす光景だ。猿も誘ってやらねばなるまい。


 村娘の表情が、ふと、柔らかになった。

 「桃太郎さんも、ですからね」

 言いながら、目尻を下げて笑う。唇の隙間に白い歯が覗く。

 「桃太郎さんも子供らしく、一緒に遊んでくださいね」

 桃太郎の笑みが驚きの顔付きに変わる。桃太郎は自分の歳が目の前の娘と同じであることを思い出した。

 自分が子供として扱われるのは承知しにくいことである。だが、人は心だ。歳の数ではないし、子供か大人かでもない。子供ながらに一人前の、自分のような者もいる。一人前の者だって遊ぶときは遊ぶのだ。この娘もそれを望むのだから、大いに遊んでみせようではないか。


 笑顔に戻った桃太郎は、すっくと立ち上がった。

 「決まりだな。猿を連れてくるまで待っていてくれ。できるだけ急ぐ」

 足を曲げ伸ばしして走る用意をしていると、村娘に「まだ日は落ちませんから」と宥められた。

 桃太郎があたりを見回して雉を呼ぶと、そばの茂みから赤い顔がぬっと生えた。

 「そんなところに隠れていたのか。黍の畑へ行くのだが、ついてきてくれるか」

 「有り難き幸せ!」

 犬は子供達と楽しそうに遊んでいるので、ここに残していくことにした。猿のところへ行くと伝えると、犬は畑の土に気持ちを引かれていそうな顔を見せたものの、子供達と遊んでいることを選んだ。


 「……どうした?」

 桃太郎は村娘の横顔に声をかけた。村娘は熱を失ったような面持ちで、どこか遠くを見ていた。


 「どうした。具合が悪いのか?」

 「悪い、悪い何かが近付いているような……畑の方です、ああ……」

 「なんだと?」

 ここからでは畑は見えない。視線の先を追ってもおかしなものは見つからない。しかし空言だとも思えない。


 突然に走り出そうとした村娘の腕を、桃太郎は慌てて掴み止めた。娘は哀れなほどに怯えた顔で、前だけを見ている。

 「確かめにいかないと、早く……」

 「何があったのだ。落ち着いてくれ」

 「この前はあなたがいたけれど、今日は……!」

 追いつめられたようなか細い声で発された言葉に、桃太郎は目を見開いた。悪い何かと言われる者の心当たりは十分にある。この娘は五感の他のどこかで、普通の人には分からない何かを感じ取っているのだ。

 信じにくいことだが、詳しく聞き出す暇はない。


 「心配するな! 子供達も、心配するな!」

 桃太郎が声を張ると、村娘は思い出したように子供達を顧みた。

 「俺が様子を見に行くから、お前はここにいてくれ。何かを感じたのはあちらの方だな?」

 村娘は怯えを滲ませたまま、先程まで見ていた方向を指した。雉がいち早くそちらへ飛び去っていった。


 桃太郎は子供達へ顔を向けた。

 「すぐに戻る。しばし待っていてくれ」

 「おいらも行く!」

 その声は、竹林まで桃太郎を迎えに来た男の子のものだった。桃太郎は眉を険しくして、その子供の力強い目を見返した。

 押し問答を始める気はなかった。

 「何を言おうとついてはこさせぬ。お前はここで、他の子供達とこの娘を守ってやってほしい。犬や、お前も子供達といてやってくれ」

 犬はやや不安そうな目で「任されよう」と承知した。一方、男の子は眉を吊り上げる。

 「ごまかすな! おいらは悪いやつなんてこわくないんだ!」

 「お前がこわがりかどうかは知ったことではない。お前を連れて行かないのは、足手まといになるからだ」


 子供はぐっと息を張り、歯を食いしばって俯いた。

 その場を離れかけた桃太郎だが、我慢がならずに引き返し、子供の両の肩を掴んで顔を上げさせた。

 「俺は、お前は足手まといになると思っている。だが、お前がここでみなを守ってくれるはずだとも思っている。分かったな!」

 そう言って、眉を開いて笑顔を見せた。子供は瞳に決意をみなぎらせ、しかと頷いた。


 桃太郎は駆け出した。村娘が指していたのは、黍の畑のある方だった。



 畑の間を駆け続けて村から遠ざかっていくほど、桃太郎の不安は大きくなった。まだ猿に出会えていない。

 「猿よ、どこにいる!」

 呼びかけながら走っていると、前からやってきた雉が大声で桃太郎を呼んだ。

 「桃太郎殿、あちらです! 猿のやつがあの男と取っ組み合いに!」

 桃太郎は雉の告げた言葉にひどく焦らされた。そして黍の畑よりずっと手前のあたりで、男が猿を地面に押さえつけているのを見つけた。


 猿は桃太郎を見るなり、男への威嚇を桃太郎への怒号に変える。

 「来るな、桃太郎! 来なくていい! そこの荷物を拾って逃げてくれ!」

 猿の後ろ頭を掴みこんでいるのはあの日の賊の若い方だ。男は猿の視線を追って顔を上げ、走りくる桃太郎と雉に気付いた。

 桃太郎は吠えるように「放せ」と叫んで刀の柄に手をかけた。

 「待て、やりあう気はねえ!」

 男は狼狽えたように立ち上がり、なんの構えも取らずにあとじさりした。

 体の自由を得た猿が男から逃げ出し、道端に落ちていた麻袋に飛びつく。それを胸に抱え込んで桃太郎のもとへ走ってくる。

 桃太郎は足を止め、噴き上がる怒りの裏で男の目の奥を探った。


 「なぜ、猿を襲った」

 「先に牙を剥いて飛びついてきたのはその猿だ。疑われてもしかたねえってことは分かってるがな、俺がはじめに手を出したって思ってるなら間違いだ」

 隣まで来た猿をちらと見ると、猿は麻袋を大事そうに抱えて桃太郎を見上げた。

 「こいつはもらった黍なんだ。これだけありゃあ、村の子供達にもお前の作るきび団子を食わしてやれるだろう。だってえのに、気付いたら後ろからあいつが歩いてきてたんだ。おれぁ、黍を守ってたんだ」

 桃太郎は男の目を見据え、刀からそっと手を離した。

 「猿よ、よくぞ黍を守り抜いてくれた。もう気を張らなくてよい、あちらに争うつもりはないようだ」

 雉が猿のかたわらに駆け込んで、「よくぞ守り抜いた!」と猿を称えた。


 桃太郎は一歩前へ出て、男と正面で向き合った。

 「どのような用があってここに現れたのだ」

 男はこぶしを握り、目だけ俯く。長くはない黙止を経て、思い切ったように腰を屈し頭を下げた。

 「この村のやつに詫びにきた。返せる物は何もねえが、申し訳ないことをしたと思ってる」

 桃太郎は面食らって口を噤んだ。男の顔や立ち姿へつぶさに目をかけるも、知れるのは手足に軽い傷があることくらいで、言葉に偽りがないかまでは推し量ることができなかった。ただ、頭を上げた男の面持ちには確かに罪の意識が滲んでいるように見えた。


 「なぜ悪いことをしはじめて、なぜ改心したのか、これらを聞かぬ内は頷けぬ」

 「……家族や仲間のためだ。足を洗うのも、同じわけだ」

 男は小さな声で言い添える。「働くだけで家族を食わせられるなら、そうしたさ」

 桃太郎は返す言葉がなかった。自分のためでなく、人のために悪事に手を染める。そのようなわけがあろうとは考えたこともなかった。

 あちらも必死さ、と、村人が賊を指して言ったことが頭に浮かぶ。

 桃太郎は知らないながらに考える。この男の暮らす村は貧しいのだろうか。畑が少なかったり、働き手が足りなかったりするのだろうか。だとすると、賊であったこの男の所業は、過ぎた私欲を満たすための身勝手な行為ではなかったということか。


 「もう、食い物に困ることはなくなったということだな? だから、足を洗うのだろう?」

 そうであってほしかった。この問いに男はしばし黙ったあと、独り言のように喋りだした。

 「まだ四つの息子に言われた。奪われる悲しみを知っているのに、なぜ人に同じことをするのか、と。……足を洗って、どうしろって言うんだ。正直に暮らしたって、取られた物は返ってこねえじゃねえか。仲間の病も悪くなるばかりだ!」

 男の静かに上擦る声には、帰り道を見失った子猿のような哀れな響きがあった。桃太郎はぞっと寒気を感じた。


 この男は奪われる悲しみを知っている。この男も、奪われる側の者だったのだ。奪われて貧しくなり、奪わねばならなくなった。それを卑しく浅ましい考えだなどとぞんざいに言えようか。

 もしこちらの村が十分な水や畑を持たなかったら。大切な糧を奪われて村人が飢えたら。子供が弱ったら。そうなったときのこの村に、この男のように奪う側となる者が現れてしまわないと誰が言えよう。


 男は握り締めていたこぶしを緩めた。

 「……泣き言を聞かせるつもりじゃなかった」

 忘れてくれと男は言ったが、桃太郎は承知しかねると言って頷かなかった。そのようなことを承知していては、桃太郎は自分を許せなくなってしまう。

 「俺にできることはないか。俺は強くなり、刀も覚えた。相手が何者であろうと立ち向かえる」

 善き村人達を守るために力をつけた。この村の者でなくとも、人の助けになるなら力は惜しまないつもりだ。

 男は空しい笑いを返した。

 「俺も強くなったつもりでいた。だが、通じなかった」


 笑む口元はそのままに、暗い瞳を囲む瞼が悔しげに歪んでいた。男の纏う気配は重苦しく陰っている。不自由なく暮らしてきた桃太郎のような者がこの人に何かを言ってやろうとするのは、それこそ浅ましい許されざる考えに思われた。

 男は桃太郎の後ろの方へ目をやり、お仲間が来たなと呟く。桃太郎は振り返らなかったが、遠くからいくつか、走る足音がしていることに気付いていた。


 男が半ば背を向ける。桃太郎は怖気づく心を急かして声をあげた。

 「待て! 力を合わせよう! お前一人では敵わないかもしれない、俺一人でも敵わないかもしれない。ならば二人で手を取ろう、仲間を募ろう!」

 男は苛立ちを露わに桃太郎を睨んだ。

 「徒党を組んだところで、所詮は人の力に過ぎねえんだ!」

 「賊だって同じ人ではないか。できるだけ多くの人で立ち向かおう。空や風を討ち倒そうというわけではないだろう!」

 険しかった男の目に、訝しげな色が混ざる。


 「知らないのか」

 「敵が何者かは知らぬ」

 「……鬼のことさえ、知らないのか」


 鬼。聞いたことのない言葉だった。

 そこで、後ろから村人の呼び声がかかった。声や物音から察するに、やってきたのは村の中でも若い者だろう。桃太郎は顔を動かさず、猿に対して「袋を持ってもらえ」とだけ言った。猿はずっと、麻袋を重たそうに抱えたままでいたのだ。


 鬼という言葉が何を指すものか、考えただけでは分からなかった。

 「鬼とは、なんなのだ」

 言うと、来たばかりの男達が息を呑むのを感じた。桃太郎はその気配から、鬼はよほどに悪名を立てているようだと察する。

 「知りたければ、後ろの連中に訊けばいい」

 男は静かに言って桃太郎から目を離し、前へ歩み出した。桃太郎はまだ話を終わらせなかった。


 「俺がお前の思うより強くなっていたとしても、鬼というものには歯が立たないと思うのか」

 男は返事をしない。

 「待て、一つ答えてくれ。正直に答えてくれ!」

 桃太郎は追いかけるように三歩前へ出て声を張った。

 「俺が、この桃太郎が力になれることはないのか!」

 男は立ち止まった。桃太郎は振り返ってくれと願う。しかし男は再び、今度は逃げ出すように早足で歩みはじめた。


 陰りを纏う背は遠ざかる。桃太郎は目を離さなかった。ちらとでも男が振り返れば、走って追いつくつもりでいた。

 雉がそっと尋ねる。

 「桃太郎殿、どうなさいますか。あの男が確かに村を出て行くか、私なら後をつけて見張れます」

 「それには及ばぬ」

 桃太郎は答え、こぶしを固く握った。


 男が最後に立ち止まった短い間、おそらく桃太郎だけが男の小さな声を聞き取った。男自身さえ、桃太郎にその声が聞こえていたとは思っていないだろう。


 許してくれ。


 そう発した男の唇が震えていたのか、桃太郎には見えなかった。



 俺を許すな、桃太郎。


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