第三話:人の村と桃太郎
主人の手製だという立派な板の間で桃太郎は目を覚ました。外はすっかり明るくなっている。
体に被さる薄い着物を握り、天井をぼんやり眺める。目をはたはたと瞬かせるうち、茅葺屋根の木組みが見えるようになった。屋根は、山の小屋よりも遠い。
筵を重ねた柔らかな寝床が心地良いので、起き上がるのを後回しにして寝返りを打つ。すると荷物のかたわらにうずくまる何者かの影が見え、桃太郎はしかたなく体を起こした。
「猿。もしや悪いことをしているのではないな」
猿はげっぷをしてから答えた。
「きび団子が悪くなってねえか、確かめてやってたんだ」
桃太郎は小さく唸る。つまみ食いは良くないが、桃太郎が寝ていて退屈であっただろうし、怒るほどではない気がする。桃太郎がそう考えることを知っているのだろうか、猿は反省するふりもせず、ちくちくと毛づくろいを始めた。
「一つだけにしておいただろうな?」
「もちろん。ちっとも悪くなっちゃいなかったから安心しな」
「ならばよしとするか」
桃太郎はつまみ食いを見逃すことに決め、両腕を上げてぐいと伸びをした。よく眠れたようで、頭がすっきりしている。
寝相で乱れた髪をひと纏めに結っていると、昨日のことが思い返された。
「良くなかったなあ」
桃太郎は己の振る舞いを悔いていた。あれは、とても大人らしくない有様であった。
あのあとは、見上げるごとに暗くなっていく空の下を歩き続け、夕焼けの名残もひそまろうとする頃に村娘達のすまいに行き着いた。
村娘は母に畑で起きた事の次第を話したあと、急いで食事の用意にとりかかった。娘の父はできるだけ多くの食べ物を集めるために他の村人のもとを訪ねに行き、母は桃太郎を囲炉裏のそばに座らせて、犬達の食べ物は何が良いかを尋ねた。
食事の用意を始めるには夜が近すぎる時間だったが、三人は桃太郎を腹を減らしたまま眠らせることだけはしたくないようだった。
桃太郎は言われるまま、促されるまま静かにしていた。このようなときの礼儀をよく知らないため、何が失礼にあたるか分からなかったのだ。そのため、我慢がいるほど腹は減っていないと言い出すこともできなかった。
腹は減っていなくとも食欲はある。出されるものは残さず食べるつもりでいた。喜んで食べることは礼儀の一つであるだろうと思ったし、もてなしを受け入れることで、より人と仲良くなれるはずだと考えた。
しかし、桃太郎の思惑は、不意に起こった体の変化により妨げられた。
腰を落ち着けて少し経ったとき、瞼が重く感じられはじめ、耳に入る台所の物音が遠くに聞こえるようになった。つまり、眠気がさしたのだ。
長く待たされていたわけでもないのに眠気はたちまち大きくなって、桃太郎は首をこっくりかっくり、前へ後ろへやりだしてしまった。
常ならば眠気を感じれば素直に眠る桃太郎。眠たいのを我慢するのは初めてのことで、これは空腹や寒さを我慢するよりずっと難しかった。
囲炉裏の熾火が揺らめく様を眺めても、頭が休められていくばかりで瞼はちっとも軽くならない。犬、猿、雉の励ましはよく聞こえたが、眠気を追い払うまでの力はない。
桃太郎の様子に気付いた村娘が「ひと口だけでも」とおにぎりを渡してくれたが、それの味もよく分からない始末であった。とうとう桃太郎は諦めて、娘の母の「明日の昼にたくさん食べましょう」という案に頷いたのだった。
そして桃太郎と猿は板の間に上がり、雉は藁に埋もれて眠りたいと外へ行き、犬は床の冷たいのが良いと土間に寝転んだ。
村娘もその父母も嫌な顔をせず、桃太郎がよく眠れることを望んでいる様子だった。そのため、桃太郎は後ろめたい思いをすることなく、気持ち良く眠ることができた。
「よし」
桃太郎は再び伸びをしてから、すっくと立った。猿が毛づくろいの手を止める。
「また寝ちまえばどうだ。動かなくたって飯は出てくるんだから」
「ぐうたらはせぬ。村に田畑に人々と、目にすべきものが多くあるのだ」
「そうかい。おれぁいますぐ山へ帰ったっていいんだけどな」
猿と共に土間を覗くと、台所に居た三十がらみの痩せた女が振り返った。
「よく眠れましたか」
見守るような笑顔を見せるのは村娘の母だ。体が弱いらしく声に張りはないが、穏やかで優しい響きがある。
「うむ。すっきり起きたぞ。それは何をしているところだ?」
「昨日借りてきた羽釜の手入れですよ」と、大きな釜を見せてくれる。「お昼はこの釜いっぱいに姫飯を用意しますから」
「炊いた飯、というやつだな。それまでしっかりと腹を減らしておく」
桃太郎は気長そうに笑ってみせた。心の中ではとても待ちきれないと思っていた。
桃太郎にとっての飯とは蒸して作る強飯の他にはなく、姫飯のことは聞いた覚えもなかった。ゆうべ主人に教わったところでは、姫飯は普通の飯よりも粒が大きくて柔らかく、味わいがあるそうだ。
「ところで、犬はどこだろう?」
土間をすらりと見渡して言う。飯の話をしていると聞こえてくるはずの犬の唸り声がしないのだ。
「うちのひとの後ろについて外に行きましたよ。菜の方の畑でしょう」
「なんと! 俺も畑を見たいのに!」
桃太郎は荷物を拾いに寝床へ取って返した。土間から声だけが追ってくる。
「お待ちください、畑まで案内をしますから」
「無用だ。あなたは疲れやすいのだから、働きすぎてはならぬ」
さて、菜の方の畑とはどこだろう。桃太郎は昨夕の道すがらに聞いた話を思い出す。
あれやこれやが田で畑で、それやどれやが稲、黍、大根――。作物の見た目まではよく見られなかったが、場所や方向はあらかた覚えている。野菜の畑は村の近くに多かったはずだ。
迷ったときはそのときだ。迷うのだって、楽しいに違いない。
桃太郎は刀を帯に差して身なりを十分にし、気が向かない様子の猿を引き連れて外へ出た。
平地の日中は並外れの明るさに感じられた。光の強さを整えてくれるような木の葉の屋根が無く、空を長く見上げていられない。さりとて地面も眩しいのだ。森の色合いしか知らなかった桃太郎は、遮るものの無い景色に慣れるまでもう少しかかりそうだと思った。
「うきゃ!」
猿の焦った声。猿は急いで桃太郎の左腕によじ登ってくる。
「どうした?」
「あれが来たときゃ、高いとこに限る!」
猿が睨んでいる方を目で追うと、二つに枝分かれしている細道の片方から、白地に黒のぶちの犬がこちらへ走ってくるのを見つけた。動きに合わせて黒い部分の毛が飛び散っているように見える。桃太郎はやや身構えた。
「犬よ、待て!」
犬は道の半ばでびたりと止まった。
「そこでふるふるして土を落とせ。……そうだ。や、もう一度。……よし!」
ぶちの犬が薄汚れた白い犬にまで変わったのを見て、桃太郎は走ることを許した。
犬は桃太郎の足元まで来て元気に吠えた。
「遅かったな、桃太郎さん。あと猿」
「うむ、少々寝すぎてしまった。その、首のはなんだ?」
桃太郎は犬の首に巻かれている手ぬぐいのようなものを指した。
「あの娘にもらったものだ。強そうだろう?」
犬は頭をぶるぶると振った。白の布は犬の毛色と似ていて目立ちにくく、特に強そうだとも思わなかったが、桃太郎は「そうだな」と頷いてやった。物をもらえるほどに仲良くしてもらえているのなら喜ばしいことだ。少し羨ましいとも思う。
「お前は畑にいたのだろう、案内できるか?」
「もちろん、そのつもりだ! さあ、ついてきておくれ」
そう言って背を向けた犬は、道の枝分かれしているところを見て首を傾げた。何も言わず地面を嗅いで、来た道を思い出せたところで進みはじめる。足取りだけは頼もしかった。
犬の後ろを歩きながら、桃太郎は近くや遠くを眺め見る。
大急ぎで走り抜けたときには気に留める余裕もなかったが、見れば見るほど、ここらは人のための土地である。畑も道も建物も、どこも人の手が入っていた。
耕された土と青い野菜の香りに、ときどき肥の匂いが混じる。畑を区切る畑道を歩いていく中、畑のところどころに、昨日は出会えなかった村人の姿が見られた。
畑の手入れに励む人々を見回しながら進んでいると、畑の内のひとつから髭面の男が話しかけてきた。
「やあ、その刀は本物で?」
推して見るに、四十は軽く過ぎている歳だろう。男はにこやかで、用心している素振りはなかった。
「本物だが、悪い企みのために持っているのではないからこわがらないでほしい」
「話は聞いてるよ。賊を追い払ってくれたんだってね。その猿と犬も賢いそうで」
男が猿へ気さくに手を振る。いまだ桃太郎の左腕に取り付いている猿は首を傾げた。
「なんだ?」
「お前は賢いと言ってくれているのだ」
「ほう。それが分かるたあ、あのじいもまあまあ賢い」
猿は小さく手を振り返した。照れている。
同じ畑にいた背の高い若い男が、畑道のそばまでやってきた。
「賊ってのは、俺くらいの歳の威勢の良いやつだったろう? あいつの足には誰も敵わないもんだから、困ってたんだ」
「困っていた? 奴は何度も悪いことを繰り返しているのか?」
「あちらも必死さ」
男は諦めを滲ませたが、すぐに気さくな声に戻った。
「さて、俺達はあんたのために良い野菜を分けてやることになってるんだ。釣りが間に合えば魚も。たらふく食ってもらうからな」
男の笑顔に対し、桃太郎は小刻みに何度も頷いた。なんと親しげで頼もしい人達だろう。
桃太郎はこの村人達が自分を疑っていないことが嬉しかった。
この男達に話しかけられるまで、桃太郎は自分から村人に話しかけることをためらっていた。昨日のように怪しまれたりこわがられたりするかもしれないという不安からのことだった。外へ出る前には刀を置いていくべきか迷ったほどだ。
今ではそれが無用の心配だったと分かる。
桃太郎は畑仕事に戻っていく男を笑顔で見送った。
他の村人にも話しかけてみようかと考えていると、猿が「あの娘が来たぞ」と道の向こうを指した。
見ると、確かに村娘がこちらへ歩いて向かってきている。桃太郎は急ぎ足で近寄った。
「もう帰ってしまうのか? お前達の畑を見ようとやってきたのだが」
村娘は首を横に振って、犬を見て目を細めた。
「犬が突然走り去ってしまったので、様子を見にきたんです。やっぱり桃太郎さんを迎えに行っていたんですね」
「うむ、見てのとおりだ。俺は迷う覚悟で出てきたのだが、苦労をせずに済んだ」
犬は自分が褒められていることに気付いて得意になった。
「そうだとも。その娘が畑の外を気にしだしたように見えたから、おれが見に行ってやったのだ。おれがそうしなければ桃太郎さんは迷っていただろう。迷って迷って、大変だったであろう……そこにおれが……おれのはたらきがあってこそ……」
巾着袋に鼻をめり込ませる犬に押し負けて、桃太郎はきび団子をやった。
機嫌の良くなった犬は先頭を行った。
疲れ知らずの白い尻尾を、村娘がおもしろそうに眺めている。その横顔からは、気を楽にしているのが見て取れた。
ゆうべは桃太郎に怪しい動きがないかを気にして歩いていたのに、今ではよそ見をしてくれている。桃太郎は村に来て初めて、自分が人に受け入れられたと感じた。
村娘がちらりとこちらに顔を向ける。はたとしっかり目が合って、桃太郎はつい目を逸らした。
どうしましたかと娘が言う。桃太郎はどうして目を逸らしたかが分からない。考えても分からなかったので、思い直して再び目を戻す。娘は既に前を向いていて、桃太郎はどこか残念に思った。
「……犬が手ぬぐいを巻いてもらったと喜んでいたから、お前は承知しているのだろうかと思って」
「ああ、もちろんですよ。手ぬぐいで遊んでいたので、巻いてあげてみたら気に入った様子で」
村娘は目を和らげて、喜んでいるのなら嬉しいと言う。桃太郎は犬が娘を困らせたのではないと分かってほっとした。
「ならばよい。それから、先程の男達が俺のことを知ってくれていたのだが、他にも知っている村人はいるのだろうか」
「村のほとんどの者は、桃太郎さんが私を助けてくださったことを知っているでしょう」
「ほとんどだと。いつのまに」
「夜におっとうが近所を回りましたから。小さな村ですし、朝になれば話が広がるのはすぐなんです」
桃太郎は感心しつつ、山の猿達のことを思い出した。猿の群れも伝わりは早く、隠し事はとてもできない。
もう猿達は桃太郎がいなくなったことに気付いているだろう。人の村に行ったことも知られているはずだ。お母ちゃん猿の怒鳴る声を思い出し、桃太郎の肩は一度震えた。
「桃太郎さん?」
「気にしなくてよい。共に暮らす猿達のことを考えていたのだ。俺がいなくなったことは群れの中で知れ渡っているのだろうな、と」
「桃太郎さんのいた村には、猿の群れがすみついているんですか?」
村娘が驚いた顔をして言った。桃太郎は田畑のずっと先に見える山を指した。
「あちらに山が見えるだろう。俺はそこで生まれ育った。人は俺ひとり、猿はたくさん。であれば、猿の村に俺がすみついていると言うべきかもしれぬ」
桃太郎は笑顔で言ったが、娘は驚いた顔をしたままで笑わなかった。桃太郎は心の中で首を捻った。
猿の群れと暮らしているのは驚くほどにおかしな生き方なのだろうか。それとも山で暮らしていることに驚いたのだろうか。
人の普通は分からない。もし猿と暮らしているような者は村に置いておけないなどと言われたらどうしようか。桃太郎が村娘の表情を横目で窺ったところ、ただただ驚いているだけのように見えた。助かった気分で目を戻す。
「おお、見つけた!」
畑のひとつに目をつけて、桃太郎は思わず声を高くした。
並ぶ作物の中に立ち、村娘の父は農具で土を掻くような動きをしていた。まだ桃太郎には気付いていない。
「あの道具はなんだ? 何をしているところだろうか」
桃太郎に尋ねられ、娘は我に返った。
「あ……あれは、背の伸びた葱のために、鍬で土を盛っているところです」
「おもしろそうだ。おい猿、そろそろ腕から離れてくれ」
桃太郎は小袴の裾を膝のあたりまで上げて留め、軽い足取りで畑へ駆けた。
許しを得て畑に入った桃太郎は、さっそく畑仕事の手伝いを申し出た。村娘の父は客を働かせるわけにはいかないと困った顔をしたが、桃太郎が「恩返しの一つと思って教えてくれないか」と頼むと、そういうことならと頷いてくれた。
畝と畝の間の土を鍬で掻いて掬い、作物の育ち具合を見て、その茎を支えるように盛ってやる。やり方を丁寧に教えてもらえたので、畝を整えるための決まり事を守るのに苦労はしなかった。
畝の端まで具合良く進んでいくと、犬と荷物番をしていた猿が手を上げた。
「おれには何もやることがねえのか?」
「ううむ。猿にこの鍬は難しかろう。遊んでいればどうだ?」
「ひでえや。登って遊ぶ木も、毛づくろいをする相手もいねえってのに。お山に帰ったら好きなことができるんだけどな」
猿はそっぽを向いて、しかしちらちらと目だけを桃太郎へ向ける。
「猿……何か言いたいことがあるようだな」
「いんや、別に。ただ、村にはこわい人が現れるかもしれねえんだからなあと思ってさ。仲間の多いお山は安心だからなあと思ってさ。賢い桃太郎は分かってるはずだけどな」
なんということだ、この猿は人を試そうというのか。桃太郎は気持ちが乱れそうになるのをぐっと堪えた。
「分かった、ようく分かった」
桃太郎は微笑みを浮かべて猿のそばへ寄った。猿は目を丸くしている。犬は首を傾げている。
「猿よ、お前は頼りになるが、遊びたいのを我慢させるわけにはいかぬ。帰りの道はゆめゆめ気を抜くことのないよう。山の猿達に桃太郎は元気だと伝えてくれ……さあ、腹が減ってはならんだろう、きび団子くらい食っていけ」
「分かってねえ!」猿は頭を抱えた。「お前を置いて帰っても意味がねえだろう!」
桃太郎ははたとひらめいて手を打った。懐の深さを確かめようとしていたのではなかったのか。
「ははあ、俺を山へ帰そうというわけか。ならば話は決まっている、俺には見てみたいものがまだまだあるのだ」
桃太郎はかたくなに言ってそっぽを向いた。桃ほっぺになりかけたのを我慢して、作業の続きにかかる。
猿は苛立ちを鎮めたがるように地面を手のひらで数度叩いてから、畑に下りて村娘のやっている雑草抜きを手伝いはじめた。
猿が何を不満に思っているのかは分かった。昨日のように桃太郎が危ない目にあってしまうのではないかと心配してくれているのだろう。桃太郎も、二度と賊がやってこないとは思っていない。
だが、桃太郎達と村人達で力を合わせれば、あのような紙一重の状況には陥らないのではなかろうかとは思っている。
桃太郎は村娘の父が近くにきたときに尋ねてみた。
「賊は何度もやってきていると聞いたが、これまではどうやりすごしていたのだ?」
答えは早かった。
「まずは逃げることです」
怪しい者が現れたら他の村人のいるところへ逃げる。逃げ切れなければ抗わずに相手の求めを聞く。あちらは命を奪うことまでは考えていないので、焚きつけるようなふるまいは控えなければならないと言う。
桃太郎は唸った。斬らねば斬られるような相手と思い込んで刀を抜いてしまったが、駆けつけたまでにしておけば、あっさりと退いてくれたのかもしれない。
「刀を抜かない方が穏やかであったのだな」
「桃太郎さんのような勇ましい方がいると知れば、しばらくは大人しくなってくれるかもしれません。助かりましたよ」
「そう言われると気が楽だ。手を止めさせてしまってすまなかったな」
桃太郎は鍬を持ち直しつつ、気付かれないようにため息をついた。
勇ましいとは言われたが、自分が無傷で済んだのは運の向いたおかげだった。もし雉の助けが入っていなければ、いまこうして呑気に土と戯れてはいられなかった。桃太郎は改めて賊のこわさを思わされていた。
猿の言うとおり、早く山へ帰るべきなのだろうか。桃太郎は横目で村娘の背を見、猿の背を見た。
自分は弱かった。刀を使いこなせなかったのはもちろん、自信のあった身のこなしにおいても負けた。相手を倒すためにぶつかりにいったはずなのに、気付けば自分の身体がひっくり返っていた。そうなったわけは、今に至っても分からない。
「土の支えが、茎をまっすぐに伸ばす」
葱の根本に土をかけ、桃太郎は呟いた。
風に倒されないための支えが必要だ。雉の助けが入る前、桃太郎は打つ手を失い固まってしまっていた。そのときの桃太郎は、太刀筋を読みきられるという向かい風によって心を倒されていたのだ。
一方の相手は、足払いに体勢を崩されながらも短刀を投げるという手を打った。更に、その刀が通じなかった場合までを見越した体捌きで桃太郎をいなした。
ふと、悔しい気持ちが湧いてきた。賊が逃げたのは桃太郎に負けたからではなく、雉の乱入があったり村娘の父が追いついたりして不利になったからだ。きっと、桃太郎一人ならば恐るるに足らぬと決めつけているに違いない。
村人に害を及ぼす悪者は許せない。しかし、桃太郎は負けてしまった。
「むむ」
桃太郎は葱の葉に付いた象虫をつまみ上げた。
「これはお前の食い物ではない。他をあたれ」
作物の害となる虫を剥がすのも人のため。桃太郎はわずかばかりの八つ当たりも込めて虫をぶん投げた。
は、と桃太郎は目を見開いた。いきなり空に現れた雉が、投げられた虫をぱくりと食べてしまったのだ。
桃太郎は頭に手をやった。
「ああ、そんなつもりではなかったのに」
雉は上機嫌で畑に降り立つ。
「私もそんなつもりではなかったのですよ。ただ餌が目の前に飛んできたもので、気付いたら呑み込んでおりました。おや、こちらはひときわ美味である幼虫ですぞ。ああ、ついつい」
ちょいちょいと土をつついている雉の隣に桃太郎はしゃがみこんだ。
「気付いたら呑み込んでいたとは、つまり、どういう感じだ?」
「餌だ! ぱく! という感じでございます。餌があれば口を開けるというのは、体に染み付いているのです」
ほう、と桃太郎は頷く。
雉は幼虫をもう一匹見つけ出して食べ、満足そうな顔で桃太郎へ向いた。
「それにしても流石は桃太郎殿。かの娘を救っただけでなく村のために汗を流されているとは」
「村のためもあるが、初めて見る畑仕事が興味深かったものだから、やってみたくなったのだ」
「強き者は常に経験を求めているのでございますな!」
言いながら雉は羽をふっくらとさせた。嬉しいと体が膨らむのだろうか。
雉は浮かれて、けこけこ喋る。
「だらしなそうな猿が雑草を抜いているのも桃太郎殿に感化されてのことでありましょう! 間抜けそうな犬も……道端に寝転んでおりますが、奴は何をしているのでしょう?」
「犬には荷物番をさせている。たぶん寝ているな」
「寝ている! 桃太郎殿の大事な刀ときび団子の番をないがしろにするなどけしからん!」
「いや、寝てはいるが軽んじているつもりはないと思うぞ」
「いいや、甘やかしてはなりません。ちょっとひと休みとしたその隙に付け込まれるのです。よし、こういたしましょう。私がきび団子入りの巾着袋を奪い、犬に反省を促します。私がきび団子を食べてしまったことに犬は怒り悲しみ己の不甲斐なさを呪うことでしょう。どうぞこの雉にお任せあれ!」
「お前、きび団子を食いたいのか」
「躾でございます!」
雉はいきり立って、畝の間を風のように駆けていった。桃太郎はその足の速さに驚きつつ、喧嘩にならないか見ておこうと決めた。
瞬く間に畑を走り抜ける雉。寝そべる犬へと声を潜めて近付いていったが、既に犬の目は開いていた。
「おれに用か。それともいじわるか」
雉は短い悲鳴と同時に足を止めた。
「流石は桃太郎殿のお供、間抜け顔でないときもあるのだな。その調子で見張りに努めよ!」
「お喋りな雉!」犬はむっとして立ち上がった。「間抜け呼ばわりしたり命令したり、何様のつもりだ!」
「何様かと言われれば、頼もしい雉である。呑気な犬より立派だ!」
「どこが頼もしいと言うのだ! それと、呑気は大事だぞ!」
「呑気は大事か、良いことを言う。雉は飛べるのが頼もしい!」
「おれだって跳べるぞう!」
犬が楽しそうに跳ね回りだす。
二匹は仲良くやれそうだ。桃太郎は様子見をやめ、畑仕事に戻ることにした。
鍬を振るうのにも慣れ、作業の進みは速くなった。どのように振るえば土をちょうど掬えるか、むらなく土を被せられるか、あれこれ試す必要があるのははじめのうちだけだ。正しい動きを体が覚えれば、その後は意識せずとも正しく動ける。雉が飛ぶ虫を捕らえられたように、賊が桃太郎をひっくり返せたように。
あれこれ試した経験がなければ正しい動きは分からない。だから刀が通じないと悟った桃太郎は動けなくなったのだ。
強き者は経験を求める。自分には悪い人に立ち向かうための修練が必要だ。
「その前に、腹が減ってきたなあ」
いま取り組んでいる畝はもうすぐで終えるが、そろそろ昼にならないだろうか。周りを見れば、村娘と猿は地道に草を抜いていて、娘の父はひとつ向こうの畑で作物の調子を確かめている。犬と雉は疲れきって地に伏している。
気を散らしている場合ではない。桃太郎は葱に集中することとした。自らやりたいと申し出たのだから、最後までやりきらねばならない。食事のことは忘れよう。
ざくざくと土を掘っていると、村娘が近くに来て言った。
「もう鍬を使いこなせるようになっていますね。初めてだとは思えないくらいです」
「うむ。この道具の扱いは覚えたぞ」
村娘は頼もしそうに頷いた。
「私は食事の用意を手伝いに戻ります。桃太郎さん、疲れたら休んでくださいね」
「おお、分かった!」
桃太郎の返事は明るかった。それから畑仕事を終えるまでの間、食事のことは一度も頭から離れなかった。
姫飯の香りときたらそれだけで腹が膨れそうな豊かさで、口にしたときの甘みにはたまらず目眩がしたものだった。雑穀ばかりで米が少ないことを詫びられたが、そんなことはちっとも気にならなかった。
「これはしそだな。山でも育てているから慣れた味だ。あ! 大根は汁の具となればこんな風になるのか」
ひと口ごとにひと言つける桃太郎を、村娘の母が囲炉裏の向こうから嬉しそうに見ていた。
「おかわりもありますよ」
「かたじけない!」
食事に心を浮かしているのは桃太郎だけではない。
犬は桃太郎の後ろで、分けられた飯やほぐした魚の身をがつがつと食べていた。猿は茄子が気に入って、生の瑞々しいのにかぶりつく。雉は桃太郎が畑で拾ってきた芋虫と、村人達の分けてくれたいろいろな食材をひと口ずつつまんでいって、味わっては喉を鳴らした。
食事の始まってしばらく、土間の囲炉裏の周りは絶えず賑やかだった。近所の者や畑から戻ってきた村人が食べ物を手にやってきて、獣を従える客人とやらがどんな様子かを見物していくのだ。
ほとんどの者は桃太郎の生まれた村を尋ねてきた。山でひとりで、猿の群れと暮らしていたと答えると、誰もが一様に驚いた顔をする。詳しい話を聞きたそうにしながらも、それぞれの畑仕事もあるので長居はしなかった。持ってきた食材の自慢をすることは誰もが欠かさない。
朝に畑で見た顔もいくつかあって、あの背の高い若い男は焼いた川魚を両手に掲げ、誇らしげに持ってきてくれた。川魚は見慣れたものだったが、塩を振ってあるのは贅沢に思えた。
村娘とその母は見事な食事を用意してくれた。娘の方は先に食事を済ましたようで、片時も台所を離れず、次々に新たな食べ物の皿を持ってきた。食事の前の支度で疲れた母を休ませ、村人の持ってくる食べ物を手際良く料理してくれる。
人々はみな笑っていて、家の中はずっと明るかった。村娘も、その父母も、立ち寄る村人も、桃太郎も。明るく楽しく、賑やかだ。
ああ、人の音、人の熱。人の世界は山の外にあったのだ。
たくさんの食べ物を腹に収め、箸の動きもゆっくりになってくる。雉が「腹ごなしもならぬほどに食べるのは良くありませぬ」と言うのに従い、桃太郎は腹が苦しくなる前に箸を置いた。村娘の母は平らげられた皿を持って台所へ行き、代わりに娘が戻ってくる。
「ああ、どれも美味かった。また空腹になりたい。空腹が惜しいのは初めてだ」
そう言う桃太郎だけでなく、犬も猿も腹が重くて幸せなようだ。犬は腹ばいになって桃太郎の足に顎を乗せていて、猿は犬の背によりかかってくつろいでいる。
犬はゆるみきって息を吐く。
「桃太郎さん、夕方の飯もぼろぼろの白いのが食いたいと伝えてくれないか」
「ほぐして焼いた豆腐だな。伝えてみるが、難しいと言われたら諦めるのだぞ」
犬は返事のつもりなのか鼻を鳴らして、目を閉じた。そのとき、猿がひょいと立ち上がった。
「おい桃太郎。夕方までここにいたら、暗くなる前にお山へ帰れなくなるだろう」
「まあ、うむ」桃太郎は猿から目を逸らした。「しかし、いつ帰るかは決めていないし」
「なんだとう? 帰れるときに帰るんだ。もしまた危ない目にあったら次こそ怪我を――うきゃあ!」
猿の肩を突いたのは雉の嘴だった。
「桃太郎殿は村を救う勇であるべく、そして邪なる影を叩くべく留まられるのだ!」
「そこまでは言っておらぬが、もう少し人の村を楽しんでから帰りたいのだ」
猿は肩をさすりながら詰め寄ってきた。
「もう少しってどのくらいだ? 一日か、三日か。その間ずうっとこの家のやつに飯を出させるつもりか?」
あ、と桃太郎は家の者を見た。村へ留まるということはその間も世話になるということだ。
桃太郎と目の合った主人は、尋ねられる前に答えた。
「そんな顔をなさらずに。自分の家と思って好きなだけ居てください」
「ああ、なんと頼もしい話だろう。村のために手伝えることがあればなんでも言いつけてほしい」
「桃太郎さんならなんでもこなしてしまわれるでしょう。では、早い内に長老に知らせてきます」
主人はそう言って頭を下げ、娘に桃太郎の世話を任せて村の寄合所へ向かった。土間のあたりは桃太郎達と村娘だけになる。
「よし、猿。これで話は済んだぞ」
猿はまだまだ諦めていなかった。
「桃太郎。何を言われたのか知らねえが、真に受けるんじゃねえ」
「しばらくは居てもよいと言ってくれたのだ。賊が現れたときのふるまい方も教えてもらっているから、心配しているようなことにはならぬ」
「へえ! おれの言葉を聞くよりも呑気な村人の世話になりたいってんだな!」
猿の真っ赤な顔が、いつもより真っ赤になっていた。桃太郎は眉を上げ口を尖らした。
「俺はお前の言葉もしっかり聞いている。……意地悪な言い方をするやつめ」
「意地悪だって? 心配してやってるってえのに! ひょっとするとやつらは桃太郎を働かせたいだけだったり、賊の仲間だったりするかもしれねえんだぞう!」
「失礼なことを言うな!」
猿の口の悪さに桃太郎はかっとなった。それよりも怒ったのが雉で、大きく羽を広げて猿を威嚇した。
「村の者の心根はこの雉がよく知っておる! 無礼者め、浅慮を恥じよ!」
猿が言い返そうとして身を乗り出したところ、その唇の上下を、桃太郎が指でつまんで開けなくした。ひどい喧嘩になるのを止めるためだった。もう片方の手は雉の嘴を握り込んでいる。
二匹はされるがままに動きを止め、無言で睨み合うばかりとなった。桃太郎も口を結び、顔を伏して気が落ち着くのを待った。
よく事が分かっていない顔の村娘だが、猿の不満がはじまりとなったのだけは見て取れたようだ。
「猿の機嫌が悪いように見えますが、帰りたがっているのでしょうか」
桃太郎はゆっくりと顔を上げ、にこやかに返した。
「や、そのようなことはない。まだ食い足りないと拗ねているだけだ」
猿が桃太郎の手を引き剥がして投げ捨て、非難の目を向けた。桃太郎は目を合わせてやらなかった。
何も知らない村娘が猿の顔を覗き込み、優しく微笑んだ。
「蒸したご飯があとちょっと残っているから、それをおにぎりにしましょうね」
「……うきい」
猿はすっかり気勢を失って村娘に見とれ、台所へ行く背を見送った。桃太郎も猿と同じようになっていた。
手の力が緩んだ隙に、雉が嘴をすぽんと抜く。
「あの娘はよく村の子供の面倒を見ておりまして、むずかる幼子の扱いには慣れております」
「そのようだな。猿のためにおにぎりを作ってくれるそうだ」
「……おれのお母ちゃんもあんだけ甘やかしてくれりゃあいいのに」
桃太郎は自分の分のおにぎりを頼まなかったことを悔やんだ。ゆうべに食べたはずだが、ほとんど眠りながら食べたので味をよく覚えていないのだ。
そっと猿の耳に口を寄せる。
「なあ猿や。まだ腹いっぱいだろう? 俺におにぎりを分けてくれないか」
猿はそっぽを向いて膝を抱えた。
「都合のいいことを言っていやがる。あの娘がおれの言葉を聞けねえのをいいことに、おれをわがままな子供扱いする嘘をついたくせにな」
桃太郎は、確かにそうだ、と反省しかけたが。
「いいや、俺はそうしたくなるほど怒っていたのだ」家の者が近くにいないのを確かめ、小声で続ける。「お前は俺を脅すために村の人らを貶めたぞ。それだって、お前の言葉が聞かれないのを分かってのことだろう。この家の者達に言葉が通じたとしたら、嘘でも同じことが言えたか?」
猿はわずかに肩を狭くした。しかしこちらを見もしないし、返事もしない。
桃太郎はまだ猿の無礼な言葉に怒っていた。それと同時に、自分が苛立ちに任せて嘘つきになってしまったことに落ち込んでもいた。膝の上でぐうすか眠る犬を撫でながら、お母ちゃん猿や爺ちゃん猿が自分達を叱ってくれたらよいのにとため息をつく。
重たい静けさに雉は落ち着かなそうにしはじめて、桃太郎と猿の周りをくるくる歩いていた。
静かになりすぎた空間に村娘が戻ってきた。食べていいよと言って、二つのおにぎりが乗った皿を猿の前に置く。猿はすぐに皿を抱えて立ち上がり、土間の端まで行った。
「母はもう横になるそうです。桃太郎さん達が美味しそうに食べてくれたので、喜んでいました」
村娘はおにぎりを頬張る猿の背を嬉しそうに眺めている。桃太郎は「そうか」と頷いたあと、両手を組んだり解いたり、口を開いたり結んだり、踏ん切りのつかない様子でいた。
見かねた雉に肩をつつかれ、桃太郎はようやく切り出す。
「そのう……俺はお前に、一つの嘘をついたのだ」
「嘘、ですか?」
「先程、猿が怒っているのは食い足りないからだと言っただろう。実際はそんなことはなくて、あのときお前の尋ねたとおり、山へ帰りたがっていたのだ。俺はまだ帰りたくなくて、猿の文句を聞かないために、つい嘘つきになってしまった」
村娘はこわばりかけた表情を穏やかにして笑った。
「嘘とおっしゃるから、どんな恐ろしいことかと身構えてしまいました」
「恐ろしいような嘘などはつかない! ともあれ、猿は物をねだるために怒りだすほど子供ではないので、見直してやってほしいのだ」
「分かりました。……そういうわけで、あんなに隅で食べているんですね」
猿は背を向けたままで、聞こえないふりをしているようだった。
そこへ雉がすいすい近付く。そして猿の後ろ頭をすこんとつつく、と思いきや、猿が立ち上がるのが先だった。雉は猿の背に嘴を掬われて尻もちをついた。
猿は一つのおにぎりが乗った皿を持って、桃太郎のもとへゆっくりゆっくり歩いてきた。
「おれぁ腹いっぱいだから、この美味いおにぎりをくれてやるよ」
「おお、分けてくれと言ったのを覚えていてくれたのか」
「その代わりだ。優しい村人達に、夕方もこのおにぎりが食いたいと伝えてくれ」
桃太郎はにかっと笑って承諾した。
「犬は豆腐を、猿はこのおにぎりを気に入ったから、夕方の食事でもそれが食いたいらしい。できるだろうか?」
「ああ、嬉しい。また豆腐を貰えるか聞いておかないと」
村娘は胸の上で両手を重ねた。
よし、と桃太郎はおにぎりにかぶりつこうとした。そのとき、犬がいきなり飛び起きて、寝ぼけた顔をきょろきょろとさせた。
「もう飯の時間か、ん?」
犬は桃太郎の持つおにぎりに引き寄せられた。桃太郎は犬の鼻を手のひらで押し返す。
「これは俺の分のおにぎりだ」
「おれの分は?」
「食いたいのか?」
「やったー!」
「やるとは言っていない」
「そんなあ」
犬は哀れぶって、前脚を揃えて桃太郎の腕に乗せた。困った桃太郎が村娘を見ると、村娘も困った顔をした。
「姫飯も強飯も、残っていないんです」
「でもこのおにぎりはやれないからなあ」
犬はがっくりと頭を下げ、ずるいぞ、ずるいぞとぶつぶつ言いながら脚を下ろす。すると今度は雉が膝の上に乗ってきた。
「慎ましきこの雉、犬とは違って文句を垂れず、おにぎりを我慢できるのでございます」
「お前も食いたかったのか」
「そうなのです。そこで雉は、きび団子ならいただけるのではと考えたのです。しかしそれも我慢するべきとおっしゃるのならば我慢できるのでございます」
犬の耳がぴくりと震えた。桃太郎が巾着袋に手をかけると犬の頭はしっかり上がって、目はらんらんと輝いた。
「犬よ、変な匂いはしていないか?」
「美味そうな匂いだ!」
桃太郎は頷き、袋を開けた。
「良い案を出してくれたものだ。平地はやたらに暑いから、早めに食ってしまわないとな」
「桃太郎さん! おれの分は!」
「お前の分もある」桃太郎はきび団子を皿に出していった。「おや、猿の分もある。おや、俺の分もある?」
団子は四つ残っていた。
「俺にはおにぎりがあるから……お前が食うか?」
団子を一つ取って、村娘へ差し出す。村娘は貴重なものを扱うように丁寧に受け取った。
「いただいてもいいんですか?」
「うむ。よし、決まりだ。お前達、食ってよし」
犬は皿に突っ込んだ。
桃太郎はおにぎりをかじった。柔らかさや甘さは姫飯に負けるが、刻んだ葉が混ぜ込まれていて、食感の気持ち良さに遜色はない。そもそも強飯しか食べたことのない桃太郎にとっては、こちらの方が腹に収めやすかった。
このおにぎりを含め、この家で出された全ての食事には安らぎがあった。自分のために作って食べていた山での食事では感じられなかったものだ。きっと、桃太郎が六つの頃まではいつも味わっていたものだ。
村娘が呟いた。
「優しい味です」
「それだ!」
「え?」
「お前達の出してくれるものは優しい味がする。お前達が優しいからに違いない」
村娘はきょとんとしてから、にこりと笑った。
「このお団子も、優しい味がします。桃太郎さんが優しいからでしょう」
桃太郎は首を傾げた。
「俺は優しい男というよりは、たくましい感じの男だと思っていたのだが」
「たくましくて強くて、優しい人です」
気を許した柔らかな表情であった。桃太郎は胸がきゅうと痺れた気がして、目を合わせていられなくなり顔を俯かせた。
けれど、村娘はひとつ、言い過ぎたと思う。
俺は、大して強くないのだ。
桃太郎は心の内で呟いて、その先の気持ちを口に出した。
「もっと強くなりたいのだ。快いこの村の者達にとって、もっと頼もしい男となりたく――わあ!」
顔を上げたところには雉の赤い顔があった。
「力が欲しいと申されましたな。すなわち稽古に励まんとお思いでございましょう。されど桃太郎殿は戦うための稽古を知らぬ、されば力を得るために何をすればよいか分からぬ、そこゆえに稽古の手引を欲していらっしゃる。ここにこの雉はあつらえ向きの案を備えてございますゆえ、口出しをお許しいただきたい!」
くるくるけこけこと言い連ねる雉の下、肩を足場にされた村娘はあたふたとしていた。桃太郎はとりあえず話を進めることにした。
「い、言ってみろ」
「この村で幾度も目にし、心奪われている光景がございます。私は昼間になると行われるそれを見るのが好きでございます。その光景とは、英雄を志す者共が刀に見立てた棒きれで打ち合い、力と技を競い高め合う集いなのです。若者共の気迫といったら、私には恐ろしくあって近寄れないほどなのです!」
「ま、まことか。村にそのような集いが?」
「それを取りまとめる大将とは、驚くなかれ、この娘!」
「なんと!」
桃太郎は仰天して村娘を見つめた。村娘は縮こまって目を強く瞑り、雉が降りてくれるのを待っているようだった。




