第二話:良い出会い、悪い出会い
いつまでも走り続けられそうだ。
辺りは畑ばかりとなり、道の傾斜は無くなっている。人の道は地を突く足を軽々と弾き返してくれ、桃太郎は自分の身体が軽くなったように感じた。隣を走る猿も調子が良さそうにしている。
遠く小さかった人影は徐々に大きくなり、その人影が手ぶらの男で、こちらに背中を向けて歩き去っているところだと分かるくらいになった。
人がいる。動いている。歩いている。桃太郎は奇跡を目にした気分だった。
「おうい、そこの人!」桃太郎は力いっぱい叫ぶ。「おうい!」
そのとき、犬が桃太郎を追い抜いていった。きび団子を食べていた分の遅れを取り戻すのに随分とかかったようだ。
「人よ! 桃太郎さんが呼んでいるぞ!」
吠える犬に、猿が大声で戒めを言う。
「おい犬、村人をこわがらせちまうだろうが!」
それは困る。桃太郎は猿に合わせた。
「犬や、戻ってこい!」
そう言ったのと男が振り返ったのは同時だった。
男は猛然と迫ってきている犬を見て、「わああ」と悲鳴を上げ逃げ出した。
猿が「言わんこっちゃねえや!」と呆れる。
犬はぽつんと立ち止まり、耳を低くした情けない顔で桃太郎を振り返った。桃太郎の方こそ情けない顔をしたい気持ちだった。
「お前は、俺の後ろを、ついてくるのだ! よいな、後ろだぞ!」
「分かったよう、ごめんよう」
犬は桃太郎の後ろに付き、そこそこに走ることを覚えた。桃太郎はふしゅうと鼻を鳴らして気持ちを切り替え、逃げる男を追いかける。
走っている間にも景色はわずかずつ変化していたが、桃太郎に周りを眺めて楽しむ余裕はなかった。
「待ってくれ! 噛みついたり怪我をさせたりはせぬ!」
聞こえているだろうに、男は止まってくれない。それでもだんだんと距離は縮まってきたし、男の足も鈍ってきた。じきに追いつける。
「おうい、そろそろ止まってくれぬか! ほら、犬も後ろにやっているから!」
男はちらりと振り向いたが、疲れた足を前に出すことはやめられないようだった。そして怯えきった声で言う。
「こ、こないでくれ! 食べ物なら持ってくるから!」
「なんの話だ、食い物が欲しいとは言っていない!」
「では着物か、農具か。牛と命は許してくれ! 家族もいるんだ!」
桃太郎の口はぱくりと開いたままになった。この男が逃げ出したのは犬に驚いたからではなく、桃太郎のことを賊と勘違いしたからだったのだ。
男の足が上がらなくなってくるのに合わせ、桃太郎達も走りを緩める。
男は疲れきっていて、逃げる動きは歩いているのとほとんど変わらなくなっている。そうなってさえ一歩でも離れようとする様子に、桃太郎は申し訳なくなってしまった。やっと叶った人との関わりで、相手に命乞いをさせてしまった。
桃太郎は犬と猿を手で制し、その場に止まってから落ち着いた声で言った。
「俺は桃太郎という。よそ者だが、悪い者ではないぞ。あなたを傷つけて何かを奪おうとは考えていない」
男はおそるおそる振り返り、犬や猿の動かないのをじっと見て、ようやく足を止めた。
「で、では桃太郎さん。その、お腰につけた打刀はなんなのです」
「この刀は父から受け継いだものだ。あなたは刀を持たんのか、不用心だなあ」
「この辺りでは刀を帯びている者などおりますまい。では、桃太郎さんは用心のために刀を持ってるってわけですか?」
ようやくまともなやりとりになって、桃太郎の気持ちは明るくなった。
「俺が刀を持っているわけはな、父の姿に倣うため、それのみだ」
かつて桃太郎の父は「この刀は悪いものを斬るために必要なのだ」と教えてくれた。父がこの刀を振るう様はついぞ見られなかったが、幼い頃の桃太郎は何があろうと父に守ってもらえると信じていて、安心して生きられた。そして父が死んでしまった時からは、父に倣って刀を身に着けるようになった。
少しでも家を離れるときには必ず帯刀しているものの、自分の欲を満たすために他の者を脅してもよいなどとは決して考えていない。
桃太郎は男を安心させようと笑顔を見せた。
「誓って、あなたを斬るために持っているのではない」
男は小さく唸った。
「では、後ろに従えている獣達はなんなのですか」
「怯えることはない、こいつらは俺の良き友だ」
それを聞いて、猿は「友だって?」といつもの調子で威張った。
「おれはしかたなくお前の面倒を見てやってるだけでい!」
猿が大きな声で言うと、男が驚いた顔で身を縮こまらせ、数歩下がった。
「さ、猿が威嚇していますよ!」
「おい猿、威嚇をするな」
桃太郎はすぐに振り返り猿を叱ったが、猿は不思議そうな顔で見返してくるだけだった。
「威嚇なんてしちゃいねえぞ」
「まことか? こわい顔でもしたのではないか?」
犬が猿を庇った。
「いつもどおり、真っ赤っ赤なだけの顔だぞ」
「ふむ。そうか」
桃太郎は男に向き直った。「と、いうことだ。真っ赤っ赤だが、威嚇はしていない」
男の表情は怯えを忘れ、不可思議を目の当たりにしたような困惑を滲ませていた。
「まるで、獣と話をしているかのような……」
「話をしていたのだ。聞こえていただろう?」
「じょ、冗談はよしてください」
「ん?」
桃太郎は首を傾げる。その桃太郎を見上げるは猿。
「で、その村人、なんて言ったんだ?」
「んん?」
桃太郎は更に首を傾げ、まじまじと猿を見た。
「猿よ、お前も耳が遠くなったか? 犬、教えてやってくれ」
「おれもさっぱりだ!」
犬の答えに桃太郎はあんぐりと口を開ける。男はひいと息を呑んだ。
「吠えた! 桃太郎さん、もしや獣達をけしかけようとしているのではありませんね!」
「そのようなことはせぬ! なんなのだ、お前達。な、なぜ俺を介さねば話ができんのだ」
犬は項垂れ、くうくう呻いた。
「そう言われても分からないものは分からない。なあ、こわがらないように言ってくれないか……おれはかなしくなりそうだ」
落ち着けよ、と片手を上げたのは猿だった。
「昔からおれ達と暮らしているお前と、そうでない人との違いじゃねえか?」
「むむむ」
腕を組んで考え込む桃太郎。猿を見て、犬を見て、男を見る。
なるほどこの人は猿や犬の声を聞き慣れていないため、言葉として理解できないのかもしれない。自分とて、生まれた時から話ができたはずはない。
では、いくつの頃から今のように話ができていたのだろう。思い出そうとしたが、物心のついた頃には既にとしか言いようがなかった。
「この人がお前達の言葉を聞けぬのは分かった。しかし、そうだとしてもだな――」
「桃太郎!」
突然、猿が甲高く叫び、勢い良く男の方へ飛び出した。
「猿、何を!」
桃太郎は気が動転しそうになったが、猿は腰を抜かす男に目もくれずその横を過ぎ、道の先へと猛進した。
猿の目当てはずっと遠くにあった。大きな道から別れた細道に、一所懸命に走る娘と、その背を追って走る二人の男の姿。それを見つけるやいなや桃太郎は地を蹴った。犬も桃太郎の後ろにつく。
「犬や。俺に合わせず先に行け」
「先に、どこへ行けというのだ。あ、あちらか!」
犬は事の起こっているところをいま見つけたようだった。
「そうだ。娘がこちらへ逃げてきている。猿を追って進め」
「合点!」
犬はぐんと足を速めた。桃太郎は前を睨み、刀の柄を握って手の震えを殺した。
人を襲い物を奪う賊。悪い心を持つ人だ。
山の生き物の中にも、独り占めの好きな者や弱い者いじめの好きな者はいた。だから、人にだって悪い者はいてあたりまえだ。山を下りる前に聞いた猿の忠告も、しかと胸に納めていたつもりだった。
「分かっていたことだ」
二人組の賊がこわい顔をしているのが見えて、桃太郎の胸は痛んだ。空の夕色までもが邪悪に感じられる。
山を出てから初めて人を目にしたとき、桃太郎は大いに嬉しくなった。山の外に人がいることは分かっていたにもかかわらずだ。同じように、山の外に悪い人がいることも分かっていた。そして桃太郎は、悪い人を目にした今、言いようもなく悲しくなってしまっている。
丘と畑に挟まれた道の上、逃げてくる村娘と目が合った。泣きそうな顔は助けを求めていた。その背後で伸ばされた賊の手が、娘の肩に触れかかる。
桃太郎は村娘の幼さの残る目をまっすぐ見返し、鋭く命じた。
「屈め!」
咄嗟に低められた頭の上を猿が飛び越えた。賊の片方の禿頭に猿がぶつかると、賊は驚く間もなくひっくり返った。立ち上がろうとしたところに犬が牙を見せて吠えかかると、禿頭は犬と猿に追い立てられるまま引き返すしかなくなった。
村娘はよろめきながらも走り続け、桃太郎の後ろまで進むことができた。
残されたもう一人の賊は懐刀を抜いて、桃太郎を見定めながら距離を取った。禿頭の方より若く、強そうだ。
賊は桃太郎を睨みつけた。
「そこをどきやがれ。邪魔をするなら容赦しねえぞ!」
桃太郎は強がって胸を張り、急いで刀を抜いた。
「この場を去るのはお前の方だ。俺は悪者には道を譲らぬ」
「ふん。威勢の良い割に、刀の構え方は知らねえようだな」
迫力のある嘲りの声に、桃太郎の背筋はひやりとした。まともに刀を扱ったことのないのがあっさりと見破られてしまったからだ。
桃太郎は腕が震えないように脇を締めるので精一杯だった。あとじさりをしないでいられるのは足が竦んでいるおかげだ。
賊は桃太郎を十分に観察し終え、笑った。力量を見抜いたのだろう。
誰よりも桃太郎自身が、自分の刀がなんの威力も持っていないことを感じていた。賊の手にしている短刀の、小さな刃のほうがよほどたくましい。
侮られるのは拙い構えのせいだけではない。
桃太郎は自分が立派な大人の体であると思っていたが、いま向かい合う男と比べれば明らかに背が低かった。逃げた方の賊にも、先程の村人にだって敵わない。村娘となら競えるかといったくらいだ。
目の前の賊は自信と余裕も持ち合わせている。仲間が逃げても動揺せず、笑みを浮かべて。
対する桃太郎はといえば、犬と猿が近くにいないことでひどく心細くなっていた。敵の刃が自分の体に及ぶときを思えば、足の感覚は一層遠のいた。
賊は見透かしたかのように言う。
「どけよ。痛い目を見たくはねえだろう」
静かな脅し。桃太郎は心でまでも負けかけた。しかしそのまま負けることは桃太郎自身が許さなかった。
己の背後に耳を澄ませば、疲れきった力ない足音が聞こえる。自分が男を遮らねば、この娘が逃げられない。
ふうう、と桃太郎は鼻を鳴らした。
鼻から空気を追い出して、口からいっぱいに蓄える。体が膨らみそうなくらいに。
「俺の名は、桃太郎!」
桃太郎は声を張り上げた。踏ん張りを忘れた足と、怯えそうな心を叱咤するためだった。
「俺は! 一人前の、桃太郎だ!」
それは叫びに違いなかった。腹の底から声を打ち出した。
腕の震えはいくらか治まった。しかし四肢の力を取り戻すには至らず、ものを考える落ち着きも得られない。
それでも強がらなければならない。桃太郎は呼吸を整える。
弱くても、弱々しくはありたくなかった。
「お前などこわくない」
桃太郎は己の口元に笑みを強いた。
賊は気に入らなそうに顔を歪め、見せつけるように短刀を突き出した。
「そこまで言われちゃあ引き下がってやれねえ! 死んでも恨むな!」
敵意が桃太郎に突き刺さる。迫りくる賊を前にして、やはり桃太郎の足は動いてくれなかった。
技もなく刀を振りかぶれども、賊は怯まない。見切られているのは明らかだったが、桃太郎はまっすぐに振り下ろすほかの動きを思いつけない。
そうするしかない、それで当たるかもしれないのだから。ところが、そののぞみもすぐに消えてしまう。
賊がふと体を横へずらした。それだけで桃太郎は何も分からなくなった。
どこを見ればよいのか、何を聞けばよいのか、どう動けばよいのか。桃太郎は刀を振り下ろすことも忘れて固まってしまった。
けーん、と、鳥の鳴き声が聞こえた気がした。
なんと言ったのだろう。いや、それどころではない。
桃太郎は我に返って敵を見なおした。賊は短刀を逆手に持っている。ふところに入るつもりか、そうさせてはならない。
距離を取らねばならない。ふところに入られてはならない。そのためには体をどう動かせばよいのだろうか。
――ああ、間に合わぬ。
あと一歩の距離。
鳥の鳴き声が、今度は頭の真上の空で響いた。
「助太刀いたす!」
声とほぼ同時、桃太郎の鼻先を大きな影が横切った。
桃太郎はひどく驚きよろめいて、派手に尻もちをつく羽目になった。しかしその衝撃のおかげで、遠のいていた五感と力がたちまち呼び戻される。
しっかりはたらくようになった耳は賊の焦った声を聞き取った。
「なんだ、この鳥! ちくしょう!」
見ると、顔の赤い大きな鳥がばさばさと賊の頭に取り付いていた。それは見知らぬ雉だった。
雉は、けっけ、こっこと怒鳴りながら賊の顔を繰り返し叩く。
「女子供を襲うなど! 卑劣極まりなし! 成敗!」
賊はやかましそうに腕を振り回していたが、我慢ならない様子になって短刀を握り直した。
桃太郎は素早くしゃがみこんで蛙の如く地に両手を付け、片足を伸ばして振り抜いた。地を這う蹴りが賊の足を払う。
見事。雉はそう言い残して空へ浮かび上がった。
賊の身体は傾き、仰向けで丘の斜面へ引き寄せられていく。倒れかけの賊の目が桃太郎の姿を探しているのがよく見えた。
桃太郎は刀を手放した。低い姿勢から前に跳ね、賊の横腹へぶつかりにいく。
すっかり冴えた頭と体は、ついぞ味わったことのないほどによくはたらいた。その集中は、不意に飛んできた短刀を見切り、避けようと思う前に避けることさえ可能にした。
だが、賊の体術は桃太郎の野性に勝るものだった。
桃太郎の視界がぶれ、身体がぐありと浮く。夕空と雉の腹を見ているうちに、桃太郎は腰から地に落ちた。
歯を食いしばって横へ転がり、起き上がろうと肘を突く。桃太郎の顔の前に雉が舞い降りた。
「桃太郎殿。奴は逃げていきました」
見回すと、道の脇の丘に誰かの駆け上がった跡が見えた。立ち上がってその先を見ると、丘を越え走る賊の後ろ姿があった。それを追いながら吠える白い犬の姿も。
桃太郎はしばらく目を凝らしたあと、力が抜けて、ふらふらと地面に座り込んだ。雉が顔を覗き込んできたため、心配無用と微笑む。
「雉よ、お前のおかげで助かった」
「私は桃太郎殿の気迫に引き寄せられたのでございます。まったく、勇姿でありました」
雉はじわじわと羽を広げた。興奮しているようだった。「かのたくましい名乗り! 私の心は震えましたぞ!」
「う、うむ。俺は立派な男だからな。人のためなれば、あのくらい」
そう言って振り返ると、そこには桃太郎が話しかけたあの村人がいて、村娘を抱き締めていた。
村人は深い安堵の息を吐いてから、心配しきりの顔で村娘の体を気遣った。
「何をやってんだ。子供が一人でふらつくような時間じゃねえだろう」
村娘は震える声で答える。
「おっとうを、迎えに来ようと思って……ごめんなさい」
「ううむ……痛いところはねえのか?」
「うん」
怪我をしなかったと聞いて、桃太郎も安心した。雉も嬉しそうに親子の様子を眺めていた。
「子を思う親の情、美しくありますな! しばらくは好きにさせてやりましょう」
それがよい、と桃太郎は頷いた。そのとき、遠くからする悲鳴じみた猿の呼び声が耳に届いた。
雉が飛んで逃げたのはよいとして、村娘が猿の声に震え上がってしまったことに桃太郎は慌てた。
「娘よ、違うのだ。あの猿は俺の友でな、あれは威嚇ではなく……」
その間にも猿は大声を絶えず発し続けて、あっというまに近くまできて桃太郎に飛びついた。
「桃太郎、桃太郎! 桃太郎! ももたろうー!」
「猿、うるさいぞ……」
猿は桃太郎の周りをぐるぐる回りはじめ、桃太郎の身体のあちこちをぺたぺたと触った。
「お前が投げ飛ばされるのが見えたぞ! 痛かったろう!」
「怪我もしなかったし、平気だ。心配をかけてすまなかった」
「砂まみれだ! 投げられ蹴られしたんだな!」
「投げ飛ばされたきりだ。傷も無いと言っているだろう」
「刀も叩き落とされているじゃねえか! おい桃太郎、どこに傷を隠していやがる!」
「刀はとても使いこなせないので置いたのだ! 見てのとおりで俺は無傷だ!」
「なあんでこわい人だって分かってんのに逃げなかったんだ! このあほう!」
「うるさーい!」
桃太郎は猿の顔を手のひらで覆って黙らせた。
「そも、人が襲われているところを教えてくれたのはお前ではないか!」
びたと動きを止めた猿は、桃太郎の手のひらの下からくぐもった声で答えた。
「そこはおれの賢くなかったところだ。あの禿を追い払っている半ばにようやく、お前をひとりにしちまったと気付いたんでい」
「こうして無事でいるのだから、良しとしようではないか。もう騒ぐでないぞ!」
桃太郎はぺとりと猿を置いた。次に自分の腰元を探る。
「うむ。無事だ」桃太郎は丘を見やって笑う。「きび団子は無事だぞ」
そちらでは犬が這いつくばって、桃太郎に元気のない顔を向けていた。
犬は静かに言った。
「桃太郎さんが無事なら、団子はどうでも構わない」
桃太郎は返事ができなかった。少し黙ってしまったが、あのときの心細さとこわさを思い出してしまう前に、ひょいと腰を上げる。
「よし、団子をやろう。ねぎらいだ」
「おれのきび団子!」
「おれのでい!」
一番に飛びかかってきたのは犬だったが、先に団子を手にしたのは猿だった。桃太郎の手が二つ目を取り出して、ようやく犬は団子を口にできた。
場が落ち着いたのを見て、雉が桃太郎の前に戻ってきた。
「雉、お前も団子を食うか。これは黍をよくこねて作るものでな、まずいと言う者はいないのだ」
手のひらに乗せた団子を顔の前にやると、雉は興味深そうにちょんと啄んだ。口に含んだ分を味わって飲み込み、もう一度啄む。
「美味いか?」
桃太郎が尋ねると、雉は顔を上げて目を輝かせた。そしてけたたましい歓声を上げ、はなはだしい速さで団子をつつきはじめた。
あまりの勢いにのけぞりかけた桃太郎だったが、団子が気に入られたことは嬉しく思った。
見る間に小さくなる団子を見ていると、村人が静かに寄ってきた。
「その雉は、なんて言ったんです?」
「うむ……む、む、無上の幸せ! と、このような感じだ」
「へえ。私には、こ、こ、こけこー、としか聞こえないんですよ」
「俺にだって、こ、こ、こけこー! としか聞こえなかった。だが言っている意味は分かるから、人の言葉にも直せるのだ」
「不思議なもんです……」
手の上の団子が無くなり、桃太郎は改めて村人と向き合った。村娘は父の背に半分隠れ、俯いている。またも刀のせいでこわがられているのだろうかと不安になったが、桃太郎は気にしていないふりをした。
「先程は驚かせてしまってすまなかった。その娘が無事で何よりだ」
村娘は下を向いたままではあったが、桃太郎に対して深く頭を下げた。そして、娘の父はこの上ないと思えるくらいに深々と腰を折った。
「頭を下げるだけでは足りません。どうやって恩に報いればいいのやら!」
「そういうことならば、ほとんどはこいつらの力だ」
「獣らにも鳥にもです。不足ない馳走をしたいものですが、せいぜい腹いっぱいにしてさしあげるくらいしか……」
桃太郎の背筋がぴんと伸びた。驚きと喜びが、頭の中できらびやかな光となって瞬いた。
「ま、招いてくれると言うのか? 村に? あなたの家に?」
「もちろんです」
「犬達も?」
「ええ。猿も雉も、御一行で」
「わあ!」
桃太郎は喜びに両手を上げかけたが、ぶるぶると頭を振ってそれを堪えた。頭の中が光で満ちているのを悟られないように、頼もしく笑う。
「……うむ、それは嬉しい。その娘もそうしてよいと言うのなら」
村娘はちらりと桃太郎を見て、小さな声で言ってくれた。
「ぜひ、いらしてください」
桃太郎は強く目を瞑って幸運を噛み締めた。
「では、世話になろう……!」
握ったこぶしを犬の鼻が突いた。
「村に行けるのか?」
「お猿もだよな?」
「鳥風情が恩賞をいただけるので?」
上目に見上げる犬達に、桃太郎は満面の笑みを見せた。
「腹いっぱいにしてくれるそうだ」
桃太郎達は意気揚々と歩き出した。
道を進む中に見えるものを、桃太郎は気になる度に村娘や娘の父に尋ね続けた。
物置小屋や農具、田畑とそこで育てられている作物。田畑の土の柔らかいこと、土の元気を保つために農作に決まりのあること。
中でも桃太郎が喜んだのは、田の水を川から引いているという話を聞いたときだ。川は山から流れてくるもの。桃太郎の家の近くにある川は、実際に山の外へと繋がっていたのだ。
雉もいくらか作物について知っているようで、あれが美味いとかこれが腹にたまるとか、しきりに桃太郎の気を引きたがった。いずれも興味深い話ではあったが、雉の調子が乗って早口になるとしばしば聞こえにくい。そこでお喋りな雉を腕に抱えてやることにしてみたら、ようやく気楽に話を聞いてやれるようになった。ただ、多少暑苦しいのには我慢がいった。
「やい、犬。これから家に上げてもらうというのに、土まみれになってはいかん」
畑に引き寄せられていく犬に言うと、犬は慌てて道の真ん中へ戻る。
すると、村娘が思い切った様子で尋ねてきた。
「その……犬に命令を覚えさせているのではなくて、言葉が全て通じているのですか?」
「まさしくそうだ。そして、なぜお前達の言葉がこいつらに伝わらんのかが不思議だ」
猿が口を出した。
「だから、お前はおれ達の言葉を聞いて育ってきたからってだけだろう?」
桃太郎は首を縦に振って、次に横に振った。
「人は猿の言葉に慣れていないから伝わらぬ。それは分かったぞ。しかし、お前は人の言葉に慣れているはずであるのに、俺の声でなければ伝わらぬ。俺の声は他の人と何か違うのだろうか?」
「むむ。そういえば爺ちゃん猿が、はっきりと意思の通じる人は桃太郎が初めてだと言っていたかな」
猿の話に雉が同意した。
「この雉、長く村のかたわらで生きておりますが、人と話が成ったのは桃太郎殿だけでございます。しかし人と雉の共存は長きに渡り、深い絆で結ばれておりますゆえ私の先祖より伝わりますは善き人を敬い支えよと――」
そこまで言って、雉はきゅうと黙った。前を行っていた村娘の父が話しだしたからだ。
「同じ言葉でも分かる相手と分からん相手がいるというのは、覚えがありますなあ」
「というと?」
「たとえば赤ん坊の言葉はさっぱり聞き取れんものですが、自分の子のそれだけはなんとなく分かっちまうんですよ」と、村娘の頭に触れる。「私が話しかけてもきょとんとするくせして、女房が同じことを言うとあっさり聞き入れるようなこともあった。赤ん坊からすると、おっとうよりおっかあのようですな」
「ほう。そういうこともあるのか」
桃太郎の興味は赤ん坊という言葉に引かれた。人の赤子は会ってみたいと思っていた人の一人だ。
どのような姿をしているだろう。猿の赤子は小さくて細くて小枝みたいだ。鳥も痩せっぽちで、ぼさぼさで、生まれたばかりでは骨と皮だけに近い形をしている。犬の赤子は見たことがない。いま肥の臭さに呻いている犬の小さい頃は、横顔がもっと短く、体はぽってりと太って見えていた。
「村に赤子はいるのか?」
「ええ、生まれたばかりのかわいらしいのがいますよ」
ほう、と桃太郎は嬉しくなった。
「では、三十や四十の歳の者は?」
「私が四十に近いですよ」
「おお……では、俺と同じくらいの者もいそうだな?」
村娘がふと顔を上げた。桃太郎が目を合わせると、狼狽えた風に目を逸らす。まだ怯えられているようだな、と桃太郎は思った。
「この子は十四ですよ。同じくらいでは?」
そう娘の父は答えた。
「同じだ」桃太郎は顔を伏せる村娘をまじまじと見る。「まだ子供かと思っていた」
「ははは、十四は子供でしょう」
「十四は子供? つまり、俺は、子供?」
桃太郎はただただ驚いた。自分はこれほどまでに一人前の男なのに?
犬が桃太郎の気も知らずに言い放つ。
「ふうむ。桃太郎さんは子供だったのか」
「そう、らしい」
肩を落とす桃太郎と反対に、犬は誇らしげに鼻先を高くした。
「子供でも一人前であるとは、桃太郎さんはほんにこよなき人ぞ!」
「あ、そうか。子供であり一人前、そういうことか!」
桃太郎の肩はすっかり元通りになった。そこで、村娘がこっそり笑っているのに気付く。
「何を笑っている?」
「あ、あなたを笑うなんてしていません」
「俺をではない。何かおかしいものを見たのかと思って――もしや、俺を笑ったのか?」
村娘はまんまるの目でしばし桃太郎を見つめ、「あ」と声をこぼした。
「い、いえ。私は笑っていません」
そんなことを笑いながら言うので、桃太郎は敵わない気持ちになって問いただすのを諦めた。
父も母も、桃太郎が良い気分でいると笑いだして、何がおかしいかを尋ねると「おかしくはないさ」とまた笑ったものだ。幼き日、走るのも跳ねるのも覚束なかった頃の記憶だ。
遠い昔の記憶となった父母の微笑みは、いつもよりはっきりと思い出された。




