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第十話:一人前の桃太郎 終章:むかしばなし 桃太郎と澄んだ空

 「父上!」

 桃太郎が屋根の上から大きな声を出すと、桃太郎の父は肩をびっくりさせて、振り返って上を見上げた。

 「また高いところに登りおって」

 「父上より背が大きくなったのだぞ」

 桃太郎はけらけらと笑い、小さな足を踏ん張って、より高いところへ登る。

 いつもは慌てて桃太郎を下ろそうとする父が、今日は静かだ。

 少し戻って屋根の下を見ると、父はにこにこと笑って桃太郎を見守っていた。


 「桃太郎や。随分と軽く登れるようになったなあ」

 「うむ。大きくなったから。梯子を隠したって、近くの木から登れるのだからな」

 「そうだな。大きくなった」

 「大きくなった?」

 「なったとも」


 桃太郎はじわじわと笑顔になった。

 いつもはまだ小さいから高いところはだめだと怒る父が、今日は大きくなったと認めてくれた。

 今日はいつもと何かが違う。

 桃太郎はふふふと笑った。どうやら自分は、昨日よりだいぶ背が伸びたようだ。


 父を呼び、自分がどのように屋根に登ったかを教えてやりながら地面へ降りる。

 父の大きな手が頭に乗せられる。同じところに立つと、やはり頭の高さは父の方がずっと高くなる。

 だが、抱き上げられれば同じ高さだ。

 父は笑う。

 「もうすぐ暗くなる。今日は三人で寝よう」

 「寝よう!」

 桃太郎は元気に答え、父の腕に抱えられたままで小屋に戻った。


 父の手で寝床に寝かされながら、桃太郎は母を呼んだ。

 「父上がな、大きくなったと認めてくれたのだ」

 母は笑って頷いた。

 「あなたは大きくなりましたよ」

 桃太郎は声を漏らして笑ったあと、父の手を逃れて立ち上がった。

 「大きくなった?」

 母の前で両手を広げる。母も父も笑った。

 「大きくなりました」

 「では、立派な大人になる日も近いだろうか?」

 「もちろん。いつか必ずそうなりますよ」

 「いつかとは、いつだろう? 俺は早く父上のようになりたい。あと何年かかるのだ?」

 首を傾げて尋ねると、母はそっと桃太郎の手を引いて、優しく抱き寄せた。


 「いつか、一人前の人になります。急ぐことはありません」

 いつもは温かいばかりの声が、今日はなぜだかさびしげだ。

 「あなたは立派な大人になります。けれど今はまだ、子供でいてよいのです」


 今日は、いろいろなことがいつもと違う。

 桃太郎の小さな手が、母の着物を握り締めた。



 けーん、けーんと、雉の声がした。男達のざわめく声が桃太郎を囲んでいる。顔に、ひりひりとした痛みがあった。

 ゆっくりと瞼を開いた桃太郎は、高く澄む夕空と、柔らかそうな雲を見た。

 肌に張り付いている着物は冷たく、重い。体も頭も濡れている。何枚も被せられている布のおかげか、体は冷え切ってはいなかった。


 周りで、わ、と歓びの声が上がった。

 「起きた、起きたぞ」

 「怪我はありませんか、苦しくはありませんか」

 小さな傷は痛むが、苦しくはない。桃太郎はそう答えようとしたが、犬の大きな吠え声に驚いてつい言葉を呑み込んでしまった。

 顔を横向けると、白い犬が声を裏返しながらきゃんきゃんと叫び、尻尾を抜けそうなくらいに振り回して飛び跳ねていた。桃太郎に飛びかかって尻尾を振り、また遠ざかって吠え、ぐるりと回ってまた飛びかかってくる。

 村の男が「犬が火口に飛び込んであんたを助けたんだ」と教えてくれる。


 やかましく飛び跳ねる犬に、桃太郎は困った顔で喜んだ。

 「犬よ、俺は無事だ。お前のおかげだ。だから少し落ち着け」

 きい、と猿の鳴き声。桃太郎が頭を浮かせて探すと、腹の上に猿が飛び乗ってきた。

 「うう、猿よ、驚いたではないか。お前も元気だな、よかったよかった」

 猿は意地悪な顔をして、うきゃきゃと笑う。

 猿の前、桃太郎の胸の上に舞い降りてきたのは雉だ。雉は勇ましく、こうこうと鳴く。

 桃太郎はゆっくりと手を上げて雉を触ってやった。

 「雉よ。お前は言ったとおりに鬼の目を潰したな。見事であったぞ」

 桃太郎はここで、自分の寝ているところが火口のふちであることに気が付いた。猿と雉をどかして体を起こすと、火口の中が少し覗けた。そして桃太郎は目を見張る。

 光をも呑み込む黒であった邪気の沼は、一面が澄んだ水の溜まりになっていた。


 村人が言う。

 「桃太郎さんが大鬼と共に火口に消えてしまったあとのことです。わきのぼっていた邪気が途切れたかと思うと、中からまばゆい光が溢れ出したのです」

 「なんと!」

 桃太郎は驚き、かたわらの雉に目を向けた。

 「雉よ、お前は上から見ていただろう。どのように光りだしたのだ?」

 雉は軽やかに、けーんと鳴いた。ただ、鳴いた。

 桃太郎は困ってしまった。

 「おい、けーんではないぞ。教えてほしいと言っているのに」

 しかし、雉はもうひと鳴き、こけっと鳴いて、黙ってしまった。

 桃太郎は猿を見た。猿はうきいと鳴いた。

 「うきいではないぞ」

 困り果てて犬を見た。犬はまだやかましく騒いで走り回っている。

 「犬よ、犬。おい、犬!」

 犬はようやく跳ねるのをやめて振り向き、桃太郎を見て、わんと吠えた。

 桃太郎はひどくさびしくなってしまった。


 「そうだ。きび団子をやろう。犬は桃の種だったな」

 そう言って巾着袋を開いたが、すっかり水に浸かった団子は見るも無残に崩れてしまっていた。黒かったときの沼にも浸かったと思うと、もう口に入れられるものには見えない。

 桃太郎は袋の中に、萎びて小さくなった桃の種を見つけた。かつての艶は消え失せ、石のように固くなっていて、香りも無い。

 この種は大きな役目を果たしたのだと、桃太郎には思えた。


 「すまぬ。このようなことになってしまった」

 犬に萎びた種を見せてみると、犬はあからさまに落ち込んで尻尾をぺたりと地に付けた。

 くうん。情けなく声を漏らす犬に桃太郎は言った。

 「やい、犬。いまのも、お前はただ鳴いただけだろう。意味のあることを言っておらんだろう。雉、お前も困ったやつだ。猿、お前も意地悪なやつだ」

 みな、きょとんとして桃太郎を見つめていた。村の男達もきょとんとしていた。


 桃太郎はきょろきょろと周りを見渡したあと、光りそうなほど、にかっと笑った。

 「俺達は仲間だろう。意地悪はやめて、共に喜ぼう。やったー!」

 大きな声で喜びはじめると、犬と猿と雉も楽しげにはしゃぎだした。

 「村の者達もだ! よく鬼と戦った。やったー!」

 桃太郎はあぐらをかいて、両腕を高く突き上げた。

 男達も笑顔になり、互いを称え喜び合いだした。

 桃太郎も力いっぱい喜んだ。

 「わーい! わーい!」

 犬、猿、雉も高く鳴き、飛んだり跳ねたりして喜んだ。

 「俺もよく戦った! 流石は一人前の桃太郎だ!」

 桃太郎は嬉しかった。誇らしかった。


 そして、なんとなく分かってきた。きっと、清らかな桃の種が黒の沼を澄ませ、邪気を晴らし、桃太郎に混じっていたものも消してくれたのだ。

 いまや自分は村の者達と同じである。村娘の母を苦しませることも、村娘に辛い顔をさせることもない。鬼と似た邪気は、もうこの身には無いのだ。鬼と同じ、人とも獣とも言葉が通じる力は、もう無いのだ。


 「わーい! 嬉しいぞ!」

 桃太郎は嬉しく、誇らしく、さびしかった。笑顔でいるのが大変になった。両手を頬に添えて口の端を持ち上げ、笑顔を保った。

 雉がころころと喉を鳴らして足の上に止まり、そっと寄り添った。

 犬は桃太郎にもたれかかって、桃太郎の胸に頭をこすりつけた。

 猿は目を和らげて桃太郎の顔に手をやり、濡れた頬を優しく拭った。


 「わあー! うわーん!」


 桃太郎は涙が止まらなくなってしまった。

 犬をかき抱いて、大声で泣いた。


 「さびしいよう! いやだよう! お前達、俺と話をしてくれよう!」


 大きな涙の粒が次々に出てきて、猿の温かい手をたくさん濡らしてしまった。

 喜び合っていた男達は、桃太郎の泣き声に驚いて静まった。それから、誰からともなく桃太郎のそばに寄ってきた。

 ある者はいたわるように背を撫で、ある者は桃太郎の喚き声に何度も頷いた。


 桃太郎は、誰が見ても一人前であった。誰もが強く優しい桃太郎を認めていた。


 猿は桃太郎にしがみついて、きいきいとか弱く鳴いた。雉はくるくると喉を震わせて、犬は細く高い声で長く鳴いた。

 桃太郎は叫ぶように泣いていた。我慢のできない子供のように泣いていた。


 一人前の桃太郎は、強く優しい、ひとりの子供であった。



 *



 むかしむかしある小さな村に、桃太郎という若い男が暮らしていました。


 村は明るい空の下にあり、豊かな山、清らかな川、明るくきらめく海を持つ、穏やかで美しいところでした。


 桃太郎は心優しく力持ちで、村で一番の人気者であるばかりか、隣の村でも有名で、みなに頼りにされていました。

 一番の働き者でもあり、畑仕事や漁の他に、白い犬と共に子供達と遊んでやったり、雉と共に見回りをしたりもしていました。


 ある日、桃太郎は妻とその父母に家のことを任せ、桃の畑の様子を見に山を登りました。もう、桃の熟す季節なのです。


 猿の群れや森の生き物達が、桃太郎を大喜びで迎えてくれます。

 桃太郎は猿達と共に桃の手入れをして、手伝ってくれた者達にきび団子を食べさせてやりました。


 それから桃太郎は、暗くなるまで遊びの相手をしてやりました。桃太郎についてきていた犬と、雉と、六つになったばかりの子供も一緒になって、楽しく走り回りました。


 日が暮れて夜になり、桃太郎は眠たげな子供を抱き上げて、山の中にある小屋へ向かって歩きました。

 子を抱える腕は疲れていましたが、愛する子の重さなら、なんということはありません。


 「おっとう。あれはなに?」


 子供は頭上の高くを指して、眠そうな声で言いました。

 見上げた夜空の中で、いくつもの小さな粒が光っています。


 桃太郎は微笑んで答えました。


 「あれは、星だ」


 星が見えるのは、幸せなことだ。


 子供は寝息を立てていました。

 桃太郎は子を優しく抱き締めて、しばらくの間、澄んだ夜空を見つめていました。


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