ロングブーツをはいた猫
夕日が沈んでいく学校帰り。俺は緑の豊かな公園へ自転車で寄り道したのだが、なんとロングブーツをはいた猫が直立歩行で近づいてきたではないか。
「そこの人間。我にカリカリを買いあたえよ」
なんで猫が渋い声で喋るんだ? もしかして夢でも見ているんだろうか? それとも昼休みのお弁当に誰か幻覚剤でも混ぜたのか?
なんせによ、こんな危ない猫と関わったら人生が狂うかもしれない。さっさと逃げよう。
しゃーっとペダルをこいで、ロングブーツをはいた猫から遠ざかっていくと、背中から声が聞こえた。
「なぜ逃げる? こんな愛らしい猫が餌を懇願しているのだぞ」
なんとロングブーツをはいた猫は、いつのまにか自転車の荷台に腰掛けていた。
いくら化け猫といえど走行中に振り落としたら動物虐待になるから、渋々と公園の出口付近で自転車を停めて、会話に応じてやることにした。
「普通に考えたら、猫がしゃべるってヤバイだろ?」
「いいや、お前の常識が歪んでいるだけで世間の猫は人間の言葉を喋るのが普通だ」
「うそだー」
「だったらなんで君は我と会話が成立しているのだ?」
「幻覚だよ、幻覚。ここんところマジで忙しかったから、疲れきってんのさ」
忙しかったのは本当だ。今週末に学園祭があるから、所属している軽音楽部の練習や機材の搬入などでてんてこ舞いなのだ。
「その答えには少し嘘が混じっているな。君は軽音楽部で喧嘩をしただろう。それが疲れの大本の原因だ」
なんで初対面の化け猫が、こちらの事情を知っているんだろうか。
実は先日、バンドメンバーと些細なことから喧嘩してしまった。
俺はオリジナル曲だけでやりかたった。
でもバンドメンバーの一人が『それじゃあ、お客さんが冷めるかもしれないから、コピーもやろうぜ』と主張してきた。
これってヘンだろ? 俺たちが本気で作ったオリジナル曲なんだから、客が冷めること前提にセットリスト作るなんてバカげてる。演奏に全力を尽くして客を盛り上げてナンボだろって。
だがバンドメンバーは『お客さんが知らない曲を楽しめるかどうかなんてわからないだろ』と反論してきた。
ここからは思い出したくないぐらいの口論になって、すっかりバンドは空中分解を起こしてしまった。
こうなってしまうと、本番の打ち合わせをするにも空気が重くなってしまい、機材の搬入をするにもチームワークがガタガタになっていた。
このままじゃ、学園祭当日も演奏を失敗するかもしれない。
それは誰も望んでいないことだから、さっさと仲直りすればいいのだが、バンドマンのプライドなんて石より固いから、難航しているというわけだ。
「っていうか、化け猫が俺の悩みを知っていたとして、なんでカリカリを買わせようってんだよ」
「カリカリを食わせてくれるなら、その悩みを解決してやろうというのさ」
「うさんくせー」
「信じる信じないは、お前次第だ」
信じるか、信じないか、この化け猫を。
とっくに夕日は沈んで暗闇が公園を満たし、ロングブーツをはいた猫のエメラルドグリーンの瞳が妖しく光っていた。まるで公園と道路の境目が、空想と現実の境界線のように思えてくる。
だが空想に賭けるのも悪くないだろう。
出たとこ勝負。それがバンドマンだ。
俺は近くのコンビニでカリカリを購入すると、ロングブーツをはいた猫へ与えた。
すると化け猫は、ちらっとコンビニの自販機へ目を向けた。
「美味、実に美味だ。そう思わないか、そこの御仁も」
そこの御仁――なんと喧嘩したバンドメンバー、中村が自販機の裏に隠れていた。
「……三杉、なんでお前がその猫と会ってんだよ。今日もオレがカリカリ食べさせる約束だったのに」
中村はベースを弾くように金髪の前髪をイジりながら、ツンっとそっぽを向いた。そのゴツイ手には、カリカリの袋。どうやらずっとここで待っていたらしい。
だから俺は、ロングブーツをはいた猫の頭をポンポン叩いた。
「なんだよ中村と仲良くなってから俺のところへきたのか?」
「中村くんは良いやつだよ。君と違って我を疑うことなくカリカリを食べさせてくれたからね」
「ちぇっ。中村は金髪のくせにお人よしだからな」
俺と中村は目をあわせられなかった。
なんだかんだ高校入学してから、ずっと同じバンドで活動してきた仲だから、相手の気持ちはわかっていた。
本当は二人とも仲直りしたいのだ。
でも、バンドマンにとって信念を曲げることは魂を否定されるようなものだから、意地になってしまう。
そうやって無言でいると、コンビニ前の暗い道路を何台もの自動車が走り抜けて、ヘッドライトの光が猫のロングブーツを照らしていた。
するとカリカリを食べ終わった猫が、ロングブーツを脱いだ。
ぷぅーんっと獣臭さと汗臭さが広がって、俺と中村はゴホゴホむせた。
「なんだこりゃ!」
「臭すぎる!」
そうやって同じ話題ができたから、ぽりぽりと鼻の頭をかきながら、中村に話しかけた。
「なんでこんな臭いんだろうな、こいつのロングブーツ」
「野良猫やってると、風呂入れないんじゃないか」
「本人に聞いてみようぜ。おい猫、なんで臭い……」
なんと猫の姿は消えていた。
もしや化かされていたかと思ったが、脱ぎすぎてられたロングブーツから、ぷぅーんっと例の獣臭さが漏れているあたり、すべては現実だったのだ。
「なぁ中村。どうする? あの猫いなくなっちまったぜ」
「とりあえず……セットリストを考え直そうぜ」
「ああ、そうだな。それがいい」
こうして俺と中村は夜通しセットリストを練った。頭だけで考えてもしょうがないから、地元の練習スタジオへいって、オリジナル曲を店員に聴いてもらって、冷めるか冷めないか感想をいってもらった。
その結果だが『悪くないんだが、やっぱ素人だからリスク高すぎ』である。
だから俺たちはセットリストを二つ作った。
一発目の曲でオリジナルを演奏して、そこで冷めたらコピーを混ぜる。
もし熱い会場になるようなら、オリジナルだけでやる。
こうして俺たちのバンドは、見事復活した。
だがあの化け猫は、どうして俺と中村が仲直りするきっかけを作ってくれたんだろうか?
その答えは、学園祭当日でわかった。
俺と中村の所属するバンドの出番がやってきて、体育館ステージで演奏しようとしたら、あの化け猫が入り口からチラっと顔を出したのだ。
なんてことはない、あいつはオリジナル曲が最高のコンディションで演奏されることを楽しみにしていたのである。