空想を打ち破る現実
その光景は、望遠カメラで二機を見ていた心視と、高い視力を持った志度にも、はっきりと見えてしまった。Tk-11の白い胴体の、左脇から背後に向けて、太い腕が突き出ている。あの位置はコクピットブロックだ。それはつまり、
「比乃!」
志度がTk-7のコクピット内に向けて名前を呼ぶが、通信機から応答はない。嫌な想像をしてしまって、志度が唇を噛む。その下で、心視は声すら出せなかった。敵に対する怒りよりも、大切な人を、比乃を失ってしまったという事実が、深い悲しみを抱かせた。
操縦桿を掴んだ手が、無茶苦茶に動いて痙攣している。強ばった表情の瞳は、直視したくない現実から逃れようと揺れるが、大破したTk-11から目を離せない。
「ひ、の……」
名前を呟く。白い機体の肩越しに、敵機の頭部がこちらを向く。短筒を自分に指向しているTk-7に気付いたらしい。まずい。まずい。まずい。早く撃たなければ。なのに、震える指はトリガーを引けない。
撃たなければ、比乃が己の命を犠牲にして作ってくれたチャンスが、無駄になってしまう。だというのに、指はがたがたと震えて力が入らない。ここまでなのか、心視が諦めて、敵が動く。自分たちにとどめを刺そうと、白い亡骸を放り捨てようとして、
そのとき、再度、動きがあった。
『……うおああぁぁぁぁ!』
雄叫びだった。Tk-11からの通信越しのそれは、心視に正気を取り戻させた。
瀕死の白い機体が、Tk-11が、神罰を与える者が、息を吹き返したように自分の脇腹を貫いているギャラルホルンの右腕を脇で挟み込み、右のほとんど機能していないはずの、潰れかけたマニピュレータで相手の左腕を掴む。脚を相手の脚に引っ掛けて、まるでダンスのように、ぐるりと心視たちの方へと、蒼い鎧の背面を向けさせた。
『心視、撃てぇ!!』
比乃の叫び、それを聞いただけで、心視の震えが止まった。己の使命を思い出したかのように、指が、思考が、機体が、スムーズに動く。黒い瞳が、レティクルに拡大望遠された敵機を捉える。もう顔に先ほどまでの強ばりはない。
呼吸を止めて、集中。志度のTk-7改二は、先ほどまでのエラーが嘘だったかのように、ズレを解消していた。機士が念じ、機体が応える。AMWのシステムにおける基本中の基本が、真っ当に、正常に動作した。
短筒が火を噴く。四点射。早撃ちの領域に達した連射。日本技本が産み出した傑作拳銃から放たれた弾丸は、射撃手の意図した通りに薄緑色の弾道を描いた。狙った通りの箇所へ的確に、必殺の光粒子弾頭を命中させる。
右肘、右膝、左肘、左膝。装甲から露出し、幾度と攻撃を受けて損傷していたギャラルホルンのアクチュエーターを、それぞれの弾丸が撃ち貫き、穿ち、破壊し、断裂させた。
あれほどまでに凶悪な力を発揮した、異界と地球の混ざり物は、短い断末魔をあげて、達磨と化した胴体を、床に転がした。頭部が、そんな馬鹿なと言いたげに左右に動く。その首筋に、Tk-11が足裏の鉄杭を叩き込むと、遂に、動かなくなった。
ヘイムダルが吹くべき凶笛は、もう二度と、ラグナロクを呼ぶ音色を奏でることはない。
「勝った……?」
「そうみたい、だな」
敵機を撃破した実感がまだ湧かない二人の前で、Tk-11が数歩後退ったかと思うと、がくりと膝を着いて脱力した。俯いた白い巨人は、力尽きたように動かない。
「そ、そうだ比乃が!」
「助け、ないと……!」
二人は急いでTk-7から降りて、膝を着いたTK-11の足下に駆け寄る。
近づいて見れば、機体は酷い有様だった。両手は使用不能になり、胴体の左脇が抉れ潰れている。コクピットブロックにまで損傷が及んでいるのは明らかだった。その上、全体的にどこの装甲も、打撃戦の影響で、今にも脱落してしまいそうだ。
そんな惨状の機体だったが、その頭部。ヒロイックなデザインに双眼を持った顔は、どこか、誇らしさを浮かべているように心視と志度の目には映った。
「……比乃の力になってくれて、ありがとう」
心視は小さく呟いて、志度と共に胴体の前面まで登る。歪みきった非常用ハッチをこじ開けようと、手を入れて引っ張る。相当のガタが来ていたのか、Tk-7の装甲をこじ開けるよりも簡単に開いた。剥がした装甲板が床に落ちて、甲高い音をたてる。
急いで中を覗き込んだ二人は、息を呑んだ。
座席の上で、比乃は力なく俯いていた。HMDは衝撃で取れたのか、すぐ脇に転がっている。意識があるのかも定かではない。両足の義足は機材で押し潰されて粉々になっていた。そして、左腕が、義足同様に押し寄せていた機材や装甲の破片に隠れて、見えなくなっていた。四肢で唯一、無事と言えるのは、右腕くらいだ。
「救難要請……くそっ、長距離無線は使えないんだった!」
「Tk-7まで運んで……歩いて上まで登るしか、ない……」
「とにかくこれどかして、止血しないと!」
ともかく比乃を救い出さなければならない。Tk-7に搭載されている緊急セットを取りに行こうと二人がTk-11の外部に出た。そこへ、人影が近づいてきていた。
「まったく……やってくれましたね。君たち」
その人物は、西洋風の、幾何学模様が入ったコートを羽織った、細面の女性だった。顔はやつれたように痩せ細り、目だけが爛々と強い力を灯している。その目が、心視と志度、そして比乃を見て、恨みがましさを表現するように睨んだ。
黒幕が堂々と生身で姿を現したが、心視と志度は動けなかった。女性、ヘイムダルの手には、歩兵用の小銃が握られ、その銃口は自分たちを狙っているのだ。弾丸をばら撒かれたら、自分たちも、比乃も命はない。この距離では、二人が走ってヘイムダルをぶん殴るよりも、撃たれる方が早い。
「君たちのせいで、計画が頓挫しました。ですが、私がいる限り、終わりません。今が駄目でも、また次の楔を用意するか、作れば良い。そのための術もある。しかし、君たちにまた邪魔をされては困りますので……ここで死んでいただきます」
小銃を向けて、引き金を引こうとするヘイムダル。咄嗟に比乃を庇うようにコクピットの前へ動こうとする心視と志度。それらの動きを制する。一つの銃声があった。
「あ……えっ?」
呆けた声をあげたのは、ヘイムダルだった。自分の胸元に手をやって、その掌を真っ赤に染めた液体を見下ろす。それが何なのか、まったく理解できていない様子だった。
「ば、かな……」
「……まるで、自分が死ぬはずがないって顔してるね」
その声の主は、心視と志度の後ろ、コクピットの中にいた。予備の、本当に予備の自動拳銃を持ち、息も絶え絶え、それでも確かに敵へと銃口を構えているのは、比乃だった。
「な、なんで……私が……」
「でもね、人はたった九ミリの拳銃弾で死ぬんだよ」
よろめきながらも、小銃を再度持ち直そうとしたヘイムダルの胸に、二発目、三発目の弾丸が撃ち込まれる。倒れた彼女の最後の声は、口から出なかった。世界への呪詛を吐こうとした口から、二度と言葉が紡がれることはない。
「これが、お前の抱く空想なんかじゃない、僕らの生きる現実だ」
力が入らなくなった手から、拳銃を落とす。掠れていく比乃の視界に、今にも泣きそうな二人の同僚にして幼馴染みの顔が写った。比乃は、ふっと笑みを浮かべて、涙を零す愛おしいパートナーたちに、問うように呟いた。
「これで約束……守れる、かな……」
その答えを耳にする前に、比乃の意識は、闇の中へと落ちていった。
***
その頃、
「あーあ、最後の魔道鎧もやられちゃいましたか」
モニターの中で、赤と青の西洋鎧が、ロシア軍のAMWに撃破されるのを見届けた水守は、つまらなそうに息を吐いた。
「それにこの感じ、ギャラ……なんとかも負けちゃったみたいですね」
この世界における勝者は、原住民となったわけだ。なんとも面白くない結末に、ダメダメなB級映画を見終えたような感覚を覚えて、水守はベッドから起き上がった。
「だから言ったのに、急進派は本当に考え無しが多すぎる……私の魔道鎧が勝てない戦力を持つ世界に、あの門を開いて軍勢を送り込んで、勝てるわけがないのに」
うんと伸びをして、深呼吸。水守は目を閉じてから、すぐに開いた。その瞳は、これまで以上に妖艶な光を放っている。
「向こうに帰ったら、五カ年計画、練り直しね」
面倒くさそうに水守が呟いた直後には、もう、艦長室に彼女の姿はなかった。まるで、最初から誰もいなかったかのように、影も形も無くなっていた。同時に、ジュエリーボックス内に居た構成員たちからも、その存在は消え失せていた。それどころか、何故、自分たちがこのような場所にいるのか、それすらも思い出せなくなっていた。
哀れな地球人を乗せていた潜水艦。いや、魔道によって創造された箱船は、維持していた力の源が世界から消失したことで、急速に自壊を始めた。こうして、宝石箱と名乗っていた武装集団は、海の底へと消滅した。




