猛犬の使命
グレコフの乗るペーチルは、戦闘区域を俯瞰して、主戦場となっている中央を迂回し、遠回りするように、潜伏しながら移動していた。今、エリツィナの指示を受け、相手の狙撃手が射撃位置としているポイントへと急行している最中だった。
本来であれば、自分が相手前衛の側面を突き、相手が連携を乱した所を一気に攻め立てて倒すというのが、事前に打ち合わせた作戦であった。だが、今はそれに固執している訳にはいかない状況だ。
エリツィナが釘付けにされ、カラシンは追い回され、自分は迂回していた為に、どちらの援護にも駆け付けられない。全員が分断されてしまい、チームでどうこうよりも、個人技量でどうにかしなければならなくなってしまっていた。
(しかし……)
何故、あの狙撃手――情報によれば浅野 心視という少女は、エリツィナ中尉の機体にとどめを刺さなかったのだろうか。物静かでどこか不思議な雰囲気を纏っているとは思っていたが、その真意は悟れそうにない。
疑問を浮かべていたグレコフだったが、これ以上、その少女の好きにさせて、味方を不利にさせるわけにはいかない。今は考えるよりも行動である。
そして、彼のペーチルが二度目の跳躍を行った時。警報が鳴った。
(狙われた!)
AIが三時方向からの照準を察知し、搭乗者に警告した。と同時に、グレコフは機体を操作していた。四肢を振って強引に身を捻り、空中で半スピンするように機体を動かす。すると、正確に胴体へと飛んで来ていた弾丸が装甲を掠めて行った。
今回、ロシア側で演習に参加している中では一番若く、一番経験が劣るのがグレコフ少尉だったが、一番身のこなしが軽いのも彼であった。生身での身のこなしは、AMWにおいても有効に働くことを証明して見せた形となった。
「っし!」
上手くいった、と内心でガッツポーズを決めながらも、次弾への警戒を怠らず、着地と共に木々を盾にするように身を低くして、発見されないように移動を開始する。
また接近を急いで跳躍でもしたら、次こそ直撃をもらう事は明白であった。相手に射撃のチャンスを与えない事こそが、最大の狙撃対策である。グレコフはその基本に忠実に従って、狙撃手との距離を詰め始めた。
「……外した?」
低い山、というよりは丘と言った方が適切とも言えるその天辺に陣取っていたTkー7の中、心視は首を傾げていた。
確かに今のショットは直撃コースだったはずだが、相手が空中で妙な動きをしたと思うと、射撃が外れていたのだ。
実のところ、彼女の狙いが悪かった訳ではなく。あまりにも正確にコクピット、つまりは胴体ど真ん中を狙ったので、相手が軸をずらしただけで回避されてしまったのだ。心視はそこまで考えなかった。今は見失った獲物を再補足することが大事だ。そこへ、
『ちょっと心視、さっきのどうして直撃じゃなくて武器狙ったの! 相手が明らかに怒ってるんだけど!』
という、比乃からの苦情が入った。後ろから武器と武器がぶつかる激しい音が鳴っているので、絶賛交戦中らしいが、それでもこちらへ一言入れる余裕があるとは、流石は比乃だ。と、心視は変な所で関心しながら「はてな?」と考える。
彼女としては、模擬戦がそんなに呆気なく終わらせてしまっては、訓練にならないだろうという気遣いと、比乃が割と楽しんでいるのを邪魔するのも悪いという、彼女なりの思い遣りからの行動だったのだが……それがどうも裏目に出たらしい。
「……んー?」
何故怒られているのかわからない心視は、とりあえず答えた。
「……そっちの方が、面白そうだったから?」
『よーし後で二人きりでお話しようね』
比乃が平坦な声でそう告げて、通信は切れた。二人きりで話とはなんだろうか、少し期待してしまう、ドキドキもしてしまう、嬉しい――などと頰を赤らめて考えながら、片手間で心視は先程仕留め損ねた黒いペーチルを探す。
しかし、深く生い茂った森林の中に巧妙に隠れた相手は、中々見つからない。目視での発見は困難を極めた。目視での捕捉を諦め、センサーの出力を上げて探査しようとした。その時、
《敵機補足 三時方向 距離四百》
(近い……!)
センサー感度を上げるまでもなく、相手はすぐそこまで迫って来ていた。心視が咄嗟にAIが報告した方向へ向けて大筒を向ける。その射線を飛び越えるように、黒いペーチルが跳躍して来た。
相手はすでに射撃姿勢を整えている、心視は素早く判断した。反撃を諦め、回避に徹する。Tkー7が大筒を抱えるようにして後方へ飛んだ後に、地面にピンクの塗料がぶちまけられた。
着地と同時に大筒を構え直そうとするが、それよりも追い掛けてくる相手の射撃の方が早い。構えるよりも先に機体を右へ左へ走らせて、演習弾のシャワーから逃げ回る。
「……嫌らしい、相手」
こちらに射撃チャンスを与えず、距離を離さないことを優先した動き。狙撃手の対処法が判っている、実に嫌な動き方をする相手だった。
(……だったら)
だが、心視はただの狙撃屋ではなかった。
相手がマガジンを素早く交換し、再度構えたところで、行動に出た。
弾が尽きたライフルに新しい弾薬を装填しながら、グレコフは呟いた。
「よし、抑え込めてる」
自惚れでも侮りでもなく、事実としてそれが出来ていることを実感していた。このまま、相手を封殺して、中尉たちの援護に向かう、それで形成は逆転する。
あの少女には悪いが、これで終わりだ――遂に大型ライフルを片手に持って立ち尽くした相手に銃口を向けて、トリガーにかけた指に力を込めた。対するTkー7は次の瞬間、グレコフが予想もしなかった行動に出た。持っていた大型ライフルを振り被って、こちらに投げつけてきたのだ。
「なっ?!」
突然の行動にグレコフは反応できない。指は既にトリガーを引き絞っている。ペイント弾の雨が回転しながら宙を舞うライフルをピンク色に染め上げる。それを盾にして一瞬の猶予を得たTkー7が、その後ろから飛び掛かって来ていた。
その両手には、小振りなナイフを一本ずつ握っている。
「ここに来て接近戦?」
ライフルを捨ててまでか――驚きながらも冷静に考える。マークスマンが自衛のためにある程度の近接戦闘技能を持っているのは当然のことだが、それはあくまで自衛レベルのことである。本職の前衛に敵うはずがない。
そして、自分はその本職の前衛である。
「っ舐めるな!」
思わず叫んで、グレコフはライフルを腰に引いて大型ナイフを引き抜いた。そして腰だめに構えたライフルを乱射しながら、飛んでくるTkー7に斬りかからんと前進する。
対するTkー7は、腰のスラスターを瞬かせて一直線に向かって来た。腰だめ撃ちの牽制射など屁でもないと言わんばかりに、被弾など全く恐れていないように、真っ直ぐ来た。
「……!」
急加速で迫った相手に、しかしグレコフは反応してみせた。相手はスラスターを偏向させて、途中で横回転するようになった。その横薙ぎの二連撃を、辛うじて弾く。
だが、相手は止まらなかった。そのまま独楽のように回転するTkー7が、勢いを殺さず回転二連蹴りを放って来たのだ。
「なぁ……?!」
相手の三半規管はどうなっているのか、一発目がナイフを握ったペーチルの太い腕を弾き飛ばし、二発目がそれでも反射的に防御しようとしたもう片腕をライフルごと弾き飛ばした。両腕が上に上がって、更に言えば仰け反ってもはや抗いようがない胴体へ目掛けて、本命の突きが来た。
スラスターを無理に稼働させ直進運動に乗った細身の機体が、自分の懐へ目掛けて飛び込んで来る。
決して相手を侮っていたわけではなかった。それでも、狙撃手がここまでの格闘技能を持っていることは、想像できていなかった。
その想像できなったが為に、一瞬で詰みへと持っていかれたグレコフは、自分の不甲斐なさに顔を歪めた。
「――申し訳ありません、中尉!」
次の瞬間、二本のナイフによってペーチルの黒い胴体に二本線が描かれた。




