女蛇、再び
ゲームセンターを後にした女性は、機嫌が良さそうに一本に括った茶髪の髪を左右に揺らしながら、街中をどこかへと足を向けて歩いて居た。
信号に差し掛かり、それが青に変わるまで立ち止まって待っていると、持っていたハンドバックの中から携帯端末の着信音が鳴った。女性が端末を取り出して通話ボタンを押す。電話口から流れてきたのは、流暢な英語だった。
『お遊びが過ぎるんじゃないのか、ラミアー』
「あら、見ていたんですか、アレース」
電話の第一声から相手を特定した女性、ラミアーは同じく英語で返しながら、周囲にさっと目配せするが、こちらを見ているそれらしい姿は見当たらなかった。いったいどこから見ていたのやら、ラミアーは少し不機嫌そうな口ぶりになった。
「女性のプライベートを覗き見するなんて、良い趣味とは言えませんわね」
『そう怒るなよ。仕事のついでで見えちまったんだから、しかたないだろ』
「仕事……標的の監視ですか」
『ああ、あいつら、今も呑気にゲーム三昧だ。あれがステュクスを退けて、お前を撃退したのと同じだとは思えねぇなぁ、ただのガキだぜ』
「ただの子供、にしては腕が立ちますけどね。直接戦っていない貴方にはわからないでしょうけど」
あれは、実際に戦ってみないと本質が見えない類のパイロットだ。実際、この間も、最初と最後では見違える程に手強く、そして面白い相手に化けた。次に戦場で会った時は、是非とも、本気で叩き潰してみたい。その欲求が、彼女の身体を熱らせた。
ラミアーが言外に、標的を高評価していることを察したアレースは『お前もオーケアノスも、評価基準が甘いんじゃねぇのか?』と呆れた様子で言った。
『最近はステュクスもご執心みたいだしよ。脳みそのチップ以外に、そこまでの価値があるとは思えねぇけどな、向上心がある奴は嫌いじゃねぇがな』
それが面白くないのか、うんざりした様子のアレースに対し、ラミアーは提案するように言う。
「だったら、貴方も直接戦ってみたらいかがです? そうすればきっと……」
言っている間に、先日の戦いの一抹を思い出したのか、ラミアーはうっとりした口調になった。しかし、アレースは電話口の向こうでため息を吐いた。
『生憎だが、俺は遊び相手は極力選ぶ趣味なんでな。今回の件も、足止めに専念させてもらうぜ』
「あら、それは嬉しいですわね。それはつまり、存分にあの子と遊ぶことが出来るということでしょう?」
今から楽しみですわ、とクスクス笑うラミアーに、アレースは釘を刺すように、強めの口調で言う。
『楽しむのは良いがよ、楽しみ過ぎて標的を壊すなよ、ラミアー。パイロットも機体もだ。それが仕事なんだからよ』
注意を受けた彼女は、心外のように、口元に手を当てて驚いたように言ってのける。
「あら、私が仕事でやり過ぎたことなんてありましたか?」
『数え切れねぇ程にな、悪い癖だぜ本当に……だからお前と組むのは嫌なんだ』
この女パイロット、ラミアー。ギリシャ神話に登場する女怪の名を授けられた彼女は、同じ組織の人間から、様々な要因で恐れられている人物であった。高い技量は勿論のこと、気紛れ過ぎるその性格や、仕事を遊びと称して、目的以上の被害を周囲に振り撒き、その時の気分で、敵も味方も関係なく、生かしも殺しもする。
他の幹部からは、有能だが扱い難いことから、腫れ物扱いされている。しかし、本人は全く気にしておらず、仕事と遊びの場を提供してくれるという理由だけで、組織に忠誠を誓っていた。
「貴方だって遊びは大好きじゃないですか、仕事中に遊び始めるのはお互い様でしょう?」
ようやく青になった信号を渡りながら、ラミアーはそう反論する。アレースも確かに、仕事中に遊び始める悪癖はあるが、仕事はきっちりとこなすだけ、ラミアーと比べれば幾分かマシである。
『俺は仕事のついでに遊ぶんだ。仕事自体を遊びにしてるお前とはちげぇよ』
もし、ここにまとめ役のオーケアノスがいたら「どちらも大して変わらん。改めろ」と言っていただろうが、残念なことに、ここにその壮年の男はいなかった。
「それにしても、あの子が目的なのでしたら、あの場で攫ってしまってもよかったのではないですか? 私と貴方なら、造作もないことでしょうに」
『別にあのガキだけが標的って訳じゃねぇし、側にいる二人のガキが厄介だ。ありゃあ生身じゃ一筋縄じゃいかねぇよ。お前だって資料見ただろ』
「見ましたけども……所詮はステュクスの模造品でしょう? そこまで警戒することでしょうか」
『……あいつの身体能力見てそう言えるお前が、俺は時々おっかなくなるよ』
「あら、淑女に対して酷い言い草ですわね。それに少し運動ができるくらいでは、戦いでは生き残れなくてよ?」
それでも、言ったこととは裏腹に、面白そうに小さく笑う。多少身体能力が高いくらいでは、彼女にとってはハンデにならない。そう思っている口振りであった。そうして通話しながら道を歩いて居た彼女は、ふと足を止めた。
「それでは、また後程連絡しますわね」
『おいおい、まだ仕事の話の途中だぜ?』
まだ話の本題にも入っていない。アレースが少し慌てた声で言うが、彼女はそんなこと御構い無しといった様子で、
「良さそうな喫茶店を見つけましたので、ちょっとお茶をして行こうと思いますの。堅苦しいお話は、その後でお願いしますわ」
『……お前ってほんとに』
マイペースだよな、とアレースが言いかけた所で、ラミアーは通話を切った。そして何事も無かったかのように携帯端末をハンドバッグに仕舞うと、軽い足取りで、側にあった小さいカフェへと入って行ったのだった。




