平和な朝
初夏。地面から這い上がって来た蝉が鳴き始め、エアコンのクーラーを使う人が出始める、そんな季節。
沖縄から東京へと長期出張中の自衛官、日比野 比乃三等陸曹は、暑さと圧迫感で目を覚ました。
「…………」
眼を覚ますと知らない天井……などではなく、すっかり我が家となったはんなり荘の二〇三号室、その中の寝室の真っ白な天井が目に入った。
まず自身の状態を確認。目を向けるまでもなく、左右から両腕をがっちりとホールドされている。見なくともわかる。自分をベッドに抑え付けている二人は、
「志度、心視、あっついんだけど」
白間 志度と浅野 心視、比乃の同僚である三等陸曹の二人であった。比乃はため息をついて、ここ数日毎日のように、自分のベッドへと不法侵入してくる二人の太腿を、少し強めに抓る。
その痛みを感じ取った二人は「……痛い」「んお、おはよう」と両者それぞれ違う反応を見せて、上半身を起こした。
「いい加減にしないと、二人とも太腿が抓り跡だらけになっちゃうよ」
この二人、ミッドウェー島から戻って来てからもう一週間ほど経つが、駐屯地でも学校でも自宅でも、四六時中、比乃にべったりなのだ。トイレにまで付いて来ようとするので、比乃も困っているのだが、いくら言っても話を聞かない。このように寝る時まで一緒と、正におはようからおやすみまでを見守る状態なのである。
「それじゃあ……もっと優しく……起こして」
「そうそう、俺達だって比乃を守るために、態々狭い所に入り込んで寝てるんだぜ?」
二人の身勝手な抗議に、比乃は再度ため息を吐いた。
「別に寝てる時まで守ってくれなくていいよ……優しく起こすって、例えばどうやって?」
心視と志度は揃って「うーん」と悩み始め、数秒。はっとしたように何か閃いた心視が、若干頰を赤らめた。
「……目覚めのキ」「耳元で起きるように言ってくれよ、普通に」
何かを言おうとして、志度に遮られた。少し不機嫌な顔になった心視のパンチが飛び、寝起きで反応が鈍い志度がそれを諸に食らい、ベッドから転げ落ちる。比乃は一連の流れを無視して、自由になった両手を使って「よっこいしょ」と起き上がった。
「じゃあこれからは耳元で大音量の目覚ましを鳴らしてあげるよ。経費で買ったのあるから」
無情な比乃は「有効活用しないと」――そう言いながら、両足に義足を填めて、立ち上がってうーんと伸びをする。カーテンを開けてみれば外は快晴。絶好の登校日和であった。
「さ、朝ごはんの支度するよ、二人とも手伝って」
今朝のメニューは、トーストと目玉焼きだ。二人揃って「はーい」と返事をしてベッドから降り、片やベッドの横から起き上がると、三人揃ってダイニングへと向かう。
これが、ここ数日における比乃周辺の朝の様子であった。
***
朝のモーニングコールが必要な隣室に出向くと、何故かまた下着姿のメアリとアイヴィーがいたり、それを目の当たりにしながらも比乃は「失礼しました」の一言で済ました。
それからも、特にどぎまぎしたりしない比乃に、メアリとアイヴィー……というよりはアイヴィーが、何故かぷんすかと怒っていた。
「リビングで着替えてた私達も悪いけどさぁ、普通もっとこう、年頃の女性の着替えを見たら違う反応しない? 私、スタイルには自信があるんだけど……」
「まぁまぁアイヴィー、日比野さんはきっと、こちらで言うところの“ぼくねんじん”というものなのでしょう。そんなに気を落とす必要はないですよ」
「そうなのかなぁ……はぁ、それでも自信無くしちゃいそう」
どこかズレたことを話している二人を尻目に、比乃は久しぶりの登校を楽しんでいた。何気ない日常がこんなにも得難い物だったとは……としみじみした様子で周囲を観察している。
ブロック塀の上で屯ろする猫、ちょっと曲がった道路標識、鳥のさえずる声……何もかもが、今の比乃には尊く感じられた。
「もしかして比乃って……ホモ?」
「まさか……でも確かに、白間さんとあんなにべったりと……もしかすると、もしかするかもしれません」
「二人とも、変な誤解してるみたいだから宣言しとくけど、僕はノーマルだからね!」
「俺だってそのノーマル? だからな! ホモじゃないぞ!」
そう否定する志度が、比乃の腕に回した手にぎゅっと力を入れる。二人の疑惑の目が強くなった。
「比乃は……ホモじゃない……志度は知らないけど」
すると反対側の心視も対抗するように、比乃の腕をぎゅぎゅっと抱き締めるようにした。
「……説得力がないね。もしかして、両刀?」
「アイヴィーは難しい日本語の使い方を知ってますね、帰ったらもう少し詳しく教えてください」
「いや教わらなくていいから……あと両刀でもないから……」
比乃はげんなりしながら言うと、自身の左右。自分を挟むようにして歩いている心視と志度を交互に見る。片方は感触が柔らかくて困るし、もう片方は掴まれた部分がみしみし言っていて困る。
「あのさ二人とも、すごい歩き難いし、周囲からあんな感じで誤解を招きかねないから、離れて歩いてくれない?」
そうお願いするがしかし、両者は眉を八の字にして口を尖らせて、拒否の意を示した。
「……駄目」
「却下だな。俺達はいつでも比乃を守れるように、態々こうやってくっ付いてるんだぜ」
言いながら、さらに両側から抱きつくようにくっつく。
「ちょっと過剰過ぎると思うけどなぁ……」
「そんなことない」
「そんなことないぞ」
ハモって言う二人に、もはや諦めたのか、本日何度目かのため息をついた。歩きにくそうにしながらも歩みを進める比乃。その様子を見ていたアイヴィーは、独り言のように日本語で呟いた。
「まぁ、『仲良きことは美しきこと』なのかな?」
そう言った彼女に、メアリは羨望の眼差しで「本当にアイヴィーは日本語が堪能ですね」と褒め称えたりしていた。
なんとも平和な登校風景であった。




