雑談
身体検査を受け終わると、比乃は食事と手洗いに行く権利を求めた。女医はすっかり忘れていたと謝罪し、すぐ傍にあった検査用のトイレを使わせてくれた。それからすぐに、簡単な食事(と言っても携帯食料だが、味はまずまずだった)を与えられ、比乃は人間の三大欲求を満足させると、そのまま医務室のベッドへ横にさせられた。
女医は、何やら検査結果などを書いた書類をまとめて出て行ってしまった。部屋には、カーテンで仕切られた向こう側にいるステュクスと比乃の二人きりとなる。
特に話すこともないので、比乃は黙って横になっていた。向こうも無言であるので、静かなものである。そうしていると、どうしても眠くなってくる――いやまさか敵、地ですやすやと寝るわけには行くまい。そう睡魔と戦っていたが、それに負けてうとうとし始めた。
「ねぇ」
すると突然、隣のステュクスから声をかけられ、思わず比乃は「んお?」と寝ぼけた返事してしまった。カーテンの向こうから「はぁ」とわざと聞こえるように出した溜息が聞こえた。
「ほんと、先生はこんなののどこを気に入ったんだろ……」
「それは僕も知りたいよ、なんでこんな所まで拉致されなきゃいけないんだか」
彼女の独り言に答えるように言うと、布一枚隔てた向こう側から殺気が溢れた。カーテン越しに睨まれた気がする。しかし、比乃に向けられた殺気はすぐに抑えられ、代わりにまた一つ溜息が聞こえた。
「こんなのの仲間に負けるなんて……姉妹の恥だわ……」
「負けた? ああ、心視と狙撃合戦でもしたのかな」
彼女が心視に撃たれたことを知らなかったが、簡単な予想をつけて比乃は何気なく言った。まるで現場を見ていたかのような言葉に、ステュクスは「あんた……読心能力でもあるの」と言ってから、しまったと口を噤んだ。その言葉は、それが図星であることを示している。
(やっぱり、心視か)
腕力で勝てない相手との戦いで、あの二人が有利になることと言えば、AMWによる近接戦闘か、あるいは、狙撃などの銃器を使った撃ち合いだ。比乃は考え、すぐにステュクスはその何れかに負けて負傷し、この医務室にいるのだろうと予想した。
実際、比乃の考えた通り、ステュクスは右肩を負傷し、回収されてから応急処置を受けて、この基地で本格的な治療――皮膚に食い込んだ破片を取り除く簡単な手術を受けたばかりだった。普通ならば重症のはずなのだが、彼女が受けた治療はそれだけで済んでしまった。おまけに、あの高さから落ちて負った怪我は打撲だけ。普通、あの状況で負う負傷は、破片が肩に食い込むだけでは済まないのだが、彼女の身体能力の高さは、実に人間離れしていた。
それに打ち勝つ心視も心視なのだが、そこは経験差だろう。比乃が拉致された時から感じていた通り、ステュクスは経験、特に、格上の相手との戦闘経験が大きく欠けていた。
生身での戦いは勿論のこと、AMWも最初から高性能な物を与えられ、常に確実な指示を受けて戦っていたので、不意のことや想定外のことに弱かったのだ。
ぼんやりと「まぁ、どうせ志度みたいな回復力してるんだろうから軽傷なんだろうな」と、比乃はそこまで相手のことを予測していると、ステュクスが再び「あんた」と声を掛けてきた。それに、今度は比乃が「あのさ」と溜息混じりに言い返す。
「あんたとかこんなの、じゃなくて名前で呼んで欲しいんだけど、せめて階級で」
「じゃあ、日比野軍曹。あの金髪について教えてよ」
案外素直に呼び方を訂正したことに、少し驚きながら、振られた話題の内容に疑問符を浮かべた。
「心視について? またどうして」
「私を負かせた相手のことだもの、知りたいに決まってるでしょう」
なるほど、と納得した比乃は、機密に触れない限りのことを話し始めた。
初めてあった時の話から、つい最近、学校に行ったところまで、ついでに志度のことも掻い摘むように話した。三人の奇妙な自衛官の話は、思いの他、少女の興味を誘ったらしく、初めは暇潰し程度に聞いていたステュクスも、途中から真面目に話を聞くようになった。
ステュクスは興味深そうに「へぇ」とか「そう」と簡単に相槌を打ちながら、時折話しの途中に質問を挟みながら、その話を聞いていた。カーテン越しの敵味方の奇妙な語らいはしばらく続いて、比乃が「そろそろ話すネタがなくなって来たな」と困った様子で言うと、ちょうど、病室の扉が開いた。
比乃が身を起こしてそちらを見ると、入って来たのは、一人の少女だった。髪をバンダナで纏めて、目つきは鋭く、生真面目そうな人相をしている。比乃はそう感じた。
少女は比乃を一瞥すると、特に興味はないようですぐに視線を逸らした。真っ直ぐ隣のベッドの方へと歩いて行き、ステュクスに声をかけた。
「ステュクス、あまり敵と親しく話さないようにと忠告したはずですが」
「ドーリスは真面目ね。敵と言っても、先生が熱心に口説いてる相手なんだから、これくらいはいいんじゃない?」
ドーリスと呼ばれた少女は、ちらりとまた比乃を横目に見て「確かに、生徒となる資格はあるようですが」と、いったいどこを見てそう思ったのか、そう言ってからまた視線をステュクスに向ける。
「今はまだ敵であり捕虜です。親しげにする理由などありません。それが、優秀な生徒候補だとしてもです」
「貴方まで認めるんだ……このちんちくりんがねぇ」
ステュクスがまたカーテン越しに視線を向けて、怪訝そうに首を傾げる。彼女にはどうしても、この比乃がそんなに優れた兵士だとは思えなかった。しかし、ドーリスは「彼の過去の経歴から戦績に至るまでの全てが、少なくとも、AMWの操縦兵としては優れていることを示しています、それに」と語り始めた。
「背丈はAMWの操縦技術になんら関係ありません。むしろ、小さい体躯の方が耐G能力において有利に働くと」
「あーはいはい、その話はもういいから……で、用事は何なの」
ステュクスが手をひらひらさせて、うんざりしたようにそう言うと、ドーリスは話すのを辞めて、今度はここに来た要件を話し始めた。
「隊長から、そこの彼に、我々の目的などについて教えるように言われたので……こういった会話は苦手なのですが」
「あ、それなら丁度いいわ……ねぇ、日比野軍曹」
ステュクスが手を伸ばしてカーテンを開く、露わになったその姿は、右半身に包帯を巻いていても、見る分には可憐な乙女であった。しかし、その目は冷酷さと残酷さを潜ませた、人殺し独特の目をしている。
比乃は話をしている途中で忘れそうになっていたが、このように親し気に話をしていても、彼女たちは自分の敵であるテロリストである。そのことを、その冷たい瞳を見て再認識させられた。いくら世間話をすることが出来ても、彼女とは、一生相入れることはないだろう。
そんな比乃の心情を知ってか知らずか、その目が楽し気に、にっと三日月のように細められた。
「話してくれたお礼に、私達のやってることの目的、教えてあげるよ……知りたいでしょ?」
比乃の返事を待たずに、まるで取って置きの話をするような口調で、ステュクスは語り始めた。




