太平洋の要塞
オーケアノスは「またあとで医者を連れて検査に来る」という言葉を残して、部屋から出て行った。それを見送った比乃は、寝そべった姿勢のまま灰色の天井を見上げていた。
呆然自失とした気分だったが、それでも頭では考えるのを止めない。この部屋に時計はないが、聞いた場所からして、下手する気絶させられてから数日、数週間は経っている可能性もあった。
そんな長時間眠らせるなど、一体どんな薬を投与されたのやら。身体に異常は感じないが、だるさの原因は、筋肉が鈍っているからだということはわかった。とにかく、いつでも動けるようにストレッチをしておく。
(……今更になって薄ら寒気がしてきた)
投薬された薬に、何か副作用でもあったらたまったものではない。しかし、今の状況ではそれを確認することもできないし、抵抗しようにもどうしようもない。動かすと若干の痺れが走る腕を伸ばしながら、比乃は周辺の状況を探ることに専念する。
耳を澄ますと、何か大型の駆動音が聞こえて来る。それに付随する足音もある。二足歩行の巨人が歩いている音だ。すぐ近くで、AMWが起動して動いているらしい。となると、ここは軍事拠点か何かだろう。
(さて、どうするか)
比乃は思案する。ここからどうやって脱出するかどうかのプランを、頭に並べられるだけ並べる。だが、どれもこれも確実性に欠けるし、現実味がない。そうなってしまう原因は一つだ。
「足がないんじゃなぁ……」
文字通り、両足がないからだった。何しろ、こっちは抱えて運んでもらう以外では、両腕を使って這うか、なんとか飛び跳ねながら動くしかないのだ。瞬発力を使った超短距離ならともかく、長距離の移動などできない。
そもそも、トイレにすら行けない。どうするんだこれ。などと、生理的欲求が来たらどうしようかと、困り顔で唸っていると、鉄扉が開いた。入ってきたのは、白衣を来た女性とオーケアノスだった。
「具合はどうだ」
「少しだるいくらいで、悪くないですよ。気分は最悪ですけど」
比乃は上半身だけを起き上がらせて、無いままの両足を見下ろして言った。
「ああ、足がなくては不便だろうと思ってな、代わりを用意した」
オーケアノスが合図をすると、白衣を来た妙齢の女性。恐らくは女医らしい人物が、手にしていたケースから、簡易な作りの義足を一対取り出した。モータなどが入っているようには見えないので、松葉杖などを使って歩くための物らしい。
「採寸と調整はお前が寝ている間に済ませてある」
言ってる間に、女医が比乃に足を出すように促す。ここで意地を張っても仕方がないので、比乃が言われた通りに足の根元を出す。女医がアタッチメントに義足をはめ込む。驚くことに、これまで着けていたものと同じ規格であった。
「態々、規格が合う物を用意してくれるなんて、優しさに涙が出そうですよ」
「本当に泣きたいのは今の状況にだろう? ハワイへ送る前に簡単に検査を行わなければならんのでな、来てもらおうか」
放るように松葉杖を渡される。比乃は渋々と言った様子で、杖を使って地面に二足で立った。そして、危なげなく杖をつきながら、オーケアノスと女医の後に続く。ここで逃げてやろうかとも思ったが、この状態で全力疾走しても、健康体の大人の方がずっと足が速い。
無駄な抵抗をして扱いを粗雑にされるよりは、ある程度は素直に従っていた方が身のためだろう。
特に不平を漏らさずに付いて来る比乃に「利口だな」とだけ言って、オーケアノスはどんどん通路を進んでいく。比乃は、後ろの女医にせっつかれるようにして通路を歩いた。
そうしながら観察していると、この施設が、今の所有者に使われるようになるまで、長年も放置されていたとは信じられない程に整っていることがわかった。清掃は行き通っており、通路に無駄な物が置かれていない。窓は全て分厚く、強化ガラスであることがすぐわかった。
万が一襲撃されても、即座に防衛戦力を展開でき、容易に侵入することを許さない。ここは立派な軍事基地であった。
そうして歩いていると、ふと窓の外に何機かのAMWが見えて、思わずそちらに視線を向ける。丸っこい胴体に長い爪を持つ、見たことがない機種だった。
「あれは、我がオーケアニデスの正面戦力だ」
比乃が何か言う前に、オーケアノスが足を止めて、どこか自慢気に言った。ここに来てから、この男は随分と表情豊かになったなと、場違いな感想を抱いた。いつも無表情な相方を思い出しながら、比乃は「水陸両用機ですか、珍しいですね」と率直に述べた。
陸上兵器であるAMWは、上陸作戦のために水中移動用のオプションを装備することはあるが、大体は使い捨てか着脱式だ。あのような、明らかに水中戦を意識した構造をしている機体を、比乃は見たことがなかった。
「良い機体だ。お前も気にいる」
「僕から見たらTkー7の方が軽くてスマートで良いと思いますけどね……というか、その勧誘話、まだ続いてたんですか」
呆れたように言う比乃に、オーケアノスは「当然だ」と振り向いて言う。
「言ったろう、お前の才能は我々の元で発揮されるべきだ。その為ならばいくらでも時間をかけてやる」
「酔狂ですね……」
「言ってろ」
最後の一言は、どこかユーモラスな雰囲気を漂わせていた。オーケアノスはまた歩き出す。比乃もまた、それに続く。
しかし、現職の自衛官をここまで強く勧誘するとは、この男はいったい何を考えているのだろう。比乃は松葉杖をつきながら、じっと白髪の生えた後頭部を観察してみたが、それで何かわかるわけもない。さらに通路を進んでいくと、程なくして目的らしい部屋へと着いた。
「入れ」
オーケアノスに促されて入ったのは、白く清潔感がある部屋だった。ベッドがいくつか並べられていて、どこか学校の保健室に似ていた。似ていない所があるとすれば、奥に放射線室と書かれた扉があったり、検査用の道具が机の上に所狭しと並べられていることだろうか。
「ご覧の通り、ここの急拵えの設備では、流石に手術は出来ない。なので先に検査を行うらしい。あとはこの女の指示に従っておけ、その方が身のためだ」
そう言って、オーケアノス本人は部屋からさっさと退出してしまった。松葉杖をついているとは言え、捕虜を放置していいのだろうか、と思っていると。
「先生ー? 先生来てたのー?」
カーテンが引かれたベッドから、聞き覚えのある少女の声が聞こえた。なぜ、此処にいるかは知らないが、彼女、ステュクスが居れば、警備の兵など不要ということだろう。比乃は無駄な抵抗を一切諦めて「それで、どうすればいいんですか?」と女医に指示を仰いだ。
それから、血液採取やCTスキャン、身体測定など、身体を好き放題に観察されている間に、いくら考えてもオーケアノスという男の本当の目的とやらが何なのか、遂に解る事はなかった。
もしかしたら自分の考え過ぎで、目的は本当にただのヘッドハンティングなのかもしれないとすら、思えてしまったのだった。それよりも重大な問題は、
(お腹、減ったなぁ)
スキャニング装置の中で、比乃は別の意味でまた泣きそうになった。逆に、状況を理解して、そう思える余裕が生まれた自分に、少し安堵しているところもあった。




